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5月の詩

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した


寺山修司の初詩集『われに五月を』に掲載された〈五月の詩・序詞
作中では「僕は五月に誕生した」と繰り返されるも、実際の寺山の誕生月は12月です。
それでは5月に生まれたという言葉は、一体どのような意味を持つのか。

この詩を書いた当時の彼は、生きるか死ぬかの瀬戸際でした。長期にわたる重い腎臓の病のため、幾度も死線を彷徨さまよいもします。
けれもこの詩のうちには、いかなる苦しみの影も見当たりません。
代わりにひらけているものは、ひたすら明るい、爽やかで希望あふれる景色です。
それは病床にあっても寺山が保ち続けた、ひとつの心象風景であったのかもしれません。

のちに病から生還した寺山が、この詩集を「一人の青年の弔いの花束」と表現したことは意味深です。


◇◇◇


全ての緑が新鮮に輝く5月に、生よりも死を選んだ少女もいます。


医者たちは彼女を救えると信じていた

けれど娘は今年になって死んでいった

娘は森の花盛りに死んでいった
よその木の葉がもっと青いか一体誰が知るだろう

彼女は森の花盛りに死んでいった
彼女はよそにもっと青い森があるのを知っていた


ギイ・シャルル・クロスによる『小唄』で描かれる、一人の少女のひそかな出立。
日本の名だたる作家たちも深く愛したこの詩には、息を呑むような言葉が並びます。
漂う素朴な雰囲気の裏側に、底無しの神秘性を隠しながら。


◇◇◇


ウィリアム・シェイクスピアは、あらゆる美の持つはかない移ろいやすさを、この季節に絡めた〈ソネット18〉にて歌います。


君を夏の一日と比べようか

君はさらに美しく、さらに優しい
荒々しい風は五月の愛らしいつぼみを散らし
夏の盛りが続く間はあまりにも短い……


シェイクスピアといえばまず戯曲がイメージされるでしょうが、実は膨大な数の詩も残されており、それらを編んだソネット集は今も世界中で愛読されています。

このソネットで歌われる「君」は見目麗しい青年であり、その姿を借りてシェイクスピアの語ったものは、過ぎゆく時世の花への哀惜だったのかもしれません。


◇◇◇


シェイクスピアが幾許いくばくかの心痛を込めて愛おしんだ季節を、フランシス・ジャムは浮き立つ心のままに『家は薔薇の花で』に描いています。


家は蜜蜂と薔薇の花とでいっぱいだろう

午後になると教会の鐘の音も聞こえるだろう
そして透明な宝石のごとき色の葡萄は
ほのかに明るい物陰で陽を浴びて眠るように見えるだろう
そこで僕はどれほど君を愛することか
僕は君に二十四歳のこの心
皮肉な魂 内なる誇り
白い薔薇の花にも似た僕の詩とを捧げよう


同時代に爛熟を極めつつあった象徴主義詩のムーブメントにも背を向けて、ジャムが故郷のピレネーを離れることは生涯ありませんでした。
そこで紡がれた作品は人の心に起こる素直な感情と周囲の自然を称え、この季節を彩る薔薇にも、屈託なく喜ばしい視線を向けています。


◇◇◇


ジャムの生きた19世紀から20世紀へと時代が移り、薔薇の花はガートルード・スタインによって誰も見たことのない姿をあらわしました。


夜の町。

夜の町、一つのグラス。
色どられたマホガニー。
色どられたマホガニー、中心。
薔薇は薔薇であり薔薇であり薔薇である。
    

400行からなる長詩『聖なるエミリー』の中の薔薇についての一文は、現代まであらゆる解釈が試みられてきました。
これこそが純粋な詩である。美学である。現象学。言語学。それとも論証学である。

どれだけの議論を重ねても正解はなく、並外れたアーティストにして芸術家たちの偉大なパトロンでもあったスタインは、張り巡らされた煙幕のような言葉の奥で、謎めいた笑みを浮かべていることでしょう。


◇◇◇
    

たとえどのようなあり方にせよ、薔薇が常に詩人たちの心を捉えてきたことに変わりはなく、ノーベル文学賞を受けたスペインの詩人フアン・ラモーン・ヒメネスは、若き日に綴った『プラテーロと私』にて、作中を薔薇の花で埋め尽くしました。

「プラテーロ」とはヒメネスの相棒である「綿毛のようで、お月さまの銀の色をして、はがねのように強い、やさしく呼ぶと、軽やかに駆け寄ってくる」小さなロバで、心の病に苦しんだヒメネスは、プラテーロを伴い故郷アンダルシアの山中を放浪します。
その想い出をもとに描かれた世界はどこまでも柔らかく哀切であり、降りしきる天上の花たる薔薇は、この世ならぬ幻視的な美でもって、傷ついた詩人の心を癒やしました。

生命力に満ちた季節の恵みが、あらゆる人に溢れんばかりにあらんことを。


ごらんよ プラテーロ 薔薇があたり一面に降りしきる そのありさまを

青い薔薇 白い薔薇 色のない薔薇……
空が砕けて 薔薇の花になったよう
ごらんよ 私のひたいに 肩に 両手に薔薇がいっぱいたまるのを……
こんなにたくさんの薔薇を いったいどうしたらいいのだろう?
この優しい花の群れが どこから来たのか私は知らないが もしかしたら君は知らないか?
それは日ごとに風景を柔らかにし 紅 白 青と 甘美に風景を彩る
また降りしきる 降りしきる 降りしきる薔薇よ
まるで天国の栄光を 膝まずいて描き続けたフラ・アンジェリコの絵のようだ
天国の七つの回廊から地上へ向かって いま薔薇の花が撒き散らされている と信じてもよさそうだ
ほんのりと色づいて 生暖かく雪が積もるように 薔薇の花が教会の塔に 屋根の上に 木々にも積もる
ごらんよ どんなに荒々しいものでも 薔薇の装いで優しくなってしまうのを
また降りしきる 降りしきる 降りしきる薔薇よ……

君のその目はね プラテーロ 穏やかに空を見上げるその目はね 君には見えないけれど 美しい二つの薔薇なのだよ




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