大人になるということ。


大人になるということは、
プリンセスに憧れなくなり、
ピーマンが食べられるようになり、
ちょっとやそっとで泣かなくなることだと思っていた。

実際は違ったみたいだ。

大人になった今だって
プリンセスは可愛いし、
ピーマンは苦手だし、
泣きたい時はたくさんある。

きっと、全部本質は変わってない。

だけど大人は本気でプリンセスになりたいなんて言えないし、ピーマンを残すのは恥ずかしいし、人前で声を張り上げて泣いたりもできない。

毎日自分と世界にちょっとずつ嘘をつきながら、世間体を気にしながら、でもどうにかして本当の自分で生きていなきゃいけない気がして、いつだって苦しい。

4割の本当と、2割の我慢と、2割の嘘と、2割の世間体。


本当の自分は半分もないのか、と気がついて今日もまた苦しい。


でも我慢とか嘘とか世間体の中には、
目の前の人が傷つくのを防ぐためのものとか、
周囲の人に自分が接しやすい人間だと思ってもらうためのアピールとか、
いろんなものが含まれているはずで、
ダメなことばっかりでもないはずで、
それならまぁそれもそれでいいんじゃないかと思ったりする。

こんな風に自分を丸め込んで都合よく解釈するのも自分自身に対する嘘が上手になってしまったからだろうか。大人になってしまったからだろうか。

大人になるということは、諦めと学習なのかもしれない。


理想の大人とは程遠い方向に変化していく自分に対して、思ったよりキラキラしていない世界に対して、どこかで諦めが必要だし、
この世の中で起こる理不尽な事や、価値観が合わない人に対しての自分なりのマニュアルが必要だ。


暗い締め括りで終わりそうなこの文章を大人らしくまとめるとするならば、
プリンセスが出る映画の上映日を心待ちにして送る日々があったり、
子供みたい。と笑いながらピーマンを食べてくれる人がいたり、
気持ちの整理と称して思いっきり泣ける夜があるのならば、
私は思ったよりキラキラしてないこの世界を生き抜ける気がする。

もっと言えば私は自分の知識や経験を使って、
本物のプリンセスに会いに行ったり、
ピーマンの美味しい食べ方を研究したり、
喜怒哀楽のコントロールが出来るようになっているのだから、きっと5歳の私をがっかりさせてはいないはずだ。


幼い頃早くなりたいと願った大人は、思ったよりも生き辛くて、大変で、自由で、楽しい。


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