中華思想における秦の役割

偉大なる始皇帝、なにをもって偉業とするのかを考えてみる。
時は春秋をえて戦国、多くの国が淘汰され生き残ったのは7国である。魏趙韓斉燕楚、そして秦。嬴政の即位時はいまだ7国は健在であった。しかし瞬く間に飲み込まれ秦は統一王朝となった。これは嬴政が際立った能力をもっていたというわけではない。秦はそれ以前に商鞅によって強烈な法家思想をもとにした中央政権国家として力をつけていた。やや乱暴な味方であるものの統一までは時間の問題であり、一度均衡が破れたらそのまま飲み込まれるであろうことは不思議ではない。戦乱を終わらせた人物として評価したいのではない。敵をすべてうち滅ぼした、争いはなくなった、これで平和だ。とはいかないのである。北には異民族が待ち構えている、内部は内部で当代では起こらないであろうが次代継承のときなどへたすれば権力が割れ内乱が起きることだってある。実際すぐに逆戻った。だがそれでも始皇帝は偉大なのだ。
始皇帝の偉業は中華という枠組みをつくったことにあるとおもう。前述のとおり秦は中央集権国家である。従来の盟主といういくつものの国の中のリーダーに留まらず、明確に秦という巨大国家が生まれた。自らを三皇五帝をしのぐ存在として始まりの皇帝、すわなち始皇帝と称した。一人称は唯一の朕である。また中身も一新した。とにかくすべてを自分の色に染め上げたのである。秦は中央集権国家である。ゆえに従来と比べ地方まかせにするということはなかった。それを中央で管理するということはいままではばらばらだった尺度ではとても管理ができるものではない。ゆえにあらゆる基準制度が秦を中心にあわせることになる。これは正直たまったものではない。いままでやってきたことが全部破棄されて新しい制度に合わせろといわれてもそうそう順応できるものではない。急に日本語が廃止されて英語が公用語といわれたようなものである。ただでさえ他国の人間は法による縛りで息苦しさを感じていたのにこれではやっていられなかっただろう。しかしこれは必要なことである。基準の統一、価値観の基準、そういったものがバラバラでは国家としての強さは生まれないのである。道幅がそれぞれでは馬車は苦労するし重さや長さが統一されてなければ取引はできない。タイプCとライトニングケーブルを別々に用意することの不便さを考えてくれたら想像はつくのではないだろうか。規格の統一こそ国家の強さなのである。
つまり始皇帝の偉大さとは、始まりの意味するところは中華という枠組みを生み出したことだとわたしは考える。むろん反発は強かった。実際始皇帝没後はもう無理とばかりに反乱がおき、各国を復活させ統一国家秦はあっさり滅びた。2代目もそれなりに優秀そうだったが信長の息子よろしく父親に殉じてる。けっきょくのところ無駄になったのだろうか。そうはならなかったのが歴史の不思議なところだ。

歴史はふたたび世は乱れたたが劉邦によって漢に再統一されることとなる。一度地ならしがきいたのか、それとも秦ほどの苛烈さがなかったのかもしれないが漢は秦の制度を引き継いだ。後衛で支え続けた簫何が優秀だったおかげかもしれない。結果からいえば秦がつくった中華という枠組みをうまく運用したのが漢である。途中一度滅びかけたが400年にわたる長期政権だ。アジアにおける巨大帝国、始皇帝が生み出したものはその礎となるものであろう。ゆえに始まりであり、偉大な皇帝であるとわたしはおもうのだ。

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