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マリリンと僕28 〜悩める2人〜

立春も過ぎ、少しずつ陽も長くなり始めた2月の下旬。僕はいつもの公園にいた。

ここしばらくは慣れないことの連続だった。主要キャストということでドラマ関係の取材を受けるが、まだ顔合わせと台本の読み合わせだけで、実際に撮り始めてもいない。それもわかった上での定型的なインタビューだから、質問も無難な内容に終始した。正直なところ、こんな内容の無いインタビューを読んで楽しいのだろうかと甚だ疑問だった。

でも、僕の考えは甘かったようだ。

雑誌やネットで少し取り上げられただけだと思っていたのに、外を歩いていると時折声を掛けられるようになった。ドラマが決まってから、その回数はより増えた。撮影が始まれば、もっと注目されるのだろう。春のバラエティ番組の特番にも出演する予定だ。きっと今の比じゃない反響があるだろう。

絵莉とはドラマ関係の仕事で会う以外、基本的に連絡をとることは無い。

山村さんとはこの数週間の間に一度会った。食事をして、流れのままにホテルに入り、ホテル内のバーでカクテルを飲んで、部屋に戻ってセックスをした。僕も会えばそうなることはわかっていて、その上で会っている。それが良いとか悪いとかは、あまり考えず、誘われたから行くだけだ。一緒にいるのは楽しいし、山村さんは魅力的な大人の女性。結局のところ、僕は山村さんに甘えているだけなのかも知れない。

萱森さんは最近忙しいらしくて、たまにしか現場には同行しない。ただ、仕事のメール以外にも、時折LINEでのやり取りはあった。同行の日の前には「やっと会えるー」という文面をハートの絵文字で囲んで送って来たりする。それが心からのものなのかは相変わらずわからないし、他の人にも同じことをしてるんじゃないかと思うと、モヤモヤして、苛立ちに似たような感情が出て来てしまう。それでいて、会えるのは待ち遠しい。

フリーターだった頃、多い時で5人の女性を掛け持ちしていた。意思を持ってそうしたわけじゃなく、好意を受け入れていたら、結果としてそうなっていた。会う日を調整する必要はあったけれど、なんとなく上手く行っていた。まるで5人がお互いを知っていて打ち合わせでもしていたかのように、鉢合わせることは一度も無かった。けれど、去る時も、ほとんど一斉に去って行った。

その頃も、俳優を諦めたフリーターとして過ごすことに対しては、少なからず悩んだり不安になったりはしたけれど、女性関係については深く考えていなかった。だけど、今は俳優として少しずつ軌道に乗り始めていて、何かあったら自分だけの問題では済まない。そして、萱森さんへの感情は、ただ受け身でいられるものでは無いようだ。

もうすぐ撮影が始まるのに、頭の中にかかった霧はどんどん濃くなって行った。

公園には誰もいなかった。1時間ほどスマートフォンをいじりながら座っていたが、マリリンが現れることは無かった。

喉が渇いたから、公園近くの自販機でホットの缶コーヒーを買いに出る。春が近いとはいえ、夕暮れの公園に吹く風は、まだまだ体を冷やすには十分なものだ。

コーヒーをダウンジャケットのポケットに忍ばせ、また公園に戻った。

そうすると、さっきからずっといたかのようにマリリンとジジが走り回っていた。公園と自販機の往復は5分とかからない。そう言えば、マリリンと公園で会う日は、必ず僕は缶コーヒーを買ってから公園に向かっていた。それがどんな意味を持つのかはわからないが、一瞬、マリリンは妖精か何かなのだろうかと考えた。でも、僕はマリリンの父にも母にも会っているし、母と祖母の確執も知っている。だから、マリリンはマリリンであって、やはり他の何者でも無いと考え直した。

「元気無さそうやなぁ、兄ちゃん」
僕を見るなり、マリリンがそう言った。ジジは僕の足下に来て、首の辺りを擦り付けて「ニャアッ」とダミ声で鳴いている。
「ちょっとね。確かに悩んでるよ」
僕は話せる部分だけを選んで話した。
「らしくないで兄ちゃん。いっつもなんも考えてへんのが兄ちゃんらしさやん。なんでそんな悩んでんの」
「何も考えてないって…」
「いや、良い意味でやで。良い意味で」
良い意味だと言えば良いというわけじゃないと思うが。
「時間が解決してくれる言うて、玉ねぎさん…長ネギ?ちゃうなぁ。誰やったっけな」
「カーネギーのこと?」
「あぁ、それや!兄ちゃんたまには役に立つやん」
ひどい言いようだな。
「今悩んでることも時間が解決してくれるって、そのチャップリンが言うてたで」
もうわざと間違ってるとしか思えない。
「それはそうなんだろうけど、今悩んでることに対して先のことを言われてもなぁ」
「んー、ほな一休さんも『大丈夫だ。心配するな。なんとかなる』言うてたで」
いや、何の解決にもならない言葉だ…。
「そんなん言うたらウチかて悩んでるで」
「そうなの?」
「オカンいない時に勝手にお菓子探して食べるのやめようか、めっちゃ悩んでんねん」
「それはやめた方が良いよ」
いつも怒られてるしね。って当たり前のつもりで言ったけれど、マリリンが顔はしかめている。
「そない簡単に言わんといてぇな。子供は自由にお菓子食べることも許されへんねん。ウチが食べたい言うても、オカンが食べたなかったら食べられへん。そんなん大人のエゴやん」
難しい言葉はちゃんと遣うんだね。
「まぁ、言うて今日も勝手にルマンド食べててんけど、床食べカスだらけでバレてもうて、めっちゃキレられたわ」
やっぱりやめた方が良いよ…。
「それに比べたらな、兄ちゃんの悩みって贅沢やん?上手くいかなかったらブーブー言うて、上手くいってもブーブー言うて」
ブーブーは言ってないけど。

でも、そう言われたらそうかも知れない。今の僕の悩みは、全て上手くいっている結果に対するものだ。他人が聞いたら怒られても仕方がない、贅沢な悩みだろう。フリーターの頃の僕が聞いたら、ふざけるなって思うだろう。

「お互い大変やけど、『下を向いてたら虹は見つけられへん』言うて、ちょび髭のオッサンが言うとったし、頑張ろうや」
たぶんそっちがチャップリンだよ。
本当にその通りなんだけど、今日はイマイチ芯を食わないな。
「そうだね。変に考えない方が、僕の場合は上手くいくのかも知れないな」
「ホンマそう思うで。でもな、じょせー関係だけは気ぃつけんと、橋本に救われるで」
「足下を掬われるってこと?」
「さ、そろそろ帰らんと、また夕飯抜きやってオカンにブチ切れられるわ」
無視されたよ。

「ジジ、帰るでっ」
マリリンがそう言うと、僕の足下で寝ていたジジがのっそりと立ち上がって伸びをした。「兄ちゃん、ほなな」とマリリンが言うと、「ニャアッ」とジジも鳴いて、一人と一匹がドタドタと走り去って行った。

贅沢とは言え悩みが無くなるわけではないけど、考え過ぎるのはやめて、心の声に従うことにしよう。

缶コーヒーを飲み干して天を仰ぐと、すっかり暗くなった夜空には、綺麗な満月が浮かんでいた。

つづく

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