友人へ


割と身近な人が自死したことがある。
バイトの先輩だった。

その人は私より一回り以上歳上だったけれど、とにかく面白くて、仕事ができて、気遣い上手で、その人がいるとその場の温度が上がるようなそんな人で、わたしはその先輩の事が大好きだった。

ありがたいことに、その先輩とはご飯に行ったり、誕生日にはプレゼントを渡しあったり、仲良くさせてもらえることが多くて、友達なんていうのは恐れ多いけど、それでも私は歳の離れた友達の存在が嬉しかったし、大切だった。

その人は病んでいるとか、大きな悩みがあるとか、その種の気配を私たちには一切出さなかった。
私達と話すときにはいつだって明るくて面白くて面倒見のいいお兄さんだった。


だけど、その一方で先輩のふとした瞬間の表情や静けさは、今が先輩の人生の回復期間なのだろうという事を感じさせたし、先輩が見せる抜群の気遣いや面白さは、1人で辛い時期を耐えて精製された産物なのだとも感じていた。

実際に、私たちは先輩が何回か未遂をしているらしいという事を誰からともなく知っていて、それでも私たちにとっての先輩は面白くて陽気なお兄さんに変わりなかった。


社会という不安定な空間の中で、
先輩が"いつもの先輩"で存在する必要があるなら、私はいつまでも"いつもの後輩"としてそこに存在して、いつもと同じようにただ一緒に笑うことで、
ずっとずっとそこにいてくださいね。と、ささやか過ぎる方法で、先輩への強い想いを伝えようとしていた。

先輩を取り囲む大きすぎる憂鬱をそれで消し去ることなんて私には到底出来ないけれど、
あわよくばそれによって、先輩がそういう行為をすることをうっかり忘れてくれたら、とか、
あの呑気な後輩に漫画を貸すために来週まで生きてみるか、って思ってくれたら、
なんて、あの頃の私は馬鹿みたいに、でも本気で考えていた。




バイトを卒業して2年後、先輩が亡くなったことを知った。
ついに先輩は成功してしまったのだ。

めちゃくちゃ悲しかった。
ずっと生きていて欲しかった。本当に。


だけど、ただただ
今まで本当におつかれさまでした。と思った。


死にたくて死にたくて、何度も決行して失敗して、それでも死にたがっていた人に対して、生きてたら絶対にいい事があるとか、貴方が死ぬとみんな悲しむとか、悩みがあったなら聞いたのに、なんて言葉達は余りにも薄っぺらくて、無力だと思った。


私は未だにバイトを辞める時に先輩からもらった手紙を読み返す事ができないし、更新が止まった先輩のSNSを見に行っては生きている私達だけ時が進んでいく事を実感して、いつかあの頃の先輩に追いついちゃうなぁ、なんて思っている。


先輩に何があったか、どんなことを思って亡くなったのか、私は一生知る事ができないだろうけど、私は勝手に先輩のことを一生忘れないつもりでいるし、私は"いつもの先輩"だけじゃなくて、余りにも脆くて儚すぎた先輩のことも大好きだったという事実だけでも先輩に届いたらいいなと思っている。

先輩へ
たくさんお疲れ様でした!
先輩が溺愛してた犬のココちゃんでしたっけ。
元気してますかね〜
なんか先輩、健康のためとか言ってめっちゃナッツ食べてましたけど、あれ効果どうでした?
私あの頃馬鹿にしてたけど最近気になってるんです。効果聞いとけばよかったな〜
そうそう!この前久しぶりに元バイトメンバーとバイト先に行ったんですけど、知ってる社員さんほとんどいなくなってたんで、もう遊びにいく事はないかもです。
普通に生活してるだけなのに、どんどん色んなものが変わっていってほんと嫌になっちゃいますね。
あの頃の先輩に追いついた頃に、どうせまた言いたいこと沢山出てくるので今日はこの辺にしときます。
大好きな先輩、いつかまた会いたいです。



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