見出し画像

【日記】子供に向き合う覚悟が芽生えた経験

 久しぶりに自分の時間が出来たので、今回は子供に向き合う覚悟が芽生えた瞬間について書きたいと思います。誰かにお読み頂くというより、自分が将来改めて見返し、子供に対して真剣に向き合うための日記です

 お恥ずかしい話、私が真剣に子供に向き合い始めたのは、長男が2歳を過ぎた頃です。勿論、それまでも子供を大切にしていたことは確かですが、「仕事が忙しい」「睡眠不足で疲れた」など、何かしら言い訳をして、妻に頼り切りになっていた面が多かったと思います。そんな私が真剣に子供と向き合い始めたきっかけは、コロナ禍における妻の里帰り出産です

 妻が第2子を妊娠し、第1子を遠方の義実家の近くの病院で出産していたこともあり、前回と同じ病院に予約の電話を入れたところ、コロナ禍で里帰り出産拒否・・・。その後も義実家周辺の様々な病院やクリニックを探しましたが、どこも同じ対応であり、出産・育児に対する壁を実感しました。

 そんな中、唯一、里帰り出産を受け入れて下さるクリニックを見つけました。しかし、いつ里帰り出産拒否の方針になるか分からないとのことで、今から通院できるのであれば、里帰りとしてでなく出産可能とのこと。
そこで、私たち家族には2つの選択肢ができました

  1.  今すぐ義実家に妻と長男が行き、第2子の出産まで義両親と暮らす(私は仕事のため東京に残る)

  2. 今まで通りの暮らしを継続し、東京で出産する

私たち家族は、1.を選択し、第2子の出産まで約8ヶ月間、家族別れて暮らす選択をしました。理由は、出産後に実家の協力を得たい妻の希望や、私自身もコロナ感染者数が爆増している東京から、妻と子供だけでも安全な場所に避難させてあげたいという気持ちが当時はあったからです(まだコロナが流行り始めた頃です)

 妻の両親にも自分の想いを直接伝えて、快く協力いただき、ついに妻と長男と別れて暮らす日が来ました。前日の夕方から、義両親が車で迎えに来るまで、長男とはまともに話せませんでした。話すと泣かずにはいられないからです。これまで言い訳をして、子育てを妻に頼りきりだったくせに、いざ、別れて暮らすとなると、もっと遊んであげたかった、もっと笑顔にさせてあげたかった、もっと、もっと、、と酷く後悔しました
 妻と長男と別れた後、玄関で泣き崩れました。いくら前向きに考えようと自分を納得させようとしても無理でした。一度立ち直って、別の事を考えようとテレビを見ても、消すともう駄目でした。長男の笑顔、泣いている姿、いたずら顔、さまざまなシーンが浮かんできました。

 それから時が経ち、妻が第二子を出産のため入院している5日間、自分が義実家に泊めていただきながら長男の面倒を見ることになりました。
 以前一緒に暮らしていた時はまだ体も小さく、言葉の数語程度しか覚えていなかったのに、大きく子供らしくなり、一生懸命覚えた言葉で私に色々と話してくれる長男の姿がそこにはありました。
 普段、新しいおもちゃを買ったら我慢できずに直ぐに開けてしまう息子も、パパが来たら一緒に遊ぼうと、新しいおもちゃ(かるた)を開けずに我慢していくれていたようで、その気持ちだけで胸がいっぱいになりました

 しかし、コロナ禍&第2子の妊娠で長い間、外に出て思いっきり遊ぶということを控えていたせいか、知らない大人・子供に対して億劫になり、公園で同じ年代の友達と会うと、必死で自分の後ろに隠れ、その子が帰るまでずっと動こうとしませんでした。

 夜、久しぶりの寝かしつけに大きな不安がありましたが、幸いにも直ぐに寝てくれて本当に助かりました。しかし、場所になれないせいか真夜中に自分が起きた時、息子が自分に背を向けて、鼻をすすって一人で泣いていました。2日目以降の夜は、そのようなことはなくなりましたが、生まれてから今までずっと一緒だった母親が入院でいなくなり、色々溜まっていたのでしょう。息子に対して色々我慢させてしまっていたことに、胸が本当につらくなりました

 妻の退院から1ヶ月が経過し、家族が一人増え、ようやく我が家に家族全員そろって生活が始まりました。
 これまで感じた、わが子に対する気持ちを簡単に文字にできるわけではありませんが、「仕事が忙しい」「睡眠不足で疲れた」だとか言い訳はもうしません。

この子を誰よりも幸せにしてあげたい、誰よりも毎日を楽しいものにしてあげたい。その願いのために、私の時間が犠牲になることは厭わず、1日1日、全力でわが子と向き合おうという覚悟が芽生えた経験でした


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?