今日の一福
2024/03/07
この湯気というやつがスキで、飽かずに見ている。
コーヒーカップから然り。バスタブから然り。
強火で沸かしっぱのヤカンのそれだともっといい。
ぐらぐら煮立って白く噴くそれ。
水は当たりまえにカサを減らす。
いずれ無くなる。
そうコッチが勝手に誤認識するだけのことで、実際、無色透明の水蒸気というやつ。消えたところで無くなったわけでもなさげという詐欺。その肌にさわる温みに気配は感じる。
あああ。
そこらの空気になったのかねえと。
祖父が死んだときもそうだった。
といって、そう深刻な話でないから安心してくれ。
人間死ねばたちまちモノになるなという、トンデモ話。
いやこれ実感。なにせ祖父が祖父だったモノに化った時は、すぐにわかった。
(あっ!)
と思った。思ったという以上の超速で直感した。
スッとそれは消えた。
温度まで下がった。
ような気がした。
生気を失うという言葉はあるけども、これがそれかと。いや凄まじいわ。呆気なさが過ぎるだろうと、この孫はポカンとしたのだ。
そこからあとは混乱の真っただ中だ。人生やら人命やら、いったいなんの騒ぎかと。そんな言葉や字面だけがやたら重々しく脚本演出されとらんかねこの劇場はと、ドッ白けもいいところ。悲しみなんぞどっかへ飛んで、涙のひと粒も出やしなかった。
少なくとも、まわりのようには振舞えなかった。ましてや遺骸――祖父だったモノ――にすがりつくなんて気にはちょっともなれず、薄気味わるい思いだけした。
それで葬儀中は、うつむきっぱよ。靴の爪先ばかり見ていた。シルバーの装飾が安っぽくて気に入らなかった。多少磨いてから履けばよかった。などなど思いふける一方で、つくる顔にただただ困った。そんな記憶が長らく澱のように沈殿していた。
そんなだったこの孫が、今ごろ湯気の向こうに思うこと。
消えはしたようで、そうじゃないなと。見えない、会えない、話せないだけ。
それは無色透明。湯気か大気か、かすかで危うい。ただ温みを感じる時が確かにあって、ハッとする。涙がジワる。顔を上げる。ようやく祈れそうな気がして両手が合わさる。
命日でもなんでもないが、
「ごめんね、おじいちゃん。もう見送るよ。待っててくれてありがとう」
合掌。
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