最高の変態、至高の一杯
ちょっと想像してみてほしいのですが、誰かから正面切って、こんなことを言われたとします。
「あなたは本物の変態ですね」
もしこれで照れたり嬉しくなるなら、それもまた楽しい人生でしょうが、大多数の人は、自分の耳を疑うはず。
だって、日常でそうも登場しない単語を、相手は堂々と、悪びれもせず口にしたからです。
人によっては冷たい一瞥を投げてその場を去るか、反論や尋問など“戦闘モード”に入るかもしれません。
けれど、嬉しがるでも怒るでもない、第三の反応をする人々がいて、その人たちは先の言葉に、こんな言葉を返します。
「いや、自分なんてまだまだです」
「もっとすごい人を知ってますよ」
何とも謙虚なお答えであり、顔にはかすかな笑みや、真摯な表情が浮かんでいることも。
これは普通、ほめられた時の応答であり、この人たちが“変態”の一言に気分を害するどころか、褒め言葉として受け取っていることがわかります。
口にする側も、もちろんそのつもりであり、まさか嘲りや軽蔑のため、本人にマイナスの言葉をぶつけているわけではありません。
それどころか、そこには賞賛すら含まれているのです。
私の経験では、そんな人はものづくりに関わっていることが多く、たとえば特殊なミシンを操り革細工を作っていたり、カスタムバイク専門の工房に詰めていたり、スパイスを極めたカレー作りに専念していたり。
さらに、忘れてはならないのがコーヒー界隈。
コーヒーは特に人を魅了する飲み物らしく、ほとんど人生を捧げんばかりに、激しくのめり込んでいる知人がいます。
良い豆を求めて奔走する、焙煎を始める、器具を開発する、お店を開く、開店したお店を人に任せて海外へ出る、など留まるところを知りません。
別業種で重ねていたキャリアをあっさり投げ出し、“黒い悪魔”に全てをかける。
これを変態と言わずして何と言う、です。
ほかにも、最近かなりの熱量を感じた人が、大阪府の南端、山を越えれば和歌山県というロケーションに位置する『グランディス』というカフェの店主です。
この人のすごさは、メニューの説明をしながら
「コーヒーは野菜と同じ。農作物です」
「薬です」
とさらりとおっしゃるところからもうかがえます。
しかも、反論の出ない理由のひとつが、席につくなり出された飲みものです。
「まず召し上がってください」
紙コップに入ったそれは、紅茶のように澄んだ色で、味わいも軽くフルーティ。
飲みやすいジュースのようでいながら、原料はれっきとしたコーヒー豆です。
いわゆる普通のコーヒーはコーヒーノキから収穫した実のうち、中の種子だけを使うのですが、こちらはそれ以外の果肉や外皮を使用します。
“カスカラティー”あるいは“コーヒーチェリーティー”とも呼ばれ、コーヒーの実を水に浸けるか、お湯で煮出して作ります。
その歴史はコーヒーよりも古く、イエメンでは当時の名前“キシル”が今でも使われ、中南米では“カスカラ”、ボリビアでは“サルタナ”と、各土地ごとに違う名を持つほどスタンダードだというから驚きます。
けれど私はこれまで訪れたどのコーヒー店でもそんな飲み物に遭遇したことがなく、その存在すら知らなかったため、まずこの時点でたじたじです。
多彩すぎるメニューの前で悩んでいると、店主は友人と私の二人で飲み比べセットはどうかと勧めてくれ、ほどなく私たちの前に、淹れたてのホットコーヒーとアイスコーヒーが二つずつ並びました。
私の文章力ではその味と香りを再現する術がなく、どれも美味そのものだった、としか書けないのが悔しいところ。
あまりの感嘆に名前も全部飛んでしまい、友人と共に、ただただ四つのコーヒーを味わいました。
更にサービスのアイスコーヒーまで運ばれて来、これは最初の“コーヒーは薬”を地で行くような、複雑な奥行きを備えつつ、素早く体内に浸透していく漢方薬のごときコーヒーでした。
こんなお店に来ておきながら、私は普段コーヒーはほとんど飲まない、根っからの紅茶党です。
なのにこちらのコーヒーが文句なしに飲みやすく、美味しいのはどうしたものか。
テーブルの上に砂糖やミルクは見当たらず、それでいて何の不足も感じないから不思議です。
その理由は特別なルートで仕入れる豆と、“焙煎士泣かせ”と言われる焙煎方法、行き届いた抽出法にあるのでしょうが、アクや雑味、後味の悪さの皆無な、それでいて重層的な深みを持つコーヒーを初めて味わいました。
聞けばお店はガーデンコーディネーターの奥様と共に造ったそうで、庭は薔薇の垣根、花苗、寄せ植えなど、咲きこぼれんばかりの花々や緑であふれています。
錬鉄製ミニフェンスで飾られた塀の向こうには木立を透かし、遠くにこの地方ならではの黒屋根の家々と、晴れた空が見え隠れしています。
たくさんの蝶や蜜蜂が茂みを飛び回って忙しく働き、窓の外に目をやっていると飽きません。
低く流れる音楽はトニー・ベネットとスティービー・ワンダーのデュエット、ジョイスのボサノヴァ、ナット・キング・コールのジャズなど、休日の午後にぴったりな、静かで品の良い曲ばかりです。
あれこれとコーヒー談義をしてくれつつ、話しだすときりがないから、と笑って切り上げ、つかず離れずで見守ってくれる店主の姿勢もまた、居心地の良いものでした。
お気に入りの場所はいくつあっても嬉しいもので、こんな完璧な“変態”の人が作り出す世界になら何度でも浸りたい、そんな風に思えた時間でした。
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