見出し画像

誰かの居場所になれる人

皆さんこんにちは、しまさです。

私は現在一人暮らしをしているのですが、実家に帰ると家族が迎え入れてくれます。実家は私の居場所の1つです。しかし、家族がいなければ、そこは私の居場所ではなくなってしまうのではないでしょうか?

居場所とは文字通りとらえれば物理的な場所のことを指しますが、実際は心理的なものであり、人によって成り立つものだと思います。それは集団だけでなく、個人によってでも。

そこで今回は、どのような人が誰かの居場所になれるのかを考えたので、お話ししていきます。


①居場所とは

以前こちらの記事で、「居場所とは居ても居なくてもいい場所」と書かれていて、個人的にはこの意味が一番しっくりきました。沈黙でも気まずくない関係と似ているかもしれません。

私も普段は一人暮らしをしており、実家に帰省するのは1年に2回ほどです。それでも、家族は私を「おかえり」と迎え入れてくれます。きっと実家が私の居場所になっているのは、家族が居ても居なくてもいいことを許容してくれているからです。

もし、必ず居なくてはいけない場所であれば窮屈で居心地が悪いですし、居てはいけない場所であればそれはもう論外です。そして、それを決めるのは場所ではなく人です。

つまり、自分が居ることも居ないことも許容する人が居る場所、それが居場所ということです。

②個人という居場所

家族は1つの集団ですが、個人によっても居場所になれると思います。いわゆる、拠り所となるような人です。先ほどの居場所の定義を基に、どのような人が居場所になれるのか考えていきます。

自律している

居なくてもいいという条件は相手に依存していては満たせません。そのため、相手に依存することなく自律して行動できることが大事になります。誰かの周りを引っ付いているような人の所には帰りたくはないですよね。

また、居場所とは提供されるものです。そのため、テイカーではなくギバーになれる人でなければいけません。依存しているということはテイカーになっていますから、このことからもギバーになれる自律した人であることは必要条件だと思います。

ありのままを受け入れる

居てもいい条件を満たすためには、相手の自己受容感を満たす必要がありあます。それは、相手のことを先入観を持たずに、ありのままを受け入れることになると思います。

そして、それは時間が経ち久しぶりに会った場合でもです。居場所とは居なくてもいい場所なので、時が経ち相手が変わってしまうこともあるかもしれません。

しかし、そんな場合であっても、「昔の方が良かった」などど言わずに、現在の相手を受け入れることが大事になります。そうでないと、あなたはその人の居場所ではなくなってしまいます。

誰かの居場所であり続けたいのであれば、変わっていく相手のありのままを受け入れなければいけないのです。

去る者は追わない

集団ではなく個人の場合では、相手が居なくなると自分は一人なってしまいます。そのため、居場所になる側も、もう少し一緒にいたいと寂しくなってしまうかもしれません。

しかし、それはこらえなければいけません。相手が自分を必要としている時は居場所として活躍しますが、必要でなくなったら去る者を追ってはいけないのです。

「いつでも帰っておいで」としっかりと相手を送り出し、帰ってきた時は「お帰り」と迎え入れてくれる。そんな人が個人として居場所になれる人だと思います。

まとめ

居ても居なくてもいい場所が居場所であり、それを実現できるような人が誰かの居場所になれる人なのです。

noteも私の居場所の一つになっていますが、それは皆さん一人一人がその条件を満たしてくれているからなのかと思います。何より、ネットは居なくてもいい場所ですからね。

以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。

この記事が参加している募集

探究学習がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?