「好き」

10年くらい前
私がまだ学生だった頃、ある男の子と親しくなった。
その子は教室の隅に一人でいるような子で、いわゆる熱心な「鉄オタ」だった。

席替えをして、たまたま席が近くなったタイミングで、
彼に
「電車のどんなところが好きなの?」
と聞いてみた。

すると彼は、
無知の私にも理解ができるよう
丁寧に丁寧に
沢山の知識を伝えてくれて
「何駅を使ってるの?何線?」と
私にも興味を持ち、質問をしてくれた。
私は、彼の話を聞いた帰り道から、ただの交通機関でしかなかった電車に少しワクワクしながら乗れるようになった。
彼に小さな幸せを教えてもらった。

10年経った今、
彼が私に教えてくれた具体的な鉄道に関する知識は正直何ひとつ覚えていない。(ごめんね。)
だけど、私が鮮明に思い出せるのは
鉄道の話をする彼の顔だ。
キラキラとした目の奥には情熱の炎を宿していて
丁寧に写真を見せたり、時には絵を描きながら私に説明する、その身振り手振り
そして、幸せで仕方がないと言わんばかりのニヤニヤした表情
彼のそんな姿を見るのが大好きだったのだと10年経った今、気付いた。

好きって、すごい。

人をより魅力的にするパワーがあるのだ。

外見は内面を映し出すっていう考え方はあまり納得していなかったけれど、好きを語る人々に私はいつも魅了されてしまう。
情熱が愛が人を美しくする。

でも、
大人になると「好き」は純粋な「好き」ではいられなくなる気がする。
好きを仕事にしたならば、そこに責任が生じてしまうだろうし。
好きを趣味にしたならば、子育てや仕事で趣味に費やす時間は減って好きを忘れてしまうかもしれない。
恋愛の好きならば、相手に見返りを求めてしまったり、
大好きな友達も、思い出に変わるかもしれない。

私は、あの「好き」を忘れたくない。

なんとなくの好きではなく

ドキドキ、ワクワク、悶えてしまうような「好き」を。

そして、そんな「好き」を追い求める人が沢山この世界にいて欲しい。

そのためには、この世界は豊かでなくてはならないし
幸せを謳歌する余裕が人々には必要だし
戦争なんかしてる暇はないし
自分の時間や健康を犠牲にして、死に物狂いで嫌いな仕事をしている場合でもない。

私はあなたの好きを聴きたい。
そして、ニヤニヤしながら語る素敵なあなたがみたい。

私は、世界中の「好き」を守る人になりたい。


あなたの「好き」は何ですか?

この記事が参加している募集

最近の学び

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?