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聖域のカフェと世界チャンピオンの父があまりに規格外だった話・2

さて、吉野のカフェでオーナー夫妻とある常連さんの噂話をしていたところ、その人がお店の入り口に立ち、どよめく一同に目を丸くしている、というところから話は続きます。


艶のある優しげなお顔、丁寧に挨拶をしてくださる態度など、ひと目で周囲の好感を得てしまうその人が、"赤穂から3時間かけてやって来る常連の小國さん"でした。

自分が話の主役になっていたことに笑いつつ、今日も赤穂から?という私たちの問いに「朝から高野山を訪れ、その足でこちらに立ち寄った」と話してくれ、半日足らずで兵庫、和歌山、奈良県を駆け抜けながら、まるで疲れた様子もありません。

それもそのはず、小國さんはどこへ行くにもご自分で車を飛ばし、北海道と沖縄以外、日本全国を巡っているのです。
なおかつ、特にきつくもないというのですから、はるかに年下の私よりよほど生命力にあふれています。

先ごろ東京を訪れた際は息子さんに街を案内してもらったといい、息子さんは東京でボクシングジムを経営していて、というからまた話が面白くなる予感がします。


友人はそのジムの場所を知っていたため、あんな一等地に、とつぶやいていると、マダムがそれに応えて

「そりゃそうよ。だって息子さん、世界一にもなったんだしね?」

ええ、まあねえ、と小國さんは控えめに肯定しますが、私たちは思わず叫びます。

「すごい!それってボクシングの試合で?」
「そう。"IBᖴ"の"スーパーバンタム級"ですって」

残念ながらボクシングに疎い私たちにその偉業の真価は計り知れないものの、それが途轍もないことであるのは確かです。世界中の選手のうち、頂点に立てるのはただ一人だけなのですから。


そこから運動神経の話になると、マダムが小國さんを指して

「この人も一流。レーサーだったんだから」

またしても声を上げる私たちに、小國さんは十代の頃、有名なレーシングチームからスカウトを受けた体験談を聞かせてくれます。

マダムとご主人にはとうにおなじみの話のようながら、私と友人は"赤穂に住む普通の金物屋の息子"だという小國さんに降って湧いたドラマのような物語にすっかり引き込まれます。


そして、またもやマダムの

「この人、空手家でもあって」

の言葉で、今度は話がそちらへスライドします。

格闘技好きの友人は空手の一言ですでに前のめりになり、大したことない、と謙遜しながらの小國さんの空手談に喜色を隠せません。


お話には綺羅星のごとき有名人が続々と登場し、特に漫画『空手バカ一代』のモデルにもなった空手家の富樫宜資とがしよしもとさんが小國さんの学友だと知った時の友人の熱狂ぶりは、皆が笑ってしまうほどでした。

「あの漫画、日本中の何千万っていう人が読んだし、富樫さんは当時の少年たち憧れの大スターですよね!」

そうだねえ、とうなずきつつ、小國さんは富樫さんとの何気ない日常話、伝説的な試合の裏話に加え、空手界のレジェンド大山倍達おおやまますたつに会った話で友人を悶絶させ、千葉真一が映画撮影の際にある空手流派の一門に拉致され審問を受けた話などを、惜しむことなく披露してくれます。


友人は興奮し過ぎて大変ですが、完全に外野の私やマダムは、適度に話を聞いて楽しみつつ、お茶やお菓子を口にしたりと気楽なものです。

そして、小國さんは現在も空手に関わる生活をなさっているのかと思いきや、今は八卦見はっけみをしている、というから唖然です。

マダムによるとこれがまた凄いらしく、周囲の人を助けたり、とある政治家主催の集まりで有名な映画女優や音楽家と同席したりと、八面六臂の活躍ぶりです。


また、小國さんと連れ立って来る同業の人には霊感の強い人がおられるらしく、その人は小國さんのご子息を目にした瞬間、ボクシングで世界一になる、赤いチャンピオンベルトが見えている、と断言したといいます。

実は他の人からも同じ予言をされていたため、小國さんは息子さんの世界一を確信しながら、当のご本人は別に世界でなど戦いたくない、赤いベルトも嫌だ、と口にしていたとか。

「でも、ほら」
マダムが指す先の、壁に貼られたポスターの男性は肩から赤いチャンピオンベルトを掛けており、そこには大きく"小國以載おぐにゆきのり"の名と"世界チャンピオン"の文字が踊っています。

私たちが深いため息をついたことは言うまでもありません。


出会ったばかりの小國さんを中心に、まるでどなたかのお宅にお邪魔したようにくつろぎ話し込み、気づけば数時間が経っていました。

友人はまだまだ話し足りないらしく、大山倍達のドキュメンタリー映画の話まで持ち出しているものの、そろそろおいとましなければなりません。

マダムとご主人は私たちをお店の外まで送りがてら、門柱脇の松が紆余曲折を経て隠岐の島からここへ辿り着いたこと、後醍醐天皇も同じ隠岐の島からこの土地にいらしたのだ、という不思議な符号の話を聞かせてくれました。

マダムは「ここにはなぜか多くの変わった人が引き寄せられて来る」と口にしていましたが、吉野神宮をはじめ霊験あらたかな神社仏閣を有する土地の力、マダムとご主人の人柄やエネルギーからすれば、それも納得ではあります。

お店の名前『絹─SILK』はマダムのお名前の絹代さんにちなんでおり、次に訪れた際は、マダムとご主人自身がこの土地に導かれた因縁について、深くお聞きできればと願っています。




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