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無理やりオックスフォード大学の学生になった話 その12 :二度目の結婚

学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。


ある日ピーターが「僕たち結婚したほうがいいかもしれない。」と言い出した。どちらかに何かあった時に、結婚していれば、自動的に子供や、財産の権利がはっきりするが、結婚していないと全て弁護士を通してはっきりさせておかないといけないから。特に私は外国籍なので色々と厄介なことになるかもしれないから、とあまりロマンティックでない理由で結婚することにした。

私たちはロマンティックな関係ではないんだけれど、欠点を補い合える関係になった。喧嘩をしてもお互いの違いを認めて割とすぐ仲直りできた。というか彼の方から割とすぐ謝ってきてくれた。お互いに尊重し合う、と言うよりも、もう兄弟みたいな感じで、完全に「家族」「肉親」になった。何か、面倒なことがあったら、「もうしょうがないなー」と言いながら自分ごとのようにお互いの問題を解決していった。そういった関係になってしまうとセックスレスになりがちだが、私たちはセックスもちゃんとした。出会ったころや、妊娠しようとしていた時から比べたら、回数は減ったし、定期的に、と言うわけでもない。どちらかがその気になった時に、お互いに満足感があるまで、その満足感にも早く到達することができるようになり、普段人前でなくてもイチャイチャすることのない私たちだが、その時ばかりは、お互いを愛らしく感じるのだった。

彼は以前ひどい躁鬱の症状に悩まされ、きちんとお医者の指示通りに従って薬を飲まないと不安らしく、出来るだけ症状をコントロールするようにしていた。それでも出会った頃から比べたら格段にナーバスさは消えた。

収入で言えば彼の方が全然稼いでいたけれど、私とは同じフルタイムで働くもの同士として尊重してくれた。銀行口座は別々で住宅ローンや光熱費は彼が払ったが、食費、交通費、子供の出費は私が払った。彼は無駄遣いが嫌いでお金の出費には堅実で、セールだからといって必要のないものや安物を買うのは嫌いだった。何か大きな買い物が必要なときにはググって調べ上げ、レビューを読みまくり、信頼できる業者から、ちょっと安く買えることがあればまあ嬉しい人。

彼は私が自分の収入からいくら毎月生活費に使って、貯金して、交際費、趣味に使って彼がしないような無駄遣いをしてもあまり干渉しなかった。

彼から誕生日やクリスマス以外に気の利いたプレゼントをくれるなんてこともなかったので欲しいものがあれば自分のお金で買った。

ハイブランドのバックなんて興味なかったがあるとき、セルフリッジ百貨店で見かけたシャネルのハンドバックに一目惚れしてしまった。フォーマル過ぎず、上品にカジュアルでそのシーズンだけのものでもないから長く使えそうなデザイン。それはちょうどその時の私の月給の手取りと同じ値段だった。2、3週間考えて買うことにした。貯金は十分あったし、そんなものが買える女になった、と思いたかったというのが正直なところである。ロンドンのスローンストリートのシャネルブティックに行き、迷わずに買った。「免税の手続きをされますか?」と聞かれたが、「いえ、英国に住んでいますので」といって正規の値段で買った。

家に帰り、そして当時4歳だった娘に宛てて手紙を書いた。このバックをなぜ買ったか、どれほど、これを買えた時の到達感があったかなど。これはあなたにあげるから、自分で使ってもいいし、売ってもいい。それを買ってきたときに入ってきた箱に領収書と共に入れた。私の死後、それを見つけてもらっても、見つけてもらわなくても、構わない。ただ欲しいから買ったんじゃなくて、その時私の中のマイルストーンに到達したようなことを自分のために記録しておきたかったのだ。そのバックは小さくてあまり物も入らないからよっぽどのパーティに出席する時とか、観劇に行くときなど、正直使うことは滅多にない。でもそれを買えたことが、自分にとって、とても満足感があり、なりたい女になれたような気がしたのだった。

ある時ピーターがアイルランドに学会で行くことになった。そこであのクラダーの指輪のことを思い出した。買ってもらうなら彼だ。彼に買ってもらいたい。そこで彼に珍しくねだって買ってもらった。ホワイトゴールドのシンプルなものだが、愛、忠誠、友情という私たちを象徴するような指輪であった。結婚指輪と組み合わせていつもつけている。


いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から10年後のことです。
続く

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