夏子のこと



「それでさ、聞いてよ」と、まるでさっきまでの話の続きのように夏子が言った。


土曜日の昼下がり、カフェのテラス席に向かいに座る夏子は相変わらず華奢で、特別美人とか可愛いというわけではないけれど、愛嬌のあるまん丸な目をこっちに向けながらこちらの反応を待っている。


「あ、ごめん、なんだっけ?」と私が聞くと、
「あ、待って、まずは乾杯だ乾杯、ほれ、かんぱ〜い」と、夏子は息つく間もなく、風情のない"一応"の乾杯を促して来た。


久しぶりに会っても夏子のペースは変わらないな、と思い苦笑しながら私もグラスを添えて、そもそもカフェって乾杯するっけ?なんて思いながらアイスティーを一口飲んだ。

わたしがグラスをコースターに置こうと視線を下に向けた一瞬の間にも、夏子は「夏は暑くて嫌だね」などと当たり前みたいなことをさも大発見みたいに喋っている。私が「まぁ、夏だからね」と言うと、「そっか、夏か〜じゃあしょうがないか〜」などと楽しそうにしている。私は、この子のそんなところが大好きだ。

一通り夏の暑さをどう回避するかなんて話で盛り上がって、結局、ありとあらゆる所に地下道を掘るしかない、という結論が出たところで
夏子は、そんなことはさておき、と言わんばかりに声のトーンを1段階低くし、自分の携帯を取り出しながら話し始めた。


「いや、あのさぁ、聞いてよ、すごい嫌なことがあったの!だけどこれ、本当に嫌なのか分かんなくてさ!ちょっと意見聞きたいんだけど」
あぁ、これが乾杯前に話しかけていた本題か。と思いながら耳を傾ける。
嫌なことがあったのか、嫌じゃなかったのか、よく分からないけどまぁ聞こう。
この子はいつも不思議な話し方をするのだ。


夏子の話を要約するとこうだった、
夏子は昨年、新卒で入社した会社を辞め、転職している。辞めた会社の同期の1人がこの度寿退社することになったらしい。それ自体は本人からも聞いていたが、1ヶ月前違う同期からいきなりこんな連絡が来たらしい「なっちゃん久しぶり!寿退社する同期にみんなからプレゼントを送ろうと思ってて今日同期で飲み会をするからそこで渡そうと思ってる!女子からは6000円集めたいと思ってるんだけどどうかな?急でごめんなんだけど」


あ、私同期からなっちゃんって呼ばれてるんだ。
と補足をしながら夏子は運ばれて来たパスタを食べるために、カトラリーケースを覗き込み、フォークとスプーンをセットにしてこちらへ差し出し、自分用にもそのセットを作ると満足そうにパスタを食べ始めた。


ちなみに夏子は前職の職場でも愛嬌とコミュニケーション能力を活かし、周りの人とはうまくやっていたようだ。しかし、本人は、そこで働いている人を含む会社全体の生ぬるい雰囲気が好きではないことはなんとなく分かっていた。
大学を卒業して間も無く、入社した会社での研修の日々で疲れ切っていた頃、慰労会と称して研究室のメンバーで居酒屋に行き、そこで会社の同期の愚痴を吐く男を見て「同期って友達じゃないじゃん?距離が必要だよ」と夏子が静かに呟くように言っていたことを今でも覚えている。
夏子のそんな顔を見るのは初めてで、夏子の内面を覗き見してしまった気になった。


「まぁ、飲み会って言ってもさ、私は引っ越してすごく遠くにいるから誘ってもらってもどうせ行けなかっただろうし?でもさ〜、プレゼントを贈ることも、プレゼント選びも全く聞いてなくて、渡す当日に突然お金だけ送れって言われてもさ〜」
夏子はパスタを器用に巻き取りながら、私に向かって、聞いてんの?と言いたげな顔を向け、
「どう思う?」と短く続けた。

「いやー、この言い方は無いかなって思う、私なら払わないかな」
と突然質問を向けられた私は少し焦りながら答えた。
私がしっかりと聞いていたことを確認し、満足そうに頷くと、夏子はまた話し始めた

「私も絶対払いたくないなって思っちゃった。なんか利用されてるみたいで。だけど、はっきり言って断るにしても、この先会う予定のある同期もいるから言い辛いし。そんなこと考えてるうちに、そもそも同期の頭数にいれてくれたことを感謝すべきか?とか思ったりしてさ」

そんなこと考えなくていいんじゃない?と口に出しかけようとする間にも夏子は話し続ける

「でも私がこの先結婚するとしても、前の会社の人達にそれをわざわざ伝えないと思うんだよね、結婚式にも呼ばないと思うし。」
「私って、人のお祝い事に6000円も出さない薄情な女って思われたくないって理由だけで自分にとっても相手にとってもそれほど大事に思い合ってない人に対して、元同期だからっておめでたい事があるたびにお金だけ贈り続けるのかな」
「もうそこまで来ると相手にも失礼な気がして来たわ」

ここまで一気に言い切って、夏子はアイスティーのグラスについた水滴をじっと見つめた。

私はまた、夏子の内面を覗き見てしまったなと思いながら、少しづつ大きくなってゆっくり落ちていく水滴がコースターに吸い込まれていくのを待って、
「300円ぐらいならギリ許せるぐらいの不誠実さだから、300円ずつ分割払いで送るってどう?」と提案した。

夏子は視線をグラスの水滴から私の目に移したあと、テラス席に響き渡る声で笑い、それ最高だね、もうそれなら生活が苦しいからって理由でひとまず300円送ってこれ以上はパパ活しないといけないのでまずパパを探します、って送るか。と笑いながら続けた。

そこから2人でひとしきり笑い、カフェを出て駅に併設されている大きなショッピングモールで買い物をし、解散した。

カフェを出てから例の同期の話をすることはなかったけれど、帰り際に夏子が遠い目をして、「結局さ、相手に悪気が無い時は嫌いにはなれないけど、だけどその悪気の無さが、無邪気さが私は大嫌いなの」と呟いた。
もしかしたらあれはカフェでしたあの話の続きだったのかもしれない。

結局夏子がどんな選択をしたのか、今後するのかは私には分からない。
それを私から聞くこともないし、夏子が話してくることもないだろう。
金額が問題なのでは無いことも勿論わかっている。
だけど夏子は私に答えなんか求めていないはずだ。
羨ましいぐらい真っ直ぐで自分の事は自分で全て決めてしまうあの子のことだから、私にこの話をした時点でなんらかの行動を起こしているか、心は既に決まっていたのだろう。

解散した後に夏子から来たメッセージには、
分割払いにしたら手数料かかるか聞かなきゃ!と書かれていた。
すかさず私は、
手数料も多分今値上げしてるからね、気をつけな!
と笑いながら返信して帰路についた。


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