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母子草 第一章

母は子を子は母を思いあう
究極の愛のかたち
第一章 土竜の家

 私は暗がりの中 人家の灯りを頼り
に着物がはだけるのも構わず 死に物狂いで走った。そのまま玄関に倒れ込み 声を限りに叫んだ
「お父様 お母様 高志とはぐれてしまいました どこを探しても暗くて見当もつきません どうか今すぐ探しに行って下さい」
私は泣きながら 母の胸元へすがりついた。母は私の背中を撫でながら
「落ち着きなされ 高志はすぐに見つかりましょう 貴女は 部屋で休んでおいでなさい」
母は顔色を変えることなく 静かに私に寄り添ってくれた。しかし母の手は小刻みに震えていた。

その頃我が家は 小間物を扱う店を始めたばかりで 農作業に使う 鍬 鋤 包丁 ざる 桶 生活品を扱う雑貨商であった。
父も母も朝から夕方まで 商売に明け暮れていた。
そんな中で 高志は生まれた。産まれ月が満たず未熟児で産まれた。
高志は 後に障害をもってしまい 片足を引きずり 人の助け無しでは歩けない子供でした。
私は学校から帰ると 高志の手となり足となってめんどうを見た。母は 気持ちの浮き沈みがみられる様になり しばしば床につくことの増えていった。商売も軌道に乗り始めた頃 高志の世話に 田舎娘が行儀見習い方々我が家に招かれた。日に焼けた骨格のしっかりした気丈夫そうな娘であった。食事の世話や遊び相手をしていたが 高志は私を恋しがり「祐子ねえや 祐子ねえや」と私と遊びたがった。高志は躰は不自由であったが 愛くるしい顔 クルリとした目 誰にでも投げかける微笑みに 誰もが心を奪われ
「この様な愛らしい子はそんじょそこらにはおりますまい」と来る人びとを虜にしてしまうほどであった。
私は皆の愛情を一身にうける高志とは反対に あまり感情を表に現さない地味な子供で 常に高志の黒子として日々を送るだけであった。
高志は昆虫が好きで近くの野に出てはモンシロチョウだのバッタなどを捕まえては一日中飽きることなく眺めていた。
あの事件の起きた日も 野山に出掛け虫取りに熱中していた。ふと気づけば日はとうに山に沈み 辺りは薄暗くなりかけていた。
「高志 いい加減にしてもう帰りましょう お家まで貴方の足だと小一時間はかかりましょう 早う帰る準備をしてくだされ」
私は高志の手を取りとぼとぼと山道を下って行った。四方は闇となり 人家

の灯りが かすかに道を示すだけで この日は新月にあたり一層道を暗くした。
「祐子ねえ もう足が痛くて歩けません」
祐子は手を差し伸べた。
高志の顔も手も薄ぼんやりと闇の中に埋まり 私は一瞬恐ろしさに身震いした。
このまま高志をおいて 私ひとりで逃げてしまいたい いつも 高志の守はたくさん 私だって母に甘えたい いつも高志ばかり 母はいつもあなたのもの」……
そんな思いが祐子の頭の中に浮かんでは消え 頭の中の鬼がふつふつと暴れ出したかと思うと 祐子は高志をその場に置き去りにして走り出していた。
気が付けば家の玄関先でしゃがみ込み
父と母に助けを求めていた。

明くる日の朝方 人の声に目が覚めた。低く くぐもった声に 事の最悪さを感じた。その一報は、
「高志ぼうが 川に浮いております」

私は頭の中が真っ白になった。
私のせいだ あの時一瞬でも 高志を憎いと思った 私が高志を死なせたも同じだ 
なんと恐ろしい 取り返しのつかない事をしてしまったのか

高志は 家に運ばれ ぬれた着物を着替えさせられ 布団にねかされていた。
母は狂ったように高志にしがみつき
泣き叫んでいた。誰も寄りつく間もなかった。子供の死というものは哀れなものでまともな葬儀はできず 母は床に伏したまま 家族だけの弔いとなった。7日間は 喪に服していたが8日目には 父は店を再開して普段と変わらない日常が戻っていった。
誰も私を責めたりはしなかった むしろ腫れ物に触るように 私に哀れみの目を向けた。私は益々 暗く影の薄い存在で 母に寄り添い 人の目にふれず微かに存えている生物 土竜の巣穴の家であった。時折高志の夢を見た 暗い川の淵ですすり泣きながら
「お母さま 祐子ねえや」
何度も 何度も呼ぶのである

私は目覚めると いつも枕が泪で濡れていた。有る思いが私を支配するようになった もし生きてゆく中で二つの選択を迫られたら こちらへ行けば幸せの道 そちらは不幸の道ならば 私は不幸せの道を選ばなければならないのではないかと それは私に課せらた運命であると 強く思うようになった。



第二章 雪割草
次回に続く 

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