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【エッセィ】蛙鳴雀躁 No.23

 4月30日火曜日、午後の部。ヅカトモと三人で観劇。超イケメンのれいこちゃん(月城かなと様)までも退団とは!!
 なんでみんな、やめてしまうのかな。
 やめて欲しくないと思うけど、それは観る側の勝手な想いなんだと思う。
 この子、歌うまいな、芝居もじょうずだな、どんどん輝きが増して、あんな役もこんな役も見てみたいと思っていると突然、退団発表になる。
 人生のつぎのステージに踏み出す時がきたと、本人自身が感得するとしか思えない。芸能界にすすむ人もいれば、結婚する人もいる。あらたな職業につく人さえいる。
 幸多かれと祈るばかりです。

 時代劇の衣裳がよく似合う、れいこちゃんのこれまでの舞台で、最初につよく印象に残ったのは雪組公演「るろうに剣心」でのお庭番の役でした。バウホールでの「銀二貫」は言うまでもないのですが最近、バウの公演チケットは手に入らない。
 けれど、れいこちゃんが、雪組から月組に移ってきたあとの作品は、ほぼほぼ観さしてもらいました。歌ウマの美形で、余裕でトップの座につき、長く君臨すると思っていた矢先に残念。まさか花組のトップ、同期のれいちゃんと同じ時期にやめるとは思ってもみませんでした。
 なんといっても95期はスゴイ!
 トップになって以後は「グレート・ギャツビー」。杜けあきさんで観劇したときのギャツビーとれいこちゃんのギャッビーは、別人でした。杜けあきさんが「動」なら、れいこちゃんは「静」。端正でありながら崩れた一面がかいま見える名演技でした。ショーは 「万華鏡百景色」が出色の出来だった気がします。「バッディ」以来の天才女性演出家の出現にも瞠目しました。

 タカラヅカでの最後のお芝居となる正塚春彦先生の「消え残る想い」は、いまもタカラヅカへの想いが残っているという意味合いにもとれるタイトル。
 英国がもっとも繁栄したビクトリア王朝時代は衣裳がたまりません。男性のフロックコートにトップハット。それに縦衿のカッターシャツとベスト、鎖のついた時計。美声の海野美月ちゃんのフリルいっぱいのロングドレスにつば広の帽子と手提げ袋。どうして、外国も日本も時代をさかのぼるほど、おしゃれなのか?
 髪型からして、凝っている。
 お芝居のストーリーは、ミステリーにオカルトが加味されていて、展開が読めないところが秀逸。おもしろくたのしく観劇しました。何より、正塚先生の多くを語らないセリフが、私は好きです。
 文字で書くと、つまらないので消したくなる「ああ」「ん」「じゃあ」「ええ」とか、男性が日頃、つぶやきそうなセリフが何度も出てくるのですが、それが自然体で耳に心地いい。
 あえて難点を言わせていただくなら、すべての事件の起点となるメアリー・スチュアートが何者なのか、なぜ処刑されたのか、セリフにはあったのですがもう少し、わかりやすくできなかったのかというのは贅沢な注文でしょうか?

 しばらく前、スカイステージで正塚先生のお姿を拝見しました。
 長い白髪を頭のうしろでひとくくりにし、端正なお顔立ちは昔のまま、話す口調もお芝居の男役の雰囲気のまンまでダンディでした。

 タカラヅカを誤解している方の多くは、おおげさなセリフを想像されているのだろうと常日頃から思っています。歌舞伎の十八番に相当する様式美のお芝居もあるのですが、正塚作品は一貫して、不器用とも思えるほど男役同士のセリフのやりとりがリアルです。
 似たような単調なセリフを異なる言い回しで言ったり、返したりとどの男役サンも研究したのだろうと感心しました。 
 しかし一転して、しゃべりまくる霊媒師役の彩みちるちゃんの狂気の演技は圧巻でした。こんなに声が出るのかとびっくり。降霊会が流行った時代にはこのような女性が現実にいたと思わせられたほどでした。
 ショーは新たなスターの登場を予感させる場面も多数。それぞれに見所があるうえに初舞台生も加わって豪華絢爛。しかし、なんといっても燕尾服。これなくしてタカラヅカを観た気がしない。
 退団して何年か経つと、「昔の姿を観るのが恥ずかしい」とおっしゃっるスターさんがいますが、ファンの脳裏に残るのは大階段の中央でりんとして立つ燕尾服姿。ここでしか、見ることのできない美の極致だと思うのですが……。

 休憩時間に、予科生と思われる生徒サンが、一階フロアを一列に並んで歩いていました。観劇日だったらしい。みんな初々しい。あの中に未来のトップスターがいるのかと思うと、胸に迫るものがありました。並んだ列のごとく、途切れることなく、この夢の世界がつづきますようにと、健気な後ろ姿に念じたくなりました。そして、みなさんの夢が叶いますようにと。


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