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消化試合を大感動に昇華するとき

昨日夕、地元図書館に行きました。ある本の返却と、ある本の借り出しにです。借りたのは上下二冊の、ある著名人の回顧録です。

それは置いといて、この図書館は二階建てで、二階全フロアが図書館、一階は市民の憩いの場、市役所の一部業務の場、市民の工作の場、市民の集会の部屋、コンビニになっています。

つまりでっかい建物です。

中高一貫校が、歩いて少し行ったところにあって、そこの高校生の子たちが一階フロアの自習スペースで自習しているのを見かけます。

女の子たちがチャラチャラしていないのがいいです。図書館に通うような子にそういう人種はそもそもあまりいないだろうから。

その様に好感を抱くような、とうとう私には縁遠かったなという気持ちがわくような、もし今何食わぬ顔であそこに混じれるとして自分は幸せな人生をその後歩けるのだろうかと想像するような。

目覚めの苦しさ、過呼吸は今日も続く。自分で自分の生い立ちも人格形成も断ち切ってしまったところに、今の私はいます。主観です。本当には断ち切るなんてことはできない。しかし気持ちでは断ち切っている。そうしないと激痛が襲ってくるから。激痛といっても次第に緩くなってはきているのだけど。

「ドラゴンボール」の悟飯青春篇は、作者にとってもはや消化試合だったと思う。それでありながらラストで「地球のみんな、おらに元気をわけてやってくれ」で大感動に昇華して、「もっと強くなるぞー」できれいに完結でした。私の人生はどうなるのだろう。

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