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旅と読書、そして音楽が好きな者です。アートや建築物を巡るのが心の憩い。日々の生活の中で…

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旅と読書、そして音楽が好きな者です。アートや建築物を巡るのが心の憩い。日々の生活の中で感じたこと、思ったことを文や詩に書きとめていこうと思います。🕊️

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パリの空。あの丘へ。

心の糧となる経験を、人は様々な場所で得る。 私にとってのその場所は、パリである。 パリで学んだこと。 それは、「好きなことはずっと自分の中で大切に育んでいく。 仕事に繋げなくてもいい。ずっと好きであり続ける。それがいつか自分の豊かさになっていく。」というもの。 そう教えてくれたのは、パリであり、敬愛する叔父さんである。 学生時代、自分がこれから何をしたいのかわからなかった。働くって、何を動機に決めればいいのか、自分がしたい仕事とは何か。わからなかったのだ。わからない時が

    • 【浮世絵】春よ、来い。

      冬の凍てつく日。 春の陽気な日。 ここのところの天気は移り気で、 冬と春を行ったり来たりしている。 いつになったら、ほんとうの春はやってくるのだろうか。待ち惚けをくらっているように思える今日この頃だけれども、気がつかないうちに春はちゃんとやって来ている。それをひっそり教えてくれるのは、静かに咲く梅の花たち。 主張はしない。 ただ、静かに咲いている。 桜のように艶やかではないけれども、 可憐な蕾からポツポツとこじんまりと咲いていく梅の花に、立ち止まって眺めていると、心が柔

      • 【恋する建築】大阪中央公会堂へ。

        大好きな近代建築の一つ。 それは、大阪市北区にある中央公会堂である。 その威風堂々とした佇まいは100年を超えた歴史と、この建築に携わったすべての人の愛情と高い熱量を感じてやまない。 こんな建築物を建てることが、金銭面的にも、創造面的にも、今のこの時代に叶うのだろうか。答えが容易に出せないからこそ、私たち子孫はこういう匠の建造物を大切に守り、後世へとバトンを受け渡していかないといけない。 普段は外から中央公会堂を仰ぎ見る。それだけで心は満たされる。 好きな部分は、もちろ

        • 雪降る夜は。

          雪降る夜は、空から舞い降りる粉雪に そっと手を伸ばす。 手のひらに舞い降りた瞬間から 溶けてなくなってしまう粉雪に 自分の恋慕う恋情が重なる。 溶けてなくなってしまえば、楽になれるのかな。でも、なくなっては欲しくないんだよ。 いつまでも続いてほしい。 わかっているよ、溶けてなくなることも。 わかっているさ、続かないだろうことも。 けれども、今、 心のうちにある愛おしいという想いは、まぎれもないもので、きっと永遠のもの。 白い粉雪の舞い降りてくる幻想的な夜に、 あなた

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        パリの空。あの丘へ。

          【読書】京都を舞台に、怪獣だって恋したい。「ビボう六」を読んで。

          2024年の記念すべき一冊は、佐藤ゆき乃さん著の「ビボう六」である。 これは京都を舞台に一人の女性と妖怪の、甘くて切ない恋のお話。 ※ネタバレを含みます。ご留意ください。 この一冊との出会いは、偶然だった。 年末、買い物に出かけてある程度目当てのものを買った後、帰る前にぶらりと立ち寄った本屋さんの京都コーナーで目にしたのが出会い。 「怪獣だって恋したい」。 紫色帯タイトルに書かれたこの言葉に、一瞬で吸い込まれて手に取っていた。ときめいたのだ、この言葉に、そして「夜の京都」

          【読書】京都を舞台に、怪獣だって恋したい。「ビボう六」を読んで。

          【読書】戦禍の世界で、紡いで繋いでいく想いを描く。「神さまの貨物」

          2023年12月中頃から年末にかけて読んだ本、「神さまの貨物」。 久しぶりに心揺さぶられる物語に出会えた。 ※以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。 舞台はナチスドイツ(物語では「くすんだ緑の制服の連中」)が支配する世界。ユダヤ系の人々は愛する祖国を追われ、場所を転々とし、ついにはどこへいくともわからない、人々を遠く、遠くへと連れていく無言の列車に乗せられてしまう。動物も、人も、命も、みな遠くへと連れて行かれてしまう。 そんな列車をいつも祈るように見つめた一人の婦人。

          【読書】戦禍の世界で、紡いで繋いでいく想いを描く。「神さまの貨物」

          映画「窓ぎわのトットちゃん」を観て。

          黒柳徹子さんの著書である「窓ぎわのトットちゃん」を映画で観てきた。 たくさんの奇跡で溢れていて、クスッと笑える時やグッと感情をこらえるシーン、悔しさや愛おしさ、そして今を生きることの尊さを、トットちゃんのめぐる日々を見つめながら共有できた時間だった。 この映画から私が受け取ったのは、「想像力は創造力」であり、「一つだけが正解ではない」というシンプルだけれども、勇気の溢れるスタートラインがいつだって自分の目の前に広がっているという可能性。 そして、「ほんとうの幸せってなんなの

          映画「窓ぎわのトットちゃん」を観て。

          【詩】あっけらかんと。

          あっけらかんと。 君は私を見つめ返す。 澄んだ2つの瞳に見つめられると、 嬉しいような、恥ずかしいような。 妙に居心地がわるい。 わかっているの、心の奥を? よんでいるの、心の内を? そんなこと面と向かってきけないから。 黙って俯くしかないんだよ。 なのに君は臆せずに。 あっけらかんと微笑み、話し始める。 いい天気ね。そう思わない? あぁ、いい天気だね。 繰り返すだけの言葉のワルツ。 ステップがわるいのは私だけ。 軽やかなステップは君だけで。 あぁ、気の利いたセ

          【詩】あっけらかんと。

          「ばらの女」と理想の人。

          パリにいた頃の話。ある日の午後の昼下がり。 カフェで叔父さんとお茶していた。 行き交う人々は姿勢が良くて、それぞれの個性が華やいでいた。そんな過ぎゆく人たちを眺めながら、敬愛する叔父さんと理想の人の話になった。 可愛い人、綺麗な人、賢そうな人、強い人、ハンサムな人。 いろいろな形容詞を人につけて、ああでもない、こうでもないと叔父さんと語り合っていた。 その時、叔父さんが話していた理想の人。 それは、マリー・ローランサンの「ばらの女」のような人である。 「え、実在してな

          「ばらの女」と理想の人。

          紡いだこの糸は。

          いつの日か。 どこかで、紡いだこの糸が何かと何かを、誰かと誰かを繋ぐシナプスとなって、誰かの幸せに、大切な人の繁栄につながっていくのであればと、今を生きる。 自分のしていることを、誰にも褒められず、まるで当たり前のように見なされて過ぎていってしまうことが多い。 虚しくなる。認められていないのではないかと疑心暗鬼になる。 悲しくなる。逃げてしまいたくなる。 だって辛いんだから。 何でもいい、ただ褒められたい。 認められたい。優しい言葉をかけてほしい。 そんな毎日の一瞬の

          紡いだこの糸は。

          【詩】散りゆく花は。

          あきらめと情熱の狭間で。 散りゆく花びらに、この想いの行方を尋ねる。 わかっている。もう戻れないと。 わかっている。季節は過ぎ去るのだと。 わかっている。君は君の道を行くのだと。 けれども。時よ止まれと願う自分がいる。 それはムダなこと。 わかっていても、あとほんの少しだけ、時間が待ってくれたのなら。 そんな願いが、冷めない情熱のように宿って切ない。 散りゆく花びらに、時の移ろいを見て。 散りゆく花びらに、変わりゆく愛の形を見る。 あきらめと情熱の狭間で。 この想いの

          【詩】散りゆく花は。

          【天才絵師】 長沢芦雪に会いに。(後編)

          前回、大阪中之島美術館で開催されている「天才絵師 長沢芦雪」の展示会に行ってきた話を書いた。今回はその後編を書き残そうと思う。少し長いですが、お付き合いくださいませ。 (前編はこちらに書いております。興味があれば是非ご一読を!) 長沢芦雪が描き残した絵の中で、その構図サイズが大きいものが「虎図襖」と「龍図襖」の2作品である。 実際の展示会場では、ブースがわかれており、移動したその先にどどんと、この2作品が観客を出迎える演出である。 はじめてこの龍と虎の絵を見たとき、体

          【天才絵師】 長沢芦雪に会いに。(後編)

          徒然なる心をば。②

          今日は神奈月の最後の日。 春とは違って、秋に咲く花はどこはかとなく哀愁を纏っていて、色気がある。その色気にたまに当てられる時がある。そんなことを如実に歌に表したのがあったなと、ふと思い出す。 美しいものを見つけた時、人は声高にその感動を叫ぶ。 それは衝動に駆られるものでもあるし、生きているから自然なことなのかもしれない。けれども、美しいことを静かに見つめていたい時もある。 この歌に読まれている女郎花は、見事なまでに咲き誇っているのだろう。その様子は美しいを通り越して、艶か

          徒然なる心をば。②

          普通の自分でいい。

          最近思う。 普通でいいんじゃないかと。 多くを望んだり、多くから人気を得ることも素敵。けれども、そんなに多くを得られなくても、小さな幸せを生きる、普通の自分でいいんじゃないかと。 何気ない日々を普通に生きる。 繰り返しに見える毎日でも、自分がありのまま、普通の自分でいられたら、それは立派に輝いて生きていること。 多くあることに価値を見出さず、少なくても自分を包み込んでくれる優しさや愛が自分の元にあれば、それはありがたいことで、幸せなこと。それを手にして生きているというこ

          普通の自分でいい。

          【天才絵師】長沢芦雪に会いに。(前編)

          大阪での仕事の帰り、中之島美術館まで足を伸ばす。気になっていた長沢芦雪展へ行ってきた。 伊藤若冲は有名どころ。 しかし恥ずかしながら、長沢芦雪に関しては不勉強であり無知であった。 だから、あえて勉強せずに現場にいって、ありのままを感じてみようと裸一貫の気持ちで観に行ってきた。 大阪中之島美術館は、大阪北区の中之島にある美術館。 こちらでは、近代美術・現代美術品を収集・展示している。 外観は、黒いキューブ状のような形。 この美術館の建築の核となるテーマは、「パッサージュ(

          【天才絵師】長沢芦雪に会いに。(前編)

          実りの秋 ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」

          秋が深まってきた。 朝夕は、涼しいというより、肌寒いと思う風が吹き抜ける。 時は実りの秋。そろそろ秋の収穫の時期。 この季節は、フィンセント・ファン・ゴッホの「プロヴァンスの収穫期」の絵画を無性に観たくなる。 この「プロヴァンスの収穫期」は、1888年にゴッホによって描かれたもの。 1881年から1890年の亡くなる年までの間に、ゴッホは900点近い作品を制作している。彼の制作意欲と相反するように、この頃に描いた作品は、世の中に評価されることはなかった。なんとも皮肉な話で

          実りの秋 ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」