6月初日からレッスン。 本日の講師のレッスンを受けるのは自分は初めてだった。調べるとそれなりな俳優さんのようだ。 参加者は2時間固定の少数メンツだったので自分としては有難かった。 結論から言うと、今日のレッスンは嬉しい気持ちで終えることができた。 自分以外は演技をしたことがないメンツだったからだろうが、総評として「言うことないね」というお言葉をもらった。そして一定条件を満たさねば参加できない上級者レッスンについて、早く受けてもらえればと思うなんてお言葉もいただいた。
5月が早々と過ぎ去り、今年も順は飛ぶことなく当たり前に6月となった。 5月はどうだっただろう。GWで地元へ帰り、事例検討会、レッスンや宣材写真撮影、勤務先の行事の打ち上げ他いくつかの飲み会、インプロWS、次回の舞台の初稽古とそんなところか。 対人関係でいうと正直めんどくさい合コンの幹事を半ば無理やり担わされ、方々に連絡をするなんてことがあった。私のためのではないので心底迷惑だった。できる限りを頼んできた人にお願いしたのだがなんでかそれほどサポートはしてくれなかった。そもそ
先日自身が開催するインプロWSの第4回目を実施した。 今までと違って、企業で研修などを担当する心理職仲間にインプロを体験させて欲しいという求めがあっての開催であった。 そのためWSに呼んだ演劇仲間は1人だけで、あとはその人と職場で仲良くしてくれる人を誘っての、自分含め4人での実施となった。 結果からいうと個人的には満足してもらえたんじゃないかなという手応えであった。 依頼をくれた心理職仲間は吸収力がすごく、狙いの通りのところを次々に感じて体験していってくれた。職場の仲
現代は多く素早く正確にが求められる。また、1度で正確に意図まで汲み取り空気も読めと刷り込み教えられる 学校教育がそうなのだから我々の多くに刷り込まれている無意識的な価値基準。 答えや結果、結論といった、ことの末だけが気になる我々。そこからズレた答えを言おうものならもう大変だ。 なぜなら質問者が正解しか知らないのだから、正解以外のことへの対処の仕方を知らないのだ。 棄却されるか問い詰められて発言したことを後悔させられるのどちらかだろう。 インプロの父ことキースジョンストンが
出勤。自転車での通勤中、 外気を大きく吸い込み、肺に、鼻腔に届ける。 空気がひんやりと感じられる。 草花の香りも豊かだ。 職場に着く。仕事部屋に荷を下ろす。 裏口をあけ、両腕を空に突き上げ伸びをする。 小さなカタバミが花壇を彩っている。 かがんで眺めていると、 1匹のありに目が止まった。 そのありは、同胞の亡骸を運んでいた。 やがて茂みに消えていったが、 それまで目が離せなかった。 彼らにも 弔いの文化があるのだろうか。 そんなことを思う朝。
先日、友人の誘いで堂本光一が25年行ってきている舞台「EndlessSHOCK」を観てきた。 舞台中央の階段から勢いよく転げ落ちるので有名な舞台だ(語弊があるかもしれない)。 この舞台は2020回以上上演されており、ギネスにもなっているらしい。 感想は 凄すぎた だ。 面白かったとかはもちろんだが、この舞台を形にしてきたジャニーズのメンバーやそのほかの出演者、スタッフさんたちの事を考えたら凄すぎて言葉を失った。 エンターテインメントの最高峰といっても過言では無い
先日、インプロワークショップで知り合い、意外な繋がりがあった方のご自宅にお邪魔した。 開発中のコミュニケーションゲームの商品の試演に、というのが主な目的であった。 だが、それは表向きなことであり、本当のところは内界の深い水準のところで通じ響き合うものがあったから、そのところのやり取りがしたくてというものだったと思う。 初めて降りる駅に着くと、奥様が車で迎えに来てくれていた。 相変わらず慈愛に満ちた女神のような方だと思った。旦那様が奥様のことを歩くパワースポットと表現し
存在というものは輪郭が曖昧だ。自らがあてがう輪郭も、脆く簡単に溶けて崩れていく。 輪郭が曖昧になると存在がぼやける。人はそれを恐れる。だから「これが僕私」と言えるものを欲しがる。自身の存在の輪郭を保つために誰かに自身の一貫した部分を抽出してもらい、記録・保持していてほしくもなる。 私はそれを求める自分をどこかでくだらないと思ったりする。可変性を殺していることに不自由さを覚える。 今日の私は今日の私であって、明日の私は今日の私ではないかもしれない。言い方を変えれば明日は明
私は宇多田ヒカルの曲が、それしか聴かない、ってくらい大好きなのである。 幼い頃、親の車の中で宇多田ヒカルのCDがかけられていたのを聴いたのが始まりだと認識している。First Love、Distanceのアルバム曲がよく流れていたのだろう。中学生になって「あれ、これ聴いたことある。誰?」なんて、えも言われぬ懐かしさの正体を突き止めようとした会話を車の中で親としたかもしれない。 それから宇多田ヒカルという歌手の存在が私の中にはっきり存在することとなる。 ULTRABLUE
体型がコンプレックスだった。 体重は身長の割に重く、ギリギリBMIで普通くらい。その期間が長かった。 障害の都合でランニングなどはできず、なのに料理や食べることは好き。お酒を飲むのも好きだった。でも、 いつまでこのままでいるんだ。 30を超えてこのまま。 そんな自分は好きになれない。 変わりたい。 そう思ってできることからと、生活習慣を少し変えた。といっても家でお酒を飲まない、夜に炭水化物を必要以上に取らない、歩ける時はよく歩くといった簡単なところから始めた。
20代後半になってから色んなことに挑戦し続けているのだが、30代に入ってからの方が目覚しい。 去年は脚本舞台こそ少しお休み気味だったが、その代わりにオンラインインプロに挑戦したりワークショップを自ら開催してみたり、アクリル画を描き始めたりと新たなことをやってみた。その他にも初めての体験にいくつか挑戦してみた。 今年も勢いは続き、フルサイズカメラを買ったり、ポートレート撮影をお願いして挑戦してみたりしている。お花屋さんで自分で花を選んで花束を作ってもらったなんてことも初めて
日曜日。予定は無かったのだが、いてもたってもいられず午後から浜松町へ向かった。 毎日好きなことをやって生きていきたい。燻っていた気持ちが目を覚ましてしまった。 この歳で、こんな気持ちになることなんてないかもしれない。そしてこの気持ちは過去に一度経験したことのある気持ち。気持ちというより情動。これはまた同じような刺激を受ければ同じ鮮度で蘇る、一生消えないものだ。 カフェで今年の予定も含めた自身の舞台出演歴をまとめた。再挑戦してみたくなってしまった。とにかく目の前のことに一生
障害を持つに至った経緯と今について、詳細を書き残しておこうと思う。 今朝7:00前。目が覚めて、まだ意識がぼんやりする中、宇多田ヒカルのElectricityを聴いた。なぜかこの歌を聴くと無性に泣きそうになる。 その状態がきっかけになってか、ここ最近のことを連想している自分がいた。暖かい関わりをしてくれる人たちを想い出し、じんわりと温かい気持ちになった。今日も育休中の元同僚、その他の仲のいい元同僚たちとのランチの予定がある。 ふと、といっても頻回ではあるが、「あの時死ん
季節の変わり目が放つ香りは、私にはいつも色濃く感じられる。 初めて購入した柔軟剤や香水を初めて使用した時のような、意識が夢現から現へとシフトするときのような、そんな感覚をもたらす。 四季よりも、四季の境目を愛してやまない。 私は、四季の境目に訪れる香りが器官を刺激し、そして生まれてくる気持ち・感覚を上手く言葉にできなくて泣きそうになる。泣くことでしか表せないくらいの気持ち・感覚なのだ。 そこに干したての洗濯物からの香りが混ざるとこれまたえも言われぬ気持ち・感覚になり、
関東に来て9年目に入った。 もうそんなに経つのかと、時の流れの速さを、それすなわち命の短さとも言えることを、感じた今日この頃。 今日は仕事の後にこっちに来てできた友人と2人で観劇に行った。気心知れた仲と言いたいほど楽にいられる、特に貴重な友人だ。 居酒屋で舞台の感想を話し合い、料理やお酒が美味しいなんてことを口々にこぼし、プライベートな話も少しだけ挟んだ。 終電間際の電車に乗り友人とは別れた。その電車の中での帰り道、ふと自分は対人関係に恵まれていると感じた。 上京し
自分が履く靴は踵が擦り減ることがない。 しかし、内側が擦り減る。 どういうことかと思う読者が多数だろう。 私は後天的な身体障害を左足に持っている。 骨が歪になってしまったため、履ける靴が限られる。 その限られた履ける靴はニューバランスの靴である。 元々矯正靴の製造メーカーという歴史があるためか、私の足でもなんとか履け、馴染むと楽なのだ。 そんなニューバランスの靴であるが、靴の内側踵部分が歪な踵の骨の部分と擦れてしまい、1ヶ月も履けば壊れ始める。 インソールも劣化しや