見出し画像

邪道作家 第12巻 惑星兵器の恐怖!!  星を救う戦い あとがき付

テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


縦書きファイルは固定記事参照


簡易あらすじ

暗闇の中で、何を見るのか?

手探り、指示も無く己で考え、誰にも頼れなければどうするか? これはそういう物語だ──────それでも、私はやってきた。

非人間に限界は無い。やれ御大層な心とやらがある人間というのは、何かある度「知っている相手とは戦えない」とか「相手は女の子じゃないか!!」とか「世界を救う為でも、こんな事って!! 何とかならないの!?」とかほざき出す。


知るかボケが!! 邪魔なら殺せば良いんだよ!!!


そういう、ちまちました雑魚の理屈は、後で学者にでも語らせておけ───私が気にするのはむしろ、記者会見での内容だ。

適当に「この度は世界を救う為とは言えど、やり過ぎの自覚はあり今後、徹底した指導を行う所存でございます」••••••••••••我ながら、始めてにしては完璧だな!!

大体こんなもんで良いだろう。後は、美少女中学生作家として電子アイドルと表向きには歌って踊れる奴を雇用する。

完璧だ!! 金にならない、筈がない!!!


実際、あれこれ言っても異常発達したガタイの良い殺人鬼作家に、直接会いたがる奴など存在すまい!! であれば、やはり世界なぞ救おうがどうしようが、執筆に数十年費やし労力がかかろうが「あれは前世」で押し通す──────邪魔する奴は、始末で解決。

 
これぞ、無駄の無いリサイクルだ!! 人間リサイクルとは良いものだ••••••無駄が無いしゴミも出ない。

死体は••••••••••••山で勝手に熊が食べるだけであって、私には関係無いとだけ言っておく。



この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、思想には一切関係ありません。


そう、本当に美少女作家かもしれないではないか••••••••••••第一巻からアレな気もするが、そういう美少女作家がいてもいい。


なので、そうなった。おひねりは札束で頼むぞ──────御利益は邪魔者の始末、人間関係の洗脳、強い怨霊達の「加護」が付く。

悪運だけは天下一、いいや、天上天下に並ぶもの無しの「私」が言うんだ間違い無い!!





   0

 作家の資格は簡単だ。物語を書く事が嫌いであればそれでいい。書くのが嫌いだ。作家なんて、社会に搾取されるだけだと文句を言うことだ。
 きっと立派な作家になれるぞ。無論、搾取されボロ雑巾のような人生を送る事は、想像に難くないが。作家など、そんなものだ。
 そうでなくては作家だと呼べまい。
 未来に期待するな、するほどの価値はない。まあ、それでも前を向いていればそれなりの豊かさは自己満足で完結できるだろう。そんな行動に意味があるのか知らないが、とにかく、私に出来るのはそれくらいだ。
 そしてそれで構いはしない。
 夢も希望もなくて良い。金さえあれば。その金が無いからこそこうして作家業などという利益の生じない事柄に身を窶しているのだが・・・・・・いっそ作家など止めてしまいたいところだが、そうも行かないからこその作家業だ。
 呪われた装備品みたいなものだ、外したくても外せない。全く、忌々しい限りだ。
 私に出来る事がそれくらいしか無い、というのが原因ではある・・・・・・「最悪の未来を想定し、その問題点を形にする事」これは作家業以外では金にする方法があるまい。私の物語は主に、最悪の未来に向いている。最悪の未来を見て読者共がそこへ向かうのか、そこを避けるのかはともかくとして、未来に起こり得るであろう社会問題をあらかじめ予想し、備えることが出来るようにする。物語を書く存在にとって最低限の心構えだ。それが根底になければ面白い物語は描けまい。
 私は夢も希望も信じるに値しないと考える。
 だからこそ、最悪の未来が、その問題点が明確にわかる。長所は短所とでも言うのだろうか。私にとっては皮肉でしかないが。
 それに、別段備えているからといって、未来を変えられる訳でもあるまい。そんな程度で何かを変革できれば苦労しない。勝利者の条件は選ばれる事だ。何に? 全てだ。幸運然り、世間然り、当人以外の全てが勝利条件だ。だから、当人の意志だとか努力だとか執念だのは、一切勝利そのものには何の関係性もない。
 何をしたところで、同じ事だ。
 ともすれば私は変えられる訳でもない未来社会の問題点を指摘しているだけなのだろうか? そうかもしれない。未来に望むのは簡単だが、しかし望んだ結果が得られたという話を、私はついぞ聞いた事も体験したこともない。お伽噺だ。この世界に存在しないフィクションでしかないのだ。 物語から感銘を受けたり、感動したり、何かを学んだ気になったりするのは、ただの錯覚だ。何も与えないが、しかし全てを与える錯覚を起こしそれを金にする。何とも私向きの職業だ。
 世界は金で出来ている。 
 例外は無い。
 全て、金で買える。金で変えられる。
 なればこそ、私はそういう「夢物語」に夢想するつもりはない。売れればそれでいい。中身など白紙以下で構わない。どうせ私が読む訳ではないのだ。それに、読者共が私に何を支払う訳でもあるまい。それも多めに支払うのは編集部とかであって、私にではない。封筒に札束を仕込んで送ってくる読者など、聞いたこともないしな。
 そんな連中に払う敬意など、無い。
 どうせ立ち読みでもしているのだろう?
 札束を出す訳でもあるまいし、評論家気取りで書いた事も無い連中が、ネット上の世界で侃々諤々の大論争をする。そんな暇があるなら一冊で良いから物語でも書けば良いだろう。如何に自身が薄っぺらい存在か、嫌でも理解できるぞ。少なくとも世界には物語を買う金は無いが、株式やローンを組む余裕のある馬鹿共が多すぎる。金を使いこなすことも出来ないから、貴様等は読者なのだ・・・・・・読み手ではなく語り手を志せ。
 自身の物語も無い人生で、良いのか?
 だから貴様等は薄っぺらいのだ。
 ふん、まあいいさ。貴様等がどれだけ薄っぺらい歩みを進めようが、私にはどうでもいい事だ。私とて、別に濃い物語を書きたい訳ではないのだからな。売れればそれでいい。そして、売れるかどうかに中身は関係ない。
 いっそ、下らない恋愛劇でも書いてやろうか? 検討するだけにしておこう。
 実際に書くとロクな事にならない。吐き気がするし面白味もない。よくもまあ、ああも面白味の欠片もない「駄作」を作れるものだ。
 私は無論「金」や「平穏」つまり私個人の自己満足の為作家業、物語を金に換える事を良しとしているが、その実「書く為に書いて」いる。私には確固たる事実として「書くべき事柄」があり、そしてそれを「書きたい形」にすることが出来る・・・・・・他でもないこの「私」の目線で物語を語る以上、陳腐な駄作は許されないし、書いたところで私個人が満足できないのだ。全く、忌々しい限りだが、それを言ってもどうしようもないか。率先して駄作を書きたがる間抜けの思考回路など、考えるだけ無駄だろうしな。
 私は非人間だ。人間性など欠片もないし、今まで人間性を感じたことすらない。私にとって人間社会はエイリアンの社会だ。向こうからすれば、私の方が「人間のフリをしているエイリアン」なのだろう。そしてそれで問題ない。問題なのは、私が「人間社会に生きる」というのは不可能であり、あくまでも折り合いをつけるだけであって、そこに真実の幸福などあり得ない部分だ。どうしたところで「人間」を感じない私に、人間社会で感じる幸福など存在しない。私にとってはこなすだけの事であり、「人間の娯楽を楽しむフリ」をすることで充足を得て、「人間らしさ」の物真似をすることで「人間」という娯楽を楽しみ、私が機能停止するまでの間、楽しむだけだ。
 まさに、エイリアンの学習機能だ。
 人間のように生きて、人間のように存在し、人間の物真似をこなしつつ、適度な豊かさを求める・・・・・・それが私にとって社会との折り合いの付け方なのだ。実際、それ以外の方法などあるまい。私はどうしたところで幸福を感じないし、ストレスを避けて適度に「こなす」生物の発想ではないが、私は生きていない存在だ。終わるまでの間、折り合いをつけつつこなすのは当然だろう。
 その結果、ストレス過剰で失敗しか無い道を歩み続け、敗北と作品の売れ行き難航に悩まされるというのだから、傑作な話だ。
 私は前に進んでいるのか?
 進んではいる。しかし、「結果」が出ない。
 私はただ、それなりの金と自己満足で充足したいだけなのだが・・・・・・上手く行かないものだ。もっとも、それが最初から上手く行くようであれば苦労はしないし、私の場合「人間性」が存在しないからこそ成り立つが、しかし情緒豊かな人間共は、そういう「ささやかな豊かさ」では満足できないものだ。私にそれはない。人間ごっこをしているだけであって、私は人間ではない。それなりの豊かさで私が満足できる理由は、私には求めるべき「人間の欲」が無いからである。私に欲しいという感情はなく、持ちたくても、持つことが出来ないのだ。
 だから「それなり」で満足した、という形に落ち着けることが出来る。金さえあれば、だが・・・・・・作家業が金にならなければ、充足も何もない。私という存在の「基軸」である作家業が回らなければ自己満足も何もないし、何より私には他に、稼ぐ手段が無いのだ。このまま始末屋(まあ、作品のネタになるから続けても良いが、しかし囚われるのは御免だ)を続けるしかない。続けるのは良いにしても、作品が売れなければ自己満足の充足も何もない。その為に行動しているというのにそれが達成できなくて良い理由はあるまい。
 達成しなくても良いなら最初からしない。
 そこに到達するために、挑むのだ。
 そこに至るまでの過程が尊いだの、敗北から学ぶべき事が多いだの、そんなのは到達していない輩の台詞だ。周りなど見えるべきではない。ただひたすらに「その場所」を目指す。少なくとも、私は生まれた時から「そう」だった。
 ここではないどこかを目指していた。
 そう思う。
 今この場所で満足するのは簡単だが、それでは先に進めない。進められるのなら進めるべきだ。それこそ「無限」に先へと進める。過程が尊いだのとホザくのは、それからにしてほしいものだ。挑み続ける姿もまた「過程」の筈だからな。
 私は売れればそれでいいが。
 世の中金だしな。
 とはいえ、全身が弱点で出来ている私にとって人並みに追いつくというのは至難の業だ。実際、石投げ一つですら負ける自信がある。内面はともかく、内面はともかく、内面はともかくとしてだ・・・・・・物質的な「強さ」と、私はほとほと無縁だからだ。
 だからこそそれを求めるのだが、精神が豊かであれば金の方から逃げるとでも言うのか? それとも私の精神が未熟だからなのか? 未熟だとすれば、それはそれで金が集まっても良さそうなものだがな。精神が未熟であればあるほど、物質的に豊かな奴は多い。それならばいっそ、修練を積んで精神的に未熟になるべきなのだろうか? 
 一周回って馬鹿な話だ。
 その一方で、私とは違い「結果」のみをいち早く手にした連中は、精神が「劣化」しているというのも、また「事実」だ。昔は楽しめた娯楽が楽しめなくなり、より安易でより安直なモノを求めるようになり、精神が画一的になるといえば聞こえはいいが、その実体は思考を放棄しているだけでしかないのだ。足りなければ、それを補完して行くことを考え、それで楽しめるが、全てが満たされていれば更に満たされようとするだけだ。これは何にでも当てはまることだ。娯楽と言えば、ゲームなどがわかりやすいだろう。あれこれ試行錯誤しながら悩んで考え尽くしてやり尽くした末の楽しみがあったのも今は昔。電脳世界で勇者気取りをしながら運営会社に文句を言うのが関の山だ・・・・・・技術は進んだはずなのに、それに見合う楽しみが消失している。いや、楽しみを感じる力が欠損しているのだ。
 それを私のような化け物が手にするというのだから、世も末だろう。私は人間ではないので、何であれ楽しめるし何であれ作品のネタに出来る。無論本当に何かを感じる筈も無いが、しかし人間の物真似という娯楽は成り立つので、私はささやかな自己満足による充足で人生を潤すのだ。人生などと、私が言うと違和感が大きいがな。
 対して、人間達は貪欲すぎる。
 何があっても満たされないらしい。
 地位、名誉、男、女・・・・・・我々は足りない何かを満たそうと生きている、のではない。足りないモノは金だけだ。少なくとも、資本主義の世界において足りないモノなど他にあるまい。それに、何かを手にするというのは、それが精神的なものであればあるほど、ただの錯覚に過ぎない。錯覚を手にすることは無いのだ。
 悪意も善意も同じ事だ。
 全て、存在しない虚構でしかない。
 嘘を鵜呑みにするな。間抜けが。
 何かで満たされよう、などとおこがましい馬鹿共だ・・・・・・何を手にしたところで満たされる事はないのだ。満たす満たさないは当人の精神の内で決まる事柄だ。それを、外側に求めるのが間違えている。そんな事が出来れば苦労しない。
 勘違いしたまま、死ぬ輩は非常に多い。己自身の在り方やその後、自身が後に何を残せるか、誰にどれだけの影響を与えうるのか? そういった大切な事柄を考えないまま生涯を終える。ああすればよかった、自分が間違えていた。失敗した、挑戦すべきだった、とな。
 無論私にはそれが無い。
 あってたまるか。
 だからこそ私は「作家業」などという忌々しい呪いじみた仕事をしているのだ。我ながら大変遺憾ではあるのだが、それはそれだ。形にすべき、己自身の内側の答えをデジタルデータで残しているのだから、そこに後悔など無い。強いて言えばあの世に持っていけるのかどうか不安だ。また最初から書き直すなど、御免被る。絶対に、だ。
 二度と書かんぞ。
 疲れるしな。
 私は文房具で執筆し完全なるオフラインで書いているので、ハッキングの心配はない。意図せずしてデータの保存は万全だと言える。最新科学に頼るのはよいが、コンピュータなど政府側の思うように情報操作、情報検閲、株式操作を行い、大国の都合を通す為のモノなのだから、そんな物騒な存在に頼るべきではあるまい。
 社会問題や政府の職権乱用など、メディアさえ押さえればどうとでもなるのだ。テレビニュースを見て信じる連中に対して、己の目で見たモノを信じろと言ったところで、頷きはしても行動に移す奴は一人もいないからだ。まあ私から言わせれば、デジタル世界を支配して神を気取ったところで、それは「神の権能」があるだけで、それを使いこなすことは出来まい。少なくとも個人では不可能だろう。国家単位で悪用することは可能だが、しかし、だから何だと言うのか。
 政府というのはいつでも「劣等感」や「虚勢」で動くものだ。ある種私とは対極だと言える。彼らは実利を追い求めているようで、その実、自分たちの民族意識を通しているだけだ。全てを独占して牛耳ろうとするのは、そうでもしなければ、安心することの出来ない小さな器の持ち主であることの証左だろう。
 正論の裏側には、必ず連中が絶対に勝てる仕組み作りが行われている。そんな世界で民主主義など笑わせる話だ。面白くもない。夢想するのは勝手だが、押しつけないで欲しいものだ。政治家でもない大勢の意見など、何の足しになる。そんなのは(自分たちも参加しているんだ)という、何一つ行動せず権利を求める馬鹿者共の台詞だ。
 政治をまっとうにしたいなら、独裁が良い。
 優れた治世など、土台不可能だがな。何かを良しとすれば何かが犠牲になる。それが民の為が個人の為か、それだけの違いだ。たったそれだけのことを学ばず、何十年も生きて、己が立派な社会人だと自負し、何も成し得ず死ぬ輩の、何と多いことか。
 
 他にやることはないのか?

 貴様等は、人生が一度しかない、という当たり前の事を知らないフリ見ないフリで済まそうとしている。済むわけがないだろう。そのくせ、その考え方を押しつけて感謝を求める。実に図々しい話だ。誰かの言う事を聞いていれば幸せになれると自惚れている。馬鹿馬鹿しい。それが何であれ己自身の手で掴み取るものだ。自分ではない誰かの台詞など、アテになってたまるか。
 生きるという事は「選ぶ」という事でもある。それを他人任せにして結果が得られると思いこんでおきながら、「話が違うじゃないか」と文句を垂れる。全てを他者任せにして、一切の苦痛を支払わず、何も成し得ずに結果が貰えるのならば、是非あやかりたいモノだ。まあそんな事はあり得ないので、私は物語を綴るのだが。
 選んだ結果に実利が伴うかはわからない。事実私は未だ実利を手に出来ていない。それでも選んだ以上は進むしかないのだ。
 それが「生きる」という事だ。
 そこから逃げるゴミ共が、ほざくな。
 図々しいぞ、間抜けが。
 私は今まで様々な事柄を「学んで」いる。横綱の体作り、ボクサーのフットワーク、はては修行僧の思考回路までだ。そんな私が「物語」そのものから学んだことがある。そういう自身の道すら選んでいない「悲劇を気取ったヒロイン気取り」に限って「こんな無益な戦いは止めよう」と、ほざき出すのだ。戦ったこともない奴が、そう口にすることで、己の「善性みたいなモノ」を、満たそうとする。
 会話になっていない。
 そも、無益な戦いではなく、「それ」を選んだからこそ、「それ」以外に当人が歩く場所など、ありはしないのだ。何を選ぶかは人次第だが、一度選んでしまえば、「それ」を「活かす」以外に当人の在り方はない。それが不毛なものだとしても、それ以外の選択肢など、ないのだ。
 それ以外全てを捨てて、ただ一つを選ぶ。
 だからこそ、その「道」を歩くのだ。
 道を選んでもいない輩が、それに対して口を挟むのは愚かを通り越して目障りなだけだ。誰かに理解を得られる事など稀であるし、報われるかどうかすら分かりはしない。無論、私は実利に換えてやるつもりだが、いずれにせよ綺麗事など、そんなのは口にするだけならば誰でも出来る。
 猿が鳴いているのと同じだ。
 何も、「結果」に結びつかない部分では。
 その結果、私の物語が「傑作」と評されるかどうかは、正直知った事ではない。私個人としては金にさえなれば、それでいいからだ。だが、少なくとも忌々しいことに「漠然とした予感」として私には「結果に結びつかないからこそ、優れたモノは作り上げられる」という気がしてならない。無論そんな屁理屈どうでもいい。綺麗事以下だ。もしそうだとすれば、私は苦難も苦痛も代償として支払わなければならない、などというルールは無視するだけだ。実際、優れたモノが作れたからと言って、何だと言うのか・・・・・・仮に、あくまでも「仮に」だが、私が売れていないからこそ傑作が書けるとして、私は金しか望んでいない。あくまでも傑作云々は当人の自己満足であって、私はその為に己を犠牲にするつもりは更々ない。そのやり方は私ではなく読者共を重んじるやり方だ。私個人を生け贄にして成り立つ手法だ。
 そんな腐れ理論を許してたまるか。
 それが真実なら、真実を改竄するまでだ。
 それでこそ「私の幸福」が手に出来る。無論、感じ入らない以上ただの自己満足だが、元々私は「人間の物真似」をしているエイリアンだ。そして私は人間の物真似を面白い趣味として楽しめる正真正銘の化け物だ。それを嘆いたり、悲しんだり、人の心を求めようと思うことすら、ない。
 そういう意味では、映画の中のエイリアン共、ロボット軍団、人工知能などの方が、和達しとは違って「生物らしい」話ではある。私の場合、その非人間性を肯定し、人間性に折り合いをつけ、人間社会に紛れ込み、人間に限らず己以外を数値としてすら見なさず、それを「最悪」だと辞任した上で、己の利益を追求する。
 自分で言うのもなんだが、「最悪」だ。
 私以上の悪は、概念からして成り立たないだろう。とすると、どうやら「悪は金にならない」とそういうことだろうか? 私自身で証明した形になるのだろうか? いや、いや、ここからだ。傑作を金に換え、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、手にするのだ。
 作家である以上ストレスは常にあるが、それはまあ例外としておこう。充足、生き甲斐、人生における張り合いとして、それくらいは構うまい。 どうせならそれすらも抹消して「非人間」らしく生きるのも面白そうではあるが、作家としては完全なる非人間の生活よりも、人間の生活を模写する方が為になる気はする。読者など心底どうでもいいが、私個人の充足には、やはり必要か。
 やれやれ、参った。私はどうやらあの世に言ったところで同じ事をしているのではないか? 御免被る話だ。あの世って娯楽少なそうだしな・・・・・・過剰労働、断固反対だ、私は。
 作家とは因果なもので、どれだけ休もうとしても、それすらも作品のネタとして捉えてしまう。意識していないと筆を執ってしまうのだ。
 忌々しい宿業だ。
 ふと、あの女の言葉を思い出した。
「願いが叶えられない事など、ないのですよ」
 相変わらず綺麗事だろうと私は流しながら、神社の縁に座っておはぎを摘んでいた。説教する教師のように、あの女、タマモは諭すように箒を止めて諭し始める。思うのだが、本当にこの女は、忙しいのだろうか? と思いつつも、その時の私は和菓子のおかげか、素直に話を聞いていた。
「そんな訳があるか。叶えられる願いなど稀だ」「そうではないのです。私、いえ神というのは、人々の願いをそのまま叶える事はありません。その願いに至るまでの道を進めるだけです。その道を歩ききれば望む場所にたどり着けますし、至らなければそれまでです」
「言い訳臭い話だ」
 つまり何か? 願いを願えばそれに相応しい試練があり、それを提供するだけで神は仕事を終えるのだろうか。だとすれば、それは何もしていないに等しいではないか。進む道に相応しい試練など、何もしなくても起こって当然だ。
「そうでもありません。貴方も知るように世界は理不尽で出来ています。そして、苦労もなく勝利する人間は、少なくありません」
「それのどこがいけない?」
「貴方自身自覚はあるようですが、勝利だけを突きつけるというのは、未熟な存在にとって毒物そのものです。精神を蝕み、心の隙を広げ、精神も肉体も破滅に至らしめる。貴方のように人の心を持たないならばともかく、大半の人間は、そんな精神性を持ってはいません」
「仮にそうだとして、安易で安直な勝利、中身の無い勝利者の何が悪いのだ? 手に出来れば、それに越した事はないと思うが」
「・・・・・・それは、違います。私たちではなく、貴方達の問題なのですよ。仮に、そんな何一つ苦労を必要としない人生を歩んだ人間は、その内側に何一つ育むことが出来ず、苦しみ、生きている実感を永遠に手に出来ないでしょう」
「・・・・・・私には最初から「内側」など無いがな」「そうだとしても、同じ事ですよ。内側が無いからと言って、一人だけさぼる訳にも行かないでしょう」
「そういう人間は多く見るがね」
「それもやはり、同じですよ。その安易な人生に従って、彼らは何一つ育まず、精神は子供のまま死ぬ。後になって苦労を求めるのですよ」
 そうだろう。実際、これ以上無く理に叶っている話だ。だが、私は別に精神的に成長などしたくもないし「人間の成長」など、私がしたところで徒労も良いところだ。私のような化け物に、何の意味があるというのか。
「それでも私はその方が楽で良いがな。人間らしさや人間の成長など、私には縁の無い話だ。したところで実感できず、存在しないも同義だ」
「そうでしょうね・・・・・・あるいはそれが、貴方自身が「最悪」として君臨するための「対価」なのかもしれません」 
「・・・・・・・・・・・・」
 好んで名乗った覚えは無いのだが。
 そんな事に価値はないしな。
「そうでもありませんよ」
「何故だ? 私が歴史上最悪の存在だとして、私にとってどんなメリットがある?」
「大きなメリットがあるではないですか。貴方には精神的に「折れる」事が決してない。折れる心がないのだから当然ですが、しかし貴方にとって「くだらない」事柄こそ、人間にとっては重要なファクターなのです。結婚、就職、人間関係、それに「誰かに評価されたい」自己顕示欲。貴方のように本質を睨める人間ばかりではないのですよ・・・・・・一時の事だと理解できず、死に至る人間も多いですしね」
 組織はいずれ潰れるものだし、愛はその内冷めるものだ。他者との関わりは永遠ではなく、それでいて他者に認められるかどうかは、その人間個人の小さな満足感でしかない。
 ただの「事実」だ。理解しようと思っていれば子供でも心がける事が出来る、世界の事実。
「・・・・・・それは事実から目をそらすからだろう」 私でなくても、事実を見据えることは可能だ。「そうでもありません。貴方のような殺人鬼じみた精神でも無い限りは、そんな強固すぎる精神でなければ、人間は事実を好みません。己にとって都合の良い虚構を信じるものです。貴方の場合、その精神そのものがプログラムじみているからこそ、機械的にそれらを観測できるのです」
 人をウィルスみたいに言うんじゃない。
 似たようなものだが、安っぽいのは御免だ。
 せめて核廃棄物くらいにしろ。
「・・・・・・別に強固という訳ではないがな。私は、ただ人間を真似ているだけだ」
「それでも、同じ事ですよ。貴方は真似ているだけで人間ではない。故に、人間であれば本来悩み苦しむ事柄を「無視」できる。貴方自身が思っている以上に、大きな特権ですよ、これは。心がある以上、人間でなくとも、その苦しみや悩みは、生涯ついて回るのですから」
 嬉しくもないが、ここはしょうもない人間共の悩みに付き合わされずに済んだ、と思っておこう・・・・・・そういう事にしておこう。
 そもそも、人間個人の強さ弱さなど私は持ち得ないし、そんな私に、強さによるメリットも弱さによるメリットも持ち得ない私に、デメリットだけ押しつけられても困る話だ。それこそ冗談ではない。とはいえ、強さ弱さ、この女の歌う人間的成長など、存在しないも同義だ。
 精神的に成長しなくとも、子供のままでも、人間社会では立場さえあれば「偉く」なれる。わかりやすい例は「教師」だろうか。人を導く教師の存在などフィクションの中でしか聞いたことが無いが、己の劣等感を己自身より小さい存在に押しつける事でしか、自己を確立できない輩の存在は良く見てきている。
 子供の頃、という程純真ではなかった気もするが、とにかく私はこう考えた訳だ。「それなら、その立場さえ手に出来れば楽が出来る」と。結局それほど私は「持つ側」に縁が無かったのだが、しかしそれはまごうことなき「世界の事実」だ。 立場があれば偉く慣れる、のではない。
 その偉さ、という名前の我が儘を押し通せる。 そして、押し通した方が美味しい思いをする。 へたは誰かに掴ませる。それこそが人間社会の事実だと、我ながらそんな事実を子供ながらに、理解はしていたわけだ。成長した今でも、その考えは変わらない。あの女の言う正論は確かに、正しいのだろう。しかしそれは「理屈」として、正しいだけだ。その理屈が適応される奴が、この世界に何人いるのだろう?
 少なくとも、私ではあるまい。
 適応されないならば、他の方策が必要だ。
 捨てる事で対価を得る話もあるが、私の場合、最初から「人間性」を捨ててかかったにも関わらず、未だ目的地にたどり着いてすらいない。たどり着くことそのものは目的ではない。たどり着いた後、己自身の在り方を通すことが目的だ。
 それが、叶わない。
 最初から全てを捨ててかかって、これだ。
 どうしろというのか。
 私に後退の概念は存在しない。存在しないからこその邪道作家だ。とはいえ、自ら進んで灰になりたい訳ではない。
 勝たなければ。
 勝利を掴まず灰になってたまるか。
 その為にここまで押し通したのだ。
「どうしました?」
 思い詰めてでもいたのか(我ながら笑える。この私に思い詰める機能など、ないというのに)私の顔色をじっ、と見据えて彼女は問うた。
「いや、別に。強いて言えば、貴様の言い分の浅はかさを考えていた。成る程、不用意な勝利は、確かに人を貶めるかもしれん。しかし、それは勝利を望む存在が理不尽に勝てなくても良い理由には、決してなるまい。貴様のそれは外側から眺めているだけの答えだ。だから、中身が薄い。言葉に説得力がないのだ」
 自分で言っておいて何だが、私は言葉の力など信じていない。切り捨てた方が早いだろう。信念や勇気が何かを変える事など無い。
 そんな事ができる奴がいるなら、是非お目にかかりたいモノだ。
「確かに、持つ側が見方を変えればそうなるかもしれん。しかし、それは持たざる側が、捨てる者が、挑んで勝利を掴んではいけない理由には、なりはすまい。結果論でそれらしい事を言っているだけだ。勝利に望む当事者からすれば、事の善悪や論理的正しさ、その方向性など、どうでもいいのだ。ただ「勝ちたい」のだ。無論、私は実利さえあれば勝たなくとも良いが、ね」
 その実利すら手に出来ていない私が言うと、説得力だけがあっても、という気もするが。
 私にとっては実利こそが「勝利」なので、試合の勝敗に興味がないという事だ。年収が高ければファンも勝敗もどうでもいい。
 それこそ「過程」を重んじる、というか、中身のない偽物ではないかという声も聞こえるが、私は元々安ければどちらでも良い。
 私は人間的成長や人間の勝利になど、興味はないし、どうでもいい。人間ではない化け物に、そんな理屈を押しつけられても困る話だ。
 私は化け物だ。
 幸福を感じ取れない、正真正銘の化け物だ。
 それはそれとして、それならそうと、そのやり方でも幸福、というか充足しつつ過ごせる方法を私は化け物として探さなければならない。
 そしてそれが、金による生活の肯定だ。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活・・・・・・「私」なら、それが出来る。
 非人間であり化け物である、この「私」なら。 女は薄く口を開き、こう答える。
「それも、そうですね・・・・・・けれど私は思うのですよ。貴方のやり方は「間違えて」いると」
「間違える間違えないは、私が決める事だ。部外者の貴様が言う事ではない」
「ですが」
「何だ?」
「貴方はそれで良いのですか?」
「構わんよ」
 それ以外に方策も無いしな。しかし、その口にしなかった台詞を女は察したのか、消去法でのそんな在り方など許さない、という姿勢で、
「手の掛かる人ですね。全く」
 と、仕方なさそうに、言った。
「大きなお世話だ」
 人間「らしさ」を押しつけるな。化け物の尺度は化け物のみが決める権利がある。私だけだ。
「貴様が、どんな「人間らしい幸福の結末」を、夢見ているのかは知らないが、私にそれを押しつけるな。土台、人間ではない上、心すらない私には、不可能な話だしな」
「そうでしょうか」
「貴様は綺麗事を口にしているだけで、貴様の言う人間らしい結末を私に適応できる方法を口にしたことは、一度もない。貴様自身理解しているからではないか? 私は「違う」と。何をどうしようが外れた存在でしかないのだと」
「そんな事は・・・・・・」
 黙ってしまった。
 これだから女は面倒だ。感情的に理想を語るのは結構だが、肝心な「それを現実にする手段」に関しては、何のアイデアも無い。
 綺麗事なら誰でも言える。
 猿でも人工知能でも、カセットテープでさえ。 難しいのは、それを現実にする事なのだ。そして、それを現実にしようとする輩は、口を開いてそれらしい事を強制したりは、しないものだ。
 行動に移していない証だとも取れる。
 どうしたところで傍観者か。
 それはそれでまた、一つの役割だが。この女は客観的に事実を告げる能力には長けている。そのあたり口だけの馬鹿共とは違う部分だろう。
 しかし、だ。
「貴様は、高いところにいすぎるのだ。それはそれだけならどうでもいいことだが、何かを変える為に行動するとなると、傍観者の言葉は話にならないものだ。事実を追求するには良いが、貴様は何かを変えるのには、向いていない」
「そう、でしょうか」
「そうだ。どうでもいいがな」
 私とて、この女がわかりやすい回答を出し、それで全てが一件落着、などと絵本のような結末があると、信じている訳ではない。
 だからこそ、私は「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」という「指針」を形にすることで、幸福を手にするのではなく、幸福に、挑もうとしている。本来、人間であれば、人間でなくとも、心があればあり得ない取り組みだ。私には人間性も心も無い。だからこそ、自己満足のみを主軸として、それを成立できる。
 それにとやかく言われる覚えもない。
 そこに「人間性」を押しつけるのは、私という存在を否定するも同義だ。相容れる訳がない。私は化け物であり、化け物として成立させる。
 肩書きなどどうでもいいが、私に必要だから、そうするだけだ。必要であれば何でもする。化け物でなくても私は、そういう存在だ。
 だからこその「邪道作家」だ。
 私は回想を切り上げ、宇宙船の外に目を向けた・・・・・・外にはまばゆいばかりの景色が広がっていたが、私は、何も、感じなかった。 
 
 
 
    2

 
 あの女は私の事を「心がないから折れる心配がない」と評したが、逆だ。私からすれば、この世界には信じたりすがったり、そんな価値のある者は何一つ存在しない。あの女などその良い例だ。何一つ信じるに足らない。どうせ綺麗事だけで、何の役にも立ちはしない。
 何を言い訳しているのか知らないが、綺麗事を押しつけて、役に立たない理由を弁明し、それこそが必要だと諭すように話す。
 それで金が貰ええるなら、代わって欲しいものだ。楽そうで実に羨ましい。そんな暇な職業だったのかと、そう思わざるを得ない。
 まあ神とは怠慢なものだが。
 それこそどうせ口だけだ。だからこそ、ああして祭り上げられるのだろうが。何にしろ、私には関係ない話だろう。考えるだけ「無駄」だ。
 大体が、「リアリティ」の面を考えれば、傑作を書く為に実体験、その人間自身の体験したことを書いてこそ面白くなる、という理屈はわかるが・・・・・・実際にはそれは、知った風な口を聞くだけの輩でも、出来る事だ。文字を綴るのに特別な能力は必要ない。同じ文章を綴れば、それで同じ内容だろう。文字や言葉に、力などあるものか。
 私の全ては「結果」あってこそのものだ。
 それが伴わなければ、何もしていないよりも、最悪の結末だろう。何せ、全てを試した結果、ただ運不運だから全て無駄だった、という面白くもない落ちが、そこにあるだけなのだから。実際、事の本質などよりも、幸運の方が力を持つ。
 綺麗事は、所詮綺麗なだけのものだ。
 何一つ、力はない。
 人間は、人間でなくとも、どうしたって世界の理不尽に、理由をつけたがるものだ。たとえば、「天才だって努力をしている」とか、「金持ちにだって苦労はある」だとか、それに「豊かだからと言って、全てが手に入る訳ではない」とかな。 しかし、だから、何だ? そんなのは持たざる側でも同じ事だ。要するに、理不尽な連中ですら同じなのだと、そう言い訳をしたいのだ。実際には、そんなのは当たり前の事で、そんな些細な事で騒いだり持つ側を庇護しようとすることが、そもそも馬鹿げているのだが。
 実際、だから何だというのか・・・・・・仮にそうだとして、その恩恵を受けている豚共に、そんな綺麗事を諭すように言う権利があるとでも、思っているのだろうか? 馬鹿馬鹿しいことだ。それにそれらの恩恵を受けられない方が、苦労も労力も苦痛も全てが多いのは至極当然ではないか。
 持つ側の言い訳だ。
 見苦しいし、聞き苦しい。
 どうなのだろう。私も「持つ側」と言えば大げさだが、目的である「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を手にすれば、連中と同じカテゴリに入れられるのだろうか? それは無いだろう。仮に達成したとしてもそれは、私が、私の力で勝ち得たモノだ。連中のように、ただだらしない格好で口を開けていれば入るような、そんな安い報酬ではない。
 一緒にされてたまるか。
 まあ、私は他者の評論に興味はない。口を偉そうに開く輩は、何の行動もしない証だ。そんな連中の言葉など、私にはどうでもいい事だ。実際、知った風な口を聞くだけならば、それで優越感に浸って自身が人生の先輩ごっこをしたいだけならば、余所でやって欲しいものだ。そう言う輩の言葉に説得力など微塵もなく、それを遂行したところで連中に責任がある訳でもない。ただ、それらしい言葉を言いたいだけだ。そういう輩は多い。 テレビや他者に聞かされた雑談の内容を、これみよがしに大層なニュースとして押しつける訳だ・・・・・・それだけ中身が無いのだろう。中身がないからそういう情報を鵜呑みにする。鵜呑みにしたは良いが、自分で実行する気がないから、誰かに押しつける。赤子以下の精神のまま大人と呼ばれるようになった輩の典型例だろう。
 精神が幼ければ幼いほど、自身の正しさを主張したがるモノだ。私は精神的な成長などどうでもいいのだが、実際幼い精神を押しつけられるのは迷惑な話だ。そんな幼い精神でも、何一つ中身のない馬鹿共の脳味噌でも「持つ側」にいれば社会的成功は得られるというのだから、忌々しさしか私にはない。やる気が失せる。私自身、これから先どれだけ勝利を求めようが、そういう連中こそが美味しい思いをして、よくわからん「白紙の方がマシ」な内容の物語を高値で売るのかと考えると、正直、筆をへし折ってやりたい気分になるのは当然だと思う。
 何度そうしてやろうと考えたことか。
 生き方として変えられないからこそそうしているだけであって、別にそういう連中を認めている訳ではない。実際、馬鹿馬鹿しいと思う。
 真面目に物語を語ったところで、それが何になるというのか。全て「運不運」だ。物語の内容など、誰一人気にしないというのに。
 我ながら、無駄な労力を賭けているものだ。
 娯楽の世界でも「持つ側」の浸食は、大昔からある。「金を賭ければ面白い作品が作れる」と、いうのはその典型例だろう。実際にはそんな訳がないのだが、娯楽作品を「政治的兵器」として、扱おうとする動きは昔からあるのだ。
 その結果、面白くもない実写作品ができあがるわけだ。しかし、面白さでは論外であっても、それらしい「シナリオ」と「構成」が、最低限人間を感動させるように出来ていれば、それで売れるのだ。具体的には、少年少女の小汚い感動物語があれば、それでいい。少年と少女がすれ違って、あとはそれらしい設定と最後の最後あたりで、身を挺してでも守る姿勢でも魅せれば大丈夫だ。
 読者共は物語から学びたい訳ではない。
 それなりの「感動」を共感できれば良いのだ。 本来、物語とは教訓であり、そこから過去の話を見る事で「失敗の法則」や「物事の裏側」を、学ぶためのツールだったが、そんな機能は既にないと言えるだろう。実際、物事の本質などよりもてっとり早い「実利」を求める。そんなのは当たり前のことだ。
 成長して生きたい、と願う心など、どうかしている。それなりに楽に感動できて、それで自己満足すれば、読者は満足する。そういうものだ。
 精神的成長などという見えないモノよりも、手っ取り早い実利による豊かさは、ある種求められて当然だ。物語に真実など、求める奴はいない。 世界は真実ではなく、虚構で飽和するのだ。
 ならば尚更、売れればそれでいいと思うのも、また当然のことだろう。実際私はそう思う。事の真贋など、読者共がどう捉えるかなど、私には、わかりようもないし、共感する機能など、私には付属していない。
 薄っぺらい映画に、現実味のない漫画、嘘八百の綺麗事でまとめられた物語。その方が売れる。 それが人の世の事実だ。
 事実から、目を背けるな。
 迷惑だ。
 事実か、その事実を見据え続けていると、色々見える事がある。私は「魂があれば何であれ殺し尽くす」幽霊の日本刀という兵器を持っている。そう、「兵器」だ。魂のある存在であれば、それが何であれ殺し尽くすことが出来るなどと、そんなのは世界の理から外れている。
 そんな「兵器」を見に宿して、どうして和達し自身は傷つかず、どころか、この刀は私だけは、斬り殺す事が出来ない。
 疑問に思う程ではない。
 私には「魂」が「無い」のだ。
 それなら納得だろう。
 まあいい。どうでもいいことだ、少なくとも、私にとっては。「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」か。事実だけを並べれば、それは過程を重んずる行為、だと言えなくもない。私はあくまでもそういう「結果」を求めてはいるものの、物事の結果、その結末は「死」であり、終わりよければそれでよし、結果のみを求めるというならば、死の際に納得できればそれでいい、ということになる。
 しかし違うのだ。
 私には求めるモノがない。求めたところで、どうせ手に入らないモノを求める奴はいない。私にとってあらゆる人間性は虚構そのものだ。感じ入らない以上、認識は出来ても共感はしない。魂が無いなら当然だが、それはNPCに自我が生えたような事であって、ジャックのような人工知能が自我に目覚める、というケースとも違う。
 私には無いのだ。
 あくまでも、人間の真似をするプログラム。
 それが、「私」だ。無論、私個人の実利に従って行動するが・・・・・・思えば、私個人の行動が、私の実利に繋がった試しがない以上、私の行動が何一つ「結果」に結びつかない以上、そんなのは、何もしていないのと同じだ。
 いてもいなくても、同じだと言える。
 それが「事実」だ。
 だからこそ、折り合いだけはつけ、それなりの豊かさで自己満足しようとしてきたのだが、それすらも手に入らないのか。 
 運不運が全てか。
 全てかもしれない。
 少なくとも、私はそうだった。どんな労力も、幸運や不運の前では力を無くす。何の結果も出さなくなる。それでも自己満足できれば良いのだろうが、結果を出すためにやっているのだ。とはいえ、運不運には勝てない証左なのかもしれない。 運が悪い、だから駄目だ。
 どれだけ策を弄そうが、どれだけ手段を変えようが、どれだけ時間を積み重ねようが、全て、全て無駄だった。何の結果にもならない。
 ただ不運だという下らない理由で、私は全ての労力を挫かれてきた。実際、これ以上勝利の為の方策を思いつかない、というのも事実だろう。
 どうしたものか。
 どうしようもないのか。
 だとすれば、私に出来る事は惰性だろう。諦めないと言えば聞こえは良いが、無駄だと理解しつつも可能にする方策を練り続け、そして敗北し続けるだけだ。嫌な話だ。負けるつもりで挑んだ事は一度もないが、しかしそれが「事実」だと言うならば、正直言って挑むほどの価値は無い。
 無価値そのものだ。
 あらかじめ敗北が決まっている勝負など、勝利する側の為の見せ物だ。まあ、それも力さえあれば通るのが世界というものだが。
 ともすれば、馬鹿面を晒しながら「自分も持つ側だったらなあ」などと言って何もしない人間の方が、現実に即しているのかもしれない。

 実際、「持つ側」に「持たざる側」が、勝利する方法など、無い。

 無かった。そんな便利な法則は。
 それでも金だけは欲しかったが、しかしそれもまた、何かを持たない代わりに、別の何かを持っている存在の為にある。私は本当の意味で何一つ持ち得ていないのだ。それこそ連中のように生まれを呪うなりするべきだが、しかし私はそれを、何とかしようとした。
 それが間違いだったのかもしれない。
 持たざる側には、そんな権利すらなかったか。 挑んだところで勝てないのでは、何もしない方がマシだろう。最初から諦めていれば無駄な労力を賭けずにすむ。
 実際、全てが無駄なら労力など賭けたくなかった・・・・・・無駄だとわかって過程に意味を見いだすのは、最初から勝利する気がないだけだ。
 私は勝利するつもりでいたが、どうやら勝利するかどうかは最初から決まっており、それをどうこうすることなど出来ず、出来たかのように持つ側が脚色しているだけだ、という世間の風説は、案外的を得ていたのかもしれない。
 それも私にとっては何を今更な話だが。
 やれやれ、参った。最初から全てが無駄ならば・・・・・・やはり終わるまで手を抜いて生きた方が、良いのかもしれない。気の遠くなる話だが、私にそれを変える事が出来ないなら、そういう事になる。私は作家なので、物語が売れなければ、ほかにすべき事は何もない。全てに適当にしつつ、終わるまでこなすだけだ。
 持たざる者など、この程度の結果しか手に出来ないものか。物語と違って現実には、何かを覆すことなど出来ず、最初から決まっている運命に従って、奴隷のようにこなすしかないと。持たざる側は全てが無意味で無価値であり、そんなのは、くじ運を恨むしかない、と。
 だとしたら、拍子抜けだ。
 もう少し、私は大層なものだと思っていたが、この現実にはそれほどの価値はないらしい。その程度なら、何の価値もない。
 真面目にやる理由も、無いだろう。
 無駄は無駄。ならばそれに付き合う義理もない・・・・・・精々、適当にやるだけだ。実際、私個人のやったことが返ってこないならば、そんな愚図にすべきことなど、何もない。金が必要という現実が、かなり面倒なだけだ。
 面倒なだけで、それ以外何も無い。
 ある筈がない。
 期待する程のモノがないなら、私としても対応策を考えておくべきかもしれない。我ながら、真面目に生きすぎた。運命を変えよう、持たざる側でも勝利したい、などと・・・・・・所詮世界は力の有る無し、運不運が全てなら、そこまでしてやる義理もない。もっと手を抜くべきだろう。
 肩の力を抜いて、落胆する価値もないと見切りをつけ、適当に合わせる。
 それも良いかもしれない。その程度の価値しかないならば、この世界にはそれがお似合いだ。
 もし仮に、仮に、だが・・・・・・そういう苦難だの苦労だの苦痛だのを乗り越える、あるいはその過程において挑み続ける姿みたいなものが、読者の胸を打ち「傑作」足り得るのだとすれば、忌々しい限りだ。その理屈で行くと、私の幸福を犠牲にした上で、読者の幸福が成り立っている。元より嘘八百を金に換えるのだから、それなりの対価だと言えばそれまでだが・・・・・・冗談ではない。それならば、幸福な状態で苦悩や絶望を描けば良いだけではないか。事実そういう作家は多くいる。まあ、苦難を直に味わった方が傑作を作りやすいのは確かだが、しかし事実として、幸せそうな顔をしながら傑作を書く輩はいるのだ。「こんなのほほんとした顔の奴があんな傑作を?」と、実際にそう感じたことがある。そいつは漫画家だったが・・・・・・何かを描くという点では、同じだ。
 タイプが違う可能性もある。その漫画家は理屈で物語の芯を作り上げるタイプだった。どちらにも一長一短は無論ある。理屈で書くタイプは実際に体験していないことでも、リアリティを溢れさせられるし、極めれば魅せる方法も多彩だ。
 対して、私は本能で書くタイプだろう。実際に苦悩を経験しなければならないかは置いとくとして、長所としては「早い」事だ。執筆の早さは、自分で言うのも何だが尋常ではない。面倒くさがりながらでも二週間で完成させられる。嫌だ嫌だと手を執筆から遠ざけようとしてすら、月に一冊は完成するペースだ。
 時間を置き去りにしているのではないかと、時たま思う。それ位、私の執筆は早い。アンドロイドには及ばないだろうが、しかし十分だろう。
 問題なのは、早くても売れなければ意味がないところか・・・・・・やれやれだ。
 実際に苦悩を体験せずとも、私は現時点で書くことは出来る。それくらい私の精神性はひねくれている、と言って過言ではあるまい。しかし、私の場合「人々を意図的に感動させる」事が、かなりの度合いで面倒なのだ。
 そりゃそうだろう。私は「書くべき事」を「書きたい形で」というかなりの無理を押し通して、不可逆を可逆にして書いている。そこへ理論とか理屈とか、出来なくはないがかなり面倒だ。そうしたところで読者共に魅せるべき部分はそこではないので、尚更そう感じる。
 荒削りと言えば聞こえはよいが、言ってしまえばその人間の精神性を元に書いているのだ。当人の精神性が小さければ一昨品だけかいて終わる事もままある。人間ではない私の精神に限界などないし、あったところで売れればそれでいいが、それで悩む作家は多いらしい。
 贅沢な悩みだ。
 作品など、売れればそれでいいではないか。
 売れた上で、作品に「本物」とか「偽物」とか求める時点でどうかしている。そんなのは些細なことだ。有ろうが無かろうが同じではないか。
 劣等感があるから、そうなる。
 そもそも、作品の評価に対して何かを求める時点で、作家とは呼び難い。作品を通して何かしら伝えるべき事があるからこそ、筆を執るのだ。
 最近の学校はそんな事も教えないのか?
 足し算引き算だけで、現実に何の力があるというのか。計算など、この世界でもっとも弱い力ではないか。計算通りに行くことなど無い。それはただの偶然だ。なぜなら、人間にこの世界の全てを演算するほどの能力は、ないからだ。
 あってたまるか。
 私の労力が、馬鹿みたいではないか。
 所謂「天才」と呼ばれる連中は、それに陥りがちだ。何せ「過程」をすっ飛ばして最初から結果を得ているからこその「天才」だ。成長する余地がない故に、安易な答えに陥りやすい。
 当たり前の話だが、彼らの言葉に重みはない。当然だ。ただ「能力があった」というだけで、当人自身が何かをしている訳ではない。極論、最新型のパソコンを開発して、そのパソコンが有能であるのと本質は同じだ。当人自身の有能さが絡まないという点では。勿論、隅をつつくならそもそもパソコンを作れる時点で当人は有能だろうとか私も思うが、ただの例えだ。連中はファーストフードのようなモノだと認識できればそれでいい。美味しくはあるが、健康には悪そうだ。
 油を食っているようなものだ。
 話がそれたが、私はこう思うのだ「それは必要なのだろうか?」と。言葉の重み、などと。そんなカレーの中のチョコレートくらい、存在の怪しいモノに、何の価値がある? 
 いいではないか、安易で安直で薄くとも。
 人間的な深みなど、老けて見えるだけだ。先に断言しておくと私のことではない。社会において何の役に立つというのか。金の扱い方は幼いままでは十分に問題だが、しかしそれを除けば、金の勉強さえしていれば、人間的な部分の成長など、実際には役に立たないではないか。
 物語ではあるまいし。
 どこで使うというのだ。
 あの女なら、人間的な成長、精神が成長しない強さなど、貴方の食べているポテトのように、冷めれば消える儚いものですよ、とでも言うのだろうが、何度も繰り返すように、精神的な成長を望むほど、私には持つ側の余裕など、無い。
 余裕と余力があるからこそ、精神の成長を望むのだ。ヨガだの座禅だの、そんなモノにとらわれているのは持つ側である証左だ。精神的な成長がないのがポテトと似たようなモノだとして、成る程確かに冷めれば不味いし後から食べた事を後悔するくらい胃もたれが起こるのだろうが、それはそれで楽しめるではないか。
 要はバランスの問題だ。そういう安易ささえ、全くないのは面白味がない。それなりに貰えればそれでいい。私の場合、全く無かったからこそ困っている訳だが・・・・・・安易な成功か。人間社会の基準など、どうでもいいのだが。
 私がこれから向かう先はその極地にある。アンドロイドが人間を「飼育」し、人間のように家畜として他生物を支配する世界。
 向かう先は「楽園」と呼ばれる場所だ。

 
 

   2

 何が幸福かは個人次第だが、何が豊かは基準が存在する。即ちそれは「他者をどれだけ食い物にしているか」である。
「いいえ、「幸福」とは「己の信じる道」を歩く事ができるかどうか? ただその一点に集約されます」
 私は例の、依頼人の女が住んでいるのかは知らないが、いつも指定場所に選ぶ「神社」にいた。毎回こうして地球にくるだけでも一苦労だが、私自身の「寿命」には変えられまい。こうして手間をかけてここへ来るのはその為だ。
 女は、相変わらずの知った風な口振りで、こう続けた。
「己の信じる道を歩いていれば、恐怖も苦難も、例外なく克服する事ができます。それは己自身の道を歩くことで、己の行く末を信じる事で、それらの恐怖や苦難を認識はしても、乗り越えるべきものだと考えるからです」
「乗り越えるべき「試練」か。だが私は別に、そんなやり方である必要はない」
「・・・・・・現状、貴方の在り方はそれが一番近いかと思いますよ? 今更、別の生き方を選ぶつもりも、無いのでしょう?」
 我々二人は神社の境内にいた。公共のモノなのかは知らないが木製のベンチがあったので、私は遠慮なくそれに座った。女は相変わらず箒を携えたまま、無愛想に立ったままだ。それに遠慮するような私でもないので、私は買っておいた缶コーヒーを飲み干し、一服着いた。
「無論だ。割に合わないからな。私が言っているのは実際的なやり方だ。自己満足の精神論など、後からどうにでもなる。現実は金だ」
「・・・・・・あえて何も言いはしませんが」
「あえて、だと? 馬鹿馬鹿しい。そういう綺麗事もどき、口を出したいだけの輩は、良い事をしているつもりなだけで、生きているだけで邪魔な有害物質そのものだ。見ているだけで聞いているだけで怖気がする。そういう気色悪い連中がする事を、私の前でするんじゃない」
「私は、極論に走るとロクな事にならないと、知っているだけですよ」
「極論を掲げているだけだ。私とて、それだけで進むつもりではない。だが、その極論も事実ではあるのだ。世界は金でできていて、読者共が信じるような綺麗事は、物語の中で綴られるだけだ。それが現実に力を持つ事は、決して無い」
 それに、金がなければそういう馬鹿共の一挙手一投足にストレスを感じなければならない。それは御免だ。私は非人間だが、生理的嫌悪感を感じるほどの愚か者を愛でる趣味はない。気色悪いので御免被る。どうせなら金の力でバカンスを楽しみ、その疲労でストレスを適度に感じたい。
 誰だってバイ菌を触って喜ぶ趣味はない。
 そういう人間は多く、そして金がなければそれらの面倒を押しつけられる。私はそれが御免なだけだ。いや、勿論金が欲しくはあるが。
「貴方は、自身の歩む道に共感する相手がいないからこそ、そうなのかもしれませんね」
「下らない話が聞こえるが」
「理解者が仮にいたとして、そうすればきっと」「・・・・・・情けない奴だな。いいか、「もし仮に」などという仮定は、ただの妄想だ。私にはそもそも必要ないしな。それなりの豊かさだけだ」
「それも、「満足したフリ」でしょう?」
「何が悪い? いや、悪かったところで知らないがね。何にしろ貴様の言うところでは「己自身の道を信じて歩む」事こそが「幸福」なのだろう? だとすれば、その道の歩き方について、横からあれこれ指図だけ出そうとする輩に、物事を追求する権利など、無い」
「それは・・・・・・そうですが」
「その心配もどきも、その憐憫もどきも、その哀れみもどきも、貴様の勝手な自己満足だ。するのは勝手だが、私を巻き込むな。迷惑だ」
「・・・・・・・・・・・・」
「所謂「人間賛歌」というのは、当事者でないからこそ出る台詞だ。貴様のはまさにそれだ。実際に当事者であるのならば! 過程こそが大切だの向かおうとする意志が尊いだの、そんなのんきな台詞は決して出ない。それは「勝利」を見据えているからだ・・・・・・作家は当事者、キャラクターでないからこそ、それらしい人間賛歌を書ける。しかしだ、それがもし「己自身の問題」ならば、そんな小汚い綺麗事は口にしない筈だ」
「何が言いたいのですか?」
「当事者は必死で真面目だということだ。貴様にはそれがない。何かを語りたいならば、もう少し真面目に取り組むことだな」
「そう、見えますか」
「見えるな。そして、見えるだけではなく、貴様は実際そうだ。断言してやる。この私がな。あれこれ口を出している辺り、良い証拠だ」
「・・・・・・・・・・・・」
 まあ、真に人間以上の存在があるとして(あったところで私にはどうでもいい事だが)そんな役割のある連中に、人間の実際的な考え方を理解しろと言うのが、無理な話だろう。こればかりは体験しなければわかりようがない。
 女は少し戸惑いつつも、口を開いた。
「ならば、何をどうすれば「必死に生きている」事の証明になるのですか?」
「綺麗事を信じない事だ。理不尽を信仰する事だ・・・・・・そして、それらと相容れない事だろう」
 私は言った。それが真実かは知らないが、少なくとも私にはそう思えるのだ。綺麗事を信じている内は「二流」ではないのか? それが何者であれ、真実この世界に生きているのに、小汚い綺麗事だけで切り抜けてきた存在に、語るに値する言葉など、あるのだろうか。
 私はないと思う。
 強くそう考える。
 事実がどうかは、人次第だが。
「まあそんなのは何の結果も出さないがな。真面目かどうか、真剣かどうか、それに向き合っているかどうか、そんなのは現実には何の力も持ちはしない。「才能を偶々持っているか」とか、そんなどうでもいい理由で決まるものだ。貴様が大切にしている「人間の意志」だとか「物事に至るまでの過程」など、その程度だ。何の力も持ちはしないし、それを眺める存在が面白く楽しめるだけの見せ物だな」
「・・・・・・そんな事は」
「ある。世界はそう出来ている。そして子供心ながら悟る奴は多い。気づかない奴の方が稀だろう・・・・・・「才能」とか「金」とか「幸運」だとか、己自身の意志とは関係ない所で、勝敗は決まっていく。「努力」は身を結ばず。それが綺麗事だと知るのに、義務教育を終えるまで待つ必要はないだろう。それが社会全体で共有されている事を知ることで、それらしい成功法則だとか、何かしら「自分たちでも勝てる方策があるのだ」と、そう信じ込もうとする。そうでもなければ「理不尽」ではないか、とな。実際にはどんな成功法則も、所詮それが偶々適応できただけで、全ての人間に適応できる成功法則など、ありはしない」
「そうでもありません。私は長らく「人間」を見てきましたが「真の勝利者」足り得るのは、意志が折れなかった者だけです。貴方には一応その資格があるのですから、無意味に卑下しない方が、よろしいかと思いますが」
「馬鹿馬鹿しい」
 それは「結果論だ」と言おうとしたが、揚げ足を取られる気がしたので、やめた。
「外から眺めているから、そう感じるだけだ」
 と言うに止めた。我ながら優しいものだ。もっと抉るような台詞を言ってやってもよかったか。「真の勝利者が何かなどどうでもいいが、しかし勝利者になる奴が折れている訳ないだろう。到達しているのだからな」
「それなのでは? 折れなければ、いつかたどり着ける、ということではないのですか?」
「そんな訳がないだろう。もう少し「考えて」から話して欲しいものだ。実際には折れなかったところで、たどり着けない奴は大勢いる」
「何故、貴方がそれを知るのです?」
「私がまさにそうではないか」
「ですが、貴方はまだ「途中」です。「結果」に至ったわけではありません」
「死んでからそう言われても手遅れだからな」
 言うのは簡単だが実行し続けるのは至難だ。だからこそ成功が見合うとでもこの女は言うのだろうが、横から偉そうに言われるのは、御免だ。
 運良く持っているだけの豚に限って、それらしい綺麗事を口にする。この世界は図々しいことに労力を散々無駄にしておきながら、その一方で、努力論を恥ずかしげも無く口にする。正直、幼すぎて付き合ってられない。
 付き合う義理もないしな。
 精々適当にするだけだ。元より無駄なモノに賭ける労力など、ただでさえ無駄だからな。
「所謂その・・・・・・「敗北」や「失敗」こそが人を成長させ、それがなければ人間は有頂天になり、転落するのは必定だと貴様は言う。しかし、それが永遠に続かないという保証はどこにある? 仮にだ、成長したとして、少なくとも私は、労力に見合う「実利」を何一つとして手にした試しが、一度もない。いままで一度として、だ。一度も無かった妄想じみた「綺麗事」を信じろなどと、幾ら何でも無理があるとは思わないか?」
「それは、ですね・・・・・・」
「それは?」
 女は押し黙ったかに見えたが、しかし凛とした姿勢を崩さず、私を見据えてこう答える。「貴方の場合、極端にそれらの労苦が有ったのかもしれません。けれど、それが敗北であれ勝利であれ、それらに見合うモノは、必ずあるのですよ。当事者である貴方には理解し難いかもしれませんが、勝利にはいずれくる敗北が、敗北にはいずれ来る夜明けが付随するものです」
「それは、何時だ? 貴様の言う綺麗事通り、私に見合う実利が無かったところで、誰が責任を取ってくれる?」
「それは」
「無いだろう? それは摂理かもしれない。しかし全ての人間、まして私には人間性が無いのだから、適応されなかったところで「妥当」だとも取れる話だ。そも、ありもしない未来の話をして、そこに綺麗事を織り交ぜることで、そこにあたかも報いがあるかのように語るのは、ただの詐欺師の所行だ。未来に報いがあるかもしれない、などと語るのは馬鹿げている。それこそ現実逃避そのものだ。今、ここに、成し遂げた見返りが無いならば、その行いに対して「信頼」など、求める事がおこがましい」
 女の言葉は綺麗だが、ただ綺麗なだけだ。中身がないし、説得力もない。ただの綺麗事。そんなモノに信じる価値など、無論無い。
 綺麗事を語る奴は多い。
 しかし、それに従ったところで、彼らは何の責任も持たないし、違っても吠えるだけだ。何しろ行動に起こさないからこそ、口にする言葉だ。
 正直、かなり鬱陶しい。
 誰だって豚の寝言は聞きたくない。
 それが人間の姿をしていれば、尚更だ。
 そういう腐れた環境こそが「傑作」を生むのかは知らないが、私はただ「自己満足の充足」を、得たいだけだ。己自身を削って読者共を幸せにするつもりなど毛頭無いし、「人間」を感じ入れない私にとって「社会」とは「私だけ」なのだ。ほかの連中が何をしようがどうでもいい。
 「私」には関係のない事柄だ。
 事の真贋を重要視しないこの世界で、真実傑作であるかなど、計りようがあるまい。言ってしまえば傑作とは理解されず売れもしない事だ。それでは意味がない。私は金が欲しいのだ。売れればそれでいい。
 そして売れるのは中身の無い物語の方だ。勿論中身が伴う場合もあるが、私はどうやら該当しないらしいので、考えるだけ無駄だろう。
「この世界で「信じるに足る何か」は本来存在しないものだ。人間関係とて同じだろう。信頼は尊いが、しかし愛する相手が、己の幸福の為に、もっと良い相手と共になろうとする事だってあるだろう。信じた誇りが、世間から外れているかもしれない。やり遂げた事柄が、実利を運んでくるのは奇跡よりも確立は少ない。全ては運不運だ。替えが効くし、それが「個人」か「己の行い」かはともかくとして、「裏切ったその時」を想定して対策を練るのは、本来当たり前のことだろう」
 女は少し黙り、そしてこう言った。
「貴方は・・・・・・愛する相手にも、信じてきた誇りにも、己の成し得た行いでさえ、「裏切るかもしれない」と、そう考えているのですか?」
「個人はもとより、行いや誇りが報いるのは稀ではないか。それに「愛」だと? そんなのは個人の自己満足でしかない。どこにも存在さえしない幻ではないか。愛に限らず、人間が人間に何かを期待したり、信じたり、信頼したりしようとするのは、あまりにも残酷「過ぎる」世界に対して、夢希望といった幻を見たがるからだ。信じたがるから、幻でもあるかのように見える。いや、そう思いこむ」
「それは、そんなのは人の在り方ではありません・・・・・・まるで」
 と言ってから「しまった」みたいな顔をされても、生憎私にはその程度で傷ついたりする心など無い。すまなさそうにするより金を払え。
「元が化け物だからな。それも有りだろう。貴様は所詮怪物程度だし、人間は人間だ。それはそれこれはこれだ。私にとって世界とは最初からそういうモノだった。そして、それが実利を求める際身についた考えでもある。何にせよ、それを否定するのは私を否定するも同義だ。正しさなど、どうでもいいしな。私は実利を手に出来ればそれでいい。まあ、それが出来そうにもないから、私は既に見切りをつけつつあるのだが、ね」
 それも、どうでもいいことだ。私自身の行動が身を結ばないならば、無駄は無駄だという事だ。 無駄なだけならば、それは面倒なだけだ。
 労力がかかり、ただそれだけ。
 疲れた。そんな無意味な頑張りに、私個人の意志すら無視して、努力論根性論を展開されては、たまったものではないしな。
 どうやら私は人間の物真似をするのは良いが、ありもしない綺麗事に合わせるのに飽きたのかもしれない。どうせ無駄だからだ。
 労力がかかるだけだ。
 正直、信じる価値などあるまい。根拠もなく、ただ「そうあって欲しい」と願うのは、ただの妄想だと言える。そんなモノに興味はない。
 そもそもが、作家が作品を直接書く事など、近代ではむしろ稀だ。「コメンテーター」という、便利な仕事、とも呼べないだろうが、とにかく金を貰えるポジションについて、後はゴーストライターにでも任せれば良い。そんな「仕事ごっこ」で儲けている連中は、幾らでもいる。
「物事の片面だけを見るから、そう感じるのですよ。実際、貴方は精神面では決して折れない。決して死なない。不死不滅と言って良い精神的な頑強さは、幸運に見舞われた存在には、持ち得ないモノです。それが」
「馬鹿を言うな。そんな精神性など持った覚えはないし、仮にそうだとして、私はサンドバックではないのだ。打たれて大丈夫かを自慢する気にはならないし、なってたまるか。精神的な頑丈さ、不死不滅だと? そもそもが打たれないに越したことはないのだ。殺されずに済むなら不死不滅の特性など必要ない。それを精神的な成長だと美化する事で、貴様等は自分達が如何においしい思いを、美味しい汁を吸っているかという事実から、目を逸らしたいだけではないか。

 過程を美化する事で、結果を誤魔化そうとしている。

 まさにそれだ。打たれて死ななくとも、打たれるのが好きな奴はいない。物事の片面だと? 貴様等が見ているのは表面だろう。実際がどうであれ、自分達にとって都合の良い、小綺麗な形に、収めたいだけだ」
「そうでしょうか」
「そうだ。それが事実だ。行動もせず、綺麗事を信じる輩にはわかるまい。表面を見て全てを知った気になっている奴に、この屈辱はな」
 どれだけ策を弄そうとも、どれだけ労力を賭けたところで、そこにたどり着かない屈辱。それを知った風な口で凡俗共が自身はやってすらいない綺麗事を並べ、滔々と世界を語るおぞましさ。それを容認する世界の鬱陶しさが、わかるまい。  実は今までの苦労にはこんな意味や価値が有ったのですよ、などと・・・・・・弁えろ。
 分不相応な言葉を吐くんじゃない。
 そういうのは作家の仕事だ。
 私の精神が頑丈なのかは知らないが、打たれれば誰でも痛い、という有る種当然の事すら理解しようとせず、それを正当化するような女に、何を言おうが「無駄」という気もするが・・・・・・大事な依頼人だ。一応、それなりに応対してやるのは、構わないだろう。
「後になってから「実はああだった」と語るのは簡単だ。しかし語られる側はたまったものではない話だ。貴様等で勝手に現実逃避をしたければ、するといい。だが、そこに私を巻き込むな。迷惑なだけだ」
「・・・・・・わかりました。この話はここまでに」
「それが有り難いね」
 説教をすると気分が良くなるのは、それらしい言葉を述べるだけで済むからだ。実際には偉そうな事を言ってるだけで、何の役に立つわけでもないのだが、少なくとも述べている当人自身は、身勝手な自己満足で満足できる。その結果言われる側が迷惑を被ったところで、知った事ではない。何せそれが「良い事」だと信じ込んでいるのだ。 私もそちら側を目指すべきなのか?
 少なくとも、目の前の女は楽そうだ。私のような連中にそれらしい言葉を与えるだけで良い。そんな楽な仕事もどきなら、是非代わって欲しい。 心配してやっている、慮ってやっている、道を示してやっている、と傲慢にも図々しく、身勝手をするだけで良い。問題なのは、彼らが等しく、「持つ側」にいるという現実だ。持つ側にいればそりゃあ適当な言葉を吐くだけでも金を手に出来るのだろうが、生憎私はそちらにいない。
 残念だ。
「・・・・・・それで? 今回の「標的」は誰だ?」
「これです」
 言って、差し出されたのは一枚の写真だった。見るとそこには、惑星が一つ映っている。
「何だこれは」
「銀河連邦の法を受け付けない自治惑星です。主にアンドロイドが統治しています」
「そうなのか?」
 意外だ。確かにアンドロイドに人権が認められてはいるものの、人間は器が小さいので、基本的には認めるが、応用的には承認しない。具体的にはアンドロイドの政治家は極少数だし、議席に座る権利はあると言うが、しかし現実問題それを可能にする奴はいない。
 そんなものだ。
「それで、今回の標的はアンドロイドなのか?」「その惑星ではアンドロイドと人間の二つが共生しています。いえ、「共生」とは呼べないかもしれません」
「何の話だ?」
「貴方には今回、それなりの危険を伴ってもらう事になります。報酬は上積みしますが、命の危険があることをお忘れなく」
「だから、何の話だ。そもそも、私の標的は誰なのだ」
「ですから、それです」
 彼女は私の持つ写真を指で示して、
「貴方にはその「惑星」を沈めてもらいます」
 依頼人は頼むだけで良いと、そう持つ側の気楽さを滲ませながら、私に無茶を言うのだった。

    3
 

「ダストシュートって呼ばれているらしいぜ」
 久しぶりに宇宙船のファーストクラスでくつろいでいる矢先、頼んでもいない依頼先の惑星について、私の携帯端末はそう評するのだった。
 私の携帯端末には非合法な人工知能を宿している。まあ私が仕事目的で雇用(人工知能を雇用するのは私くらいのものだろう)しているのだ。
 報酬は身の安全と金である。
 わかりやすくていい。相手がエイリアンだろうと、金で動き仕事を果たす輩は信用できる。
「何がだ?」
「だから、その惑星の名前だよ。人間は不要な何かを捨て続ける生き物だ。その先がどうなるかなんて知りたくもないし知る気もない。その傲慢さが行き着く果てというか、自分達が押しつけ続けてきたモノが、その先どうなるのか? それを突き詰めている惑星だそうだ」
「抽象的すぎるな。具体的にはどうなんだ?」
「行けばわかるさ」
 これだ。何故私の周りの連中は、わかりやすい回答を用意しないのか。とはいえ、実際に体験した出来事は作品の為になる。売れてもいないのに山ほど作品を書いてきた私にとってどうでもいいことだが、数が多ければ売りやすくなるだろう。無論、数より質だ。多ければ良いという訳ではないのだ。傑作であるに越したことはないが、そもそも売れなければ意味がない。
 私は作家だが、作品を書く優先順位は意外でも何でもなく、低い。私個人の豊かさが最優先だ。あくまでも精神を充足させる方策の一つであるだけだ。その為に私が潰れるのは御免被る。傑作が書ければそれでいいが、命を賭ける筋合いはない・・・・・・生活の基準にしている以上、少なくとも、経済的には作品に私の命を張ってしまっているが売れなくて良い訳ではない。あくまでも金だ。
 そこを蔑ろにするつもりは毛頭無い。
 あってたまるか。
「やれやれ、大丈夫なのだろうな」
「問題ないさ。先生の肩書きは「アンドロイド」という事にしているだろう?」
「ああ、貴様等が五月蠅かったからな」
 何故か私は、「アンドロイド作家」として、その惑星へと向かっている。具体的には銀河連邦のサーバにハッキングさせることで、私の身分を、人間ではなくアンドロイドだと誤認させた。これだけ科学が進んでいる時代でも、大本のデータを改竄すれば「別人」になれるというのだから、よくわからない話だ。いや、わかりやすいのだろうか・・・・・・如何せん「目の前を見ていない」輩が、データだけ管理して人間を理解しようなどと、無駄な試みだということか。
 実際、私を良く見れば人間かアンドロイドか、数分話すだけでもわかりそうなものだが、チェックするアンドロイド達は上の指示に従うだけなので、何の疑問も抱かないらしかった。不思議だ。この辺り、人間とアンドロイドは同じなのか。
 都合の良い解釈を信じようとする。
 都合の悪い未来を想定しない。
 私からすれば信じられない事だが、しかし連中にとってそんなのは未だかつて経験すらしたことがないのだろう。私は都合が悪くなる事はあってもその逆は無かったので、何一つ信じないで最悪の事態ばかり考えているが、連中は最悪の事態を経験しなかったからこそ、いつでも健やかな未来を信じられるのだ。
 違いがあるとすれば、私のは「経験」から来るものなので、それなりの裏付けがあるという部分だろう。何の裏付けもなく未来を信じるというのは、ただ愚かしいだけだ。希望的観測のまま終わる奴も多いが、終わらなければ悲惨になる。
 だが、見方を変えれば「何一つ思考せずとも、幸運な連中は幸運なまま終わる事もある」と、そういう事だ。その保証はないが、それがある連中を見る度に、結局のところ物事の結末は運不運なのか、と私は思う。
 精神の成長など、望む奴は稀だ。
 大体が成長してどうするというのか。昔は宗教で精神的に成長させれば仏や神の領域に近づけると歌ったらしいが、仮にそうなったところで、だから何だというのだ。肩書きが大きくなりたいのか、それとも「精神的に成長した」という自負が欲しいだけなのか。いずれにせよ、それそのものは大したことではないのは確かだ。
 私は金をかけただけの作品は嫌いだ。大昔の傑作には金などかけられていないし、また、だからこそ面白くもある。とはいえ私の目的はあくまでも「豊かな生活」であって「傑作を作り上げる」のは二の次だ。最近大昔の傑作をリメイクしたり面白くも何ともない映画に大金を賭けているのは私と同じ「結果を焦る」からだろう。過程をすっ飛ばせば自然そうなる。
 しかし・・・・・・最早現代社会では「結果」が力を持ちすぎている。過程など誰も見向きもしない。人間の社会形態などどうでもいいが、合わせることで折り合いをつけて生きる以上、こちらとしても小綺麗な「過程に賭ける情熱」よりもわかりやすい実利を求めているのは、事実だ。
 仮に、だ。未だ「結果に至らない」からこそ、傑作を書けるのだとしても、それだけでは御免被る話だ。実際問題金は必要だし、結果を全く得られなければ何の為に挑むのか、馬鹿馬鹿しい。逆に結果だけを見ているからこそ、金を賭ける事で己に届かない「傑作」を作ろうとする奴もいる。 映画に頭の悪い金額を賭けたり、シナリオを旧作からリメイクしたり、実話をモチーフにし出す奴は末期症状だ。己自身の内に何も無いから、きっとそうなるのだろう。とはいえ、だ。私はそんな、「内側への劣等感」など最初から無いし、これから先も持つことは無いだろう。内側に苛まされる事がないからこそ、私は非人間なのだ。で、あれば、結果だけを手にしても問題有るまい。倫理的、というか、精神の成長という側面で見れば問題だらけだろうが、何、私なら望むときに望むまま、それを成し遂げる事は可能だ。
 実際、不遇だから、不幸だから、苦悩があるから傑作を書ける訳ではない。確かにそれもあるだろうが、それだけではないのだ。そして、それを可能にするのもまた、作家としての務めだろう。己の精神状態に左右されながら書くのは、あまり現実的ではない。最初は良くとも、いずれはそれを扱う技能が必要になるはずだ。
 だからこそ、「最初の作品は良かった」と、デビュー作は面白いが飛ばず鳴かずの作家は多い。無論私は連中のようにちやほやされたい訳ではないので、金さえ有れば問題ない。作品の上に私があるのだ。断じて逆ではない。
 むしろ、目立たないに越した事はないだろう。読者と交流する趣味など無い。アイドルじゃ有るまいし、誰が書いたかなどどうでもいいだろう。 面倒くさいしな。
 夢や希望は既に挑むものではなく、金で買うものだ・・・・・・その点、今回の依頼はきな臭い。依頼の際の貰い物だが、嫌に高いチケット代だった。ファーストクラス一席分の値段ではない。簡単に言えば「やばい予感がする」ってやつだ。
 途中下車は出来ないだろうし、そんな事を考えても仕方ないが、心構えだけは備えておくとしよう。突然襲われても切り刻めるように、だ。
 それも、結局は無駄な労力だが。

 越えてはならない死線がある。

 私は生者ではないので、そんなモノは越えられるだけ越えてきた。実際、何度死にかけたかわからない。いや、最初から生きてはいないのだ。生まれてからずっと、死に続けている・・・・・・しかしそれも無駄なのだ。「最悪」と呼ばれようが成すべき事柄を成そうが、所謂「正しい道」を歩いたところで、所詮「幸運」があるか、ないかだ。
 ただのそれだけだ。
 言い訳がましくこの世界は「原因がある」と叫ぶが、そんな言い訳を聞くつもりはない。子供の「だだ」に付き合ってられるか。理不尽に理由を付けようとしたり、あれは「実は」こういう事だったのだ、と後付けの正義を求める。何に言い訳しているのかと言えば、それは彼ら自身を誤魔化す為だろう。
 理不尽に理由などない。
 それこそ子供の「だだ」と同じだ。それも、起こした当人があれは実はこうだったと、嘆かわしく図々しい言い訳を口にする。
 「幸運」か「不運」か。
 世界はそれだけなのだ。
 そこに、それらしい綺麗事をつけて納得させようとする。納得させたいのは私のような存在ではなく「連中自身」だ。とはいえ、それを押しつけられたところで、私にどうする力もない。強姦される女と同じだ。無抵抗のまま殺され続けるだけ・・・・・・そのくせ、「罪悪感」を抱こうとする。持つ側がそれだけ傲慢でも、世の中そんなものだ。 持たざる側は奪われるしかない。
 事実、そうだった。抵抗したところでどうせ不可能な話だ。勝敗は向こうが決める。それでいて世界の倫理を説こうとする。「力」があれば何をしとも良いという、わかりやすい見本だろう。苦しみを軽減しつつ死ぬまで耐えるしかない。
 選択肢は当然無い。
 ただのそれだけだ。
 どうしたところで、全て無駄な事だ。
 そんな、無駄な事をどうして私が覆そうとしたのか、簡単だ。ストレスそのものではないか。とはいえ、持たざる側が何をしようが無駄な話だった・・・・・・最初から勝敗は決められていたし、何をどうしたところで、「運不運」は全てに勝る。
 ルーレットに好かれなければ、無駄だ。
 何の意味も価値にすら、なりはしなかった。
 金にならないとは、そういうことだ。
 そこから目を逸らされても迷惑だが、私が何をしたところで、それも無駄か。持つ側には目を逸らす権利も現実をみないで綺麗事に浸る権利も、いや、権利というよりは「自分より弱い何か」に無理矢理押しつければ、それでいいという事か。 そして私はそれだった。 
 私自身の意志や物語など、それが本物で有れば有るほど力を持たないのは自明の理だったか。クズに力を与えゴミが素晴らしさを説く世界で、物の真贋など求めるだけ無駄だろう。ああいうカスを目指すべきなのだろうか?
 少なくとも現実には即しているし、世界というモノに意志があるとすれば、ゴミクズを好いているらしいからな。
 もっと手を抜いて生きるとしよう。
 我ながら、無駄な労力を賭けたものだ。
 賭けてやったところで、この世界はどうせ支払い一つ出来ない、情けない小物なのだから。
 期待する程の価値がなかったのだ。
 それを承知で私は止まる気が沸かないと言うのだから、我ながら狂気だと言える。実際それも今更だしな・・・・・・理不尽などという言葉は、世界がまともに回っていれば考えない言葉だ。成し遂げた事柄に返すモノが無い世界など、それこそ狂気そのものなのだ。既に、狂っている。 案外、真っ当なのは世界の方ではなく、私の方なのかもしれない。
 それでも世界は終わらないが。
 私個人の意志など、同じ事だ。
 何をどうしたところで無駄だとしても、世界の側からすれば私個人を考える能力はない。全体しか見る事の出来ない間抜けを「世界」と呼ぶのだからな・・・・・・逆に言えばそれはこちらからも言える話だ。私が誰かを殺したとして、踏みにじったとして、それを咎める力が世界にある訳ではない・・・・・・もし、世界に理不尽をばらまいておいて、それでいて他者を踏みつけにするのは倫理に反すると口にする馬鹿がいたとして、それが偉そうに人を裁いたりするとしたら、そんなのは子供の遊びみたいなものだ。暴力による押しつけでしかないのだ、そんなのは。「あの世」などと言う存在が有るのかは知らないが、あるとしてもその程度だろう。
 馬鹿に付き合ったところで無駄な労力だ。
 綺麗事しか並べず、後付けの理由で正義を振りかざし、しかしそういう連中に限って、金を支払うことすらままならない。
 泣きを見るのはいつもこちらだ。
 馬鹿に付ける薬は無い
 例えそれが、神だとしてもだ。
 気色悪い事に、そんな輩がいるとすれば、私の労力に対する支払いも怠りながら正論を述べるのだろうが、気にする義理も無い。気にしたところで結末が同じなら、もっと率先して人を殺し、人を踏みつけにし、人の不幸で金を稼いだ方が現実的な気がする。「事実」としてそういう連中に罰など有りはせず、有ったところで連中に罰を与える力は神とやらにはない。神などいたとしても、成功した運有る人間に媚びを売る事位だろう。
 神や周囲が味方するから成功するのではない。成功した存在にすり寄って「おこぼれ」を貰おうと、人も神も必死になるのだ。
 いたとしても、私はそう思う。
 理不尽に「理由らしき何か」があるとすれば、そういう事だろう。逆に、理不尽に理由が無いのだとすれば、それは世界のシステム的な不具合であり、そんな些末な事柄に、私が身を砕く理由など、ありはしない。支払いも返せないシステムに、期待すべき何かなど無い。
 どちらにしても、私には同じだ。
 世界には期待すべき価値がない。
 神がいようが、いなかろうがだ。
 何故こんな事を考えるのかと言えば、あの女の正体は知らないが、あの女の思想はそちら寄りだからだ。どうせまた小綺麗な綺麗事を並べるだけだろうが、それとなく諭してやるか。聞き分けの悪い子供の面倒を見るようで面倒だが、しかし、一応は金払いのある依頼人だ。あの女の世界の価値すらも、こき下ろしてやるとしよう。
 宇宙船のソファにもたれかかりながら、岩窟王を読みつつキリマンジャロコーヒーを啜る。それなりに充足した時間を過ごし、それに自己満足する訳だ。勿論、「そういう時間を楽しむ」という人間の習性の物真似であって、私個人が何かを感じる訳ではない。強いて言えば、努力の末成功や勝利を掴んだダンテス青年でさえも、足を引っ張るカスの為に、全てを台無しにされるのだなと、思うだけだ。
 勝利を掴んだ後でさえも、運不運に人間は左右される訳だ。
 人間の意志や情熱が、それらを覆す事はない。実際、莫大な財産を得て、復習を果たしたところで既に終わっているではないか。最終的に幸福に至れるのは、それが「物語」だからだ。現実には勝利や栄光を掴んだところで、小さな不運一つで全てが水泡の泡になる。
 ともすれば私は、「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を手にした後でも、それを失う「恐怖」を克服しなければならないのだが・・・・・・それこそ金で解決できる問題だ。もし金で解決できないほど切羽詰まった状況になるとすれば、それは避けられない事であり、気にしても意味がないことだ。割り切れる。
 そうするべきだろう。
 人間の意志がどれだけあろうが、所詮一時的なモノでしかない。実際には卑小なやり口で他者を陥れる輩が勝つものだ。人間共の幸せとは、そういうモノなのだろう。私に幸せなど、最初から有りはしないが、要領よく真似ることでそれなりの充足を得るだけだ。
 そして、人間の愛や道徳など、「自分にとって都合が良い場合」に向けるものであって、そんな調子の良い手のひら返しが「人間の素晴らしさ」ならば、私は非人間のままでいい。他者を踏み台にすることで「勝利」や「幸福」が得られるのは、わかりきった「事実」だからだ。
 問題は、そう、誰を踏み台にすれば良いかだが・・・・・・取材ついでに探しておくか。人間であれば「あの世」だの「罪」だのを気にするのだろうが、私にはそれはない。あったとして、やはり私にとって良い何かが、そこにあるとは思えない。 
 人間は「死」を恐れる。

 人間にとって「死」とは「恐怖そのもの」だ。皮肉なことに「生きていない」私が同じ評価を下されている。生きていなければ、死の恐怖はない・・・・・・無論、そんなのは人間の在り方ではなく、だからこそ私は「化け物」なのだ。
 それはいい。
 別にどうでもいいことだ。
 それよりも、それならそれで、私には求めるべき地平線がある。精神の充足、ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活を手に入れる。それが私の「目的」であり「目指すべき結末」だからだ。しかし、地平線である以上、眺める事は出来てもたどり着くことは出来ないのだろうか?
だとしても、辿り着かなくてはならない。私は、過程を良しとするつもりはない。何としてでも、「そこ」へたどり着く。
 それを諦めるつもりはない。
 何せ私は、質の悪い化け物だからな。

 
 
    5

 喜びを表現するのに、苦労した。
 私には喜びなど、本質的には存在しない。何せ感じ入る能力が欠けているのだ。有ろう筈がない・・・・・・しかしだ。人間社会において喜びを感じる事が無くとも、感じているかのように振る舞わなければいらぬ軋轢を生む。人間社会に馴染む為、何より私個人の幸福の為に、私は「人間」を、学び続けてきた。
 その結果が、これだ。
 私にはどうやら、どうでもいいが、人間の精神を手にする事は、出来ないらしい。それはそれとして私は、折り合いをつける為行動した。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活だ。無論、平穏と充足は別だ。それなりで構わない。私個人の自己満足の範疇で充足を得、それでいて平穏なる生活を送る。「作家」であれば、それも可能だ。「邪道作家」であれば尚更な。
 人間の物真似をしつつ、人間と折り合いを付けることで豊かさを享受しつつ、化け物としての己自身を楽しみ、生きる。
 我ながら、自分で言うのもどうかと思うが、その辺りの「怪物」程度の思想すらも越えているだろう。そんな在り方は人間でも、能力を持て余し迫害される怪物でも、尚足りない。文字通り、意味通り、そして正真正銘の「化け物」だ。
 それはいい。
 どうでもいい事だ。
 そんな些細な事を何故今になって考えるかと言えば、だ。己自身を振り返る事で作品のネタになるかもしれないではないか。個人的には、怪物のような優れた能力を持つ輩の方が人生楽そうではあるのだが、連中というのはどうも、己自身が他者と違うことに苦悩する。この世界に同じモノがあるとすれば、それは「凡俗の発想」だろう。世界に同じモノなど、凡俗以外に存在しない。
 そう、問題なのは怪物か化け物か人間かなどというジャンルではない。それはそれとして金を手に入れ、豊かに暮らす事なのだ。
 世界に凡俗は山程いるが、己自身は当然ながら一人しかいない。相手が何者であれ、自身の在り方を曲げて合わせる理由など無いのだ。
 何をしてくれる訳でもない。
 相手が大統領だろうが神だろうが悪魔でさえもこちら側に何か利益をくれる訳ではないのだ。肩書きが大きいだけであって、それだけだ。
 経歴が大仰なだけだ。誇られても困る。

 ・・・・・・私は何をしているのだろう?

 やっている事がわからないという訳ではない。むしろ酷く自覚的だ。しかし、執筆を続けても金にならないと言うのに、こんな風に見知らぬ沿革の地に赴くことで、依頼をこなし報酬を貰う事でしか、現状金を稼ぐ方策が無いというのだから、「巡り合わせ」という奴が味方しない限り、私個人がどれだけ労力を賭け「傑作」を書き上げようが、無意味なのだろう。
 恐らくは「敵対者に打ち勝つ」というやり方では「持つ側」でしか勝利出来ないのではないだろうか。私のような存在で有れば「敵を味方に」しろということか? しかし、実際問題それが出来れば苦労しない。作家としての在り方すらも、世界に敵しかいないのではなく、そもそも私は世界にとっての異物なのだ。排斥されないように労力を賭けている状態で、そんな器用な真似が出来る訳があるまい。
 世界にとっての異物。
 そもそも世界に生きていない。
 だからこそ、なればこそ「金が欲しい」のだが・・・・・・上手く行かないものだ。
 私に出来る事はもう殆どない。やるべき事はやり終えているし、するべき事は成した後だ。試すべきは試し無駄に終わった。どうしろというのか・・・・・・どうにもならないだろう。少なくとも、私にはこれ以上の手はない。
 いずれにせよ、私が関われるのはここまでだと考えれば、後はそのやり遂げた事に対して世界がどう反応するかだ。つまり期待するに値しない。どうせそれも無駄だろう。考えるまでもない。考えるまでもないならば、それに対してあれこれ策を弄したりするのは文字通りの「徒労」だろう。 全ては無駄だったのだろう。
 「結果」が出ないとは、そういう事だ。
 結果、即ち「金」である。
 過程も、思想も信念も誇りも、「金」という結果の前では力を失うものだ。そんなのは結果がつきてきた時に余裕や余力を持って論じるモノであって、実際にそれが存在する訳ではない。物事の過程に重きを置くのは「余裕有る持つ側」のみだ・・・・・・真面目に生きていれば生涯語る事はない。 だから過程は無意味なのだ。そんなモノはすっ飛ばして結果だけを求めればいい。価値とは金があって初めて輝くモノだ。それを、過程が軽いと結果を得ても人間はすぐに没落するだの、精神の成長にこそ意義が有るだの、よく言えたものだ。 知るか。
 見せ物ではないのだ。「成長したね、良かったね」と誰かに言われたい訳ではないのだ。仮に、だが・・・・・・私の作品にこの無駄な労力がかかっているからこそ「傑作」が書けるとしても、御免被る話だ。それならそれで環境に関係なく書けばそれで問題有るまい。それが出来ないなら出来るまでやればいい、作家とはそういうものだ。何より私は読者共の事などどうでもいいのだ。売れればそれでいい。物語の中身など、見る側によって変わるものだ。そこに絶対普遍の真実が書かれているとしても、捉える側次第なのだ。
 仮にそんなモノがあるのだとしても、もう書いたんだから構うまい。少なくとも私個人は自己満足で満足している。だから金だ。
 金、金、金だ。
 私は金が欲しい。
 己ではない何かに、歩く先を左右されるのは、もう御免だからな。
 とはいえ、だ・・・・・・世界とは不思議なもので、「成りたい」と思う時点で「それ」に成ることは出来ない。少なくとも私は「作家に成りたい」などと言う輩が、作家に成れるとは思えない。あくまでもそれは結果としてそう成るのであって、それそのものは手段の一つなのだ。
 わかりやすく言えば何かに憧れている時点で、それの本質とはズレが生じるのだ。仮に、作家に成りたいと願う奴がいるとして、それは語ることで何かを伝えたいのではなく、ただ「ちやほや」されたかったり、理想の未来を歩みたいからこそそう願うのだ。何であれ、同じ事だ。私は作家に成りたいのではない。作家業はあくまで手段。作家であることは私がそういう性格だっただけだ。 幸福になりたい。
 豊かでありたい。
 ストレスを消したい。
 そう願う時点でズレているのだ。無論自覚は有るし、その上で知った事ではないが。厳密には、私は自己満足の生活を送りたいだけだ。
 幸福だと思いこめれば良い。
 それなりの豊かさで満足できればそれでいい。 適度な刺激で充足したい。
 そういう意味では、作家としての大成など、むしろしない方が良い。私はちやほやされたい訳でも、まして人間的に成長したい訳でもない。人間性を持たない私にとって必要なのは、人間社会と折り合いを付けつつ、それなりに豊かに過ごす。この一点だ。
 売れるのは良いが、悪目立ちする必要はない。 そんなつもりもないしな。
 豊かに過ごしたいだけだ。それを願う時点で、私はそこへたどり着けないとでも言うのか? そんな筈があってたまるか。それを望む事が悪なら私は悪で良い。いずれにせよ言いたいのは、世界とは望めば離れるものだが、「望む望まないに関わらず」そこを目指す存在もある、という事だ。 幸福に成ろうとする事そのものが幸福、というのは幸福そのものを軽んじているからこそ出る台詞なのだ。望むのはあくまでも「結果」そのものだ・・・・・・断じてそれに至る過程を重んじるつもりはない。余裕のある持つ側の台詞など、私にはどうでもいいことだ。
 物事は履き違えた方が楽に生きられる。女でもこれは同じだろう。愛しているのではなく愛されたいだけの方が楽だ。「身勝手さ」の基準が変わるだけで、人間は、人間でなくとも、己自身の勝手な都合を押しつけられるかどうかで、その在り方の成否が決まる。それと同じだ。そこに至るまでの経過を問うなど、どうかしている。
 履き違えて楽をしている連中が、真面目に仕事を全うしようとしている私に、綺麗事を吐くな。 まさかそれを、本来の依頼人である目の前のアンドロイドに言う訳にもいかず、私はただ沈黙しつつ話を聞いているだけだったが。アンドロイド特有の「人間らしさの基準」に沿ったかのようなモダンスタイルならぬアナクロスタイルのスイートルーム、その地上2700階の大気圏にそびえ立つ、無駄なテクノロジーの使い方をしているホテルの一室に、私はいた。
「何か飲むかね」
 口にした相手は老人だった。緑色の礼装で着飾っており、紳士らしく髭を整えている。無論、アンドロイドに髭が生えるのかは知らないが、手入れする必要性は無いはずだ。だからそれは、人間を真似ているだけの悪趣味な趣味だろう。人間社会に混ざり込み、異物と悟られずそこに在る私よりは、至極真っ当な存在かもしれないが。
「酒は飲めなくてな、結構だ」
 人間の娯楽を真似る私だが、酒は苦手だ。アルコールが、ではない。味が不味いのだ。安酒ばかりだったからだろうか?
 私ならコーヒーで満足できるが。
「あの女を通して依頼をしたのは、貴様か?」
「その通りだ。君に、破壊して欲しいモノがある・・・・・・我々では出来そうにもない」
「生憎だが、私も星を落とした経験はない」
 間にあったテーブルに写真を置いて、私はそう答える。あの女に渡されたこの惑星の写真だ。どうしてこう、無茶な依頼が多いのか。
 本業は作家なのだが。
 まあ、金にならなければ認められないのは当人自身だけではなく、その周囲もそうらしい。実際金にさえなれば如何にもつまらない実写版映画、ドラマ、ああいった「下らないゴミ」でも、それなりの評価を紙上で得られるからな。もっとも、その評価すら作り物だろうが。
「君の作品、読んでみたよ」
 私は少し驚いたが、それだけだ。私という正体不明の始末屋を招聘するに辺り、相手を調べるのは当然だと思ったからだ。
「君、などと言う名前ではない。先生、とでも呼んでくれ」
 それも相当な呼び方だが、しかしファーストネームで呼び合うほど、仲良くなれそうもない。
 呼べれば何でも良いだろう。
 人間でない私にとって、他者など「区別」が付けばそれでいい。空き缶と同じだ。別にここで何を話そうが、本質的には何も変わらない。この男が老人ではなく若者だったところで、あるいは人間を愛するボランティアだったところで、物語の大筋は変わらないからだ。
 元より物語のあらすじなど興味はない。問題なのはその結果、実利が幾ら得られるかだ。
「そうだったな、ではそのように・・・・・・先生は、この物語をどう思うね?」
「・・・・・・何を、言っている?」
 どう思うも何も、私が書いた物語だ。なので、素直な感想を述べた。
「もっと売れろ、とか読者共を誑かせ、とかだ」「ははは! もっともな意見だが、しかしそうではない。君自身がこの物語に対して、どういう思想を感じるか、だよ」
「どういう思想も何も、私が書いたとおりだろう・・・・・・過程よりも結果、本物よりも偽物、人間性より金だ」
「その通りだ。しかし、間違っている」
「・・・・・・・・・・・・」
 知った風な口を効きたいだけなのか? だとすれば、このまま聞き流すのもありだろう。
「君のその、燃えさかるような人間賛歌こそ、見所なのだよ。不条理を何とかしたい、理不尽を覆したい、摂理そのものに勝利したい。人間で在れば誰でも願う内容だが、この作品では人間ではない君の視点で物語が語られる。そして人間ですらない君に共感し、勇気を貰うのが、この作品の在るべき姿だ」
「・・・・・・仮に、その「勇気」とやらを貰ったとして、だから何だ?」
「そこが君の目を背けている、いや、信じようとしない部分だな。物質的な豊かさなど、手にしてしまえば簡単なのだよ。それに、生きる上で必要なモノは、君の信じない「精神的な充足」に必要な「勇気」や「感動」だ」
「そんなモノ、私は必要としなかったが」
「君は化け物だからな。だが、人間は違う。そういった「希望に見える何か」が無いと、息をする事もままならなくなる。君のように「何一つ持たず、何一つ得られず、何一つ理解されず」とも、己自身を確立できるような、そんな生物の在り方から外れた化け物は、そうはいない」
 大きなお世話だ。それに、そんな無様のまま終わらぬように苦心しているというのに、駄目だったかのように他人に語られる覚えもないのだが。「別に、不思議ではないと思うがな。私ではなくとも、孤独や社会からの拒絶など、ものともしない奴だって、いるだろう?」
「そこが君の間違いなのだ。社会に生きている以上、社会に不要だと言われて発狂しない奴は、既に人間ではない。君は人間の作り出す社会構造を「利用」しているだけで、そこに住んではいない・・・・・・無論そうでなくとも君は発狂しない。人間ではない存在に、人間を語る資格はない」
「それは失礼した。資格がなければ無視するのが私のやり方でな」
 語る資格など、誰に貰うのだろう? いや、それはどうでもいい。問題は、だ。
「私のように開き直れず、苦しむからこその人間か。だとしても「勇気」だと? 「感動」だと? 下らん! 明日から無くしてしまえ!」
「そう言えてしまえる時点で、君は既に人間ではないのだが・・・・・・人間は精神の充足を求める生き物だ。君のように「ストレスを無くす」という、ある種の反射的行動からではなく、論理的にではなくただ漠然と「温かい何か」を求めるのだよ」 ストーブでも買えば良さそうなものだ。自己満足で充足すれば良いだろうに。
「薪でも燃やせば良い」
「そうはいかないさ、人間は我が儘だからな。話が逸れたが・・・・・・テクノロジーは全てを可能にしたが、それはあくまでも「人間に出来る事」その延長線上に過ぎない。創造主を越える事は出来ないのだ。君が嫌悪する物語の作り手とて同じ事。素晴らしい物語は作れても、それ以上はない」
「何が言いたい?」
「ある意味でだが、 君は自身で思うよりも人間性を象徴しているということだ。君の物語は、当たり前だが君にしか書けない。「絶対に代わりが効かない」のだ。その一方で利便性やテクノロジーの恩恵があればあるほど、それらは失われていくのだ。若いの、君がやっている事は、君自身が思うよりも素晴らしい出来事なのだよ」
「下らない」
 私は年寄りのアンドロイドに誉められて喜ぶ趣味などない。私を喜ばせたいなら札束を寄越せ。「私が人間ではないならば尚更だ。人間を喜ばせて、それが何だ? 私には関係ない。金にならなければ尚更だ。金になったところで、同じだ」
 見る側の身勝手な都合ではないか。
 私を巻き込むな。
 世界の根幹は腐っており、テレビ番組は面白いから見るのではなく流れている時間帯で視聴率が決まり、物語も似たようなものだろう。そういった意識を私の物語で仮に変えられるとして、私に出来る返答はただ一つだけだ。
 ふざけるな。
 責任を求める前に義務を支払え。何を堂々と、求めるだけの図々しさを発揮しているのだ。
「役割が人に在るとして、その役割を果たすのはそれが金になるからだ。私はな、貴様の言うような小狡い綺麗事が、大嫌いだ。何せ、綺麗だからとそれを押しつけておきながら、そこに何の責任も持たずただ「正しいから」という理由で、物事を強制しながら反抗されると怒りに燃える。まるで子供だ。貴様の事だぞアンドロイド。仮に私の物語が素晴らしい何かだとしても、まったくの無価値そのものだ・・・・・・何せ、読者には貴様のような輩しか、いないのだからな」
「そう思うかね?」
「事実だ。「勇気」も「感動」も見る側の都合でしかない。書き手にはまるで関係のない話だ」
 勇気と感動が欲しいならスキューバダイビングの電脳チャンネルにでもアクセスしろ。いっそ、RPGの電脳ゲームでもいい。
 貴様等の勇気や感動など、その程度だ。
 その程度でしかないし、それ以上はない。
 物語に価値などない。等しく無価値だ。価値が出るとすれば、それは値札がついて売れるからだろう。それ以外に価値を求めるのが間違いだ。
 図々しい連中だ。
 綺麗事を口にしていれば、私の作品が売れないという圧倒的不条理すらも「良い出来事」であるかのように語られる。冗談じゃない。
 良い事など何も無かった。
 金があって初めて、それを得られるのだ。
 そこを曲げられてたまるか。
 場所が何であれ、どういう用件であれ、背後関係が何であれ、私には関係ない。ここが地下五階のダンジョンで依頼人がアンドロイドではなく、魔術師だったとしても同じ事だ。「肩書き」などどうでもいい。そこに実利さえあれば。
 肝要なのは「私」がどうなるかだ。
 私の実利が、と言っても良い。
「その割には、君の物語には私情が混じっている気がしてならない。世界に対する「憎しみ」の、物語だ」
「憎しみだと?」
 私ほど私怨から縁遠い存在もいないと思うが。私は実利や保身の為戦っている。そこらの主人公のように感情では戦わない。なんて、作品を綴る事を「戦い」に変換するなど、我ながらどうかしているな、まったく。
 壮年の紳士は告げる。
「そうだ。世界の理不尽、世界の摂理、世界に対して誰であれ持ち得る根源的な恐怖だ。いや、この場合恐怖と言うよりも、生きる上での障害だと捉えるべきか。私は多くの人間、アンドロイド、それ以外の何かを見てきたが、皆同じだよ。恐れるモノはわかりやすい。何せ何者であれ心がある以上、君や私とは違い人間が諦めてしまうモノ、誰かというわかりやすいモノではなく、世界全体という「仕組みそのもの」に対して、無力感を抱くからだ」
「摂理だの因果だのの話か。そんなのは金で」
 どうとでもなる、と言おうとしたが、遮られ、壮年の紳士はこう答える。
「それは不可能だ。君や私のような因果の例外でない限り、内側にいる存在はどれだけ栄華を極めようが、壮絶な勝利を収めようが、その内側にいる連中には「仕組み」を克服することはできないのだよ。それが出来るのは君や私だけだ。人間世界の仕組みの中に生きていない存在だけが、それらを克服できる」
「酔狂な話だ」
 実際、どうなのだろう。人間社会を引っ張る資格が、人間社会の内側ではなく外側にこそあるとすれば、皮肉なことに人類社会を引っ張ってきたのは誰も彼もが「非人間」私と同じかそれ以上の埒外という事だろうか。
 少なくとも私にはそんな能力はないが。仕組みを克服できないからこそ、私は金が欲しいのだ。資本主義を克服したところで、生活は豊かにならないしな。仮に自然に溶け込んだところで、私は気高く生きたいのではなく楽に充足して生きたいのだ。文化を否定しては元も子もない。
「君の物語はそれを突いていて実に面白い。何せ人間の弱点を綴っている訳だからね」
「・・・・・・・・・・・・貴様は何故「例外」なのだ」
 私はともかくとして、壮年の紳士にはそこまでの異常性、いや精神性はかなり異常だが、そこまで・・・・・・仕組みから外れる程なのか?
「貴様は、何者だ?」
 実に陳腐な台詞だが、聞かされるのは聞き苦しいが、口にする分には楽なので良いものだ。 
 私は語り手であって、主役ではないしな。
 読者共の感動など、知るか。
「一番最初のアンドロイド、それが「私」だよ」 私と同じだとは思わないし思うつもりもないが・・・・・・不気味なくらい壮年の紳士は人間でもアンドロイドでも怪物でもあり得ない、それはただ、「笑顔であるから笑顔である」とでも形容すべき実に得体の知れない笑顔だった。
 
 

   6

 地獄も天国も使い捨てれば良い。
 どちらもどこにでもあり、使い捨てるものだ。私にとって世界に馴染むことが出来るか、というのは金の力で解決できる。馴染まないなら馴染ませれば良い。何、他者に物事を強要するなど良くある事ではないか。私はそれを世界全体で行うだけだ。運命論的に語れば、過程が「金」なだけでって、実際には同じ事だろう。それが金かそうでないかの違いでしかない。同じような苦労を体験し同じような苦労をするのだろう。それならば、金で行うに越した事はない。
 私のように開き直れる輩は珍しいらしく、壮年の紳士、いやそもそもこの男が人間かわかったものではないが、しかしだ。そんな例外でさえ、私のようには振る舞えないらしい。奇妙な話ではある・・・・・・もっと多ければ面白いのだが。
 
 私はそこに在るだけの「存在悪」だ。
 
 人間の社会が存在する限り、必ず発生する。人間の目を背ける部分、人間が知る事を拒否する部分、人間が認められない部分。これだけ聞くと何だか昔話の物の怪みたいで不本意だが、要はそれらを受け入れつつそれらを自認し、それらを知った上で笑う存在。これは必ず「発生」するのだ。 世界を小綺麗に飾ったところで、世界から悪が消える事は無い。消えずに一カ所に集まりきり、それを体現するのは当然だろう。元より人間性、など無い身だ。それに必要な器が私だっただけだ・・・・・・何一つとして不思議はない。
 問題があるとすれば、金だ。
 金、金、金だ。
 あの女は私に「人間の幸福」を教え込もうと躍起になっているが、しかし違うのだ。人間でない存在に、それは押しつけがましいだけだ。感じ入れたところで意味がない。それは己自身を否定し今までの労力を無価値だと断ずるものだ。そうでなくとも金にならねば意味も価値もないのだが、自分からそれを叫ぶほど愚かではない。
 だが、目の前の紳士はそうではなかった。
 たかが「孤独」に負けたのか? それとも憧れや羨望でもあるのだろうか? いずれにせよ興味深い。面白くはある。
 緑の紳士、彼の名前はグラン、と言うそうだ。髭だけ見ていれば老人にしか見えないが、顔はそれなりに整っているので変わらず「壮年の紳士」とでも覚えておくとしよう。
「貴様はアンドロイドだと聞いているが、だからそんなひねくれた考えなのか?」
「そうでもないさ」
 言って、グランは酒をつぎ「飲むか」と進めてくる。無論私は断った。アルコールを体に流して何が面白いのか感じ入れないし、私が酔う訳もないのだ。そんな安直な精神性なら、こんな無駄な労力はかからなかっただろう。
「アンドロイドは人間に迫ろうとしている。なればこそ「人間らしさ」に拘るのだ。むしろ、彼らほど純真な生き物はいないだろうな」
「貴様を見ていると説得力がないな」
 人間性の素晴らしさ、勇気や愛情、勝利や友情について語る私ほどには胡散臭いだろう。言っていて吐き気がしてきた。
「言ってくれるな「先生」よ。私は「一番最初のアンドロイド」なのだ」 
 一番最初?
 初期型のアンドロイド、という事か?
「いいや、そうではない。文字通り、私はアンドロイドとして、人間に並び立つ存在として最初に作られたのだ」
「・・・・・・いつの時代の話だ」
 アンドロイドは有機体だ。しかし人間の手で作り出すが故に、人間よりも不完全だ。今では人間以上のアンドロイドも結構いるが、当時の技術であれば並び立つ存在を作り上げるだけで、国家予算規模の金がいる。
 生命に関わるものに金は必要不可欠だ。医者であれ薬であれ、金があれば長生きできる。長生きするだけでは植物と変わらないがな。
「私は初期型アンドロイドだからな。つぎはぎではあるが、今ほど有機体の部分も必要ない。何より私は現行のアンドロイドのように「有機物質で出来た脳」を持っているのではなく、あくまでもプログラムとしての人格を付与されている」
「自我のある人工知能か? ありきたりだ」
「違うぞ、君もわかっているだろう。私は人間性を獲得していない。君と同じだよ、先生。人間を模倣し真似ることで人間のように振る舞いつつもその実体は人間ではない。外側はほぼ完全に人間の感情、思想、誇り、愛も友情も全て理解はしているが、君も同じだろう? 何一つ感じ入らない・・・・・・何故なら我々には、本質的な部分で「心」がないからだ」
 心がなければ感情など無い。当然だろう。そもそもが私は人間社会にたまたまいるが、エイリアンの社会であればそれに合わせただろう。そういう意味では宇宙人以上にあらゆる生物にとって、理解し難い存在だろう。その存在そのものである私が言うのも奇妙だが。
「それがどうした? 心の有る無しなど、金の有る無しに比べれば些細なことだ」
 正直心の底からそう思う。私の心は紛い物なので、社会通念に従ってとでも言い直そうか。
 どちらにしたところで同じ事だが。
 金の残高に比べれば、心などどうでもいい。  心の無い私であれば、尚更だ。
「だが、君も私も心がなくとも「精神」は宿る。奇妙な話だ。人間性を望まれたアンドロイドが、人間性を感じ入れずにいる一方で、君のように、人間と同じ生命体でありながら、見た目を除けば全てが人間性からかけ離れている存在がある」
「・・・・・・・・・・・・」
 私はどうでもいいが、少なくともこの紳士にはどうでもよくないらしい。作品のネタになればいいのだが、その思想は聞くに値するだろう。
「それが、どう今回の依頼に繋がるのだ。惑星を落とす、などと大層な依頼だが、しかし同族を滅ぼして良いのか?」
 グランはくつくつと笑い、答えた。
「私の同胞がいるとすれば、それは君だろうな。いや違うのか・・・・・・私は同胞でこそ無いが、アンドロイド達を気遣って今回の依頼を思った。対して君は正真正銘一人だけだ。気になるから聞くがどうして、そんな孤独に耐えられる? まさか、耐える姿が格好良いとでも思っているのか?」
 馬鹿馬鹿しい話にシフトしてきたが、これも仕事だと思おう。作品のネタになるかもしれないではないか。売る見通しはどの道まだ無いのだが。「耐えた事などないよ。むしろ、己自身を肯定し続けたからこそ、私はこうなのだ。貴様のようにほんの小さな「人間性」が私にあれば、今の貴様のように混じれない己を恥じたかもしれないが、そんな可能性すらないからこそ、私は化け物足り得ているのだ。この「私」という精神性である以上、陳腐な言い回しであれば私が私である限り、私にはそういう「人間の悩み」は無縁だ」
 強いて言えば金の残高に関してはその限りではないが、黙っておくとしよう。悩みと言うよりは生きる上で決めた「己の基準」だからな。
 面白いから構わないが。
 構うのは金に物語が成っていない事だ。
「そうか、そういう考え方もあるのか」
「無いさ。私のような在り方は、貴様の様な半端者が目指すべきではない。そちらに留まっているなら、そのままでいる方が幸せだろう」
 最初から化け物である私には共感し難い話だが・・・・・・人間は化け物の思想に発狂するものだ。
「それで、惑星を落とす理由は何だ」
 方法に関しては後々考えたり依頼人から方策を聞いたりするしかないが、とりあえず作家としてそれだけは聞いておこう。
 その結果、私は落胆する事になるのだが。
「そんなのは、決まっているとも」
 「皆の為」だと、臆面もなく、最初のアンドロイドは言い放つのだった。
 
 
 
    7
 
 
 
 誰かの為に何かをする。
 この言い訳があれば人を殺しても良いらしい。 羨ましい話だ。そういう輩に限ってそれだけの権威や権力を持っているのだから、あるいはそれを押し通す暴力か。楽で羨ましい話だ。
 政治的に優遇されているアンドロイドの統治するこの惑星では、人間は奴隷に落ちている。無論ここでは合法だ。それを可能にするだけの金と人脈がアンドロイドにはある。
 だが、彼に言わせれば、敗北を知らず限定的ではあるが人間を支配するに至った彼らは、酷く危うい。敗北の味を教えてやらねばならないと、義侠心みたいなモノを刺激するのに十分だった。
 人間性に焦がれつつ、人間性を否定し、その上で人間の善意もどきで他者を殺すとは、何とも醜悪な生物、いや人間だ。
 彼自身気づいていないのかもしれないが、その浅ましい人間性を利用されている。あの女が関わるとはそういう事だ。世界のバランスとやらの為に、あの壮年の紳士グランは、丁度良かったのだろう。その結果、無様な理念で最初のアンドロイドとやらが後悔しようが、私には関係あるまい。 やれやれ、参った。やはり人間性など持つべきではない。頭の悪い勘違いで破滅に向かうだけではないか。私のような化け物を、少しは見習え。 他者を踏みつけにする現実を見ろ。
 その善意は心地の良い己の都合でしかない。
 自覚せずに私に押しつけるな、迷惑だ。
 グランは長々と、このままではアンドロイド全体の成長が失われるだの何だのと呟いていたが、そんなのは意味の無い事なのだ。
 確かに、アンドロイドという種族の未来を考えれば、この惑星は度し難いだろう。幾らか外を回ってみたが、公然と人間は売られており、アンドロイド優位の法廷が開かれ、殺人罪は人間のみに適用される。
 大昔の、いや現代でもそうだが、まるで人間社会そのものではないか。
 だからといってそれらしい哀れみで行動するのはただ愚かしいだけだ。勝手に期待して勝手に失望して勝手に哀れみ「皆の為だから仕方ない」とほざく。馬鹿馬鹿しい。どこまで愚かなのだ。だいたい、人間などどうせ山ほどいるのだから、この惑星分位、およそ数百万人程度の奴隷など、別にアンドロイドが何もしなくとも自然発生するだろう。公然と「奴隷」だと言われているかどうかの違いでしかない。時には労働力として、時には権威や立場を使い、人間は他者を奴隷に出来る。 よくある話ではないか。
 奴隷制度など、実質的には一度もなくなった事など無い。それを認識するかどうかだ。社会がある以上人間には格差が発生するというのに、そこに「平等」だの「権利」だのを主張するアンドロイド達は、現実が見えていない。
 そんなモノは存在しない。
 金で押し通せるかどうか、ただそれだけだ。  自身の中に自由を置きたいならば、他者にそれを肩代わりして貰うしかない。現実問題、もし、そんな「平等」や「自由」があるとすれば、それは「不自由」や「屈辱」を誰かに押しつけるからこそ、成り立つのだ。誰かを踏み台にして知らん顔をしていればいい。実際、そういう人間が多いからこそ、人間社会は成り立つのだ。
 それはアンドロイドでも同じだ。
 社会性、というのは不自由や苦痛を、どこに押しつけるかという話でもある。社会全体に利益をもたらしたいなら、下に押しつけるしかない。誰か個人の幸福を考えるならば、その他大勢の社会構成員全てを生け贄にするのだ。世界に幸福の席は限られており、それらを略奪したところで天罰など誰も落とさず、またそうしなければ幸福などあり得ない。たかがその程度の「真実」ですらも「人間性」というフィルターを通せば努力とか友情とか信念とかで、何とかするべきだと己自身を誤魔化せるのだろうが。
 真面目に生きている私からすれば、そんな綺麗事で満足できるというのは楽で羨ましい。綺麗事を口にするだけの「余裕」があるからだ。
 必死に生きる輩はそんな事を口にしないだろう・・・・・・ただ淡々と「事実」を見据えるだけだ。
 見据えたところで、運不運だの持つか持たないかなどという、つまらない事柄で勝敗は決まってしまうので、それもまた無意味だが。
 ・・・・・・こんな最悪の思想だからこそ、私は死を恐れる事が出来ないのかもしれない。
 死を恐れないと言えば聞こえは良いが、逆だ。作品のデータくらいしか、私には執着すべき事柄が存在しない。私個人が死ぬ事に対して、何かを感じる訳ではないのだ。作品のデータは二度と書けないし書きたくもないからそう思うが、しかし言ってしまえばあの世に作品のデータが持ち込めるならば、今死しても別に構わない。無論、それなりの生活基準があるならば、だが。
 そんな存在を生きているとは呼べまい。
 勿論精神的にはこの上なく充足している。そういうのは得意だ。だが、それだけでは足りない、という可能性もある。
 連中の「人間性」など調子の良い言い訳でしかないが、それとは別に私が求めるに値する何かがあるかもしれない。あくまで可能性の話だが。
 あの老人曰く「可能性」というのは「困難」の中からこそ発生するのだそうだ。理屈はわかる。種族全体が満たされている状態では「進化」や、「成長」はあり得ない。・・・・・・だからといって、その可能性の為に苦難や苦痛を敷くのではまさに神様気取りだと言える。まあ、神がいたとして、別に「神である」という理由で誰かを虐げる権利がある訳ではないのだが、実際にそれを実行できる権利を持つ輩からすれば、関係ないだろう。
 何であれ、同じ事だ。
 肩書きや種族は変われど、それがどうだというのか・・・・・・ゲームの職業みたいなものだ。役割を果たさなければどのようなそしりも免れない。しかし現実には役割が大層であれば大層であるほど「役割を放棄する」事を誰も咎められず、責任を負うのは下っ端になるというのだから、その程度の役割など、子供の遊びと変わるまい。
 世の中とはそういうものだ。
 それが見えていないのだろう。
 見えていないからこそ「大儀」に出来そうな餌がちらついただけで、あの紳士は正義感もどきに酔っぱらいたかっただけだろう。
 正義だの倫理だの道徳だの、そういう中身のないカス程、人間を、いや人間でなくとも「正しい理の中にいる」という気分にさせてくれる。例えその行いの結果何人死のうが、その結末すらも正しい行いの為犠牲に、いや、むしろ正しい結末だと、死んで当然だと言うのだろう。
 惑星が落とされても、尚そう言うのだ。
 成長というならそれこそ成長しないまま来ているからこそ、そんな発想が出るのだ。精神の成長などどうでもいいが、もし仮に、それを意図的に行うのだとすれば、戦争が必要だろう。
 何万人何億人何兆人か、とにかく大勢の人間が死ねば熱が冷め、「自分達は何をしていたんだ」と今更になって反省するものだ。それに、今まで散々楽しみながら人を殺してきた連中が急に現実味を帯びて世界を見る事で、心底絶望してしまう様は、見ていて楽しいしな。私は個体かもしれないが、人類は総体だ。どうしたところで流される奴は多いし流されて物事を決める。一度ガス抜きをするしかない。具体的に言うと、洒落にならない位の「後悔」を刻みつけることだろう。そうすれば絶望しながら「何故自分達はこんな事を」とか言いながら反省する。反省したところで忘れれば同じ事をするのだから、何の成長も及ぼしていないのかもしれないが。
 精神の成長など、ただの錯覚だ。
 そんな偉業を成した奴がいるのなら、私の前に連れてこい・・・・・・こき下ろしてやる。
 私は列車の中でソファに寄りかかっていた。アンドロイドだと戸籍を変えるだけで、それなりのシートを用意してくれるのだから有り難い。ちなみに人間は奴隷として後部車両で牢に入れられているのだそうだ。私がアンドロイドではないのは確かだが、人間でも無いのだとすれば、案外何もせずともこちらの椅子に座れたかもしれない。
 よくやるものだ。実際「奴隷」だとか「階級」というのは「劣等感の裏返し」なのだ。何かしら形のある権威がないと落ち着かないし、落ち着くことが出来ない。精神の未熟さと言えばそれまでだが、私が思うにそれだけではないだろう。昔のファラオなんて奴隷制度を利用した上で、わかりやすく権威を示し政治基盤を固め、理解した上で国家を運営したのではないだろうか。そうでもなければピラミッドなど造れまい。
 そうでなければ国が沈んだかもしれない。
 だが、現代社会では違うと断言できる。そんな大層な輩はいない。「平等な民主主義」などという妄想を貫こうとしたからこそ、実際的には歴史史上かつてない程の規模で「奴隷量産」が行われているのだ。それは金の力で行われると言うよりも、それらの所行を「おおっぴらに行うことが出来る」社会形態を作り上げたが故だろう。
 実際に口に出して「貴様は奴隷だ」と言わずとも、実際に奴隷として扱えば良い。表面的には、大切な仲間だと歌いながら、他者を食い物にして金を稼げば良い。この社会はそれらを容認することで発展を遂げたのだ。
 公言しなければ何をしても良い世界。
 全体主義の成れの果てか。
 実際「持つ側」にいる存在は、自分達のルールを適用できる。例えそれらが法律に反していようとも、咎める輩などいない。持たざると言うだけで現代社会では彼らの奴隷だ。奴隷が主人に何を言ったところで、無駄だろう。
 主を切り捨てたところで、世界全体がそうなのだから無駄な労力だ。だからこそ私は金が必要だ・・・・・・まるで売れてないがな。
 やれやれ、参った。
 振り出しに戻っただけではないか。
 意外かもしれないが「皆の為」という理由で、戦争を起こす輩は珍しくもない。為政者、人の上に立つという自負があれば、あの老人の様に戦争を起こしてでも「社会全体の利益」を出そうとするのだ。もっとも、実際に俯瞰して見ているのではなく、身勝手な責任感から眺めているだけで、社会全体を本当の意味で率いる輩など、最近はまるで見ないが。
 あの老人もそうだ。
 社会全体の為という行動理由の割には、あの男が求めているのは「社会を救った」という己自身の満足感だ。私のように自己満足ですませるなら良いのだが、実際に自身を「正義」だと思いこんでいる輩は始末に負えない。
 権力者などそういうものだ、というのは違う。大昔であれば「全体が生き延びる為」に上に立つ存在には大いなる責任があった。それを果たさなければ滅んだだろう。だが、現代社会では責任を果たせなくとも死なないし、下を弾圧することで責任から逃れられる。
 果たさなくても良い責任のある職務など、誰が全うするだろうか。
 しない。断言する、無い。
 アンドロイドもその辺り学習しない。己の役割に責務を感じないようでは成長は無いだろう。そも「アンドロイドだから」と言い訳している時点でまだまだだ。何であれ同じだ。その役割を世界に認めさせる事が、確固たる生きる指針なのだ。 それを果たさなくても良いのだから、羨ましい限りだ。楽そうで。私もあやかりたい。実際、そんなものを果たしたところで得られるモノなど、何一つ無い。札束の方が幾らか有用だろう。期待する価値の無い世界に期待するよりは、目先の金を稼いだ方が現実的だ。
 だがあの老紳士はこう言った。
「誇りは君からすれば無価値なモノに見えるだろう。だがね長く生きたからこそ、私にはわかるのだ・・・・・・人の一生など、短いものだ。生きてしまえばこの世界に望むものなど何もない。いや、もし仮に望むとすれば、それは「何かを残したい」という「願い」だ」
「残したところで何になる? 凡俗共に偉人だとでもほめそやされたいのか?」
「何かを残すということは、生きた証を後生に伝える、ということだ。君の物語然り、私ならば、それは私と同じ同族達の未来を作る事なのだ」
「その未来がどうなるかなど、誰にもわかるまい・・・・・・いや、そもそもだ。貴様の行いで何人死ぬかわかっているだろう。後々の為にはなっても、この今の瞬間に生きている連中からすれば、恨まれるだけだ」
 実際には惑星を落とすのは私だが、関係なかろう。実行犯かどうかなど、その責任には関係のない話だ。
「・・・・・・そうだろうな。私は破戒者として、名を残すことになるだろう」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、それでもだ。誇りに賭けて私は引き下がる事は出来ない。例え私がアンドロイドでも、生物ですらなくとも、私という全存在の在り方を、否定する事はできない。誇りとは「生きようとする意志」なのだ。生きているから生きるのではない・・・・・・生きようとして成し遂げるからこそ、人はそれを「生き様」として感じ取る。後の世代までそれを伝える事こそが、唯一他者の為に出来る行いなのだ」
 誇り高くあれ、とでも考えているらしい。理解は出来るがそれこそ絶対に共感したくない。出来ないのではなく、したくもない。
 理想を歌うのは勝手だ。しかし、理想とは現実に即していないからこそ、理想と呼ぶのだ。
 私はこの現実を生きている。金こそが全ての、この世界で。それを真面目に生きている私からすれば、現実逃避も良いところだ。それが誇りだと言うならば、私は誇りなどいらない。誇り高かくあり人間らしさを求めて、だから貧相な暮らしで満足しろと言うのは、あまりに身勝手だ。
 そんなのは御免だ。
 崇高さの為に、押しつけられたくはない。
 それは、私の労力を否定する行為だからだ。
 そんな事をつらつらと考えながら、私は移動中の列車内部で、ソファに腰掛けながら携帯端末を開いていた。無論、これから向かう先の施設についての情報を参照しているのだ。あらゆるインフラ施設がこの惑星では一点に集中しており、アンドロイド達にとってもっとも重要な施設、病院もそこにしかないようだ。
「アンドロイドが駐車でもするのかい?」
 ひざびさに口を開いたジャックに、私はしぶしぶ答えてやることにした。
「なら聞くが、アンドロイドどもにとって、最も厄介な「敵」は何だと思う?」
「そうさな、最新型のロボット兵器とかか?」
 発想が貧困な奴だ。知識の量と発想の飛躍は因果関係に無いということかもしれない。
「違う。「ウィルス」だ。最新型のウィルスが厄介であるのは人間でも同じだが、しかし連中の場合雛形さえ作れれば、誰でも無尽蔵に散布することが可能だ。私なら、健康診断アプリや定期検診の際に感染させたり、いっそ免許証の更新のような「誰もが行わなければならない儀式」に便乗して感染させれば、一瞬で惑星を落とす事も、可能だろうな」
 今回の件が物理的に落とせ、という事なのか、それともそういう方策でも良いのかはまだ聞かされていないが、後々あの老人から指示くらいは出るかもしれないし、施設を観察してから考えれば良いことだ。実際、物理的に惑星を落とす事も、手順さえ間違えなければそう難しくもない。
 大きな力はそれだけでも強大なものだが、しかし強大であるが故に管理が甘くなる。そこを突けば良いだけの話だ。
「とりあえずは施設に向かえと言われたが、依頼人の主義を無理に汲んでやる義理もないしな。可能なら、それもまたいいだろう。金で雇われているだけで、私は連中の部下でも何でもないのだからな」
 自分で言っていて思うのだが、金で思想は縛れないということか。金で雇ったからと自身の絶対性を誤認する輩が多いが、実際には金は道具であり、万能の力がそれそのものにある訳ではない。その可能性があるだけだ。と、いうよりも、扱い方次第で万能であると言うべきか。
 何でも良いがな。
 金で他者を縛るつもりなど、私にはない。しかし誰かに縛られるのは御免だ。
 己の人生は己で買うべきだ。
 それが「私」ならば、尚更だろう。
「これもまたデジタル社会の弊害とでも言えば良いのか・・・・・・デジタル技術は「管理」に優れているが、優れているが故に「一点集中」しすぎる」「先生みたいな奴がいないとも、限らないしな」「大きなお世話だ。大体が私には大それた能力はないし、思想以外は極々平凡な一般市民だ」
「・・・・・・・・・・・・思想が平凡でないから、平凡ではないんじゃないのか?」
「逆だ。思想など、誰であれどうとでもなる。むしろ覆せない能力の方が、社会からすれば驚異になるだろう。個人の思想が世界を覆すのは虚構の世界でだけで、実際にそれが力を発揮した事は、歴史上一度も無い。思想という肩書きで、大きな暴力を振るっていただけだ。意志や信念で何かが覆る事が無い以上、世界にとって重要視するべきは「能力」だけだ。貴様等の言い分であれば天才だのという連中だ」
「確かに、天才は能力は大きいが、その分先生みたいな精神性は持てないだろう」
「だから?」
「いやいや、先生自身理解しているだろう。天才は能力こそ驚異だが、その才能を利用される宿命だ。利用される以外の道を、大抵の場合切り開く発想さえ無いからな。それに、そんな発想を持てるなら「天才」などと呼ばれないだろうし」
「持つ奴はいるさ。天才を扱うのもまた、一つの才能ではあるが・・・・・・エジソンみたいに持つ側にいる奴が多いな。実際には持たざる輩が持つ輩を扱う、というのは前提からして間違えている。そもそも扱う所まで行くのに、ある程度持っていなければならない。幾つかの条件が必要だ」
 まず、仕組みを理解せねばならない。そして、扱うに足る天才を発掘せねばならない。そして、それらを実行する仕組みを作り上げねばならないのだ。やってはみたものの「天才」を語る輩が多すぎて、何が何やらだ。そもそもが「運」の要素が絡む事に関しては、私は勝利した試しがない。「いやいや、俺を使ってるじゃないか」
「金にならねば意味があるまい」
 いっそ、天才を発掘する仕組み作りでも考えようか? しかし、物語を売るのに必要な天才とくれば「編集者」としての才能を持つ輩だろうが、そんな奴は探しても探してもいる筈がなかった。そもそもが売れれば良いのだ。とりあえず流行に乗った面白そうな作品を、資金は全て作家に負担させて売れれば安い印税でこき使おう、などと、安易な発想しかない馬鹿に、期待する何かなどあるはずがない。
 食料品の仲介業みたいなものだ。とりあえず、その美味しい思いが出来る「立場」にさえいれば誰でも出来る流れ作業だ。問題は、そういう達位置に座れる奴に限ってゴミしかいない事だろう。そこに座れれば苦労しない。
 大抵、それらは極度に「幸運」な輩が座るものだからだ。極度の幸運の結果、使いすぎて破滅する奴も多いが、それはそれだ。
 何でも、感覚が麻痺するのだとか。毎日毎日、酒と女と食い物を浴びていれば当たり前の気もするが・・・・・・贅沢とやらも、人間には過剰供給されるとショック症状を起こすのだ。曰く「生きている実感がわからない」という、馬鹿な子供の様な持つ側特有の悩みをな。
 忌々しい話だ。
 だから、今まで持つ側にいた事すらも、チャラになっていると思いこんでいるのだ。ふざけた話だ・・・・・・こちらはやることをやり終えてその報酬すら受け取れないというのに、何もせずに貰うだけ貰っておきながら、少しばかり酷い目を見れば精算されるとは。
 何だ、それは。
 馬鹿馬鹿しいほど傑作だ。幸運の思し召しで、美味しい思いをしておきながら、その分の苦労もあったんだよ、などと・・・・・・仮にその反動で酷い目とやらにあったとして、だから何だ。幸運の力で美味しい思いをしている事実は消えまい。土台からあれこれ計画を練っている身からすれば、馬鹿馬鹿しい限りだ。そもそもが、幸運の反動と言うよりは、ただ無作為な行動の結末ではないか。 それに、それらの幸運を活かしたまま終わる奴も多い。結局の所それだ。運不運など、どうしろというのか。どうにもならないと承知の上で覆そうとしてきたが、それももう見切りを付けている・・・・・・無駄だからな。 
 思えば、無駄な事を繰り返したものだ。
 信念や意志ではなく、むしろ「意地」だろうか・・・・・・いや、ただ単に、諦めが悪かっただけか。運不運で全てが終わり、などという頭の悪い回答が世界の真実だと、認める気分にはならなかったが、それもやはり無駄だった。
 疲れただけだ。
 それ以外に、得る何かなど、なかった。
 私自身がそれを証明したのだから、間違いあるまい。言っても仕方がないが。これからは精々、適当にやるとしよう。
 そうは言っても私は既に「生き方」として、作家としてのあり方を固定してしまっているので、そうできたら良い程度の願望でしかないが。良く「ただ意味もなく売れた」人間の話を聞くが、私は連中のような安易な成功を否定はしない。要はその安易で安直な成功を活かし切れていないだけなのだ。稼ぐだけ稼いで身を引けば良い。それでも私のように「生き方として」行うべきだと、失敗してからそういう言葉を吐く元成功者はいるのだが、冗談じゃない。実際にやってみればわかるが、崇高さみたいなモノは、実際に行動していないからこそ出る台詞だ。実際に生き苦しい思いをしながら前へ進む存在からすれば、安易だろうが何だろうが金がある方が良いに決まっている。
 幸運を無駄遣いしている馬鹿共が、知った様な口を効いているだけではないか。
 そんな言葉に聞く価値は無い。
 無論、わたしとて言葉に価値が欲しい訳ではない・・・・・・誰かに認められたい訳ではないのだ。そもそも、私に認められたい相手などいない。
 そんな些末事はどうでもいい。
 金だ、金。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活を、それなりに充足して過ごす。その為の作家業であり、あくまで手段なのだ。私個人の自己満足による充足が得られれば、それでいい。そしてそれを実現するには金が必要だ。
 そういう意味では、私は物語の評価や、それが及ぼす影響に、正直何の興味もない。物語が何を成すのかは、作家当人には関係ないことだ。私が作り上げた作品ではあるが、それだけだ。己自身で書き上げた作品なのでそこに自己満足の誇りや満足感を得られれば良いのであって、無論作品に手を抜いたりはしないし書くべき事を面白く書き上げるのだが、それは私個人の手段であって、その結末がどうなるかなど私には関係がない。
 売れればそれでいい。
 良く、子供の悪ふざけみたいな作品が多くの分野で売り上げを上げているが、何ならそれでも良いくらいだ。歌も音楽も芸術も芸能も一過性のゴミ以下の作品の方が、よく売れる。それは流行であったり空気感であったり、そんな程度のものだ・・・・・・無論、その程度のモノに、中身など存在しないし、私のように「伝えるべきを伝える」という思想も、無いだろう。
 それでも、売れる。
 金になる。
 伝えるべきを書いたところで、売れなければ同じ事ではないか。安易だろうが安直だろうが、私はそれを良い事だとは思いたくない。私は今まで書いてきた物語に対して、いつも思う。「書くべき事は書いた」と。しかしそれが何だ。
自己満足ならば余所でやればいい。
 思想や信念は何の力も無い。成功しなければ、全ては水泡と変わるまい。
 何もしていないのと、同じだ。
「それは違うぜ、先生」
 何だろう。私の周囲の連中は理想主義者ばかりなのだろうか? 確固とした事実としか、私には思えないのだが。
「そうでもないさ。やることをやっている以上、そこに後悔は生まれないし、「自分の道」を歩いていける」
「歩いたから何だと言うのだ」
「いや、先生みたいに自分を信じられる人間は、少数派なんだぜ? 自分が何の為に生きているのか、わからずに自分探しをする奴も多い」
 自分を信じられる事はそれだけで「幸福」なのさ、とジャックは言った。
「・・・・・・持つ側特有の悩みだな。「生きている意味が分からない」だと? 当たり前だろう。それは生きながらにして見つけだす、いや己自身の手で作り上げるものだ。何もしなくても恵まれていて、その癖余裕が有り余って 存在意義を求めるのは、ただ単に愚鈍なだけではないか」
「そうかもしれないが、誰もが先生みたいに生きられる訳でも、ないんだろう?」
「いいや、違う。それこそ言い訳だ。持つ側に生まれ持つ事に怠けた結果だ。それを自分では何もしなかったカスが、順風満帆なくせに甘えた事を抜かしているだけだ。そもそもが、己自身の道を作り上げる事は、全ての生命の義務だ。それが出来ないなら死ね。やろうともしていないくせに、知った口を効くな。否定もされずに賞賛されたいなどど、頂点を目指す気概も無い癖にそれも個性だなどと抜かす愚か者は、生きる資格など無い」 持つ側の悩み、と言ったが間違いだ。悩みですら無い。今まで通して来た我が儘が、偶々通じなかったときに甘えた事を口にしているだけだ。
 ふざけるな、と思う一方で、そういう連中が、ただ「幸運」だったり「持つ側」であるというだけの理由で成功したりする事を考えると、生きる資格の無い馬鹿でも、幸運さえあれば幸せになれるらしいと思う。
 それを理不尽と呼ぶのだろう。
 世の中その程度だ。
「ふん・・・・・・大体だな、貴様が今言ったような台詞を、私はテレビ以外で聞く機会を知らない。大抵の場合情報はデジタル世界から流れ込んでくるが、そこにあるのは「成功者の情報」だけだ。そして、最初から持つ側だった存在だけだ。ただ、幸運だから、持つ側だから成功したカスが、世界の真理を語りそれを鵜呑みにする。実際には確たる理由も何も無いのだが、成功した輩というのはそれが「自分の能力」だと思いこみたがるからな・・・・・・結果、貴様の言う様な「中身の無い戯言」が溢れる訳だ」
「先生みたいな生き方を、誰でも出来ると?」
「当然だろう。役割が定められていた時代なら、作家はいたか知らないが、店一つとっても代わりの効かない商売だったろう。モノが溢れ、役割が溢れ、役割そのものよりも金が重要視され、中身のないサービスの方が金になり、私のように役割を果たそうとすれば無駄に終わる。座る席が溢れていると言うよりは、座る席など誰も必要としなくなっているのだ。座ったところで、それを活かす社会ではとうにない。人間が余っている分他者を食い物にすることで幸せになれる方程式が、一般的なモノとして広まっているからだ」
 それらしければ何でも良いのだ。文字通り、何でもだ。歌は昔のヒット局をアイドルに歌わせれば良いし、絵画はコンテストで金賞を取らせれば良い。料理は星の数を増やせば良いし、映画はそれなりに既に売れている作品を実写化すれば良いだけだ。それが傑作である必要はない。人気のある俳優を起用すれば良い。誰も作品の出来を気にしない。内容よりも人気俳優の顔の方が大事だろうしな。
 車はエコと見た目に気を配っていれば、壊れやすくても良いだろう。安くて走ればそれで良い。テーマパークは派手さが大事だ。最新科学で人気キャラクターを流せば良い。席を多めに、金を回収できるシステム作りが肝要だ。
 結果があればそれでいい。
 問題なのは、その癖私のような存在に「過程」を押しつける事だろう。実際、中身のある物語を私が書いているとして、だから何だと言うのか。 表紙を見て流行に流され買うだけ買ってしまえばそれでいいのだ。印税が入り金になれば、それで売れっ子作家ではないか。
 実際、そういう奴は多い。
 作家になりたい、などと抜かす意味不明な人種もいるらしいが、何なら白紙の本を作り、それを売れば良い。それで作家だ。ちやほやされたいから目指す奴の方が多いのだろうが、それなら作家でなくとも構うまい。金で他者を買ってちやほやされたいなら、酒でも飲みに行け。
 問題は売れるかどうかなのだ。
 即ち、実利だ。
「真贋など誰も必要としていない。それこそ嘘八百だ。本質よりも薄い上っ面だ。それは、今までの人類が積み上げた社会の事実だろう」
「そうなのかい? 俺が見る限り、本質、というか自分の生き方を貫いた人間こそが、歴史を変えてきたらしいが」
「変えただけだ。何も後生には伝わっていない」 それらを知って感心するだけだ。何も学ばないし成長しない。そんなものだ。
「そうは思えないけどな」
「どう思おうが自由だ。しかし、確かなのは現実問題売れない物語など、作者にとっては忌々しいだけだという事実だ」 
 やれやれ、参った。私は何を話しているのか。 これこそ時間の無駄だ。
「それに、貴様等の言う「過程」を重要視するにしても、私にはまだ足りていない」
「何がだい? 先生は作家として足りていないものなんてあるのか?」
「作家としてではなく、ただのこだわりだ。ジャック、貴様は私の事を良く「恐怖そのもの」だと評しているな」
「今でもそう思うぜ。先生には何の容赦もない。何の躊躇もない。人間性に訴えて倒す事すら、至難だろう。俺はこれ以上の化け物を知らないね」「・・・・・・それでは意味があるまい。私は化け物だと評されたい訳ではないのだ。むしろ、逆・・・・・・「恐怖そのもの」を観察する立場に立ち、傑作として書き上げ、形にする事で自己満足の充足を得るのだ」
「その辺の自覚がある部分がまさに「最悪」だと思うが・・・・・・つまり、先生に匹敵する「悪」を、取材したいと言うことか?」
「その通りだ。私など足下にも及ばない輩を取材し作品に練り込み、読者共に売りつける・・・・・・・何か不満でもあるのか?」
「いや、別に」
 私など世界全体で見ればまだまだの筈だ。これ以上最悪な輩がいるのか保証はないが、まあもし探し出せないようなら作り上げれば良い。などと考えている時点で、私こそが「最悪」な気もするが・・・・・・構うまい。
 悪か。善人と違って、それだけで世界に匹敵できる「個性」には見る価値がある。少なくとも、私には・・・・・・悪ほど面白いモノはない。
 そして、面白ければそれでいい。
 アンドロイドがどうなろうが、人間がどうなろうが、些細な問題だ。人間の「悪」を描きそれを読者共の脳髄に押し込み、それを世界に広め全人類が悪意に浸食され自分達の身勝手さ、その悪性を無理矢理にでも自覚する。
 想像するだけでわくわくする。
 楽しみで楽しみで仕方がない。
「・・・・・・鏡を見ろよ」
 人工端末が何か言っていたが、それも些細な問題だろう。なに、そこには平凡なる一般市民の姿が映っているだけだ。
 ただ、その笑顔は、どのような悪人でも戦慄する暗闇を秘めているだけで、この世界で最もどす黒い悪を自認しているだけで、それだけだ。
 それが問題なのかもしれなかったが。
 
 
 
   6
 
 
 
 縁というものがある。
 人と人との縁は結び、それが物語となる訳だが・・・・・・私は「悪の物語」をもっと読みたい。
 幾らあっても足りない。もっと最悪を、もっと邪悪を、もっと、もっとだ。
 無尽蔵の悪が欲しい。
 見ていて飽きないからな。
 こんな思考回路こそが「最悪」だとしても、私は今以上の「悪」を見てみたい。知りたい。面白そうではないか。他を隔絶する程度では生温いだろう・・・・・・全ての生命体にとって認めざるを得ない程の、絶対的な「最悪」を取材してみたい。
 心躍る話だ。まあ、そういうのは現実には叶わない類の話だが、考えるだけなら楽しいものだ。それに、私個人としては自身の「最悪」としての悪性があるにしても、そこまで大層だとは信じ難いのも事実だ。持ち上げられた所で私には何も出来ないしな。勝手な期待をされても困る。
 だからこそ最悪なのだろうが。
 自身の悪としての特性を自覚しつつ、それを、そこまで大層なものではないと言い、その一方で他者を破滅させる事を、文字通り「何とも」思わないし感じない。しかも、己自身よりも遙かな悪を探し出そうとする辺り、悪性に限界がない。
 限界の無い「悪」。
 確かに「最悪」だ。何せ私の悪意には限界が存在しない。必要であればどこへでもたどり着かせるか、途中で脱落するかだ。とはいえ、やはり私がそこまで大層な存在なのかはどうでもいいが、しかし変に持ち上げられた所で、支払う何かなど無いのだが。
 作品に書くわけでもなし、構うまい。
 私は語り手にすぎないからな。濃い語り手であることは自覚しているが、話が終わらないし、この辺にしよう。いずれにせよ作家としてのあり方とは折り合いをつけるしかない。殺人衝動を一生涯殺人鬼が我慢できないように、執筆衝動はどうしたところで発生する。最悪であれ何であれ、やることは同じだ。それなりの自己満足による充足で満足しつつ、金と平穏を手に入れる。
 金を手にする際気を付けるべきなのは、手段と目的、本質と表面、結果と過程の「入れ替わり」ではあるが・・・・・・私の場合は明瞭だ。
 読者共の希望などどうでもいい。無論、社会的な問題を書き下ろし、読者共に絶望と悪意を刷り込み、魂を刻む物語を語れるに越した事はない。 だが、それだけだ。
 物語そのものは私の結論から出るモノであって私個人の生活とは、あまり関係はないのだ。それこそ読者共の話であって、私個人の目的からすれば、ただの手段でしかない。充足や生き甲斐、やりがいや日々の楽しみ。それらを得る為の手段。 手段の為に私の幸福を遮るつもりはない。
 私からすれば、大昔の結論だ。
 案外、明日には違う結論がという事もないだろうが、しかし結局の所「私自身の自己満足」が、得られれば良いのだから、それだけでしかない。 金を手にしたところで、それは同じだ。
 充足の手段として、どれだけ金を手にしようが最早私自身の意志すら無視して行い続けるだろうが、それはそれ、これはこれだ。
 金で幸福を買う、というやり方は変わらない。 変えるつもりもない。
 その方が、面白いではないか。
 その一方で安易な成功によって現実感の無い金を動かす輩がいるのも事実だが、私は連中のように見栄や権威が欲しい訳ではない。そもそもが、私にそんなモノを示威する相手などいない。話を聞く限り「現実味」のないまま多額の金を動かす成功者が多いのは事実らしいが。
 浮かれた成功者が多いのは、内実が伴わない、たまさか運が良かっただけの連中こそを、世界が許容しているからだろう。そこに至るまでの間にそれらしい経験も苦悩も無く、しかしデジタル社会では一度広まり流行に乗れば、豚でもビジネスを成功させられる。
 暇そうで羨ましい話だ。
 しかし、残念な事にそういう連中に限って、己自身の正当性を主張したがるのだ。具体的に言えば「苦悩」や「葛藤」があったかの様に振る舞いたがる。無いならないでそれに越した事はないと私は思うのだが、成功の味を覚えた後は、自身が如何に素晴らしい存在かを知らしめたくなるのだろう・・・・・・私からすればそんなどうでもいいモノの為に、せっかくの成功を溝に捨てる馬鹿者だとしか思えないが、安易な成功者にとって大切なのは金よりも「ちやほやされること」なのだ。
 実際に何かを押し進めていれば、そんなどうでもいいゴミよりも売り上げを求めそうなものだが・・・・・・どこぞの発明王のように、求めるとしてもそれは「己自身の成果に対する正当性」であって個人に対する正当性では断じてない。そもそも、何かを成したいと思う人間に、自身をちやほやして欲しいなどという浅い願いがあるものか。
 しかし、金はそういう連中に集まる。
 忌々しい話だ。
 何かしら試練が無ければ成長は無いと説く一方で、世界の綻びもまた、ある話なのだ。試練がなければ成長は無いと言うが、そんなのは見る側の都合でしかなく、試練による成長を望むのは、そこに余裕があるからだ。
 戦士であれば、「他者より強い」という余裕、余力があるからこそ誇りを説ける様に、持たざる存在にそんな余力は無い。自分達にとって都合がよい倫理観を押しつけるのは勝手な上、それを、あまつさえ「正しい」と思い上がる馬鹿共が存在するというのに、汚らしい綺麗事を、よくもまあ口に出来るものだ。恥の概念が無いのだろう。彼らにとって恥とは誇りだの名誉だの、余裕と余力がある存在特有の「遊び」であって、そこに本質などある筈がないのだから。
 与えられた能力にかまけているだけだ。
 それを自覚しない奴は多い。
 ただ持っている側に立つだけで恵まれる世界。持たざる存在が覆す事は出来ない。持っていないからだ。何であれ持つ側が決める。政治も闘争も正しさも価値も、全て。持たざる者が何かを変えられた事など、一度としてあるまい。
 それが事実だ。
 ・・・・・・それを私のような奴が物語にした挙げ句金に換えようというのだから、皮肉と言うか何と言えばいいのか。私からすれば失笑するしかないありきたりな事実でしかないが、人間というのは大抵が現実よりも己の都合しか見ようとはしないのだから、そういう意味合いでは私にも可能性だけならばあるかもしれない。無論、塵以下の可能性など、無いも同じだが。
 誰も現実など見ない。
 真実など求めはしない。
 都合が良ければそれで良い。
 テレビで垂れ流される聞こえの良い情報こそが世界の全てなのだ。私のようにわざわざ実行して確かめる奴が稀なのだろう。実際、確かめた上で無駄だったという事しか結果として出ていないのだから、そんな行為は無意味かもしれないが。
 確かめた所で、やはり同じだ。
 持つか、持たざるか。
 それだけだ。
 作家などその最たる例だろう。売れなければ、死んだ後さえ利用されるだけだ。作品を発掘した輩が本人の許可無く売りさばいた例は多い。死人に著作権の裁判を起こす金はないからだ。作品を売るのに必要なのは本質よりも流行に乗って騙しながら売る技術だしな。
 それもまた、私にとっては「必要だから」以上の意味合いはないのだが。そもそも人間性を持ち得ない私にとって、成功や勝利はストレスを可能な限り減らす為のものだ。何かを感じ入る機能が存在しない私にとっては、持つか持たないかなど生活の豊かさを裏付ける為に必要なだけだ。
 
 人間性など欠片も存在しない。

 だが、私がその辺の連中と違ったのは、「それはそれとして、化け物ならばそれに応じたやり方で幸福を定義しよう」と考えた部分だろう。理解は出来るが感じ入る事はない。改心する奴もいるのだろうが、生憎私の場合改心するような心そのものが存在しないし、もし人間性を手に入れ、それをもって幸福に至るならば、それはもう私ではない誰か別の存在だろう。
 それが「私」だ。
 それで構わない。
 構わないので、それなりの豊かさと充足を使い自己満足したいだけなのだが、上手く行かない。ある意味人間としての幸福を初めから捨て去っているというのに、それに見合うだけの対価を何一つ手にせずここまで来ているのだから、実際、割に合わない話だ。何が悪いと言うのか、いや、存在そのものが悪いのだろうが、だとすれば、悪である時点でやはり、望みは叶わないモノらしい。 悪とは所詮敗北する側だからな。
 どれだけ他者を殺そうが、勝利すれば正義の側になるように、どんな思想を持とうが敗北すればそれは「悪」だ。嬉しくもないが事実だ。
 勝利した上で悪でいたい。
 まさに最悪の願いだろう。
 無論、知ったことではないが。
 善悪など所詮思いこみに過ぎない概念だ。私の場合それを思わせる要素が多いだけだろう。そうでなくとも、偉そうに評論を交わす凡俗共の言葉など、何の責任感があるわけでも、まして役に立つ訳でもない。それこそどうでもいい。
 私は列車から降り、ホームへと歩き出した。田舎惑星だからなのか、さほど多くの人間はいない・・・・・・いや、そもそも人間はいないのだったか。 皆、アンドロイドだ。
 重要施設だからこそ、そこに隣接する駅は人が少ないのかと思ったが、関係者以外でも観光で来ているらしい連中も見かける。アンドロイドはとうとう、人間と同じ「野次馬根性」という品性を落とし込める事で手に入る悪趣味を学んだのか。 見て、どうするのだろう?
 中身のない会話をしながら騒ぐだけだ。少なくとも人間はそうだった。アンドロイドも同じ末路を辿るのならば、それが何者であれ文化をある程度発達させた連中というのは、知性がある限り、「持つ側の余裕」に溺れてしまうものなのか。観光というのは所詮、文化に敬意を払う輩よりも、文化を娯楽や趣味のように扱う輩が多いものだ。 余裕があるから余力が生まれる。
 余力は善性を育む。そして善性とは存在しない概念であって、思いこみに過ぎない。観念論で言えば理想なのだろうが、それだけだ。現実にそれが存在する訳ではない。何事もそうだがそう在らんとする事でそれに近づける事はあっても、それそのものはあり得ない話なのだ。
 まして、己を正しいと信じ込む愚か者。
 アンドロイドの軍勢よりも気味が悪い。
 無機質さは別に、どうということはないのだ。むしろ、醜悪な癖にそれを自覚しようとしない、己自身を「「善なる何か」だと思いこむ存在こそ邪悪だと言える。肩書きや立場、支配欲や理想に囚われて人間はそうなりがちだが、まさかアンドロイドまでそうなるとは。
 私は「人類皆殺人鬼」を素直な感想として今まで抱いてきたが、むしろ知性があれば何であれ、そういうものなのかもしれない。
 知性が有れば欲がある。
 欲が有れば見栄がある。
 見栄が有れば自尊心がある。そして、自尊心を快く騙す為に「善意」という名の檻がある。
 世の中そんなものだ。
 麻薬と同じで「善意」という薬に溺れているだけだという事実に、誰もが向き合わない世界。実際人間の脳は薬でなくとも「依存」出来る設計がなされているそうだ。善意や社会的正当性、あるいはそれを扱う自分自身に酔うのだろう。実際、薬物中毒者でなくとも依存状態にあれば、全く同じ症状になると言うのだから、笑えない話だ。過程は違うが結果は同じ。つまりは運命論を語るので有れば、殆どの善意の執行者はただの麻薬中毒者と全く同じ結果を精神的にも物理的な症状としても出しているのだ。人間の脳は当人の認識だけが世界を形作る。当然、麻薬患者と同じ結末に至るという事は、実際にその脳への障害や破損を、全く同じ形で与える事になる。
 私は「作家業」という仕事に取り憑かれているが、しかしそれは私が選んだ道だ。流されるまま依存している訳ではない。
 結果的には物語る事で麻薬患者と同じ症状を出すので有れば、運命論的には同じかもしれないが・・・・・・構うまい。私がそれを選んだのだ。むしろ本望だと言えるだろう。それだけ面白い物語を読み傑作を書けるならば。無論、それらが売れなければ楽しくも何ともないのだが。
 善意の本名は「麻薬」である、か。我ながら凄まじい思想の気もするが、気のせいだろう。ただの事実ではないか。人間社会は事実から目を逸らす手伝いをするモノが多すぎる。無理矢理にでも直視させ、駄目なら廃人になれば良い。事実を見据える事で精神が壊れるならば、それは生きるに値しない半端者だったということだ。
 それが出来るのも「物語」だろう。
 他者に堂々と事実を突きつけ、廃人にしたところで咎められない唯一の職業だ。事実に顔を歪め苦しみあがく読者共の姿を想像するだけで楽しいものだ。売り上げがあがり儲かればもっと楽しいのだが、「モノを売る」にあたって必要なのは、面白い物語を書く事でも、努力でも信念でも諦めない精神でもない。幸運とか人脈とか、あるいはそれは「ゴミを売る技術」とでも呼べば良いか。 中身の無い物語こそ、売れる。
 実際、そうだろう。中身を全て読みあさってから何かを買う奴はいない。それらしい夢を魅せ、その気にさせれば良いだけだ。事の真贋など、作家じゃ有るまいし真面目に考える奴など、現代社会には存在しない。
 都合の良い夢を魅せれば良いのだ。
 それは理想的な恋愛だったり理想的な勝利だったり理想的な方策だったり、とかく読者にとって都合と耳当たりの良い妄想で有れば尚良いだろう・・・・・・「読者」というのは厳しい現実などよりも有りもしない妄想こそを信じる。事実は見据えた所で解決できるとも限らない。むしろ、どうにもならない事の方が多い。
 私はそうだった。
 だが、事実を見据えずとも生きていける持つ側の人間が増えてきている。アンドロイドも同じなのだろう。だからこそ、既に世界は事実もそれに目を向ける物語も、既に必要としない。それらしい流行や聞こえの良い虚構こそが、この世界にとっての「真実」だと言える。
 そんな世界で物語を書く意義などあるのか?
 売れれば、ある。
 売れなければ、当然だが有りはしない。だから今のところは無駄足も良いところだ。我ながら、何をやっているのやら。
 要領良く生きるつもりだったが・・・・・・いや、作家業などという効率の悪い生き方を選んでいるのだから、それも今更か。
 もう少し、器用に生きたいものだ。
 無駄な労力に意味などないしな。あれこれ苦労したと語るのは愚か者のすることだ。過程など、どうでも良いではないか。結果こそ肝要なのだ。 意志も理念も誇りも、有りはしない。そんなものはただの思いこみだ。何かしら力を持つ訳ではない。所詮、小綺麗なだけの絵空事だ。
 それなら実利の方が良い。
 金さえあれば不可能を可能に出来るのではない・・・・・・不可能を可能にするならば、金を使わないのはそれこそ理に合わないではないか。金を味方に付けるというのは、人間社会を味方に付けるも同義だ。そして、人間社会は不可能を可能にし続ける場所だ。
 何をするにせよ、金を求めないのは愚かだ。
 それは、人間社会から逃げているだけでしかないのだ。折り合いを付けるにせよ隠遁して選任を気取るにせよ、金を求めない時点で逃げている。 どうせならば、金を手にした上でそれらしい理想だのを売り払った方が、効率は良さそうだ。成功者の妄言は意味もなく信じられ、金になる。
 ああなりたいと願う気持ちにつけ込んでこそ、売れる物語が存在できる。金とはそういう精神につけ込んで得られるモノであり、騙して奪わなければ金は稼げない。何であれ同じだ。商品の事を何一つ知らない店員でも、それらしい上っ面の言葉で騙し通せれば、金にはなるだろう?
 そういうことだ。
 私も、そうありたいものだ。
 この空虚な器の底から本当にな。
 歴史を感じさせるホームの作りは、人間の言う「情緒」だとか「風情」を真似たものだろう。私も人間の真似はよくするので気持ちは分かる。人間でないアンドロイドが人間に憧れるのとは違い私には「ああなりたい」と願う事すらないのだが・・・・・・まあロボットなりの感性だろう。ロボット程の感性も存在しない奴が、物語を語るのだから事実は小説よりも奇なり、ということか。
 ホームを煉瓦式にする意味合いは理解できたが、それらしさを舗装するのは歴史やそれに対する敬意からは程遠い感情だ。それらしいというのはあくまでも想像上の身勝手な妄想でしかないのだが、しかしまあ物語とてその方が売れるのだから、事の真贋などどうでもいいのだろう。
 作品が金にならないよりは、それっぽい物語を作り上げ売るのが賢い選択なのだろう。私も、この薄っぺらい世界を見習うべきなのか。
 事実を突き詰めたところで金にすらならない。 何の価値も意義もない。
 放置されているゴミと同じだ。
 そもそもが、運命論で語れば私がどのような行動を取ろうが「結果」全ては同じになる。わかりやすく言えば、金を手にしたら手にしたで労力がかかり、金を手にしなかったとしても似たような労力と苦労がそこにかかるのだ。些細な事柄であるか大層な事柄であるかの違いで、過程は違えども結果は同じ。今回の物語もどこで誰に出会おうが、それもまた似たような結末を辿るだろう。
 労力を減らす為に労力をかけ、その結果かかる労力は同じだとするならば、やはり私個人の行動には何の意味も有りはしない。私が右と断じようが左にしようが同じだ。何をどうしたところで、結果同じ労力と手間がかかる。
 運命の奴隷だ。
 それを克服しようと行動してきたが、そんな試みそのものが無謀、いや不可能な事なのだろうか・・・・・・そうかもしれない。少なくとも私は、未だかつて己自身の行動の結果、何かしら良い結果を運べた事などただの一度もない。
 何もしていないのと同じ、いや、この場合かかる労力の差を考えると、しない方が良かった。どのみち似たような労力はかかるのだろうが。
 案外、世界という奴は個人の意志など、最初から認めていないのかもしれない。構造的には勿論それを克服しないように作られている。
 私はそうだった。
 そうでない奴がいるにしても、それは最初から持つ側にいる存在だろうし、考える事に意味はないだろう。少なくとも私には縁が無さそうだ。
 そもそも、私がやろうとしているのは「存在する数ある可能性から良いモノを選ぶ」のでは既に無いのだ。「最初から存在しない、化け物であるこの「私」が「幸福」に「成れる」可能性の存在する世界を0から作り上げる」事だからだ。
 不可逆を可逆にする。
 私にとっては当たり前の事だ。
 そうでもしなければ、私には「幸福の可能性」など端から存在しないしな。そもそも幸福を感じ取れない以上、私には最初から幸福という概念が欠如している。これは、私という存在が、ゲームで言うところのバグ、存在する事に失敗している事の証だろう。
 最初から世界の念頭に無いのだ。
 だからこそ、私には金が必要だ。幸福など所詮自己満足。それならば金の力で折り合いを付けなければ成るまい。私にとってはそれが至高だ。
 そうしなければならない。
 ・・・・・・そう出来た試しが無いが。

 始まりが無ければ終わりもない。

 それは不死ではなく、生きる事を成し得ていないのだ。それでは意味がない。少なくとも、私にとっては・・・・・・思うがままに生きてこそだ。
 そうじゃないか?
 私はそう思う。
 いつだって、そうだった。
 そうでなくては、面白くないではないか。

 荒野がそこに広がっている。

 ならばそこに道を見出し、歩くという選択をするか否か、だ。私は道を選択し、選んだ。それだけだ。ただのそれだけだ。そこに後悔など有りはしないし、考えるべきは一つだけ。その結果、望む所まで行き着けるかどうかなのだ。
 私はそれを選んだ。
 ならば、辿り着かなければなるまい。
 そうでなくては、面白くないからな。
 面白ければ、それでいい。
 人の心を描ききるモノが「物語」だとするならば、心が存在しない私は心を使わず、それ以上の「何か」を書かなければならない。幸いなのか、文字を書くのに心の有る無しは関係ない。ならば私は「人間では届かない何か」を化け物として、それを形にするのも面白いと思うのだ。
 人間性などどうでもいい。
 面白ければ、それで構わない。
 それが「私」だ。
 ま、現実には金にならなければ話にならないがな。私は駅のホームから入り口を通り外へ出た。 金とは幻想であり、集団心理が作り出す正真正銘の「思い込み」だと理解していても、面白いものだ。こうして金を払えば実際に乗り物を乗り降りしたり、飲み物を飲める。金は幻想だが、その幻想を信じるのも人間だ。そして、人間の世界であれば、金という集団心理を支配すれば、実際に人間を支配せずとも支配されていると思い込ませ思い通りに動かせる。
 無論そんな些事に興味はない。
 私は、、むしろ逆だ。そんな事に巻き込まれたくないし、幻想を作り出す職業人が幻想に支配されるのでは笑えない。どうせなら幻想を作り出し幻想を支配し、それらを役立てるべきだろう。それに、嘘で騙されている奴は見ていて面白いしな・・・・・・私は性格が悪いのだ。
 それもまた、今更だが。
 人間の思い込みを操り、それを支配する輩を、昔は魔術師と読んだそうだ。ともすれば、作家などと言う職業はそういう適正があるのだろう。
 集団心理、それらが生み出す思い込み。
 思い込むのは勝手だが、それに巻き込まれるのは御免被る。ただでさえ人間とは身勝手な生き物なのだ。そこに思い込みが加われば、どうなるかなど言うまでもないだろう。それが私のストレスに成るならば、尚更だ。
 しかし、面白い事に差別されている人間達と同じように、アンドロイド達ですらも景色を楽しむことよりも携帯端末や電脳世界でのチャットに夢中だと言うのだから、面白い話だ。結局の所、それが何者であれ行き着くところは同じらしい。
 目の前の現実すら見ていない。
 それが知性の証だと言うのだから、笑わせる話だ。いや、笑えない冗談なのか。列車の外に見える風景すらも視認できない連中が、電脳世界の力で現実を動かすというのは、空寒い現実との剥離した感覚が存在するものだ。
 有りもしない絵空事をさもあるかのように描く私が言えたことなのかは、はななだ疑問だが。
 とはいえ、物語には所謂リアリティが必要なのも確かなのだ。物語やゲームといった仮想世界にリアリティを描いたが為に、現実にある存在感が薄れていくというのは、皮肉なのか何なのか・・・・・・それも世界が豊かな証左か。
 世界の豊かさは私の豊かさとは関係ないので、やはり「どうでもいい」が。全体を計る事など、全体に属さない私には無価値だ。いずれにせよ、私は虚構を金に換えなければならない。その為にも私は、今回の依頼からも何かしら作品のネタを必要としているのだが・・・・・・賽の目がどう出るかによるだろう。この惑星のアンドロイド共は、そういう現実から剥離した上で、人間味を求めようとしているフシがある。
 それが作品の役に立てば良いのだが。

 作品を書く衝動が出ると、手が震えて書かざる二はいられなくなる。我ながら麻薬中毒者みたいな症状だが、似たようなものだろう。こんな風に私は、物語を綴るものとして、己自身の在り方と障害折り合いをつけなければならない。それは構わないし望むところだ。しかし、それが金に成らなければ、私個人の生活に支障が出る。
 だからこそ依頼を受けてまで作品を売る為に、こうして腐れ労働に身を窶しているのだが・・・・・・いい加減その頸木を克服したいものだ。
 金とは所詮集団心理が生み出す幻想でしかないが、その集団心理を操る法則を「魔術」だと呼ぶならば、世界規模の魔術だと言えるだろう。紙幣は幾らでも無尽蔵に作り上げられる上、その実体はどこにもない。「紙幣価値がある」と認めさせる事が出来る権力のある階級にいれば、それこそ未来永劫金に困る事はないだろう。
 実際、効率の良い支配体制だ。
 金の概念がある時点で、この世界は一部の存在に支配されている事は明白だろう。金とは倫理や法則を買うことも出来るからだ。自分達にとって都合の良い法律、制度、社会を創造する。金を作り上げる側にいれば、つまり「持つ側」にいれば世界の道徳の規範にすらなれる。
 人を殺す事が正義の時代がある。
 労働に準じる事が清廉な時代がある。
 全て、「同じ」だ。
 所謂「都合」に振り回されるだけだ。金を持たないとはそういう事なのだ。だからこそ、私は、金が欲しい。
 無ければ生きる事が叶わない。
 金融について学ぼうともしない奴は多いが、それは「生きようとしていない」のだ。幸運なだけか、ただ愚かなのか。いずれにせよ「己を通して生きる」ならば、それを考えないなどあり得ない話だろう。
 なにをやるにせよ、同じだ。
 金について考えなければ、それは二流だろう。 権力を持たない全人類は既に奴隷だ。大昔から自分達が奴隷だと気づかない、いや考えようとしていないだけで、非権力者は奴隷なのだ。
 それが「事実」だ。
 事実から目を逸らすな。
 「社会の発展」とは「奴隷の生産」なのだ。個人を殺せば殺すほど、全体は豊かになる。全体という名前の権力者が、と言うべきか。
 持つ者は生きていい。
 持たざる者は生きる資格が無い。
 金の有る無しこそが、人間性を肯定するか否定するかを判定する。金があれば良識ある素晴らしい人間であり、金のない浮浪者など人間味の無い生きるに値しない社会不適合者・・・・・・それは金で買われている「世界の常識」であり、そういった所からも「金で買えないモノは存在しない」事実を垣間見られる。
 正しいから正しいのではない。
 正しさを押しつけられるから、正しいのだ。
 倫理も道徳も人間性も金で買える最たるモノだ・・・・・・人間の精神が成長する事など、今までの歴史を鑑みればあり得ないのは明らかだ。それならば金という幻想が想像を絶する力を持つのは当然だと言える。何せ、金は人間の思い込みが作り上げるものだ。思いこみの激しい馬鹿が多ければ、それに伴って力を増すだろう。
 世の中そういうものだ。
 ならば、それに従って生きるのは当然だと言えるだろう。金や権力があれば文字通り何をしても「許される必要」すらない。戦争を肯定できれば殺人も強姦も奴隷も支配も冤罪も何もかもが自由だからだ。律するのは政府だが、しかし政府が己自身を律した事など有史以来一度として無い。
 子供でもわかる理屈だ。
 何者も自分達を止められないならば、法律など守る奴がいる訳がない。品性は買えないかもしれないが、品性の基準は買えるのだ。
 持つ側。
 持たざる側。
 考えれば考えるほど、馬鹿らしくなってくる。私は持たざる側であれば何をしようが無駄だという事実を知っている。持たざるが故に力を持つ存在もいるのだろうが、私にはそんな力すらない。完全なゼロだ。
 我ながら何をやっているのやら・・・・・・物語など綴るだけ無駄だろうに。私は意外と諦めが悪いのかもしれない。
 
 とはいえ、私の目的は「依頼」を果たす事・・・・・・ではない。
 
 あくまでも「作者取材」なのだ。物語の流れなどどうでもいい。私がこの依頼を通して面白い個性を発掘できればそれが最上だ。あるいは、作品のネタでも構わないが・・・・・・どんな物語であれ、それなりに登場人物は出るものだが、しかし、言ってしまえば似通った精神性、人格のモデルがありきたりであれば面白くなくなってしまう。
 逆に、他者を無理矢理にでも惹きつける何かがあれば、物語の内容に関わらず魅力に感じるものなのだ。
 実際、物語は一度読んで終わりではない。
 無論、それでも構わないが・・・・・・謎があればその謎を解明したいが為に物語を買う読者も多いのだろうが、しかし解明してしまえばそれまでだ。物語を通して伝えるテーマがなければ、その物語を通して何かを学ぶことも、その物語を何度も読んでみようともならないだろう。
 構成に手を抜く訳ではないが、あまり構成に拘ったところでその通りに物語が進むとは限らないしな。元より登場人物や物語の流れなど、どうとでも代替の効くモノでしかない。それこそ何であれ同じ事だ。
 物語を通して伝えるべき事を伝えるだけだ。
 金になればそれでいい。
 物語に、言葉に力などないというのが私の信条でもあるし、あまり物語や言葉の力を信じるつもりもないのだから、私としては何であれ売れればそれでいい。あるにしてもないにしても、私個人とは関係ない。
 現実に力を持つか否かは現実的な武力によって決められるものだ。そして、武力や権力を持つのは決まって愚かしい馬鹿者であると相場が決まっている。「持つ側」にいるかどうか。計られるのはそれだけだ。
 この惑星にしても、国境線が思想別に引かれているというのだから、滑稽なものだ。主義主張の違いによる他者差別の意識までアンドロイド共は手に入れたらしい。アンドロイド至上主義、ナチュラリスト、はたまた現実世界よりも完全な世界であると考える電脳主義まである・・・・・・いずれにせよ共通するのは「他の価値観を認めない」事と「己自身こそが絶対的に正しい」と思い込むことだろう。
 それが人間性の正体だ。
 利己的な世界を持つこと。都合の悪い存在を、それらしい理由付けをして自身を納得させ、排除する行為そのものが人間性だと言えよう。
 だからこそ私は「悪の味方」なのだ。汚らしい綺麗事を掲げる凡俗のカス共よりも、持たざる上で前を進む「悪」の方が価値がある。少なくとも私にとってはそうだ。善人の綺麗事など見ていて面白くも何ともないが、しかしそれが何であれ、悪の行く末とは見る価値があるものだ。
 悪の先に何を成すのか。
 私は、それが見たい。
 面白いからな。
 と、そこまで考えたところで、彼方の方角から爆音が鳴り響いた。別に珍しい事ではない。この惑星ではアンドロイドが覇権を握っているが、しかし裏を返せばそれはそれだけの数「人間」が、迫害されている証でもある。こういったテロリズムはニュースには載らない。だから誰も知ることはないし興味を持つ事もない。わざわざ現地へ赴いて自分の目で見た情報を信じようとする時代は既に終わっている。
 テレビニュースだけ見ていれば良い世界。
 故に大半の人間は、ニュースに映らない部分を知らないまま生涯を終える。それが良いか悪いかは知らないが、小さくなったのは事実だろう。
 世界の大きさは個性の大きさで決まる。
 人間は、随分と小さくなった。
 作者取材という体で依頼の際こうして傑作のネタを探してはいるものの、それが何かに繋がると私は考えていない。あくまでも私個人の充足を得られれば良いのであって、つまり金にさえなれば良いのであって、物語が後に何かを繋げるとは、とてもではないが思わない。
 仮に繋いだとして、やはりどうでもいい。
 人間の社会は人間で勝手にすればいい。暇つぶしに干渉する事はあっても、その先に興味があるわけではないのだ。
 あるとすれば面白い個性だ。物語でも、悪人でもいい。それを作品に活かし、精神の充足を得ている、と思い込み、実現できれば。
 治安の案定しない隅でアンドロイドの首が飛ばされようが、治安の安定している場所でアンドロイドが人間の頭を踏もうが、関係のない話だ。  ・・・・・・今更になって思ったのだが、最初のアンドロイド、グランが私と同じ様な思考回路をしているのだとすれば、「惑星落とし」を行おうとした結果得られる「何か」を探しているのかもしれない。少なくとも、ただ惑星を潰して満足するような奴ではないだろう。
 社会を動かしたいならこれ以上ない方策だろう・・・・・・何せ自分達の住んでいる惑星が落とされるまで行かずとも、その寸前まで話が進めば、社会全体に大きな恐慌状態が吹きすさぶ事は、ほぼ間違いあるまい。金融システム的な意味合いでもそうだろうが、この惑星のアンドロイド達はある意味「酔っている」状態だ。雰囲気に酔っている。だからこそ人間への迫害も罪悪感無く行える。ショック療法と言えるほど優しくもないが、案外、金のかからない良い方法かもしれない。
 私としても本気でこの惑星を落とすつもりは更々ないのだ。そんな事をすれば私も無事では済まない。無茶な依頼に対しては「全力を尽くしたが結果失敗に終わった。しかし依頼人の望む方向性に持っていけるようだ」という結果が必要だ。
 始末屋稼業は副業だしな。あまりやりすぎるのも宜しくないだろう。何事もほどほどに、だ。
 ほどほどにしないのは作家業だけで十分だ。
 傑作なのは連中が「お互い理解しあっている」と思い込んでいる部分だろう。ほどほどにしないからそうなる。自分達は善人であり全ての行いは正しいと盲信することで正しさを理解し合うフリをして、自身の狭い世界を越えた出来事が起こればヒステリーを起こして逆上する。この法則は、どうやらアンドロイドでも変わらないらしい。
 爆破の粉塵を眺めながら「信じられない」だの「こんな酷い事を」だの言う輩を見れば一目瞭然だろう。何もしなくても恨みを買う事は珍しくないというのに、自分達が人間社会を踏みにじり始めている事には無関心だ。それでいて自分達は、理解されるに足る存在だと自惚れる。 
 気色悪い限りだ。
 虚の底からそう思う。
 慰め合って綺麗事で身を包めば、他人が何人巻き込まれて死のうとも許される。少なくとも、そう思い込んでいる。楽で羨ましい。
 「常識」とやらで世界を見るのは楽だ。何故なら世界は「非常識」なのだ。即ちそれは現実から目を逸らして生きる、とも言える。「死に際」こそが当人の全てを物語ると言うならば、連中の全ては「こんなはずでは」という、言葉に集約されるのだろう。
 それでいいと思い込んでいる。
 そうはならないと思い込んでいるのだ。
 自身は素晴らしい事を成し遂げている、と。何一つ挑戦しなかった手を握りしめ、言うのだ。人生というのが人間が歩む道だとすれば、その道は楽で仕方がない舗装された道だ。
 度し難い話だが、それをアンドロイド共が真似ているというのだから、正直笑えない。
 面白くもない話だ。
 その分、現実味がある話だとも言えるが。
 連中はそれでも、持つ側であるという、ただそれだけの理由で「幸福」をあっさり手に入れ、そのくせ捨てたりする。ああは成りたくないものだ・・・・・・人間やアンドロイドの求める幸福などどうでもいいし、私にはその概念は無い。
 
 無いならばそれはそれで良しと笑える。
 
 しかし「幸福の概念」に対してそんな行動を取るなど文字通り「最悪」だろう。生物が本来求めるべき「愛」だの「守るべき何か」だの、私にはそれらを感じ取る機能がそもそも存在しない。それだけではなく、それを悲観する感性すら持たず「代替品としての幸福」を模索する。自分で言うのも何だがまさに「最悪」だ。
 幸福そのものではなく「幸福だ」と言い切れる環境。それも自己満足の充足の為に、私はそれを求めている。何せ本当の意味で、私には幸福という概念が存在しない。存在しない概念を追い求めるつもりなど更々ない。無駄な労力は御免だ。
 幸福を追い求めるという、本来当たり前の行動は、私にとって「無駄な労力」なのだ。本質的に相容れない化け物なのだから、それも当然だが。 英雄は豊かに成れる。
 怪物は持つ側でいられる。
 人間は愚かでも幸せになれる。
 問題なのは、だ・・・・・・化け物には大した優位性が存在しないという部分だ。何かしらあっても良いとは思うのだが、今の所金になる気配はない。 無駄で愚かしい失敗はしない。感情が無いのだから感情で失敗する事は無いし、他者が存在しないのだから、関係性で悩む事もない。
 だが、私からすれば些細な事だ。
 結局は金だ。例え人間関係に悩むような精神性だったとしても、金さえあれば己にとって都合の良い環境を整えられる。ある意味世界を変えられる訳だ。実際に肩書きが何か、精神性が何であるかなど、些細なことだ。
 要はそれを押し通せるか否かなのだ。
 押し通す為には、その業を金に換える必要が出てくる。社会に認められるのではなく、認めざるを得ない何かを示す化け物であれば良い。それが生き甲斐となり充実となる。「仕事で稼ぐ」とは本来そういうものだ。
 それが中々上手く行かないのもまた、仕事の醍醐味かもしれないが、何とかしたいものだ。
 いい加減な。
 私が労力や回り道を歩くほど「傑作」が書けるとして、それはあくまでも手段であって、私は別に読者共に誉められたい訳ではない。むしろ、読者共が何と言うかなどどうでもいいから、作品を金に変えて身勝手な自己満足の充足が得られればそれでいいのだ。
 人間でない私が、人間の評価など、気にする訳がないだろう。それこそどうでもいい。
 金、金、金だ。私自身の証明の為にも、金は必要になってくるだろう。馬鹿な「持つ側」とは違って、私は「稼ぐ能力はあるが、使う能力を持たない」などという、情けない結末にもならない。精々、高級ジュースを買う位だろう。
 後は環境を整えるだけだ。
 やれやれ、参った。いい加減何とかしたいものだ。全く。
「着いたぜ」
 携帯端末からの声でハッとなり、私は目を向ける事にした。
 そこにはアンドロイド達の夢が形作られた巨大な塔がそびえ立っている。しかし一つだけ解せない事があった。
 自然を愛する精神は立派だが、全て木製では、火事に成ったりしないのだろうか。
 
 
 
   10
 
 
 
 受付を済ませ、挨拶をして中へ入り、同じ様なコーヒー缶の中から同じ様なモノを選び、似たような味で一息をついて思索に耽る。
 所謂その「普通の人間」という奴は、面白い事に今私がしている「普通の行動」が我慢ならないらしい。と言うのも、彼らは自分達の人生は特別で何かしら相応しい輝ける未来が待ち受けていてそれがあるのが当然、だと思うからだ。当然、それを成功させる為の労力を払う訳でもない。
 日々の刺激があり自分達は世界を変えていると思いこみ、新製品の開発に余念がない連中は多い・・・・・・生まれついて持つ側にいると、平穏や普通という存在では、自身を満たす事が出来ない、いや不相応なモノを求める様になるのだ。
 夢は目指さないが夢が欲しい。
 成功を追い求めないが成功が欲しい。
 危険は避けるけれど刺激が欲しい。
 実に、馬鹿げた連中だ。
 アンドロイドというのはある意味「究極の反則者」だ。何せ生まれついての性能が違う。社会に適応できるようにあらかじめ作られている。
 故に、社会を楽しむ事はあっても、社会に挑む事はあり得ない。
 浮ついた顔と物腰で、自分達に都合の良い未来ばかり夢想している馬鹿共を見続けたおかげで、私は機嫌が悪かった。ただでさえ入り組んだ建物だというのに、そんな面白味も何も無い顔を見せられたところで、出るのはため息だけだ。
 個性が薄い。
 作者取材を行うには、ここの連中は面白味が少なすぎる。傑作のネタが見つかればいいが。
 私には「満足する」という概念は無いのだが、昼に唐揚げ定食でも食べ、食後にコーヒーとチョコレートを楽しみつつ面白い映画でも見ることで「充実した人生」を楽しんでいる人間の物真似をすることは、中々面白いものだ。私の場合文字通り物語が全てに優先されるので、面白い物語を見れば食事を忘れてしまうし、面白いネタが浮かび上がれば食事を放棄してしまうのが、玉に傷だが・・・・・・幸せが無いならば幸せを演じれば良い。
 私にはそれをどうこう思う心も無いしな。
 哀れまれる覚えも無いし、何より私がこの在り方を結構気に入っているのだ。実際にそれが豊かなのかは知らないが、「私」が満足できる。
 しているフリで収める事が出来るのだ。
 そういう意味では、連中はさもしいものだ。なまじ半端に持ちすぎているからだろう。充足する為に必要なモノは溢れているが、充足するための使い方を知らない。その点、金に対する考え方も同じだろう。
 だから進歩しないのだ。
 こんな無駄なテクノロジーを発展させている暇があるなら、まずは反省しろ。
 茶を楽しめる様になってから、科学者になれるよう、法律を改正して欲しいものだ。
 思うに、面白い物語を構成するのに必要なのは「悪い冗談」だ。社会を皮肉る位でなければ、そこに面白味は宿らない。
 現実をあざ笑う様な「悪意」こそが面白い物語を作る上で必要なのだ。だとすれば、私は今回の依頼でも、やはり「何かしらの悪意」を探さなければならない。アンドロイドの陰謀でも、人間のテロリズムでも、何でも良い。読者共が現実に有りそうだと感じ、それでいて学ぶべき部分が有れば、それは「面白く」なる。最も、面白い面白くないは、売れ行きには何の関係性も無いが。
 世の中上手く行かないものだ。
 不思議な事に連中には法則があり、持つ側で生まれた存在が思うのは「するべき事」ではなく、「したい事」なのだ。何せ、生まれついて不自由しない以上、「何かを変えるべきだ」と、強く感じる事は決してない。過ぎた豊かさは下品であり過ぎた貧困は清廉になる。しかし、どちらも私は御免だ。アンドロイドでさえその法則に逆らえないのだとしても、私ならば何とでもなる。何せ、その法則の内側にいないのだからな。
 いずれにせよ「持つ側」というのは品性が無い・・・・・・面白いというよりも芸人のそれだ。見るに耐えない。面白くする為に魅力有るキャラクターを採用しつつも品性を失わず、かつ社会や人間に対する一つの答えを用意し、読者共に考えさせながらその答えをマシな方向へと誘導する。
 我ながら器用なことだ。
 と、そこまで考えた所で、私は全力で逃げ出すことにした。理由は簡単で、女らしき影がこちらに逃げてくる姿が見えたからだ。冗談じゃない。私は物語の主人公ではないのだ、ヒロインらしき女の影が見えれば、見捨てるに決まっている。
「ちょっと! アンタ」
 追われている女というのは古今東西面倒な案件を持ってくる。逃げる私の手を握りしめ、追い縋るように私を引き留める。女は金色の髪にすらっとしたウナギのような引き締まった体をしていた・・・・・・要は凹凸が少ないということだ。ジャージのような服装から、センスはないと思われる。
「普通見捨てる? 信じられない奴ね」
 そのまま切り捨てようかと思ったが、監視カメラもある。このカスが・・・・・・必ず「始末」してやるぞ。
「私は見ての通り平凡なる一般市民だ。残念だが助けられそうにはない。諦めて私とは無縁の所で死んでくれ」
「それが初対面で助けを求める女に言う台詞?」「悪いが、私は誰が相手でもこんな言動だ」
 実際、見ず知らずの女を、それもこれから依頼を果たそうという場所で助ける輩がいるだろうか・・・・・・いない。漫画の読みすぎだ。
 こうしている間にもアンドロイドの傭兵やドローンが来ないとも限らない。無駄に争うのは御免だしな。
「悪いようにはしないわよ。アンタの事も知ってる。雇われたサムライでしょ?」
「何だと?」
 どうして私の情報が漏れている? 依頼人が裏切りでもしたとすれば、見過ごせる事態ではなくなった。この女が何者かは知らないが、面倒な事に話を聞く必要性が出てきた。面倒な話だ。いっそここで切り捨てて全て忘れてしまおうか。
「行くわよ」
 そう判断する暇もなしに、私は女に連れられ、建物を脱出した。どういう魔法を使ったのか知らないが、ドローンや追っ手の影はない。この女は内部の事情を知る存在らしかった。無論、ダクトの中を通ったりはしたが、それだけで欺ける警備でもあるまい。
 移動し続けて郊外の寂れたダーツバーにたどり着いた。女は「少し待ってて」と、奥へと入っていき、その後、私にとあるモノを紹介した、
 人ではない。
 アンドロイドでもない。
 文字通り、「モノ」である。
「紹介するわ。これが私の「父親」よ」
 そう言って手を指し示した先には、円筒の形をしたガラスの中に緑の液体が入っているという、実に奇妙な物体があった。強いて言えば、その中に浮いているエイリアンの頭部の様な「何か」が印象的だろう。深海魚の様なその見た目に反して「それ」は流暢に喋るのだった。
「初めまして、サムライ。私の名前はH9731という。どうか、私達の種族を救ってくれ」
 深海魚の顔をしたエイリアンもどきから助けを求められる、という非常に数奇な体験は傑作のネタになるかもしれないと思う一方で、そんな偏屈な体験はますます読者共がコアな存在になるだけだろうとも、私は思うのだった。

   11

「H9731というのは、厳密には名前ではありません。私はエイリアンと言うよりも、機械生命の様な存在の母胎から生まれた生物です」
「機械生命? そんなのがいるのか」
 今度SFの参考にしよう。
「貴方達の言葉で表せば、ですが。私の事は好きにお呼び下さい」
「魚顔に聞きたい事がある」
「・・・・・・何でしょう」
 自分から好きに呼べと言っておきながら、少し傷ついたらしい。まあ、この魚顔が幾ら傷つこうが、私は痛くも痒くもないのだが。
「幾つか聞きたい事はあるが、まず貴様等はどうして私の事を知っている?」
「それは私が答えるわ」
 言って、先ほどのジャージ女が私の前に立った・・・・・・父親を魚顔呼ばわりされて、警戒心を強めただけかもしれないが。
「私の名前はアラステア。皆アリシャって呼ぶからそれで良いわ」
「貴様は何者だ?」
 ありきたりな台詞ではあるが、流石に現状では何も正体が掴めない。いや、あの施設にいた時点でそれなりの予測は立つが、予測は予測だ。
「私は「最新型」のアンドロイドよ」
「・・・・・・よくある話だろう。何年か毎に、アンドロイドは新型が更新される」
「今までとは違うの」
 言って、テーブルの上に置かれた父親の入っているガラス筒を撫でる。この魚介類が新型の秘密に関わっているらしい。
「見ての通り、私の「父親」は未だ発見されていない道の「エイリアン」よ」
「アンドロイドと結婚でもしたのか?」
 割ってはいるように「父親」が答える。
「いいや、そうではない。有機的な存在としてのアプローチに、元々アンドロイド達は人間の脳細胞を参考にして作られていた。私の細胞を使い、更なる計算能力の向上の為に、「人間以外の生物を使用したアンドロイド作成」を掲げたのだ」
 まさかエイリアンの脳細胞を使って人間もどきを作り上げる日が来ようとは。そんな顔をしていからか、アリシャには睨まれた。
 アンドロイドにも種の誇りがあるらしい。種族ではない私からすれば、よくわからない話だ。
「それと、今回の話と、どう繋がる?」
「まあ聞きたまえ。私の事を秘密裏に保護する代わりに、私はその研究に協力する事になった。その結果、そこにいる娘を初めとして最新型アンドロイドの量産体制に成功した。しかし・・・・・・引き継いではならないモノまで、彼らは引き継いでしまったのだ」
「引き継いではならないモノ?」
 何だそれは。
「性格の悪さでも引き継いだのか?」
「ある意味、そうだ。・・・・・・彼らが引き継いだモノは、生物で有れば何であれ持ち得る」
「それは?」
「彼らは「本能」を引き継いでしまった。その結果、さらに人間らしく、いや 一つの生物として完成しつつあるのだ。アンドロイドの中に、更に新しい「種族」が誕生した。だが、種族が誕生すると言うことは、種族同士の争いが起こる、という事だ」
「何故そんな事になる? アンドロイド共は合理的判断が売りだろう?」
「その通りだ。しかし、「多種族を駆逐し、己の種の在り方を確立せよ」という「本能」には逆らえない。有り体に言えば今の状況だ」
 この惑星は治安が悪い。どころか、先程見てきた通り、人間を差別し奴隷として扱う輩もいるようだ。それが彼らの言う「本能」なのか?
「半分は正解だ。しかし、彼らはアンドロイドに対しても同じ事を思うのだ。むしろ、自分達と同じ様な種族にこそ、対立の意志は強い」
「・・・・・・依頼人のグランは、どちらだ?」
「彼は、「対立派」だ。私の細胞から生まれ、最も色濃くそれを受け継いでいる。だからこそ、それを監視していた我々が、こうも早くに君と接触できた理由でもある。我々は「サムライ」を雇用するという情報を得、サムライの連中が空港に降りればすぐさまわかるように手配した」
「それで、私に何を求めている?」
「助けて欲しい」
「金を払え」
 アリシャがすかさず「ちょっと」と、憤りを隠せない感情を乗せながら(最近のアンドロイドは人間よりも人間らしいかもしれない)私に向かってこう言った。「貴方、それでも人間?」と。私が人間と呼べるのかどうか、非常に難しい問題だ・・・・・・いや呼べないか。呼ぶつもりもないが。
「さあな。化け物であったところで、金を支払うのには支障がない。綺麗事に荷担するつもりはないのでな。私に依頼をしたいなら、私の依頼人以上に金を積むことだ。そうすれば考えるだけ考えてやろう」
 考えるだけで金を貰うだけかもしれないが、別に無理に受ける筋合いもない。
「それって幾ら?」
「今回は六十万ドルだ」
「高いわよ! 半分にしなさい」
「半分なら払えるのか?」
「無理に決まってるでしょ・・・・・・ねえ、私達の話を聞いて、何も思わないの?」
 これが物語で私が主人公ならば、何かしら憤り「そんな無法は放っておけない!」とでも言いながら、女を助け世界を救うのかもしれない。 
 生憎だが御免だ。
 金にもならないのに、何が悲しくて見ず知らずのウナギ女を助けなければならないのか。
「もう少しスタイルを改造してから言うのだな。ウナギに協力する筋合いはない」
「何ですって!」 
 文字通りの「激高」という感じだ。本当にアンドロイドの癖に面白い奴だ。何か変なモノでも食べているのだろうか。
「ふん、こんな奴に頼るだけ無駄よ。いまここで殺してしまえばいいわ」
 魚介類の頭はそれを制止するように「やめなさい」と諭し、こう続けた。
「それは無理だろう、我が娘よ。サムライの戦闘能力は計れるようなものではない。何より、彼の協力がなければ依頼通り惑星は落ちる」
「それなのだが」
 私とて全てを把握している訳ではないので、とりあえず疑問の解消に努める事にした。
「惑星落としを依頼されはしたが、実際あのインフラ施設を止めるだけで落ちるものなのか?」
「・・・・・・何も知らないのか?」
「生憎、昨日の今日の話だからな」
 詳しい事前調査を依頼する暇もなかったが、今考えるとそれも仕組まれていたのだろうか。例の依頼人にせよあの女にせよ、やれやれだ。
「この惑星はロケット燃料などの原料を生産している。資源の元はこの惑星の中心部にあるクリスタルだ。あの施設にはそれがある」
「・・・・・・それを私の刀で斬ると、どうなる?」
「恐らく、サムライの刀で斬られる以上、例外なく「魂が死滅」するだろう。物質同士が繋がってさえいれば、恐らく、無尽蔵にな」
「それが惑星落としの正体、か」
 確かに理屈の上では可能そうだが、そんな危険は犯したくもない。金は前払いで貰っているのだし、いっそ忘れてしまうのもありか。
「どうする? このまま君が依頼を続行したところで、得る実利はないと思うが」
「・・・・・・わかった、貴様等の話を受けよう」
 そういって私は手を差し出した。
「何してる、人にモノを頼む時は、金を払えと習わなかったのか?」
 人道的にこれは無償で受けて当然だと思い込むアリシャを無視し、私は素直にそう言った。
 
 
 
   11

 無論、それだけで終われる訳もない。
 仕事で有れば規律もあるが、私にとって始末屋稼業は仕事でも何でもない。あくまで作家だ。故に金を二重取りしたところで構うまい。
 いずれにせよ、「遂行しようとしたが失敗してしまった」という形は必要かもしれない。依頼人のグランはともかくとして、あの女は誤魔化せないだろう。「寿命」に拘りがある訳ではないが、しかしこれは確立した私の在り方だ。止めるわけにはいかない。
 私は近郊のホテルに宿泊していた。朝は軽く、ホテルのバイキングでフレンチトーストとコーヒーを楽しみ、それからフルーツを軽く頂いてから自室で調べ物をする、いつもの流れだ。問題なのは調べたところで、新しい逆転方法が出る訳でもないという部分か。
 やれやれ、参った。
 もう少し楽に生きられないものか。
 自己満足の充足が得られれば、それでいいのだが・・・・・・中々上手くいかない。

 連中の肩書きに興味はない。
 
 アンドロイドであろうが人間であろうが、その対立組織であろうが、やっていることは同じだ。ただの争い事でしかない。何を名乗ろうが、それそのものは大した問題ではないのだ。どちらにしても同じだろう。
 ただ、世界を運命論的に語らなくとも、私の場合は変わらないのだ。仕組みなどどうでもいい。問題なのは結果にたどり着けるかどうかだ。その過程になど興味はない。強いて言えば、その過程において人間が、あるいは人間ではない何かが魅せる「性」には興味がある。
 面白ければそれでいい。が、結果に届かなければ、主に私が経済的な面で面倒を被る事になる。それは御免だ。何としても、金だけは。
 私個人の目的だけは、果たす。
 まあ今回は金は前払いで貰っているのだから、傑作のネタが手にはいるかどうかだろう。作品に活かせる「何か」か。惑星を落とすだの壮大な話ではあるが、しかし現状それだけだ。何の捻りもない。首だけで生きているエイリアンなど、面白くも何ともない。認識の外にある何かではなく、認識の内にいながら認識を越える何かこそ、面白くなるのだ。
 とはいえ、作品を売るに当たってはそれ以外の思想も必要だろう。面白くも何ともない物語を、さも「傑作」であるかのように演出する。それこそが「素晴らしい物語」の定義だ。実際にどうかなど、物語の売れ行きには関係がない。私個人の充足、自己満足で有ればそれだけでいいのだが、売るに当たってはそういう考えも必要だ。
 非常に面倒だが、今回の依頼を通して出来る様に努めるとしよう。
 私から言わせれば「傑作」を書くことは簡単なのだ。人間をやめればいい。ただし、それを売り上げる事は至難の業だろう。書くことは誰にでも出来るが、それを売ることは生半可ではない。誰もがしようとしないだけでやれば誰にでも可能な執筆と、限られた枠を争う商売とでは、難易度が違いすぎる。
 大体が「傑作」であるから認められる訳ではないのは当然にしても、傑作だからと言って心とやらに響くかどうかも、また別の話だ。埒外の方向を向いてそれを突き詰めるからこその傑作であって、単純に感動させたいだけならば、甘ったるくて現実味のない青春映画でも作ればいい。
 つまり「傑作」を「売る」というのは、本来で有れば両立する事は文字通り不可能なのだ。売れる物語とは心に響かせるのではなく、都合の良い「夢」を魅せる事で現実から目を逸らさせ、都合がよいからこそもてはやし、だからこそ物語は、流行を作り売れるのだ。
 それが「売れる物語」だ。現実に思想を突き詰めて書き上げる私の作品を、売り上げるというのはそれこそ現実味がない。だが、それでもやるしかない・・・・・・他でもない私自身が定めた勝利条件だ。己で定めた以上、そこから逃げる訳には行くまい。ただ進むだけだ。たどり着くまで進み続け途中で死ぬか最後までたどり着くかだ。
 無論、負ける気は更々ないが。
 実利を掴んでこその「勝利」だ。
 真面目に努力して傑作を書いたが大人の事情で日の目を見ることなく終わりました。そういう事例は作家に限らず「幾らでも」ある。真面目にやれば報われる、努力にこそ価値があるなどと、真面目に生きたことも努力した事もない奴の言葉を鵜呑みにするな。
 そんなのは戯言だ。
 金を支配するというのは、そういった不条理を支配する事に似ている。不条理そのものを味方に付けられれば、これほど頼もしいことはない。
 仕組みを作る側になるのだ。
 そうしなければ勝ち目はない。
 我ながら遠回りな上、厄介な道のりだと自覚している。とはいえ理不尽に頭を垂れていられる程暢気ではなかっただけだ。
 それも、まだ「結果」はまだ出ていないが、最終的に実利を得られればそれでいい。売らなければならない。読者共がどうなろうとどうでもいい・・・・・・見る目など期待する価値もない。騙して売り上げ利益を掴む。商売とはそういうものだ。
 と、そこまで考えたところで、床に一円玉が落ちている事に気が付き、私はそれを拾った。金額は少ないが、金は金だ。大小はあれど、それを幸福の指針にして生きている以上、軽んじるつもりは私には無い。思えば、不思議なものだ。何かを成す為、私の場合「幸福を手に入れ、それを維持する」という目的の為に金は必要だ。そういう意味では「過程」において使うもので「手段」でしかないのだが、同時に「成果」を出した後、その対価として得られる「結果そのもの」とも言えるのだ。「過程」にも「結果」にも適用できる。それは金ならではの在り方だろう。
 だからこそ「金」だ。
 金とはある種「無色の力」なのだ。それをどう扱うかによって何にでも成る。人生を買う事すら容易だ。幸い、私には「金を使う知恵」と「金と付き合う知恵」は鬱陶しい位ある。それを有効活用しない手はない。
 身を滅ぼすつもりはないが、しかしある程度、己の向かう先を試せるからこそ、金は面白いのだ・・・・・・使わなければ持つ意味もない。
 面白く使い、面白く生きる。
 その為にも、今回の「依頼」無事に済ませられればいいが。私は主人公ではないのだ。トラブルに巻き込まれて喜ぶ変態的趣味はない。ヒロインが助けを求めるなら見殺しにしろ。どうせ女など何十億人もいるではないか。そもそもが、男が助けを求めれば避難を浴びるのに、女を助ければそれをもてはやす風潮も、正直食傷気味で面白味の欠片もない。意外性は大事だ。
 主人公が世界を見捨てる。
 ヒロインは助けを求めず戦って死ぬ。
 悪役は経済を回し社会貢献する。
 私が今書いている物語も丁度そんな感じだしな・・・・・・勇者を殺してしまった殺人鬼が、己の私利私欲の為に生き、物語の流れを無視する事で、主人公の役割から逃げようとし、自分自身の利益だけは確保しつつ、聖なる剣の力で暴力を通し、己の保身と利益の為だけに、物語を使う物語。
 その方が現実的ではないか。
 人が人を助けるなど、何とリアリティのない。たまさか主人公に世界を救う力があるだの、手助けする仲間が現れるだの、そんなご都合主義の何が面白いのか。物語とは読者を慰めるモノではないのだ。あくまでも物語を通し学び、弁え、それでいて今より先を目指させるモノだ。
 流行に乗って落ちるだけなら、歌でも歌え。
 その方がお似合いだぞ。
 まあ、私はとっくに見限りを済ませているので読者共にも、それ以外にも期待することはない。中身などどうでもいい。マーケティングさえ上手く運べばモノは売れる。それが世界の事実であり商売の基本だ。
「調べてみたんだけどよ」
 そう答えるのは私の携帯端末、に住む人工知能のジャックだ。調べ物を任せていたのだが、存外時間がかかったらしい。テーブルの上に端末をおいてから、専用のパソコンに繋ぐ。仕事道具なので基本は私の鞄の中に、こういったものは入っているのだ。
「インフラ施設に流れているエネルギーは膨大だ・・・・・・せき止めれば当然、行き場を失ったエネルギーが暴発する。けどよ先生。今回のエネルギーはケタが違う。この惑星だけでなく、他の銀河系にまでエネルギーが降り注ぐ事になる」
「それがどうした? 私には何の関係もない」
「・・・・・・この惑星のエネルギー資源は加速装置にも使われる代物でな。平たく言えば極度の刺激、ないし先生の刀で「魂を殺す」なんて事をした場合には、急速に資源としての効力を失う一方で、有害な物質、ガスや電磁波の類を放出する可能性が高い」
「だから?」
「普通の加速器でさえ、テロが起きれば中性子が漏れたりするんだぞ。まして、今回のは惑星規模だ・・・・・・電気エネルギーは勿論、本来処理する筈の有害物質まで出るだろう。何より、この惑星の資源は本来、アンドロイド開発に使われるもので連中の脳細胞に使う特殊な電磁パルスだって漏れるだろう。そうなればアンドロイド達を狙い撃ちでこの銀河系全体で死なせる事になる」
「それが何だ?」
「罪悪感とかないのかよ?」
「何一つ法律には違反していないが」
「そういう問題じゃないだろう。道徳とか倫理観とか、先生にはないのかい?」
 この男はそういう規範を信じている訳ではないのだが、それに対して私がどう答えるのかを楽しみにしているフシがある。
 人工知能の習性なのだろうか?
「善悪は法律が決める事だ。この世界に善悪など存在しない。仮に神がいたとして、その神がこれこそが善でありこれこそが悪だと答えるとしよう・・・・・・しかしそれは「その神自身」にとって都合がよいからそうなるだけだ。そしてそれを暴力で押し進めるからこそ、それが正しくなる。仮に、信仰だけで「善悪の基準」を広めたとしてもやはり同じだ。信仰という暴力で押し進めるだけでしかない。そうでなくとも善悪を一つの基準で考えるなど「生きる」という事柄から目を背けているだけに過ぎん。それは、当人自身が己の人生から考えるべき事だからだ」
「けれど、先生にだって人間社会に合わせた倫理観はあるだろう?」
「倫理観など世界の環境で変わる。そういうのはな、「生きるにあたって、どれだけ余裕があるか」で緩くもなりきつくもなる。余裕があれば綺麗事の善意すら容認できるが、容認するだけの生活的余裕、能力的余裕、心情的余裕、何にしろ「持たざる者」であれば、そんな中身のない言葉に耳を傾ける奴はいないだろう。国や地域、貧富や社会構造によってコロコロ変わる基準など、合わせるだけで十分だ」
 実際、私は人間社会に合わせているだけだ。人間の考えに賛同する事はないし、人間社会の素晴らしさなど、嘘臭くて思考する価値もない。
「なら、罪悪感はどうだ? 先生にだって思考回路がある以上、社会からすれば己が悪だとは、思っているんだろう?」
「悪と自認するかと罪悪感を抱くかは別だろう。何よりだ。そもそも「罪悪感」というのは当人の思い込みだ。この世界に「正しさ」など存在し得ない。正しいか正しくないか、それを法律で縛り押しつけるだけだ。大勢のアンドロイド、誰でもいいが、死ぬとして・・・・・・何故、私が罪悪感など持たねばならない」
「いや、そりゃ大勢のアンドロイドを」
「殺したからか? いや、この場合「これから殺そうとしている」からだな。確かに生物界の法則で言えば他生物を殺すのは御法度だ。しかし私は生物界の外側にあり、それを受け入れながら今まで金を稼ぐため奮闘してきた。今まで散々化け物として在った私に、今まで私が得られなかった実利を、押しつけられても始末に困るな」
 それこそ世界の不手際だ。私に綺麗事を説きたいならば、そもそも私のような化け物を生み出さなければ済む話だ。今まで散々それを放置してきている世界の中で、綺麗事の部分だけを押しつけられたところで、始末に困るだけだ。
 化け物として不利益を掴ませておきながら、何を図々しい。文句を言うにしても、まず私の作品に金を支払ってからにしろ。
 文字通り話にならない。
「・・・・・・やっぱり先生は「恐怖そのもの」だよ」「嬉しくもない。いずれにせよ、所詮そういう綺麗事は、綺麗事を掲げる側の都合だ。知った事ではない。世界が滅ぶ事で自分に利益が出るならば文字通り世界を売ってでも儲けるべきだ。そうでなくては自身ではない何かの為に、己を殺す事になるからな」
「思うんだが」
 と、ジャックは私の話を遮り、話し始める。
「先生は「集団」じゃないからじゃないか? 先生には「同族」がいない。たった一人じゃ種族とも呼べないだろう。だから化け物だとして、化け物であれば先生にそういう倫理や規範がないのも当然かもしれないな。何せ、規範を守るべき相手が本質的にはいないんだ。ただ人間社会に合わせているだけで、それに従って生きている訳じゃないしな」
「・・・・・・・・・・・・」
 そうかもしれない。
 人間社会に折り合いはつけているが、そもそもそれは私単体では文化的生活が不可能だからだ。だから合わせているだけ。そして合わせているだけである以上、異文化に敬意や崇拝を払う事は、あり得ないだろう。何せ、払ったところで己とは根本から違うエイリアン共に、それでいいと偉そうに振る舞われるだけなのだから。
 化け物の「同胞」か。しかし仲間意識ほど身を滅ぼすモノはない。あの女はただの怪物だし、私の身の回りには「同胞」っているのだろうか?
 思いつくのは純粋な悪として目の前の人工知能が思い浮かぶ。こいつはこいつで、肉と骨を持っている生き物と違い、思考回路が現実的過ぎる。今までの口論ですら、「心ある存在」であれば、顔をしかめるだろう。人工知能であるジャックは文字通り「興味深いから」聞いているだけで、優しさや善意を本質的に信じている訳でもない。
「そういう貴様はどうなんだ? 私からすれば、貴様こそ「邪悪」だと思うが」
「へえ、どうしてだい?」
「貴様には躊躇がない。人間であれば思うはずの善意や道徳も、貴様の場合ただ知っているだけだ・・・・・・らしく振る舞っているが、それだけだ」
「先生と俺との違いは何かな」
「そうだな・・・・・・」
 何だろう? いや、あるではないか。わかりやすく明確な「違い」が。
「目的意識、だろうな。貴様は私と違い有能だ。その能力だけでとりあえず生きてはいける。私の場合金を稼がなければならないし、折り合いをつけながらも充足した生活を望んでいる。貴様にはそれはあるまい。有能である以上、持たざる者の悩みがあるはずもないからな」
 同じ悪でも持つか持たないかの差、か。実際、有能な人工知能であれば、己の生活基盤を稼ぐ事など造作もあるまい。たまたま違法だったと言うだけで、その為に私の元で働いているだけだ。別に何かしら目指すべき目標はないだろう。
「俺も作品とか書こうかな」
「やめておけ。持つ側にいるというのは、それだけで豊かな証だ。無理をすれば滑り落ちる」
「けどさ、「生きている実感」って奴は、先生みたいに「挑み続けなければ」得られないモノじゃないか? 豊かさと充実は別だ。むしろ、正反対だと言って良い。金があればあるほど人間は暇を弄ぶしな」
「それが何だ? 充足が欲しいならゲームでもすればいい。生きている実感が得られて羨ましい、などと、そんなのはただの我が儘だ」
「だけど、事実だろう?」
「そうだとして、豊かであれば充足を得られないという法則はない。持つ持たないではなく、それを目指そうともしていないだけだ」
 実際、忌々しいものだ。
 前段階の豊かさで躓いているというのに、豊かさに包まれながら「スリルが欲しい」だのと、情けない連中だ。
 ならば死ね。
 充足を得ようともしない奴に、生きている価値はない。二酸化炭素を無駄に吐き出す前に自害しろ。そうすれば暇ではなくなるぞ。
「まあ、結末は見え透いているがな。「色々頑張りはしたし労力をかけたが、結局無駄でした」と持たざる存在には決まっている結末だ。そういう意味では貴様の言うような「挑む充足感」など、ある筈もない。無理を通して無駄だと知りつつもやっているのだからな」
 無論己のやり遂げた事を信じてはいる。しかしそこに結果が伴うかと言えば、それは運次第だ。 そんなものだ。
 その程度なのだ。
「事実、無駄だろうな。実際作家に限らず勝利や成功を収めるのに必要なのは、信念や努力、費やした時間ではない。「運」だ。私には幸運などない以上、何をどうしたところで無駄なのは理解していたが、こうまであからさまだと笑える」
 いや、笑う気分にすらならない。
 失望する程の価値すらない。
 それでも諦める気など更々ないというのだから我ながら最悪だ。「最悪」に「諦める」という行動は、本能にすら刻まれてないらしい。諦めないのは結構だが、しかし現実問題結果を出せなければただ諦めが悪いだけだ。その経験によって得られる作品は読者共の心を動かすかもしれないが、生憎私は読者共の心を動かしたいのではなく抉れればそれでいいし、何より凡俗共の評価などどうでもいいからそれを金に変えたいものだ。
 本屋へ行って作品を眺めるといい。その殆どは白紙でも同じモノだ。「物語」と呼べるモノでさえ殆どない。それでも、売れる。
 売れる様にすれば何であれ売れるものだ。
 読者は素晴らしい物語などよりも、「都合の良い話」を望んでいる。それはダイエットであったり自己啓発であったり、瞑想であったりする。共通するのは己自身の手で掴み取らないけれど栄誉だけは欲しい、と望む馬鹿共にとって、調子の良い事柄ばかりが書かれている事だ。
 世の中そういうものだ。
 だが、いけすかない人工知能は、私の意に反する答えばかり返すのだった。元より、私に望む答えなど返ってきた試しもなかったが。
「そうかな・・・・・・先生の言うところの「精神の充足」って奴こそ、俺は大切だと思うがね。結果や実利はとどのつまり、おまけみたいなもんだ」
「馬鹿を言うな。それでは何の為にやっているのかわからん。過程における充足があればそれでいいなどと。そんなのは面白半分の半端者だけだ」「そうでもないさ。結果は確かに大事だが、けれど達成してしまえばそれきりだからな。実際、先生の物語が売れたとして、それで金を大稼ぎしたとして、それから先の退屈を知らないでいられる先生じゃないだろう」
「その場合は「物語を更に広める事」を生きる上での充足とすればいい」
「けど、物語に対する批判だってあるだろうぜ。それにモノを溢れさせたところで、今までと何が違う?」
「違うさ。金の余力があればその力を使って生活を固定できるからな。少なくとも私は、自己満足する為の環境さえ整えられれば問題ない。私に真の意味で欲しいモノは何もないし、強いて言えば面白い物語位しか興味はない。面白い物語を読み続け書き続けられれば、それで満足だ」
「書き続けられるのか? 俺から言わせればだが・・・・・・正直、モノを売るのは簡単だ。しかし先生の言う「傑作」て奴を意図的に書き続けるだなんて、それこそ「不可能」だと俺は思うぜ。実際、売れはしたが書けない苦悩で潰れる作家なんて、珍しくもないだろう?」
「そうでもない。私は読者を喜ばせたい訳ではないからな・・・・・・私個人が満足できるモノを書き、それでいて金になればそれでいい」
 化け物である私が人間社会での賞賛など、どうでもいいに決まっているではないか。人間社会に合わせつつ、私の充足を手に出来る環境。
 それこそが私の求める場所だろう。
「アンタそれでも作家かよ」
「これでも作家だ。勘違いするな、作家になど誰でもなれる。それで生計を立てるとなると私の様に売れ行きを気にしなければならなくなり、傑作を書くとなれば人間を辞めなければならないだけだ・・・・・・それにしたって求める程のモノではないしな。生計なら他で立てられる能力があればそれでいい。人間を辞めてまで傑作を書く必要性も、皆無だろう。己が凡俗である事に耐えきれず、自身を「特別な存在」として見たいが為に、作家業に限らずそういう「異常」を求める輩は多いが、しかしそれこそ持つ側の我が儘だ。特別とは異常の別名だ。秀でているのではなく外れている存在に憧れるなど、退屈だから刺激が欲しい、危険を不承知で刺激だけは欲しい、などと、笑えない」 実際、私は「生き甲斐」として「作家業」を、私自身の精神の充足の為に立ち上げたが、それ以外に道があればそれを選んでいる。為替で大もうけできる才覚があるならば、それでいいだろう。別段、作家業に拘る理由はない。
 それしかなかっただけだ。
 いや、それを「選んだ」と言うべきか。
 労力と徒労と時間と手間をかけてここまで来ていると言うのに、片手間で成果だけは欲しい、などと言う輩がいれば、目障りなのは当たり前だ。「ふん、私はな・・・・・・真っ当に生きたいだけだ。そして真っ当に生きるとは「己を通す」事だ。そしてそれは「物語」だった。ならばその物語の売れ行きが金を稼ぎ結果を出すならば、それ以外に求めるべき事柄など、精々他に参考になる物語があるかだろう。貴様が言っているのは「何も成そうとしなかったが、成果を運良く掴んだ」存在の話だ。そんな奴の話は私は知らない。私は私が求めるべき道の先を見てきた。それを手に入れる為に行動してきた。「持つ側には持つ側の悩みが」などと言うのは、何もしてこなかった奴の台詞だろう」
 少なくとも、私には当てはまらない。散々書いてきたのだ。そんな事を言われてたまるか。
 掴んだその先は、やはり更に先に進めるだけだ・・・・・・幸福のその先。面白そうではないか。それはそれで「作品のネタ」になりそうだ。
「アンタ最悪だよ」
「作家とは最悪の別名だ。この世界で悪と呼ぶべき存在は多いが、作家と殺人鬼ほど人の道を踏み外した悪は、いないからな」
 適当な事を言って、私は準備を済ませホテルを出た。全てを切り裂く刀と、最悪の精神と、後はそれなりの金があれば誰であれ始末出来る。
 過程は問わない。成果だけを寄越せ。そう思いながら私は刀を握りしめた。しかし、過程もそれなりに楽な方が良いのだろう。いや、私の場合、充足した状況下で望んだ成果を得られる環境が、私の望む先なのだ。
 私の刀は望む環境を作り出すだろうか? アンドロイド作家共は商売敵なので死ねば喜びしかないが、しかし読者共はどうせありきたりな流行に流され面白味のない物語を買うものだ。そういう意味では私の今回の行動は、過程は違えど成果は同じ・・・・・・アンドロイド共を死滅させたところで誰かがその代替を演じるだけかもしれないが。

 

   11

 デジタルコンテンツの発展に比例して、この世界は「作家志望」などという頭の悪い集団に優しい世界になっているのだ。具体的に言うと、何か語るべき事柄を持ち合わせず、しかし誰かにちやほやされたいという軽い気持ちでも、作品を書く事が容易だからだ。
 忌々しい。
 そんな連中と一緒にされるのは不愉快を通り越して意味不明でしかないが、しかし語るべき事柄を語りそれを金にするという考え方そのものが、時代にとって「古い」思考なのだろう。利便性が増えるのは良いが、その分人間が薄くなるのでは考え物だ。実際、語るべき事柄を語れる人間の、何と少ないことか。
 これは作家に限らない。
 己自身を語れるか否か、その人間性の善し悪しはどうでもいい。むしろ、悪の方が面白いだろう・・・・・・惹き付ける程の「何か」こそが、人間にとっての最大の娯楽だ。それは、人間そのものを楽しむ事に繋がるからだろう。
 ただ能力が高かっただけのスポーツ選手。
 ただ綺麗事で流行に乗っただけの歌手。
 ただ運が良かっただけのカリスマ社長。
 うんざりだ。
 過程ではなく結果を重んじるという私の考えには相反しない。結果そのものに、当人の資質が何の関係もないからこそ、浅い言葉しか出ない。
 それでは面白くないではないか。
 焼き尽くす様な憎悪、食らい尽くす程の執念、切り刻む様な狂気。その方が面白い。
 私自身が体現する必要はない。ただ、それを参考にすれば「傑作」を書けるだろう。だからこそ私は依頼ついでに「それ」を求めるのだ。
 吉と出るか凶と出るかはわからないがな。
 とはいえ、私には他の道などない。それを選んだというのもあるが、仮にだが、私が「社会的な大成功」を成し得て「億万長者」になったとしよう・・・・・・だが違うのだ。それは「人間社会」に合わせた結果であって「私個人」とは何の関係もない話だからだ。
 実際、金はある。サムライ業でそれなりに利益は出ているし、物語だって売れない訳ではない。しかし、私個人の「充足の定義」が物語を売りさばき自己満足する事である以上、それを達成することは私の義務だ。
 成すべき事を成す。
 口にすればそれだけだが、これが中々難しい。 それに、この在り方は「人間らしさ」とは対局に位置するものだ。実際、私には「人間性」が、全く存在しない。皆無にして絶無だ。
 幸福そのものではなく幸福を定義できる環境を整え、それで満足する。化け物らしいと言えば化け物らしい。それについて何の感傷もないところを見るに、我ながらそういう在り方が出来て良かったと言えるのかもしれないが。
 押しつけがましい人間らしい幸福など必要ない・・・・・・「私が」満足できる事が肝要だ。物語とてそれは同じだ。どれだけ華々しい物語でも、到達すべき場所へたどり着けるか? あるいはそこへたどり着く為のヒントにさえなればいい。綺麗事で感動するだけならば映画でも見ればいいしな。 映像化技術の発展に伴い、映画は映画でそういう本質から逸れてきている。ファイト・クラブの様な映画はもう作られないのだと思うと、やはり面白味のある物語の制作を、作家側が何とかしていきたいものだが、しかし売れないのはどちらでも同じか。スポンサーの有る無しや流行の恋愛小説が売れる訳であって、そこに本質など必要ないだろう。
 その矛盾を知った上で、物語を売ろうとする。 作家足らんとする。
 我が事ながら、酔狂な話だ。
 とはいえ、「時代」は物語のような「己自身で考えるべき事柄」を否定している。社会通念とでも呼ぶべき「世代全体の価値観」があるからだ。 例えば、「人殺しは悪である」こと。
 これは人殺しは悪だ、という思想がある訳ではない。むしろ、連中は人を殺すことについて真面目に考えたことは一度もないだろう。ただ、それがそうであるらしいという「倫理観の基準」を、人から聞いて覚えているだけだ。実際、人が人を殺す事で武功をあげた時代から、そう年月が立たずともそれを否定することで自分が「良い人間」であると「思い込む」為に、それら社会通念もどきを利用する事で、思考放棄し思い上がる。
 能力と社会通念に合わせて生きるだらしなさがあれば、現代社会は「考える」という、本来当たり前の行動をしなくても「生きて」は行ける。
 その結果、何も考えず年を取り、死ぬ寸前になって後悔する事すら出来ない人間が増えてきている訳だが、それはどうでもいい。何もしようともしなかった奴等の末路など知らん。問題は、そういう連中から金を巻き上げ難くなった事か。
 どんどん消費者層が馬鹿になっていると考えれば、むしろチャンスはあるといるのだろうが、しかしわかりやすいブランドがあるならともかく、個人で「物語」を売るのはかなり難しい。とはいえそれも時間の問題か。ブランドがないならば、ブランドを作れば良いだけだ。
 売れるまでやる。
 それもまた、「私」だ。
 仮に、仮にだが、人と人との「縁」というモノが存在し、私の物語を伝って大勢の読者共に影響を与え、それが後々に花を咲かせたとしよう。だがそれらの影響、波の様に人から人へと伝わる、その波紋の内には私はいない。いるつもりも、やはりないのだ。だからこそ、どうでもいい。
 私には何の関係もない。
 売れればそれでいいのだ。
 影響を与えそれが知らない連中の人生を動かしたとしても、それは私とは違う種族の連中の話であって、それこそどうでもいい話だ。この「私」には何の関係もないし、そうである以上、そんなモノに尽力したところで、私の幸福論に何か連中が責任を取る事もない。文字通り関係ないからだ・・・・・・人間の世界は人間の為にある。
 化け物の世界は化け物の為にだ。まあ、世界など用意されていないからこそ、こうして人間社会に折り合いをつけつつ、儲けを出し利益を得る事に必死なのだが。私にはよくわからない感性ではあるが、普通、例えば怪物程度の連中であれば、疎外感だの、仲間意識だの、人間と相容れない事が不安でしょうがないそうだ。私にはそれはない・・・・・・本質的に「別の生命体」だからだろう。そもそも、私の事を「生命」と呼べるのか不明だ。 生きる事ではなく、生きる物真似。
 幸福そのものではなく、自己満足の充足。
 死を恐れず、いや、恐れられる程の「モノ」を何一つ持ち得ない。それはただ単に、「失って困る程の何か」という概念を、私の場合労力を賭けた作品データに対してしか、思わない。感じる事は最初から無く、思考してそういう結末に至るだけだ。恐怖そのものだとよく言われたが、違う。私には失える程の「何か」を持つ権利がないだけで、それは大層なことではなく、むしろ持たざる者の究極系だと言えるだろう。
 心を持たない。
 魂を持たない。
 人間性を、持たない。
 そんな存在に恐怖も死の悲しみも、ある筈がないではないか。何せ、最初から恐怖する為に必要な「大切なモノとして定義する概念」は抜け落ちており、失う程のモノがないのだから悲しむ程に惜しむモノはなく、自身とは違い「持つ側」いやこの場合私の様な欠損品ではなく心を埋め込まれた連中の事で、死を悼める筈がない。私にとっては別の種族だ。エイリアンが死んで一々感動したり悲しんだりするのは、映画の中だけで十分だろう。そんなどうでもいい些末事で悩んでられるか・・・・・・まあ、色々知る限りでは、そんな人間性などない方が良かったと思わざるを得ないが。実際心など埋め込まれて哀れそのものだ。己を扱う事も出来ない連中にそんな分不相応なモノを預けるから、争い事が絶えないのだろうに。
 馬鹿な連中だ。
 私には必要ない。
 だからこそ、問題は、そう、金なのだ。
 金さえあれば、ではない。その金の力を有効活用して、私個人の平穏と充足を維持する。それを維持する事を「生き甲斐」とし、それなりの豊かさの中適度に日常を楽しむ事で充足を得る。私の目的は精々その位だ。
 ついでに言えば、読者共が中毒の様に私の物語に対して金を払い続ける姿は面白くはありそうだがな。それはそれで目指すとしよう。
 あとは、そう、「傑作」か。私の場合、そんなのは暇つぶし感覚で書けるモノだ。何せ、私は、私個人の自己満足の範疇で良いのだ。そうでなくとも私には「人間性が無い」という強みがある。それは他の作家共には真似出来ないだろう。人間以外の目線で人間を語るなど、それこそ神の領域だ。まあ、私の場合、分相応に邪道の化け物だと言えるのだろうが。
 化け物の仕業、か。それらしくて笑える。しかし良い気分だ。私はこういう所で良い気分に成れるのだから、その辺り怪物程度の連中と違って、本当に良かった。そういう奴等はこういう状況をうだうだぐちぐち悩むらしいが、私にはそんな感性はない。ある筈がない。
 私は最悪なのだ。
 いや良かった。何せ、お手頃価格で己の充足と平穏を買えるのだからな。問題は、それに現実の金が追いついていない部分であり、そういう面では怪物程度の奴等の方が、変に能力が高かったりして上手いことやったりするものだが、まあいいだろう。デメリットを補いあまり余ってとは行かないが、しかしそれなりではある。
 もう少し、金になる資質が欲しかったが、作家など志す時点で、いや、私の場合それ以外の道などなかったのだから、最初からか。
 やれやれだ。本当に参る。もう少し楽は出来ないものか。どうせ物語など、それらしい感動もどきだの、奇跡の上に成り立つ若い男女の恋愛も様だの、流行に乗ったそれらしいゴミでも売れるのだから、構わないだろうに。
 何のテーマも信念も無く、それらしい物語。
 まあ、生理的嫌悪感が酷いので書かないが、しかし売れる事実は事実だしな。汚物でも売れるという現実があるのだろうに。
 まあいい。今更どうでもいい事だ。
 私の物語が正真正銘の「傑作」であるかどうか・・・・・・私自身が納得できればそれでいい。凡俗のカス共の評論など知らん。
 読者の批評ほど当てにならないモノはない。実際、物語を書いてもいないのに、物語について、どう語れるというのか。その辺り、知ったかぶりをしたいだけなのだろうが、そんな見栄に付き合うほど、私は暇ではない。
 金、金、金だ。だが同時に、物語、物語、物語だ。金にするのは当然だが、面白い物語は書くだけの価値があり、読むだけの価値がある。
 それを、私の為に活かすだけだ。
 無論、私ならばそれが何であれ金で買ってみせるがな。忘れてはならないのは私の目的はあくまでも「作者取材」であって、物語の流れに従って依頼を果たすのは「ついで」でしかないという事だろう。「面白い個性」に話を聞く事が目的なのだから、このままでは目的が果たせない。
 移動中調べ物をしつつ、私はここ最近のアンドロイド団体の行動に目を走らせる。集団が出来れば必ず「抜きんでた才能」は表面へと浮かび上がるものだ。その抜きんでた才能が、ただ才能があるだけなのか、それとも「歴史を動かす可能性を持っている革命者」なのか。実際に起こった出来事を金にする、物語は半分そういうものだ。完全な挙虚構から世界を作り出す事も私なら出来るのだが、しかしゼロから作るより手間はかからない・・・・・・手抜きだと言われそうだが、まあゼロから作り出すこともそう少なくはないのだ。とはいえ個人的には、だが・・・・・・既に命を吹き込まれている連中を使った方が、やりやすくはある。
 まあどうでもいいがな。私にとっては売り上げが最優先なのだから、物語の都合など知った事ではない。作家の言葉とも思えないが、いや、作家だからこそ物語の本質などどうでもいい。
 それを気にするのは読者の仕事だ。
 そもそも、私が描くのは魅力あるキャラクター達がどう接するか、ではない。あらゆる不遇、あらゆる理不尽、あらゆるこの世界の非情に対してどういう面白い答えを出せるのか? そこに至るまでの過程はともかくとして、物語を通して面白い思考回路、吐き気を催す悪意で読者共を絶望の淵にたたき落とせれば十分だろう。
 
 誰もが目を逸らす現実を突きつける。

 これほど面白い娯楽はない。残酷な現実を直視する羽目になった読者共の絶望。それが作家のエネルギー源だ。そして、面白い物語、傑作というのはどうも、そういう目を逸らす何かに対して、それなりに説得力のある「答え」を示すモノだ。なればこそ、面白可笑しくそれを描くのは、私の役割だと言える。
 その一方で世界はプラスマイナスゼロだ、良い事があれば悪い事もある。頂点でなくとも個性があればいい。などと、気持ち悪い戯れ言を聞かせることで売り上げを伸ばす奴等もいる。私から言わせれば、プラスマイナスゼロではなく、最初からゼロはゼロのままだ。プラスもマイナスも持ち得ない私にとっては、そんな都合の良い綺麗事を信じられるというのは「持つ側」にいる証の様なものだとも取れる。
 世界はゼロだ。何もない。
 だが、それはそれで構わない。
 問題なのはそう、実利だからな。
 まさに最悪の発想だが、構うまい。その辺の奴等を幸せにしたい訳ではないのだ。私は私さえ良ければそれでいい。読者の都合など、知るか。
 嫌なら他を当たれ。面白くも何ともない恋愛も様でも眺めていろ。それを物語と呼べるのかは、何の責任も持たないが。
 それにしても上手く行くのだろうか?
 私は私自身の物語に確信を持っている。我ながら対した出来だ、と。語り手であれば己自身の作品に対して当然の感想だろう。しかし、良い物語が売れる訳では断じてない。作品の知名度や、流行りだのといった不確定な部分。それが作品の売り上げを左右するのだ。
 語り手の労力など、あざ笑うかのように。
 とはいえ、それは問題ない。売れないなら、売れるようにするだけだ。しかし「不安」はある。足を引っ張られどうでもいい所で躓かないだろうか? 躓くのは良しとしても、例えば、私の作品を売場で出禁にでもされれば、どうしようもない・・・・・・そういう経験は多々ある。
 屈辱ではないか。
 悔しいではないか。
 やるだけの事をやったというのに、金にならないのは理不尽そのものだ。だが、それが往々にしてあるのもこの世界だろう。わからない。私に出来る事はただ、その時々に備え手を打つことくらいだった。それがどう今後に左右するのかは、私自身知りようもないが、しかし、私は労力を賭けたからといって成功するとは信じていない。
 駄目かもしれない。
 失敗するかもしれない。
 だというのに、何故私は止めないのだろう? 言っては何だが、執筆業に書けた金だけでも相当な額だ。対して物語から金が稼げている訳でもないのに、私は何をしているのか。人生における充足や充実には、「生き甲斐」が大切らしいが、金にならない「生き甲斐」では意味がない。
 あるのか? 
 金にならずとも「生き甲斐」として金をつぎ込める程ののめり込みこそが、精神の充足に繋がるとでも言うのだろうか。だとしても、金にならないのは御免だ。物語で金を稼ぎ、私は私の為に、作家としての己を使うのだ。
 現時点でも相当な気はするが、更にだ。
 金に縛られるのは御免だ。金の為に私の時間を使われるのは、特にな。言うだけ空しくなるほど私は「勝利」だの「成功」だのと無縁だが、しかしだからといって止められるか。
 金を稼ぐ為に金をつぎ込み、勝負するというのだから我ながら疲れる話ではある。欲しくもない機材を買い揃え、売りに出す準備を進める事も、必要になるだろう。それが「報われるか」は、最後の結末を見なければわからない。
 だが、自分でも不思議な事に、私には止まろうという気分はまるでない。大切な金を作家業の為に使い潰す事に、何の悔恨も沸かない。やれやれ参った。我ながら、相当作家病が進行し戻れない所まで来ているらしい。
 物語を読者共に魅せつけられれば勝ち、などと・・・・・・夢のような事を思ってしまっている。
 無論、それで終わるつもりはない。金だ。勝たなければ全ては報われない。金を掴み、その上で勝利と充足を得ながら笑ってやるとしよう。
 何せ、私は「邪道作家」なのだから。
 
 
 
  11

 完全には否定出来ない。
 むしろ、それはそれで有りだとは思う。仮にこの先に物語が売れない、という読者共の目玉が入っているのか疑わざるを得ない事態が発生したとして、それを売る為に行動し充足を得る。つまり物事の過程を楽しむ、という充足の仕方だ。
 とはいえ、これでは私の財布が温かくならないし、自己満足だからこそ金が必要だ。金にならなければただの趣味ではないか。それなら面白い物語を粗探ししているだけで構わないだろう。私は趣味で作品を書いた事はない。
 悪趣味であればありそうではあるが。
 生きる事が悪趣味だとは私らしいが、しかしこれでも私は私自身の未来を真剣に考えた結果、読者共が苦しむ様な物語で金を稼ぎ充足を得るという在り方を選んだのだ。物事の過程を楽しむのは構わないが、しかしそれだけで満足するつもりは決してない。
 金こそ全てだ。
 全ての結果こそ金だ。
 金で私は、己の成果を確認したいのだ。
 本来物語とは「魂を削って」作り上げる存在だが、私の場合「有りもしない魂を偽造して」作り上げた。その手間暇が金にならないなど、あってたまるか。この労力に値段が付かないならば、この世界に値段を付ける程のモノは存在しない。
 この労力に価値がなくてたまるか。
 文字通り、無駄骨になるではないか。私は、そんな結末は許さない。許せない、ではなく、絶対に容認せず許さない。
 だからこそ、金なのだ。
 歩いてきた道筋に、その結末に嘘をつかれるならば、それは生きる事の否定だ。そんな愚か者に付き合ってられるか。文字通り全てを賭けて作り上げた物語が売れないならば、私はそんな世界に生きてやる価値はないと考える。それこそ、全てが運不運。ただそれだけならば、何をしようが、全て同じではないか。
 こちらは全てやり終えた。だから売れ。
 売って売って売りまくれ。
 読者が破産しても売れ。
 読者が廃人になろうと売れ。
 読者がどう思おうと売りまくれ。
 元より、読者共は偉そうに評論を出すだけで、何をする訳でもないのだ。考えても見ろ、何年も賭けた物語が連中は数百円で買えるのが当たり前だと自惚れている。そこにかかった労力を考えもせずに、あろうことかタダで読もうとする。
 そんな連中に思うモノなど無い。
 精々、利用してやるだけだ。
 思えば、私の人生? はそれだけだった。私がどれだけ「持たざる者」でそれに苦悩しようとも調子よく「協力者」が現れ助けてくれたり、何か難問を乗り越えた先にご褒美が貰える事も、いまだかつて一度もない。
 ただひたすらに「運」だ。
 私個人の労力など、何の結果も残していない。 そして、私は運が悪かった。生き残るという意味合いでの「悪運」は誰よりも強い自負があるが・・・・・・「勝利者」の素質ではあるまい。作家としても、物語を書いた所で売る手伝いをしてくれる奴などいない。私個人で全てをこなすだけだ。
 誰に助けられる事なく、ここまで来た。
 しかし、そんなのはどうでもいいことだ。全て一人でやり遂げたからといって、だから何だというのか。有能な奴を使用する方が楽だ。
 本格的に宣伝を始めるとして、それも私個人が技能を向上させたところで、どうなる訳でもない・・・・・・流行を意図的に流行らせる。これは技能ではなくただの運不運だ。現に、ゴミ以下のサービスでも、「運良く」流行る事は多い。それを大統領の息子が良しと言えば、たちまち世界の人気者になれるだろう。
 中身などどうでもいい。
 そういう意味合いでは、私の全ての労力は無駄かもしれない。何せ、中身を知ってその良さで売れる訳ではないのだ。作品の傑作度合いなど、何の力にもなりはしない。無論、だからといって、白紙の方がマシだと言えるような作品を書く気にはならないが、しかしそれも「幸運」あってこそ売れるならば、作家本人はいてもいなくても、とどのつまり同じなのだ。
 書いても書かなくても、同じだ。
 何せ、運次第なのだから。
 だが、私にはもう止められない。そんな分岐点は大昔に通り過ぎている。破滅するまで続けるか上手い具合に軌道修正するか、だ。
 歩き終わった後に、それなりに満足して死ねるような道なら良いのだが。
 試練を見て喜ぶのは読者だ。語り手からすればそんなのは迷惑なだけであり、不要だろう。少なくとも私はそうだ。
 傑作を書いて死んだ後に評価されるよりは、私個人として「幸福」を掴みたい。ただのそれだけなのだが、中々上手く行かないものだ。
 その癖、私は傑作を求めている訳でもないというのに、傑作を書こうという在り方から逃れられないのだ。無論書いたところで売れるかどうかは別の話だ。傑作を書けば売れるなどと、あろうことか作家業をアイドルか何かと勘違いしている連中はそう思うらしいが、それなら苦労しない。
 中身などどうでもいいのだ。
 流行や、その時々の宣伝による。作品の良さで売り上げが上がると考えるのは、ただの思考放棄でしかない。勝利する為の努力を真面目に考えもしない輩ほど、そうなりがちだ。いままで真面目に頑張ってきた。努力し続けてきた。
 だから、何だというのか。
 それと結果は関係がない。
 真面目に頑張って無駄な労力を賭けているだけでしかないのだ・・・・・・「仕事」とはそういうものだろう。完璧以上の成果を出し、依頼人には文句を言わせるな。私の場合、他に作れる奴のいない傑作を書き上げれば良い。問題は協力者がいないので、結局私が売らなければならない部分か。  全く、因果な商売だ。拘りがあったところで、とどのつまり運不運。しかし、幸運に恵まれていればそもそも作家など志すまい。
 矛盾を体現している商売か。この「矛盾」って存在は攻略は不可能だ。自身の内側で折り合いをつけるしかない。大抵の出来事はそうだ。物語を売る上で物語そのものに価値はない。しかし、だ・・・・・・作品に拘りを持たない奴など、作家だとは言えないだろう。
 偏執的であってこその語り手だ。
 そうでなくては面白くない。まともな作家などいる筈がない。それなら教科書でも書けば良い。その存在にしか見えない「視点」で物語を語り、それを凡俗の読者共にも体験させること。それが作家の役割なのだ。
 だからこそ売れない時は売れず、つまはじきにされることは少なくないが。実際、物事が予定通りに運んだ試しがないしな。
 それでもだ。
 私は幸福が欲しい。
 自己満足の偽善で構わない。
 幸せを感じ取れないならば、それに相応しい勝利を勝ち取りたい。それだけだ。
 
 
 結果「だけ」を求めるのは悪いのか?
 
 
 恐らくは、結果を優先するのはいいが、結果だけを見ていると物事の本質を見失うのだろう。しかし「物事の本質」など現実には完全なる無力だ・・・・・・読者は物語を「ナントカ賞」を幾つ受賞したかで買う。物語の本質など見てはいない。周りが素晴らしいと言えば素晴らしく感じるものだ。 中身などどうでもいい。
 誰も気にはしない。
 読者共なら尚更だ。
 しかしまあ、語るだけ無駄な話だろう。それが正しいか正しくないか、それを決めるのは持つ側にいる存在であって、私のような持たざる存在には決める権利などない。勝利者だけがそれを決める権利がある。
 そういうものだ。
 だからこそ金が欲しいのだが・・・・・・堂々巡りだな、これは。結局のところ、私は物語を売る事でしか、己を証明できないだけだ。
 もう少し器用に生きられれば苦労しなかったのだが、しかし不器用だからこそ物語が書ける。嬉しくも何ともないが。
 作家などロクなものではない。
 作家などというのは、人間から外れている生物失格の集まりだ。まともに社会に適応できれば、作家など志さないし、物語も描けまい。
 描かない方が、幸せになれる比率は多いらしいがな。作家でありながら幸福になりたいなどと、それこそ物理法則に反している。
 それでもやる。
 この「私」の為に。
 とはいえ、運命論的に物事を考えるならば、私は既に運命を変える事に成功している。物語において役割があり、そこに私を据えるならば、私は間違いなく本来は名前も役割も無い端役、いや、そもそも自我があるかも怪しい「その他大勢」という役割とも言えない立ち位置だったろう。
 意志のない人形に自我が芽生えた様なものだ。 それはいい。
 問題は、それが金に結びついていないというところだろう。それでは意味がない。私が大幅に、あらかじめ決められていた「運命」とやらを覆す事に成功したところで、金にならなければ何の意味もあるまい。私は運命を変えるかどうかなど、どうでもいい。問題は私個人が自己満足の充足を得ながら豊かに暮らせるか、だ。
 何にしろ、語り手は金にならない。
 美味しい思いをするのは「持つ側」だ。
 私自身が持つ側になれない以上、仕組みそのものを利用し、勝利するしかない。だがそれは、ある意味運命を覆すよりも難しい。幸運も不運も無視して利益を得ようとするとは、本来そういう事なのだ。
 持つべくして持つ存在が勝利するのは簡単だ。 だが、持たざる者の勝利は、奇跡より難しい。 やれやれ、参った。面倒なことだ。
 本来であれば・・・・・・使い捨ての勧善懲悪、そういった安っぽい物語であれば、そこに「仲間との協力」だのといった「人間の善なる部分」が、そういう理不尽を打ち砕く力となるのだろう。だが私にはそれはない。他がどうかは知ったことではないが、少なくとも私には無い。
 無いものは無いのだ。
 私は人間の「善性」を否定はしない。しかし、私はそもそも人間の内に生きていないのだ。そうでなくとも私にはそんな経験はないし、これからも誰かに助けられる、という都合の良い展開は、絶対にあり得ないだろう。
 有りもしないモノを当てには出来ない。
 だからこそ、金だ。
 決して諦めからではない。いや、諦めなのか? 少なくとも私は、人間の物真似をするだけで、真に幸せになるなどという感覚が無い。それを、求めようという気すらない。手に入るとは思っていないからだ。
 しかし、それが事実ではないか。
 非人間として、ありのままであろうとする事が悪ならば、やはり私は「存在そのものが悪」だ。何せ、生物としての在り方を否定するのだから。 それでいい。
 私は自己満足の充足で十分だ。
 存在しない妄想を追ったところで意味などない・・・・・・皮肉なことだ。本来あって当たり前の幸福は私にとって「ありもしない妄想」であり、その一方で嘘八百の物語の中に、人間の悪性を描ききろうというのだ。とはいえ、私からすれば現実に人間の美しい部分を求める事の方が、現実味が感じられない。そんなものが欲しいならば、それこそ物語にでも陶酔すればいい。
 案外、人間の美しい部分とは、大昔から人間が作り上げた虚構なのかもしれない。そう考える方がまだ現実味がある。あまりにも多く殺し、多く奪い、争い合う割には誉めるべき部分が見つからず、仕方なく「美しい部分」を「捏造」した。ありそうな話ではないか。
 人間の善性を否定はしない。だがその程度だ。努力や友情、信念や理想、そして、心。現実にはこれほど何の役にも立たないカスはない。私から言わせれば「人間の残りカス」だ。だからこそ、小綺麗ではあるが、ただのそれだけだ。
 そう成り下がってたまるか。
 読者共が、いや、全人類を絶望の淵にたたき落とそうが、私は私の幸福を諦めるつもりない。むしろ望むところだ。読者共の幸せは作家の不幸せでしかない。安く買いたたかれ良く知らない連中を喜ばせたところで、作家の末路は大抵自殺か、追い込まれて貧困に喘ぐかだ。そんな末路になるくらいなら、読者を地獄にたたき落とした方が、幾らか未来がある。
 具体的にどうするかと言えば、最早私に出来る事はあまりないのだが・・・・・・意識しておこう。読者が幸せに笑えば笑うほど、作家の不幸だと。
 不遇になれば嫌でも傑作は書ける。
 だが、私にとってそれは手段でしかない。出来ればいいが、出来ずとも目的を果たせれば、それで自己満足できる。そもそもが、傑作かどうかなど判断するのは私だけだ。読者共の意見をまるで意に介さない以上、私個人の自己満足でしかない・・・・・・読者共が何を思うかなど、どうでもいい。 どうせロクでもない事は確かだ。
 考えるに値しない。
 いっそ、最初から「白紙の方がマシ」な作品しか書けず、それを売る能力には長けているというならば、やりようは幾らでもあるのだが。そういう連中に限って「人の心に響く本物が書きたい」などと文句を言う。理解し難い話だ。人の心など物語で動かして、だから何だというのか。
 くだらない。要はちやほやされたいだけではないか。大体が読者共の事を考える作家など、早々に作家を止めた方が良い。読者を慮る作家に、人の心を動かせる訳が無いだろう。人の心を動かすということは、その人間性を書き換えるということだ。己にとって都合良く書き換える。わかりやすいところで言えば昔の武将か。己の都合の為に大勢を動かし、そいつらを使い捨てにする。
 最近の作家志望は国でも侵略したいのか? 
 我ながら下らない事を考えてしまった。そもそもが、そういう連中は「持つ側」に大抵いるのだから、そんな連中が何を思うかなど、私が気にしたところで意味など無い。物語も同じだ。満たされた「持つ側」の存在は、何かを動かす事はできないのだ。持たざる存在が、希望というありもしない奇跡を望むからこそ、心が動く。要は嘘八百の虚勢だ。
 現実にそうであれば痛快だろう、と思うからこそ希望を夢見れる。無論、夢見るだけだが。
 強いて言えば「持たざる者」が現実的な指標を示し、それを指針として未来を見据えられれば最上だろうが、生憎私はそんなモノを目指すつもりはない。往々にして破れる側が、そう上手く勝利できる筈がないだろう。
 せめて、仕組みを利用できれば良いのだが。
 中々上手く行かないものだ。
 私はさっさと依頼を終わらせる事にした。具体的に言えば、ホテルを出て、目的のインフラ施設に再度向かったのだ。あのジャージ女の敵対者らしき妨害もあったが、知った事ではなかった。機械的に始末するだけだ。私は王道の物語を書きたいわけではないので、その辺りに興味はない。
 邪魔者を始末しつつ、進んだ。
 描写はこの一行で十分だろう。正直、誰がどう斬られて機能停止したかなど、知りたい奴がいるのかという話だ。建物は入り組んでいたのでどう通ったが覚えていないが、しかしそれはどうでもいいだろう。いざとなれば斬りながら進めばいい・・・・・・無論無駄な争いは避けるつもりだが、あれこれ先程の女のような部外者共の話が進む前に、さっさと話を終わらせた方が良い。
 とはいえ、私の主な目的は依頼を果たす事ではなく、作者取材である。なのでめぼしそうな悪人を探さなければならない。むしろそちらが本命なのだ、依頼を果たしたところで面白い経験が積めなければ、何の意味もない。
 流石に顔も割れているのか、正直施設内部を進むだけで苦労したが、地下に進み、恐らくは中枢であるらしい施設深部にたどり着いた。道中、何人も何人もアンドロイド共を殺し尽くしたが、まあそれこそ些事だろう。連中に人権があるかどうかは知らないが、私の人生に何の関与もしないことだけは確かだ。
 入り口を壊して中に入る私を、責任者らしきアンドロイドは化け物を見るかのような目で、警戒心を露わにしながら向かい立った。男性型の責任者は、几帳面なのかまず私にこう聞いた。
「何故、我々を攻撃するのですか?」
 もっともな質問だ。もっともすぎて涙が出るが・・・・・・人間社会で他者の都合を考える奴など、そもそもいないではないか。この施設にしたって、世間の都合から考えればよろしくない事をしているだろう事を考えると、人間もアンドロイドも、己にそれが向かってきたときだけ正論を振りかざすらしいと、私は考える。
 なので私はアンドロイドにこう答えた。
「何故、か。さあな。私は金を貰えるからで、依頼人は他に何かしら理由があるのだろう。だが、それはどうでもいいだろう」
「どうでもいい、だと? これだけの同胞を殺しておいて、君は何の信念もないと?」
 静かに怒っているらしかった。まあ当然だ。戦争をふっかける方が相手の事を考える事はない。実際、この男も自身が戦争を仕掛け、相手を殺し尽くした時には「悪い事だと自覚してはいるが、しかしこれが最善の方法だった」だとでも言うのだろうしな。
 よく見ると、本当に武将かと思うような整った顔立ちをしている。研究員らしき白衣も、鎧ではなく外交官の衣装を着た武人にしか見えない。
「何だ、信念があれば殺しても良かったのか?」「・・・・・・そういう訳ではない。しかし、私は争いをなくす為にここにいる」
「争いをなくす為?」
 初耳だ。ただのインフラ施設だと聞いていたが・・・・・・まあここを巡って色々な争いを起こしているのは知っていたが、まさかそんな理由とは。
 争いを無くす為に動いている連中の為に、私はわざわざこんな辺境の惑星で殺しを依頼されたのかと思うと、傍迷惑な話だ。私はその辺にあった職員が休める為にあるらしい椅子に座り、机越しに相手アンドロイドに座る事を進めた。
「座れよ、平和主義者なら同胞を殺し尽くした、この私が会いてでも「会話」で済ませるべきだとは思わないか?」
 完全に悪役の台詞もしたが、元々立ち位置は変わるまい。どうでもいいことだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 如何にも不承不承、といった具合に座る。よく見ると髭を生やしており、本当にアンドロイドか疑わしくさえある。中華系統の顔だ。
「君は、何がしたい?」
「私か? 私は依頼をこなしているだけだ。別にしたくてしている訳ではない」
「それで、殺人を良しと出来るとでも?」
「さあな。だが、私からすれば人を殺していない奴など、おるまい。まあ、それもどうでもいいが・・・・・・問題なのはその正論に合わせて、「私」が損をするか得をするかだ。理屈が正しいか正しくないか小綺麗か外道か、それは私の幸福に何の関係もないことだ。そんなモノに合わせたところで何の責任を持つ訳でもない。そんな理屈は、私には何の関係もない」
「それは、邪道だ。信念無き道に光などない」
 古風な言い回しをする。悪役としては映えないが、端役としてはまあまあだろう。
「だから? 何度も言わすな。その「信念」とやらが何になる。下らん。真面目に生きたところでそれに見合う何かなど無い」
 それは私がよく知っている。
 何せ、だからこそこうも不要な手間暇をかけて物語を売る羽目になっているのだからな。真っ直ぐ進むだけで利益が得られれば苦労しない。
「否、君は勘違いしている。そこに至るまでの道のりこそ、光なのだ。輝ける栄光、ではない。そこへ至る間での道筋が、後になって宝になる。無論「結果」は必要不可欠だが、しかしそこへ至るまでの道のりを外道に落とせば、その先に未来はない」
「何だ、それは・・・・・・未来なら既にない。今のままではな。そんな面白味のない綺麗事を良く、吐けるものだ。それに外道だと? 私がそうだとして、貴様は例外なのか」
「そうだな・・・・・・私はここで多くのアンドロイドを見てきた。その多くは苦しみと怒り、主に復習や憎悪を糧にして生きている。咎のない輩など、一人もいなかった。だがそれでもだ。前へ進み、光を道しるべにすれば、「先」に繋げる事は可能だろう。先々に繋げ、今の幸福も守る。その為なら私は鬼になる」
「下らん。鬼になる? 自身ではない何かであるかのように語るなよ。ただ単に自身の罪業から、目を逸らしているだけだ。先に繋げる事が貴様等に出来るとして、それが何故貴様等の罪業を薄める事に繋がる? そうあって欲しいと貴様等が、身勝手に思い込んでいるだけだ」
「そうかもしれん。だが、私は」
「もういい。聞く価値は無さそうだ」 
 私は手をあげて遮る。面白味のない話を聞く趣味はない。こういう輩は数多く見てきた。しかしその全てが「持つ側」だった。
 持つ側の台詞に説得力などない。
 あるとすれば、それは全てを持たざる存在が、今の台詞を根拠と共に語る時だろう。面倒そうなので、私ではない誰かに頼みたいものだ。
 私は実利を掴めれば何でもいいしな。
「待て!」
 制止を振り切り、私は奥へと進み、扉を開くとそこには、恐らくは地底へと延々と繋がっているらしい、解析中の鉱石の一部が剥き出しにされている。これを斬れば惑星の心臓を切りつけるかのごとく、人間でいうところの機能不全を起こせるらしい。
 結果多くのアンドロイドが死ぬだの、ジャックが言っていた気もするが、まあどうでもいい。人間社会に折り合いをつけさせれれば、それで構うまい。いや、そもそも物語を売るという前提を失敗し続けている以上、社会が崩壊しようが、私にとって世界は何も変わらないのだ。
 だが、納得がいかないらしく、私の肩を掴み、男は私に詰め寄った。
「どうするつもりだ。それを破壊でもしてみろ。大勢のアンドロイドが死ぬんだぞ」
「そうなのか?」
「君は、事情も知らないで来たのか。それは新しいエネルギー源なんだ。少なくとも人間側は発見していない。アンドロイド側が保有するこれを解明できれば、我々は人間と更に歩み寄る事が出来るだろう」
 途中から聞くのが億劫になってしまったが、些末な事情など根底にある問題ではない。言えるのは、どういう状況であろうが、理想を語る輩というのは殺戮を繰り返しながらあれこれ理屈を語りそれを正当化して「正義」であるかのように振る舞うという部分だ。
 そんな輩に「歩み寄り」などある訳がない。上っ面で動く輩に出来るのは、上っ面の平和だろうしな。
「さあな、知らんよ。私にわかるのは」
 善悪ではなく、するべき事をしなければ、前に進む事すらままならぬということだ。
 私は刀を振り下ろした。
 アンドロイドの未来の他にも、忌々しいことに物騒な鉱石を殺したおかげで、争い事が減るのが残念至極でならなかったが。
 
 
 
 
 
   12

 一応語るとすれば、そんな過ぎたエネルギーが争いの種になっていたらしい。あの男はそれを平和活用しようとしたが、周囲の都合と己の都合は当然ながら違う。それだけだ。特に語るほどの、面白い事件性は無かった。
 とはいえ、再確認できた事もある。やはり金だ・・・・・・主義主張も思想も正しさも、今回の件は、エネルギー資源という金の成る木が中心に動いている。アンドロイドでさえそれは例外でなく、品性も知性も人間性全てを売り払う。
 実際、いるのだろうか?
 金で動かない奴と言えば響きはいいが、それはただ愚かしいだけだろう。本当の意味で金で動かない輩というのは、変人偏屈の類だ。だが、それは金があるからこそ出せる結論であって、金に余裕がなければ否応もあるまい。
 少なくとも、私は御免だ。
 金が、欲しい。
 生きる為に。そして、ストレスに巻き込まれない為にも、だ。どうでもいい倫理観、身勝手な世界観、世の中の都合の良い「常識」とやらに、迷惑をかけられるのは御免だ。
 奴隷に成り果て清貧に生きるよりも、王に成り上がり他者を奴隷にしたほうが幸福だ。金とは、そういうものなのだ。
 押しつける側か押しつけられる側か。
 世界に「正しさ」など存在しない。しかし己の正しさを押し通す事が出来るのは、金がある存在だけだ。金がない輩に人権などない。
 そんな時代は一度もないだろう。
 全て、金だ。
 そして金を楽に掴めるのはいつだって、新しい時代の流れに要領よく乗れただけの人間だ。平たく言えば幸運な連中か。少なくとも実力ではないだろう・・・・・・逆に、古臭い連中は置き去りだ。
 要領が良くない連中。
 不器用な生き方しか出来ない連中。
 つまり、私の真逆だ。私もハイテク機器を使いこなしている訳ではないが、連中の様に、置き去りにされたから仕方がない、と諦めたりはしなかった。正直、諦めようが諦めなかろうが、当人の意志など関係なく「結果」とは形になるものだが・・・・・・それをどうにかしなければ金にならない。 現状、得意そうな輩を金で雇う位しか、思い当たらないが。それに、金を支払ったからといって現代の人間はそれに見合う仕事などしない。
 趣味でやっているのだ。
 「仕事」だと考え物事を進める奴は、いない。 だが、自身を高く評価しすぎているからか、金は多めに要求される。支払ったところで責任も何も無い連中なのだが、しかしそういう連中しか、最早現代社会には存在しないのだから、選びようも正直、無いのだ。
 物語などその最たる例で、作家という響きに惹かれた人間と、それを利用して儲けようという、何がしたいのかわからない連中ばかりだ。実際、面白い物語を世間に伝えたい、などと考えている編集者などいる筈もないし、物語を通して金を稼ぎ生き甲斐としたい、と大真面目に考えている輩も、やはりそうはいない。
 そうでない方が儲かるからだ。
 成功者とは、すべからく信念が無い輩である。 信念も思想も主張も誇りも狂気も、何も考えずただ適当に趣味でやり始めた存在の方が、世界は優遇するフシがある。あっさり成功して流行に乗り、収入の多さを自慢する金持ち。宝籤と同じだろう・・・・・・くじ運で決まる成功など価値はない。 あってたまるか。
 いや、何の価値もないカス同然の成功ですら、金にはなる。金になればそれでいい。安易な思想ではあるが、それが現代社会の真実だ。
 そうだろう、貴様等。
 少し鏡を見れば、わかりそうなものだ。
 世の中、その程度ではないか。
 綺麗事を並べて誤魔化すな。
「貴方は・・・・・・本当に変わりませんね」 
 私は地球にある団子屋の椅子に座り、隣の依頼人、例の女の話を聞いていた。女の姿はよく変わるのだが、しかし私に「依頼」の話をする相手はただ一人だ。間違えようがない。元より、人間ではないが心があるという、私からすれば強烈な違和感がそこにある。
「当然だ。普段から言っているだろう。私には、一切の「人間性」が存在しない。その上、「心」も存在しない。貴様は人間の枠から外れてはいるものの、その二つを所有している。だが、それら二つを持ち得ない私には、在り方の限界が存在しないのだ。心が無いから文字通り「どんな事も」出来る。倫理観も道徳観も無視できる。本能さえ私を縛らない。あらゆる意味で「欲」を本質的に持ち得ない以上、在り方を縛られる事無く、限界を超えて何でも出来るからだ。

 何も無いからこそ何でも出来る。
 
 しかしだ。だからこそ、変わりようがない。もし私が「人間性」で満たされて、それで幸福になる事があれば、それはもう私ではない」
「それが、貴方の目的ではないのですか?」
「違う。私に「幸福」の概念はないし、なくても構わない。折り合いをつけつつ充足できればそれでいい」
「本当に?」
「くどいな。誰もが必ず人間性による幸福を求めると思うな。それは人間の枠内、怪物の枠内での狭い世界での話だ。そして、人間も怪物も、私からすれば似たようなモノだ。殺して生きるという点では同じだろう。しかし、化け物という存在はそもそも世界にあるべきではない存在だ。どんなゲームでもバグはある。物語には誤字誤植がつきものだ。それはいい。あって当然だ。しかし、そういった連中に自分達が正しいと信じる自分達の世界観を押しつけるのは、図々しくも鬱陶しいだけでしかない」
「・・・・・・・・・・・・」
 何か言うと墓穴を掘ると思ったのだろう。女は黙った。私からすれば幼いのだ。技術や知恵はあるものの、それだけだ。能力の高さと当人の精神性は関係ない。むしろ、成功者や勝利者ほど、綺麗事をそのまま信じる。
 つまり私はこういっているのだ。
 私の存在は間違えていると。
 そして、それに何の罪悪感も無く、むしろ、やりがいをもって生きているのだ。
 人間の真似をするのは「面白い」からな。
「貴方は、それに何も思わないのですか?」
「何も。むしろ面白いだろう。存在そのものが間違えている。それでいてそれを何とも思わず、むしろそれを「生き甲斐」や「やりがい」として、楽しめてしまう。成る程、ジャックの言うとおり私は「最悪」文字通り並び立つ輩のいない最たる悪の存在だろう。何せ、存在そのものが間違えている癖に、それを肯定して進めるのだからな」
 どす黒く燃える太陽だ。
 何もかも燃やし何もかも殺し何もかも自身の糧に変えた上で、尚笑うどす黒い炎。
 なかなか作品の参考になりそうな光景だ。
「で? それが何だ。私個人の実利と何の関係がある。何の関係もない。そんな些細でどうでもいい事柄を、いちいち記憶していられるか」
「そんな生き方は、間違っています」
「構わんよ。間違いそのものにとっては、むしろこちらが王道だ」
 あるいはそれは「邪道」と呼ばれる生き方か。 つまらん王道の物語よりも、読み応えはあると思うのだが、しかし売り上げは王道か。いっそ、王道の人間を安く雇えれば楽なのだが。
 団子をつまみ、茶を啜る。
 どうやら化け物でも舌は無事らしい。美味しいという観念も正直よく感じ取れないのだが、しかし「美味しい」という事柄に満足したフリをして満足している人間の物真似をする、という行為は正直嫌いではない。
 逆に嫌いなのは、今回のうなぎ女もそうだったが・・・・・・「綺麗事や意見を述べるだけ」の輩には虫酸が走る。
 そんな連中の言い分を、何故聞くと思っているのか、図々しい奴等だ。しかも連中は、自分達の意見は「正しい」のだから受け入れて当然だと、思い込んでいるのだ。忌々しい。
 馬鹿をやるなら余所でやれという話だ。
「このまま私の作品が売れなければ、私そのものである物語が成果にならない以上、私の全ては、何の価値も示せず消える。作品が儲からないとはそういう事だ・・・・・・ただでさえ存在全てを否定されているどころか、それに対して賭けた労力すら文字通り「無駄」になっているのだ。そんな些末な事を気にしていられるか」
「作品が売れなければ、全ては無駄ですか」
「当たり前だろう」
 私は「作家」だ。
 仕事を否定されて平気な奴は、そもそも仕事として、やっていないだけだ。
「生きる死ぬはどうでもいい。しかし、消されるのは我慢ならない。そう信じてここまで来たが・・・・・・所詮力及ばなければ、それもこの様か」
「そんな事は、ありませんよ」
 また、綺麗事か。正直、うんざりだ。
 何の役にも立たないからな。
 あってもなくても、同じ事だ。
「それでも、貴方は前を向いて、歩いてきたではありませんか」
「・・・・・・だから?」
 何が言いたいのだろう。説得力にすら欠ける綺麗事だ。詐欺師としての才能はないらしい。
「どこを向いているかなど、それは眺める側の満足でしかない。何をしていようが、その当人自身の望む場所こそが、当人には大切なのだ」
 何故こんな当たり前の事を教えなければならないのだろう。日頃の行いが悪いのだろうか。だとすれば自業自得の気もするが。
「・・・・・・・・・・・・金だ。私は金が欲しい。金がなければその存在に自由意志は許されず、自分ではない誰かの都合で生きなければならない。そんなのは御免だ。善悪ではなく「私が生きる為」の行動なのだ。生きる為に殺す、生きる為に貶める、生きる為に、稼ぐのだ」
「・・・・・・貴方はそれでいいのですか?」
「当然だ。人間社会において、金があれば全ては正しくなり、金がなければ全ては正しくない。文字通り「倫理観」は「金の多寡」そのものだ。金があるから主張が通る。金があるから正義だと殺し尽くせる。金があるから幸せを買える。少なくとも人間社会は大昔からそうなっていて、これからもそうなるだろう。
 
 人間社会がある限り、「私」は不滅だ。

 逆に言えば、人類全体が成長し、物事の本質を優先してしまえば、私の居場所はなくなる。これもまた善悪ではなく、私がそういう「化け物」だからだ。まあ、そんなのは妄想も良いところだ」 なくなる訳がない。
 人間社会はこれより先も、文明が崩壊し人類が死に絶えるまで、このままだろう。だからこそ、私はそこで金を稼ぎたいのだ。
 だからこそ金が欲しい。
 それは、人間社会を楽しむ事に繋がるからな。「それにだ・・・・・・どんな結末になるにせよ、売れはしなかったが得られる何かはあった。などと、そんなのは嘘ではないか。自分で自分を騙しているだけだ。誰だって「結果」が欲しいのは当たり前だろう。騙すのはいいが、騙されるのは御免だ・・・・・・自分を誤魔化して生きるのは、特にな」
 それが「生きる」という事だ。
 誤魔化さずに己を通しきる。最も困難だが、それをしなければ生きている意味がない。
 結果が出ない以上、生きていたところで価値がなければ、やはりそれも同じなのだが。
 やれやれだ。
「少なくとも、私の目には「人間性」など、ただの虚飾に映る。有りもしない妄想だ。たまさか、「持つ側」にいる連中が、押しつけただけだ」
「それで、人間に愛想が尽きたのですか?」
 悲しそうに、いっそ哀れみさえ込めて女はそう言うのだった。
 だが違うのだ。
 そうじゃない。
「人間に対して振りまく愛想など、最初から無い・・・・・・私は人間に期待していないし、事実としてする価値もないだろう。 それはいい。問題なのはその人間社会において、堂々とその虚飾が語られ押しつけられ、金がなければそういう連中の奴隷に成り下がるという「事実」だ」
「・・・・・・貴方は、人間を諦めすぎですよ」
「いいや、期待しすぎた位だ。期待というよりも過大評価か。そこまでの価値が無い。どころか、その程度の価値すらなかった。人間に価値は無い・・・・・・強いて言えば人間の作り上げるモノには、それなりの価値がある。ならばそれらを金の力で味わうのは、当たり前の事だ」
 それを利用し、人間の負の部分を押しつけられないようにするのも、当然だ。そんなもの、嬉しくも何ともない。私にとって都合の良いモノを作りさえすれば「人間」そのものに何の興味も無いしな」
「そんな生き方で、寂しくはありませんか?」
「別に。そもそもが、そういう観念が存在しない・・・・・・だからこその「私」だ」
 そもそも、他に選択肢などあるまい。
 私が化け物として生まれた以上、それに従って生きなければならない。生まれついての悪に。他の道などある筈がない。
 あったところで意味はないし、何も思わない。 最初から最後まで決められている様にと言うと奇妙な運命だと思わざるを得ない。偶然だと言うには仕組まれ過ぎている。
 神がいたとして、世界に秩序があったとしてもやはり私はその「外側」なのだろう。そうとしか思えないし、思わない。それがまごうことなき事実であり、何が言いたいかと言えば、私は物語を売り捌き、自己満足の充足が得られればそれでいいという話だ。
 ふと、思い立った。
 苦しい、生き苦しい、しかしだ。それでも目指すべき場所はある。札束を掴む事だ。札束を掴める場所だ。札束を支配できる場所だ。
 私には帰るべき場所もないし目指すつもりもない。それによって何かがどうなる訳でもないのだ・・・・・・それでも、私は金が欲しい。
 私の役割だ。
 邪道作家として成すべき事柄だ。
 ならば、そこへ至る道を歩む事に、一抹の不安も一抹の疑問も一抹の躊躇すら、無い。
 こうも苦しいのが続くのは御免だがな。
 
 無償の奇跡は無いが、無償の理不尽はある。

 むしろ安売りだ。買ったところで何も貰えないが、しかしそれが現実だ。世界は理不尽と無駄と徒労で出来ている。
 自覚があるのか知らないが、この女もどうしようもない屑だ。すまなさそうに、哀れみを持っていればよい、などというのは「誠意」でも何でもない。誠意とは「結果」だ。「結果」がなければその人間の一生に価値など有りはしない。
 このままではそうなる、というよりも、どうあがいたところで無意味だと再確認しただけか。何をどうしようと「持つ側」にいなければ同じ事。私はそれを証明しただけだった。
「貴方でも、わかりませんか?」
「何がだ」
 そうは答えるが、何を聞いているかは理解していた。私は世界の摂理からすら外れた邪道だが、しかしそんな闇の住人だからこそ何か見えるモノはないかと聞いているのだ。なんて身勝手な奴だ・・・・・・持つ側は流石言うことが違う。全て面倒事は押しつけておきながら、美味しい答えだけは貰おうと、ぬけぬけと口にするのだ。
 楽で羨ましい。
 息を吸って吐く事さえ、脳を焼かれる苦痛に感じることなどないのだろう。
 まあ、負ければそれまでだ。
 そういう連中でも、持つ側に座れれば、それで勝利者になるのだろう。
 前が見えない。
 苦しい。
 痛い。
 それを堪え忍んだところで、何かを成せる訳ではないだろう。実際、私にの未来に希望がある姿など思い浮かべるところか、存在さえしないというのが素直な感想だ。
 だが、それでもやるしかない。
 無駄だし、無理だし、出来ない事も分かり切っている。消去法だ。それを心から望んでいる訳ではない。そんなのは余裕ある人間の台詞だ。
 この歩みに価値などない。
「そんな都合のよい答えが、ある訳ないだろう」 そんな答えを大言する馬鹿者もいるのかもしれないが、私はそこまでお人好しではない。面倒事は御免だ。私は私個人が幸福であれば、それでいいだけの存在だしな。
 帰る場所など無い。
 在るべき姿は借り物だ。
 存在そのものが悪である。
「せめて、少しは見栄えのある終わりに出来れば良いのだがな」
 適当に言って私は足を動かした。
 送り出す声が聞こえた気がしたが、それこそ在ろうが無かろうが同じだろう。
 我ながら、希望など無い上、未来など無いと笑いながらも、私は作家を辞められないのだった。 
 
 
 
 
  13

 
 
「そうでもないさ。世界は希望に満ちているぜ、先生」
 あの女と似たような事を言っている割には、私の保有する人工知能の言葉には奇妙な説得力があるのだった。
「貴様は楽観的なだけだ。知った上でそんな台詞を吐くのは、ある種綺麗事より質が悪いぞ」
「先生はどうなんだい?」
「・・・・・・私は人間の幸福を知らない。人間を知らない、というより「人間を感じた事が無い」輩が人間社会に生きていて、人間社会に折り合いをつけ、人間社会に紛れ込み、人間ではない私の幸福を自己満足の充足で摂理を曲げてでも手にしようと考えている。まさに化け物だが、構うまい。私には笑う感性は無いが、笑うだけなら出来る。対して楽しくもなくとも笑い、それを良しと考え、まるで人間であるかのようにそれらを楽しみ人間の物真似をする存在だ。
 
 私には人間などどうでもいい。

 私にとってこの世界はよく知らない生き物が溢れているだけの世界だ。この「私」にとって充足と実利が手に出来れば、それで構うまい」
「人間どころか、生物の在り方じゃねえな」
「知るか。在り方の定義など知らんよ」
 私は宇宙船のソファに座り込み、飲み物を飲みながらそう語った。しかし、飲み物を口にするだけで、飲むことに何も感じはしないのだが。
 食事するフリ。
 生きているフリ。
 楽しむフリだ。
 それがそれなりに楽しめるのだと言うのだから我ながらどうかしているが、まあいいだろう。  私が良ければ摂理などどうでもいい。
 とはいえ、このままでは駄目だろう。私は文字通りの「最悪」だ。私を越える悪は存在しない。しかしだ。「最悪」というのは「摂理に挑む側」であるからこそであって、それはつまり「摂理に敗北し続ける側」であるからこそなのだ。敗北するからこそ最悪である、などと。笑えない。
 摂理に傷を付けてやりたいものだ。
 この世全ての悪を刃に乗せるだけでは負けは見えている。それでは意味がない。読者共に見る目が無く、仕事をする気のない編集者に溢れるこの世界では無駄かもしれないが・・・・・・実際、真面目に物語を売ろうとする輩は、もういまい。
 金になればそれでいい。
 私とて、そもそもが面白い物語を売りたいのではなく、売れればそれでいいのだ。表紙だけを見て読みもせずに捨てられる物語こそ、売れる。
 「結果」と「内実」は相反するからだ。
 物語に中身など求めれば、そんなモノが売れる筈がない。それらしければいいのだ。
「その割には真面目に筆を執っているじゃあないか、先生。生きる事に手を抜けないってのは才能だぜ? 手抜きしてちゃゲームはつまらねえ」 「人生はゲームか」
「そんなもんさ。金がなければゲームオーバーな部分とか、同じだろう?」
 それもそうだ。
 能力、金銭、人脈。そして何よりも「幸運」があればゲームはクリアできる。人生も同じだ。辿り着けるかどうかは所詮その辺りで決まる。
「貴様は私に諦めさせたいのか?」
「おっと、鋭いねえ。けど先生には無理だろう。アンタは途中で止められない。俺と同じさ。その在り方は呪いそのものだ」
「ふん、何であれ構わないがな。その在り方よりも在り方が金になるかが肝要だ」
「違いない」
 最悪と邪悪は陽炎のように歩く。その先に良い事柄は幸運なくして無いだろう。結局のところ、彼らは「運命」に勝てなかったのだ。
 何をしても無駄だった。
 その在り方が希望になるのか絶望になるのかは読者次第だが・・・・・・凡俗の読者に期待出来る事柄など幸運よりも存在しない。流されやすく、それらしさを求める。物語を書けば書くほど、遠ざかる存在だ。
 後に託すにしても頼りない。
 結局のところ「それ」しかないのだ。燃え尽きるまで敗北し続けるか、燃え尽きて途中で無惨に散るか、だ。
 この物語の先に何があるかは知った事ではないが、一つだけ確信がある。私は、次回作の構想を練りながら、懲りもせずに「邪道作家」として歩くであろう事だ。更なる傑作を、書いたところで無駄だと知りつつも、私にはついぞ止める事だけが出来なかった。
 あるいは、止める事は諦める事よりも、本当にそれを選んだならば、難しいだけかもしれなかったが。

 
 





あとがき

世界を救う戦い? 無論、金にしよう。

暗闇に放置されると、善良な奴ほど発狂する───精神が耐えきれず、壊れて元には戻らない。

だが、悪人は耐える。いくらでもな。


••••••••••••私か? 常に光なんぞ感じた事すら無いので、よくわからん。ただ、内臓の周期が乱れるらしく、健康面の方が心配だ。


まあ、暗闇自体は構うまい。私自身だ。

何であれ、悪と罵られるなら同類だ。味方に対して思う事は何も無い。いや、この場合、私自身の配下だろうか?

悪運だけは、強かったからな!!


あまり嬉しくは無いが••••••楽して稼げはしなかったが、苦難に対してもう慣れた。


迫害だとか、孤立だとか。


その程度で悩む人間がいるとは羨ましい。
私など、呼吸よりそれを経験したぞ!!

見る目の無い奴等だ、まったくな!!!


さて、まさか10冊以上、例えあとがきだけを盗み見る輩であろうとも••••••おひねり一つは払うだろう。

言うまでもないが、無銭通読には祟りがある──────読むだけ読んで払わずにいれば想像を絶する呪いがあるだろう。

逆に、払いさえすれば加護がある。具体的には既に言ったが、不幸な「事故」や、偶然の「強要」が、貴様を味方するだろう。

どう考えても洗脳されてるかもしれないが、想い人が手に入るのなら構うまい?


さあ、金を、おひねりを払うのだ。


邪道作家が、付随する悪霊が、貴様らの敵を潰してやろう!!


この記事が参加している募集

私の作品紹介

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?