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子育てとは待つということ

「子育てとは待つということ」
助産院に勤めていた時のトイレに貼ってあった言葉だ
まだ、シングルで子どもを育てたことがなかった私は
意味を分かったようで、分かっていなかった。

現在6歳になったが、小学一年生になった息子の子育ては大変だった。

特に母乳にこだわってはいなかったが、母乳が出たので
母乳だけになっていた。哺乳瓶を嫌がったのもあるかもしれない。
母乳だけだと、お腹が空きやすいので1から2時間おきに授乳をしていた。
幸い、たくさん出たので、私の体重はぐんぐん減り、
48Kgあった体重はあっという間に39Kgまで落ちていった。
こんな体重、小学生以来だった。私は元々ポッチャリで生きてきていた。
風が吹いたら、吹き飛ばされるかと思うようになった。

その生活がいつまで続いたかというと、息子3歳すぎまで。
食に興味がなかった息子は離乳食も進まず、食べたのは果物のみ
後は、スズメがつつく程度の米やパンのみで
野菜など栄養になるものを何も口にせず・・・。

3歳までほぼ2〜3時間ごとに母乳を飲み続けた。
つまり、私は息子が生まれてから3時間以上眠ったことがなかった。

母乳ってそんなに出るの?という人もいるかもしれないけれど、
私は出続けていた。何なら、断乳するその日まで噴水のように
飛んでいた。

そんな息子は生まれも小さかったが、2学年ほど小さな状態で育った。
癇癪持ち、繊細くん。
アンパンマンは怖くて見れなかった。
(氷の女王が出てきたり戦う場面が特に嫌いでギャーギャー叫んだ)

3歳まで授乳をしていたために、私は生理が止まったままだった。
37歳になろうとしており、二人目を考えたら、そろそろやめる必要があった。
幼稚園に入ったら自然にやめるかと思い、待ってみたが
幼稚園から帰宅後、おっぱいに貪りついて彼は安心を求めた。

これは、ダメだと、本人にも話をして、断乳することにした。
3歳のGW、旦那の実家に帰省中。計画を実行した。
卒乳をするよ!ということは前々から伝えていたが
いざ、実施すると息子は荒れ狂った。
私を殴る蹴る、泣き叫ぶ。

そこで、抱きしめてくれるような父親だったら良かったが、
「うるさい!!!!」と殴り飛ばした。

この状況に私は絶望した。
そこは、父親が頑張らないと・・・。

と伝えたが、俺は関係ない。と無関心。
息子が泣き叫ぶと、怒鳴った。

泣く泣く私は泣き叫ぶ息子を抱きしめた。
息子にしたら、飲みたいおっぱいの匂いがすぐそばにあるのに
我慢しないと行けない環境で、今思っても、本当に可哀想な時間だったと思う。

夜中に、R1(ヨーグルトのような飲み物)で乾杯して
今日も頑張れたね。偉かったね。
と卒乳を乗り越えている日々に乾杯した。
その生活は1ヶ月続いた。
誰だ、3日で子どもは忘れるって言ったやつは・・・。

息子はしつこいタイプの人間だった。
夫にそっくりだ。

歪みは生活にでた。
真夏だったけど、両手両足を覆ってないと安心できなくなり、
長袖、長ズボンで通った。
体操服まで長袖を着て行った。
癇癪は酷かった。

幼稚園の先生は
「そういう子もいるよ!来年には半袖になってるよ!」
と笑い飛ばしながら、息子を見てくれていた。

実際、翌年は半袖、半ズボン。
何なら、冬まで半ズボンで生活できるようになった。
おっぱいに執着していたことすら忘れたようだった。

そんな息子は現在、小学一年生。
仮面ライダーにハマっている。
アンパンマンが怖かった息子。
ドラえもんもジャイアンにいじめられるのが見てられなかった息子。
見てしまってから、怖くて1時間以上泣き叫び、夫にキレられて、
私が泣く泣く抱っこして外を歩き回った日。

アレは、何だったんだろう。
と思うような成長っぷり。
でも、一気に成長したんじゃない。

彼なりに、おっぱいを卒業してR1で乾杯した夜があったように、
一歩一歩、色々なことを克服しながら、
好きなものや食べ物が変化して行っている。

言葉も変化していくから
書き留めておくと良いよ。
振り返った時に宝物になるからね。


先日、スクールカウンセラーが教えてくれた。
子育てとは、待つということ

今、その言葉の重みを感じながら生きている。

一番大切なのは、子どもが今を楽しんでいるか。
自分を大切にしているか。
自分を好きかどうか

基準は全てそこに持っていこうと思う。

思いっきり余談だけど、私の体重は不妊治療とともに
スルスルと元に戻った。
恐るべし母乳ダイエット。


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