遺書とは違うなにか


親のことは好きです。
辛いことや悩みがあるわけでもないです。
仕事も楽しいし、会社の人にも友達にも恵まれていると思ってます。
この先行けるとしたら行きたい場所、やりたい事がたくさんあります。

でも人生終了ボタンがあったら私は迷わずに押します。
この先どんなに楽しいことが待っていたとしても押します。
なんで生きていなきゃいけないのか分からないんです。
死にたい、ともまた違う気がします。
本気で死にたいと思ったことはありません。
だけど、ずっと、この世界からいなくなりたいです。

勉強して働いてたまに遊んで、いろんな人に出会って疲れてたまに楽しくて、世の中に嫌気がさして絶望してたまに人の暖かさに感動して。
もうそんなの充分なんです。
もういいんです。


何にでも意味を考えてしまうんです。
私はこんなんだから、多分この先子供を産むという選択をすることはないでしょう。
じゃあなんで私は生きてるんでしょうか。
なんで生きていなきゃいけないんでしょうか。
分からないです。


私は親に産んでくれてありがとう、なんて言ったことはないし、この先も言わないと思います。
言えるわけがないです。
結婚したい、とか、子供を産みたいって思えなくてごめんなさい。
普通の人が普通にしていることが出来なくて、したいって思えなくて、意味なんか考え始めちゃって本当にごめんなさい。

どうしたら普通に生きたいって思えるんでしょうか。
こんな気持ちを自分のことを大切にしてくれる人たちに言えるわけがないから、まるで生きたい人みたいに、生きるのが楽しい人みたいに生きています。

徐々に限界が近づいていることを無視して明日も生きるのが楽しい人として世界のどこかに存在しておきます。

おやすみなさい。




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