見出し画像

やる気のない旅行(タイ)の記録①ー旅に出た訳・バンコクは日本車だらけ

(書いていてこの文章がとても長くなってしまったので、分けることにしました。つまらないなと思ったら、これをとばして次へいっていただけるとありがたい。次はこの写真の仏頭があるワット・マハータート(アユタヤ)に行った話を書きます)

このタイトルは少し考えた。最初はこうだ。やる気のないタイ旅行の記録となってしまうと、少数だと思うがやる気のないのは タイを修飾しているのではないかと思う人がいるのではないかと思った。それでは流石にタイの人に申し訳ないと思い上のような形にして見た。これだと旅行にやる気がないのか記録にやる気がないのかよくわからなくなるが、どちらも修飾していると思っていただいて良い。

……

そんなもん読むかって話なのだが、すみません。次旅行に行きたいから参考にしようと開いていただくと、たとえばホテルはどこがいいんだろうとかレストランはとかそういう情報量の少ない記事になるだろうと思うので、もしいいね、ではなくだめね、がnoteで押せるなら押していただいて、押せないか、閉じていただいて構わないのです。なんでそんなことになっちゃうの?というと、一つに私はゴリゴリのインドア派で、ただ学生時代は金はそんなないけど海外旅行の好きな人でした。バックパッカーまでいかないが、ちょっと憧れてた?的な。

ところがである、社会人なっちゃって特に最近は仕事でヘロヘロに疲れてるし、休みは寝たりゴロゴロしたり、ちえっと思いながら洗濯物畳みながらテレビを見るのが好きな人である。そして、創作をしているので、旅行が入り込む場所がないんです。ちなみに主人と姑は、はっきりいって今までの人生で旅行という娯楽をほとんどしたことがない人。主人が大人になってから私のせいでたまに旅行をしていますが、とにかく二人の格差が激しいので普段の生活以上に旅はもめる。それもあって家族旅行はめんどくせとほとんどせず、我が家は息子と私の二人が日本に帰るだけの二人旅が主流でした。

でも、それ、東京経由の実家への帰省だし。

そんな自分がいくつものめんどくさいを越えて日本へ帰る以外の旅、家族旅行をしようと思ったのはなぜか?主に二人の人間のため。愛してやまない我が息子と人生の中で全くと言っていいほど遊んだことのない姑のため。

嫁姑の戦さについて書くと、大変な抒情詩になるのでここには書かないが、我々は決して仲のいい二人ではありません。しかし、ものすごい時間をかけて休戦協定のようなものが結ばれ、今、我が家には以前は考えられなかったような平和な世の中が帰ってきたのです。

うちのおばあちゃんといえば、とにかく節約する人で、お金を使うのが大嫌い。筋金入りです。だから、外食に誘ってもついてこない。旅行なんてもってのほか。姑一人を家に残して残りの3人で出かけると、主人は気分が乗らず、私は責められている気分になる。なんかどこにでもあるといえばあるのだろうけど、ただ、日本で今どき舅や姑と同居する嫁なんて、まず、天然記念物に近いような生き物ではないですか。主人は中国人なので、この日本では天然記念物な生き物に対して、希少価値を全く感じず、感謝のかの字もない。ここを詳しく話すと我が家の壮大な抒情詩が始まってしまうので、ここまでにしておこう。

で、かくかくしかじかで、そんな、そんな、外食すら断りぶつぶつと我々の消費行動に呪いの言葉を吐いていたおばあちゃんを昨年の夏に本人が動けなくなる前にこれだけはと日本旅行に引き摺り出した。ものすごい大変な仕事でした。

その時、日光に行ったんですが、私としてはおばあちゃんのためにちょっと高い宿を取ったのです。ただ、このくらい出してこの程度なのか、と、思っちゃった。自分自身ではあまり豪華な旅はしていないけど、親に連れていってもらった旅行では贅沢してた人間なので、目も口も肥えている。ところが人生で全くと言っていいほど贅沢をしていないおばあちゃんが、めちゃめちゃ喜んだ。

その時に何を見てもワクワクし、何を食べても美味しいといい、中国語で話しかけてもわからないのにニコニコ話しかけている様子を見て、癒されたんですよね。人間って贅沢になれると、ちょっとつまらない人間になるんだなと思った。何に対しても純粋に喜べる人って幸せだよなと。

私的にはですね、やっぱり苦労したり頑張ったりしてきた人こそ、遊ぶべきだと思う。自分が子供がいながらもずっと仕事を続けてこられたのはおばあちゃんのおかげなので、この旅は青春時代を文革の中に生き、あの時代は餓死した人も出たと聞いてますから、トラウマ的心理から贅沢を敵として憎み、突然お金持ちになってしまった息子たち世代との間に若干の壁があるといえばある、そんなおばあちゃんへ家庭を支えたことに対して遅れてやってきた給料だと思って楽しんでもらおう第二弾なのです。

そして、息子には、嫁姑の余波で、家族みんなで仲良くという時間をなかなかあげられてなかった。子供時代の思い出をちゃんと残してあげたくて。自分自身は何度も家族で旅行に行ったことがある。自分が親からもらったものを、私は、私達は、この子にあげていない。二人で日本へ移動では足りない。家族全員で旅立つことは、大きくなってから思い出すよすがです。

自分はいつも思ってるのですが、人間が死ぬ瞬間、きっと思い出と一緒に煙になって 天に上っていく。そこ、自分的にはお金ではないのですよ。お金は生活とこの世での思い出を作るために必要なものですが、人間はお金と一緒に天にはのぼれない。あくまでどう生きたかで裁かれる存在ではないでしょうか。これはただ正しいことをして死んだかだけでもないと思う。ここに自分も楽しむという要素がなければ嘘なので。

周りの人とうまくいかない自分も受け入れ、自然のままに時を経て人を害さずしかし同時に自分も害さずに皆が満たされる、それが重要で、自分が幸せでなければ生きている意味がないんです。そのためにまず人は必死になるべきで。そして、そのために自分は毎日ものを考えてます。

流石の私、前置きだけでここまで長く書いてしまった。私の文章は、きちんと気合を入れなければものすごく長い川のようになりますので、途中で読むのをやめていただいて本当に大丈夫でございます。申し訳ございません。

それで、最初は台湾に行こうと思ったんです。 故宮が素敵だったので。それに中国人に縁のある場所ですし。ところが主人に聞いてみたら、今、大陸の人、台湾に行けないんですって。きちんと説明のつく商用以外での渡航は不可。国際情勢、厳しいですね。で、次に思いついたのがタイだった。なんとなく。

途中の準備について書くのはまた意味もなく長くなるのでカットしますが、十分に準備せず、中国から主人が タイ在住の中国人ガイドを頼み、私は飛行機の中でガイドブックを読み始めた。なんというていたらく、さすがゴリゴリのインドア人間である。

そして、それでも無事タイに入国したのですが、空港からバンコクに向かう道の途中。ひたすら高速道路脇の街並みと看板を見ていました。タイについては新聞やニュースの中で知っていた。中国を除いた近隣アジアの中では頭1つ抜いてトップを走る 国です。最近猛烈な勢いで伸ばしているベトナムを遥か下に捉えている感覚を経済指標のグラフの折線で見ていた。

でも、それが実際に街並みにどう現れるのかは、新聞やニュースからは感じられない。そして、私はいつも深圳にいるので、とにかくBYDを筆頭とした中国のEVメーカーに押され気味の日系車メーカーという報道の只中にいて、電動車普及率のおそらく中国ナンバー1の深圳で、街を歩いていて見かける車種が変化してきている。BYDは世界中に攻勢をかけていて、タイもその一つだったはず。

そんな普段の情報を背景に高速道路から宣伝の看板を眺めていた。そのほとんどが日系自動車メーカーのもので、そこにやはりちらほらとBYDの看板が紛れ込んでくる。

これは、豊富な経済知識からくる言葉ではなく、私のただの直感的な 概観なのですが、日系はやはりものづくりの技術自体に重きがあり経営的には保守的で慎重だと思うのです。それに対して中国系の会社は戦術が大胆です。昔なら、戦術が大胆でもものづくりの技術が追いつかなくて勝負にならなかった。そこが追いつき出しているのかなと。ものづくりだけでなくて、どうお金を回して、いつ、どこで、どうお金を使うか。そこに至るロードマップを作るのが中国人はうまい。

日系が勝つか、中国系が勝つかなんてことは私ごときにはなんともいえませんが、ただ素人の目からみて日本と中国は徹底的にここが違う。日本はものづくりに魂を注いでいますが、中国はものづくりを簡単にいえば無駄だと思っている。必要だというのは理解していますが、どうにか簡単にできないかなと思っていて、愛してはいないのです。中国人の全員がものづくりを愛していないのではなく、ただ、経営者はこれを愛してはいないと思う。中国人経営者が愛しているのはお金儲けです。だから、ものづくりを愛してできる人間をお金で買います。それが中国人だろうが日本人だろうがかまいません。そして、最近ではものづくりを愛してできる会社を買うようになってきている。

また、作るの部分でも買いますが、売るの部分でも積極的に機会をお金で買っています。そこに常にリスクがあるのですが、リスクを恐れずに投資できるのが中国かなと。

ここまで中国を持ち上げておいてなんですが、短期で見て勝つものが中長期で見てどうなるかはまだわからないわけで、ただ以前のような気持ちで中国の車メーカーを始め、製造業を見ることもできません。BYDはテスラの鼻面を引っ叩きましたからね。

ただ、テスラとBYDがどうなるかなんてことは自分にはどうでもよくて、私は長く中国に住んでも日本人。日系車メーカーが気になるのです。他国のメーカーと切磋琢磨するのはしょうがないとしても、日系にふさわしい形での存在感を示し続けていってほしい、ただそれだけです。

タクシーはバンコクに入りました。街並みは簡単にいえば懐かしい。一昔前の深圳みたいだった。古い街並みの中に時々、美しいビルが混じってくる。しかし、今の深圳と比べると高いビルの数はそこまでではないな。

やっぱり発展している。発展の兆しがある。でも、一昔前の深圳だなと。

そして、路上は、これは見事に日本車ばかりだった。空港から市内に入る時の運転手にではなく、今日案内してくれたタイ在住の中国人ガイドに聞いたのですが、バンコク市内も市外を全国的に見ても充電基地などまだまだ少なくて、電気自動車なんてみんな買わないと言っていた。私たちは中国の電気自動車発祥の地のようなところに住んでいて、深圳ではまずは市内の充電基地を市政府がお金出して一斉に整え、また市内バスを一気にBYDへ、次の段階にはタクシーを一気にBYDへ。BYDが世界へ羽ばたきテスラの鼻面を叩く背景には、政府の強力なバックアップがあるというわけ。でも、他国にいけばそれはできないですよね。

しかし、そこに可能性があるならできることは全てやるのが中国でしょう。お金を出すから充電基地を作れと言ってタイ政府が聞く耳持つなら、やるんじゃないかしら?

そう思うと、日本人の私としては切ない気持ちで車窓の外を眺めてしまう。日本車だらけのこの光景が5年後、10年後、どうなっているかなと。

そして、やめやめやめいっと思いました。私はいつも超絶的に悲観的な人間なので、悪い未来しか予想しないへっぽこな占い師みたいなもんなんですよ。

中国は中国、日本は日本。このものづくりのレースがどうなるか決まる時には、自分は立派な婆さんになっているでしょうが、中国のやり方で日本でも使えそうなものは使えばいいし、もともと日本はその文化の中にものづくりを徹底的に愛するという魂を持っているのですから、保守的であるから時勢に遅れるきらいがあるとしても、保守であるからこその強みもあるわけで、今まで象だったのに虎になる必要はないでしょう。

象は虎が疲れる頃を見計らって踏み潰すんじゃないでしょうか、ということにしておきましょうか。もともと自分は経済なんかよくわかってない訳ですし。それにしても、中国人と結婚してるくせにBYDに愛情のかけらもないな。深圳に愛はあるんですけどね。
(乙女、優等生共著)
2024.05.02

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?