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#183 光に還った大事な人に花を選ぶ / 自分の心に正直に行動する

少し前、大事な人を亡くした。

本当に大好きで尊敬していた義母。

みんなに愛を注ぐ人だった。
賢くてやさしくて強い人だった。
うまく言えないけれど慈愛に満ちたすごい人だった。
出会った時からずっと変わらない。

彼女に育てられた犬は、
険しかった顔が1年後には違う犬みたいに
穏やかな顔に変わっていた。


告別式には
次々と人が訪れて彼女を見送りに来た。


花や植物が大好きだったので
仏前にできるだけお花を欠かさないようにしたいと思って
お花屋さんに買いに行った。


ところがこの歳になるまで
仏前に供える花についてよく知らず
お花選びに失敗してしまった。

49日までに飾るお花はどんなものがいいのだろうと
お店で携帯を開いて検索する。
白を基調に薄いピンクや紫、青などの差し色を入れたものとある。

お店にお供え用の花の棚があって
透明のケースに入れて飾られていたが
どれも造花だった。
本物と見分けがつかないくらいきれいだが
やっぱり花好きの彼女には生花だなと
店内に並んだたくさんの盛り花をぐるりと見てまわった。


告別式からだいぶ日も経ったので
いかにも喪中というのでなく
彼女に喜んでもらえそうな優しい色合いの盛り花を選んだ。


その帰り道、ふと買ったのは鉢植えを寄せた盛り花だったなと思い、
気になって調べると鉢植えは「不幸が根付く」として
お供えには避けた方がいいとあった。
これはいけないなと、もう1軒違うお花屋さんに行く。


2軒目のお花屋さんに入ると
小柄でほっそりした初老の女性が笑顔で迎えてくれた。
49日までの間に飾るお花がほしいと伝えると、
「予算を言ってもらえたらそれに合わせて作りますよ。」

切り花とオアシス(吸水するスポンジ状のもの)に生ける盛り花と
どちらにするか迷ったが、
お花屋さんと相談してオアシスにしてもらった。

とてもきびきびと動く人で
おばあさんと言ってもいい年齢に見えるが
はつらつとして気持ちいい。

いろんな花が並んだ冷蔵ケースのドアを開けて
「ユリは入れますね。それから、、菊と、、あとはどれにしますか?」
シュパシュパと抜いて左手に集めていく。

「カーネーションもいいですね。」
「じゃあ、その白いカーネーションで。」

「これはどうですか?」と
名前を知らない紫色の花を重ねてくれたらとても素敵だった。
同じ花のピンク色があってそれを合わせてもらったが
紫の方がしっくりきた。

紫だけだとちょっと寂しい気もするなと思いながら
まあいいかなと
「紫で。」と言うと、
「ピンクと混ぜときましょうか。」と
両方入れてくれた。
とてもよくなった。
私の気持ちが見えたような対応だ。
私の迷いをキャッチしてくれたのかな。


その花束がとてもきれいで
いいのができたと嬉しくなる。

お花屋さんが選んだ花を魔法のように手慣れた動きで
オアシスに刺していく。

「これでどうですか?」としあがりを見せてもらったら
わりと隙間があった。

今までだったら気になりながらもそれでいいか、と
オーケー出して買っていた。
してくれたのにここをもうちょっとって言うのは
悪いなあって。
でもそれは違うなと最近感じている。

もしここでそれでいいですと、
遠慮から妥協していたら絶対後悔していた。
花を見た時、それほど違和感を感じたからだ。
お店の人にもそれは伝わって
お互いにスッキリしないままになっていたのではないか。

大きなことでは妥協しない強さがあるのに
小さなことではまあいいかと
相手に嫌な思いをさせたくないという気持ちから
妥協してしまうことがある。
そうしていることに気づいてもいなかった。

本当はこっちがいいのにそっちでもいいとする。

小さな心のズレなんだけど、
当たり前にそれをやってるとずっとズレたまんま。
奥の方の自分の心は
また本当の気持ちを無視されちゃったと我慢する。

やっている自分は我慢とも思ってないけど、
本当の自分の気持ちとは違うことをしているのは確かだ。


そんなことくらいでと思うけれども
小さな心のズレを積み重ねたまま生きるのと
自分の気持ちに一致して生きるのでは
毎日の楽しさが違う。

自分の心に一致するのはとても清々しくて
気持ちいいことだ。



「予算超えてもいいので、かすみ草みたいな
ふわっとした感じの間を埋めるお花はありますか?」
「かすみ草、あります。」
と取りに行ってくれた。

ふわふわしたかわいらしいかすみ草が
生けられていくのを見ていた。


そこへ60代くらいの女性のお客さんが入ってきて
私たちの近くに来ると
「49日ですか?」
「あ、はい、笑」
「私もなんですよ。なかなか行けないので
お花を送ろうと思って。」
「今きれいにしてもらってて。」
うんうん、とうなづいてお花を見る。


生け終わったようで
「これでどうでしょう」とこちらに向けて見せてくれた。

「わあ、きれい。」
とそのお客さんと2人で声が上がった。
かすみ草と、少し葉を足してくれて
とてもいい感じ。

「切り花にしようと思ったけど、
私もそれにしよう。」
とお客さん。


よどみのない手さばきでオアシスの鉢を
濃い茶色の不織布で包み、
「お車だったら箱に入れた方がいいですね。」と
奥から箱を取ってきて
鉢が穴にきれいに入る立体的に作られたダンボールに
手際良く入れてくれた。

「傷み始めた花があったら抜いてやって、代わりに
新しいのを刺していったらいつまでもいい感じですよ。」
と手渡してくれる。

「ありがとうございました。」という
花屋さんのいい笑顔。


私もきれいにしてもらって嬉しい。
花屋さんも私が喜んで嬉しい。

仕事として最高ではないか。

私はこのお花屋さんに
最低限の対応プラスαを感じた。
お客さんにきちんと向き合ってくれているという。


後から来たお客さんも笑顔で
花を囲んで3人でいい空間が生まれていた。

花の入ったダンボールを抱えて出口を出る時振り返ると、
2人で楽しそうに会話していた。


あの時一瞬の間にそれでいいと言おうかどうしようかと
頭の中をめぐったが、
妥協せずに自分の気持ちを伝えてよかった。

そうでなければこんなに清々しい気分で帰宅できなかった。


その盛り花がこちら。

花の鉢が段ボールの中央に空いた穴にすっぽり入って安定よく運べる


間違って買った鉢植えの盛り花


後でもう一度調べたら、
49日までの仏花に鉢植えは避けた方がいいけれど
絶対ではないという記事もあったが

こうしてみるとやっぱり最初に買った鉢の方は
お花が好きだった故人に喜んでもらえるかと選んだけど
後から買った方がしっくりくる。

今までこういうことがなかったので
仏事に疎い。


お義母さんに笑われてしまうね。


お義母さんのように
まわりの人の幸せを願って動ける人になりたい。


お義母さん、見ていてね。



🌱お読みいただきありがとうございました



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