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〈除〉とお洒落

ジバンシィでもラルフ・ローレンでも軍の放出物資でも、オードリー・ヘプバーンが何を着ようが、こう言う他はない。
「ああ、なんとオードリーらしい!」 
・・・服がどう見えるかは、着る人にかかっている。

──ラルフ・ローレン


十二直じゅうにちょく》あるいは《中段》
私の家の暦には、そんな表記欄があります。
よく見るとそこには〈やぶる〉〈あぶな〉〈なる〉などの一文字も書かれており、これは北斗七星の動きから日々の運勢を導き出すという、古典的な占いです。

昭和初期まではその影響力は《六曜》以上で、どんな暦にも必ず十二直の記載がありました。


その十二直の一つ〈のぞく〉は、新しいことの開始より悪いものや古いものとの決別に最適であり、たとえば禁煙や病気の治療、片付けなどに良い日とされます。

ゴールデンウィーク中の一日にも〈除〉の字を見つけ、この機会に洋服の整理をしようと思いつきました。


洋服といえば、アメリカ人ファッションコーディネーターのティム・ガンが、こんな辛辣な意見を述べています。
世界で最もファッショナブルでない人種はアメリカ人だ。世界で最も多くの洋服を持っているのはアメリカ人だからだ

ティム・ガンが"レス・イズ・モア"の精神を重要視していることは明らかで、私もこの思想に賛同します。


"人は持っている洋服のおよそ20%しか着ていない"という統計があり、では残り80%はというと、ただ所持しているだけ。ほとんど、あるいはまるで着用する機会のないまま、クローゼットやタンスの引き出しで眠っているというのです。

それでは限りあるスペースが無駄になるだけでなく、心理面でも悪影響があるように思います。
毎日、今日は何を着ようかと手持ちの洋服を見渡す度に不要なものが目に入るのは、まるで自分の決断力のなさ、あるいは間違いを思い知らされているようなものだからです。

自分に本当に似合うもの、お気に入りのものだけが揃ったワードローブは、使いもしない沢山の洋服ではち切れそうなクローゼットを持っているより、よほど豊かに思えます。


私たちが身につけている洋服やその他の装飾品は、おそらくとても多くのことを、期せずして他人に伝えています。
年齢や性別、趣味や職業、ひそかな好みや欲望まで。

ある人と言葉を交わす前から、その人がどんな人かおおよそのところがわかってしまった、という経験は社会学者や精神科医でなくとも、誰しもあるのではないでしょうか。


そういった目で眺めてみると、私のクローゼットはちょっとした混乱をきたしています。

いかにも知的な職業人のように見えるジャケットの隣に、ガーデンパーティーに出かけるご令嬢めいたワンピースが、その隣には小洒落たバーのスツールが似合いのスカートが、学生気分たっぷりの青いネルシャツと絡み合って並んでいます。


一体このクローゼットの持ち主がどんな人間か、扉を開けて中を覗いた人は戸惑うに違いありません。

私は移り気なタイプで多面的な性格なのだ、あるいは変装が趣味だと主張するならそれも良いでしょうが、少々苦しいそんな言い訳を採用するより、素直に頭の中身が散らかっているのだ、と認める方が良さそうです。


舞台や映画に出演する俳優が役に成りきるために衣装の力を借りるように、ある洋服でなりたい自分になる、思い描いていたイメージに近づこうとする方法は確かにあります。

クローゼットの中の混乱した洋服の数々を購入した時の私は、きっとそんな気分だったに違いなく、残念ながら今の自分には不似合いなものが散見されます。
それは、選び損なったというよりは、私が成り損なったものたちの残骸である、と言えるかもしれません。


そして、やはりいくら無理を重ねようが、人は決して自分以外のものにはなれないという証明でもあります。
必死で誰かの真似をしたところで、その誰かと同じになれるはずもなく、そうであるなら、届きもしない目標より、最高バージョンの自分を目指す方が有意義です。

あくまで自分は自分でしかない。毎日の洋服という"ささいな問題"で、そう自分との折り合いを付けた時、クローゼットの中の小宇宙でも革命が起こるのかもしれません。


きっと私たちは無意識的にそれを知覚しており、だからこそ正しく自分を反映していないと思える洋服を手に取ることがなくなるのです。

それこそが、たいていの人が手持ちの20%の洋服しか着ていない理由かもしれません。
残りの80%の洋服は正しく自分を表現してはくれず、自分らしくないものたちは、いくら高価であったり人に褒められたとて、やはり身にまとうには適さないものなのです。


私のファッションアイコンは60年代のヨーロッパ女優で、オードリー・ヘプバーン、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、アンナ・カリーナ、カトリーヌ・スパーク、モニカ・ヴィッティ、アヌーク・エーメなど、名を上げるだけで頬がゆるんでしまうような魅力的な美女たちです。

この人たちはそれぞれに明確な個性とスタイルを持ち、何を着ても自分のものにしています。
間違っても私のように、あれこれと迷ったあげく不釣り合いなものに手を出して、いざとなると首をかしげる羽目になる、というような場面は起こり得ません。

皆、自分のスタイルを守って無謀な冒険をすることもなく、自らの魅力を存分に発揮しています。
そのためには自分をよく知り、そぐわないものを捨てる勇気は必要だと、その写真や映像から気づかされます。


もうひとつ、私にとっての金言はデザイナー菊池武夫さんがおっしゃっていた
ことファッションに関しては、趣味は狭い方がいい
で、今の私にとってのお洒落とは広さよりも深さこそが重要であり、どうしても意に沿わない洋服類は、潔く手放すのが一番だと考えます。
それはもっと心地良く、穏やかに美しく暮らす手段ともなるでしょうから。

ともかくバリエーションが必要だという呪いを解いて、ある種のお決まりを愛すること、そんな方法を極めることは、ひとつの成熟の証であるとすら感じます。


〈除〉は自分の中の不純物を取り除くことにもつながっているのかもしれない。
クローゼットやタンスから出した洋服をより分けながら、私はそんなことを考えていました。

椅子の上や床に広げた洋服に子犬がじゃれつくために、遊びながらの作業がはかどらないのは楽しい悩みですが。





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