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今日の一福(2024/04/15)

 漢字で名前を書きたい! と思ったのが発端だった。
 小学校に上がりたてか。
 ひらがなばかり並べたところで、まあつまらん。なんか飽きた。
 それよりも漢字という、あのいかめしい、小難しい、ひとつ書くのにも手間暇とそれなりの修練を要する、見るからに奇怪面妖な姿かたちときたら!
 それは異世界の古文書ばり。
 ひとつやふたつ、それにみっつもマスターすれば、いにしえの精霊でも召喚できそうに思えたものだ。

 それで父に相談した。
 ちょっとしたことだった。
 漢字で自分の名前が書けたら、そりゃあもうカッコイイ。ともだちに自慢しちゃう。しびれる。レベルアップだ。ヒーローだ。魔法使いだ。そんな程度の、いわゆる子どものお遊びの延長だった。
 そのはずが。
 これがもうとんでもなかった。

「だから違う! こう! こうだ! 何度言ったらわかるんだ!」

 今でも鮮明に思い出せるあの父、あの嵐に、いやもうビックリ。
 ショックというより目のまえの父が信じられない。なにが起こっているのやら理解できない。
 あたま真っ白。
 自分の呼吸いきさえあやしくなる。
 ついには身動き取れず石になる。
 嵐が過ぎるのを待つしかなくなる。

 いつもの父とは、まるで違った。
 何をやっても滅多なことで声を上げない人だったはずが、この時ばかりは、言語も気分も一切通じず大声しきり。精霊の騒ぎでなかった。別次元の怪獣が召喚された。
 休日の真昼間のことだった。
 よく晴れていた。
 にも関わず、わたしの記憶は灰色一色。これは誇張でも比喩でも何でもない。同時に恨みがましい記憶でもない。トラウマでもない。ただただ父の人変わりに驚いたという、そんなお話。
 しかし以降、父はわたしの教育全般および何かしらの成績成果に、一切の口出しをしなくなった。不干渉というより無関心のそれ。感想のひと言もなく徹底していた。
 父は父なり、何か思うところがあったろうか。一方の母がかえって気にして「もうちょっとなんか言ってあげて」と、台所で意見していた。そのひそひそ声が、今まざまざと思い出される。

 話は変わるようだが、うちの犬が。
 ここ最近になって、トイレの粗相をするようになった。具体的には、トレーのすぐ脇にそれはそれは見事な水たまりをお作りになるのだった。
 8歳というシニア犬。まあ仕方がないか…と思わせときや、どうもこう、よくよく観察するにつけ、飼い主に対してお腹立ちになったタイミングでやらかす気がする。
 あの涙でうるんだきれいな瞳。
 キラキラ光るがまばたきもせず見つめる先は、別次元の怪獣だろうか。
 それでまさか石になったらどうしようとか、ひるむ飼い主にも言い分がある。「ちがうそうじゃない」「だから言ったよね」とか、犬に向かって大声を出したくないのが本音ではある。
 夫の心配そうな目線が、これまたウザい。
 心配しているのは犬よ、おまえのことでない。わたしのことだ。犬に向かって何度もおなじことを言語でもって言い聞かせようという妻のあたまが心配なのだ。それはわたしもとても心配。心配したところでどうしたものやら、犬もわたしも、ついでに夫も、すべてが丸くおさまるには知恵というより、愛が必要。これがとんでもなく難題で。

 父は悩んでくれたのだなと、しみじみ思う。
 答えのあるのかないのかも分からない、それで何がどうなるとも分からない、この途方もないこの難題に。
 日々、黙々と向き合ってくれていたのだろうと。

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