仕事の原点 2008年度講師時代5 ナベアツ
日記から引用してきました。
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先日24日に授業参観がありました。
算数の「ひょう、グラフ・とけい」の「とけい」をやりました。
では、そのときの模様を…
じゃあね、今からとけいの目盛りがいくつあるか一緒に数えるよ。
(1回目は普通に数えました)
じゃあね、この隣にもう一個とけいがあるね。
これも同じ目盛りが60かなぁ・・・。また数えるよ
(子どもたちから「え~!」の声。「一緒だよ」「60、60!」)
(無視をして)
じゃあね、せーので数えるよ
「先生!」
「世界のナベアツでやって!」
…
ちょっと考えてしまった。
「う、う~ん。」
いつもならきっとやっていたと思います。
でも、授業参観でガチガチ。
額は脂汗が浮き出ているのが触らなくてもわかる。
とても顔をひきつらせながら…
「また(お母さん来ているから)今度にしようか」
その2回目も普通に数えました。
これが良かったのか悪かったのか今でも悩むところ。
現在、授業の導入では、世間話みたいなコミュニケーションと取りながら入ることが多いので、リアクションを返すときにボケるときも多々あり。
だから、いつもならやっていたかもしれません。
人が見ているというのはとても緊張するもの。
私はとても緊張していました。
子どもたちは緊張しているようには見えませんでした。
でも、日記をあとから見ると、緊張していたようです。
「また」と言いつつ、それからやっていないので、いつか少しだけでもいいので、やってあげたいなと思います。
でもね、子どもの要求で授業を組み立てるのはやっぱり子どもに迎合するという点から考えると、やっちゃいけないのかな…なんて思います。
じゃないと「今日はやってくれた」「今日はやってくれない」→「あいつ、嫌い」という構図になり、荒れていく原因になります。
では、要求に応えないということを全く否定するかといえばそうでもないのだけど。一応、聞くは聞いておいて、すぐにはやらないというスタンスが現段階ではベストなのかな…なんて思います。
みなさんはどう思われますか?
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若い…
若すぎるがゆえ…
今回は自分のキャラクターのマネジメントというのが話題でしょうか。
当時はやっていたナベアツ。
子どもから「ナベアツでやって」という声がしたということは、
授業参観以前にナベアツで授業を行っていたということ。
授業力のなさを笑いでどうにか引きつけようという意図だと思います。
ナベアツで授業した場合、3が強調されるけど、
それが良いのか悪いのか。
今の自分なら、絶対にやらない。
自分のキャラクターは貫き通さなければいけません。
なぜナベアツなのか、時には説明できなければいけません。
授業参観でやめるということは、それだけの思いしかなかったということでしょう。
恥ずかしくて仕方がない。
自分の方針が目的に向けてブレた時、信頼をなくすのです。
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