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マリリンと僕23 〜夢の中のマリリン〜

まだ陽が昇り始めていない午前5時頃、ふと目を覚ますと、既に絵莉の姿は無かった。そして、テーブルの上には千切ったメモ用紙が置いてある。“ドラマ、がんばろうね”とだけ書かれていた。

一か月前に会った時と同じようで、その実全く状況は変わっていた。ドラマの話をもらえたこともそうだけど、まさか絵莉と共演することになるとは思わなかった。

絵莉は僕から“幸運のお裾分け”をしてもらったと本気で思っているのだろうか。しかし、圧倒的な現実として、僕らは競演することになった。地上波の、人気の深夜ドラマ枠で、男女を意識する関係の役柄だ。偶然と言うには、奇跡的な確率だろう。強いて幸運を…奇跡を呼ぶことがあるとしたら、それはきっと僕ではなく、マリリンだ。マリリンの幸運が、僕を通して関わる人間に伝染しているのだ。

僕と絵莉はまたセックスをした。元は恋人だったが、今はもう恋人ではないし、ましてやセックスフレンドなどではない。だとすれば、僕らの関係はなんだろう。

そんなことを考えている内に、まぶたが重くなってきて、また眠りに落ちた。

夢にマリリンが出て来た。

マリリンとジジが公園で走り回っているところに、僕もいる。僕に気づいた一人と一匹が駆け寄って来て、僕に何か抗議するように言っていた。何を言っているのかはわからないが怒っているのは確かだった。ひとしきり怒って何かを言うと、また走り回って遊んで、やがて何処かに行ってしまった。その後僕は、公園にぽつんと立ち尽くしていた。

次に目を覚ましたのは10時を回った頃、萱森さんからの着信音に起こされた。
「陽太さん、まだ寝てたんですかー」
「はい、一回起きたんですけど、二度寝しちゃって」
「そりゃあ良いご身分ですねぇ。こちとら陽太さんが困ってるって言うから深谷さん連れて行って、その後夜中まで仕事してたんですよ」
不満丸出しで萱森さんが言った。、
「はい、すみません」
申し訳ない限りです。
「素直でよろしい。罰として、またご飯奢って下さいねー」
仕方がない。
「はぁ、わかりました。ところで何か御用ですかね。じゃなきゃ電話して来ないですよね」
「陽太さんの声が聴きたいだけじゃ、ダメですかぁ…」
急に女の子っぽい声で萱森さんが言った。
「え、いや、ダメじゃないですけど」
僕は対応に少し困って言った。
「アタシ、寂しくて…」
えっ…
「うっそっでっすよー。信じましたー?どうですか、アタシの演技力?女優行けますかね」
「………。」
本気で怒りたかったが、少なからず惑わされた自分が恥ずかしくて怒れなかった。
「声が聴きたかったのは嘘じゃありませんけどぉ、それより昨日はどうだったんですか?問題なかったですか?いろんな意味で」
いろんな意味でと言われたら、それはとても大きな問題があったと思うが、言えるわけがない。
「おかげさまで、役のイメージが大体つかめました。ありがとうございます」
当たり障りのない言葉で逃げた。
「良かったです。敏腕マネージャーの面目躍如ですね。さすがアタシ」
自分で言うんだね。
「二人きりにしちゃったからリアルラブストーリーが始まらないかと思って、ちょっと心配しちゃいました」
そのストーリーは過去に一度終わっていた。けれど、続編が始まっている気もする。その内容について萱森さんには一切話せないが。
「週刊誌は怖いですよー。何かあったら過去のゴシップとか、全部ほじくり返して来ますからねぇ。ウチの事務所もやられてますし、何人か」
それは間違いなく現実だった。ここぞという時、世論を味方に付けたメディアほど無慈悲なものは無い。そして、僕はそこに関しては叩かれると埃が出かねないのだ。
「大丈夫ですよ」
僕は嘘を付いた。
「まぁ…ウチの事務所は恋愛禁止とかは別に無いですけど、売れるまでは変な話は避けてもらいたいですね。不倫とか」
「はい、気をつけます」
「もう来月の中頃から撮影始まりますから、準備は万全にしておいてくださいね。舞台と違って稽古らしい稽古はありませんし、ベテランさんはアドリブかまして来るし、今回は陽太さんの今後が掛かってるんで、心して臨んでください」
急にマネージャーらしいことを言う。僕はいつもこれに翻弄されるのだ。
「たぶんインタビューとか、番宣的なオファーも来ると思うんで、そしたらまた連絡しますね」
そう言って萱森さんは電話を切った。番宣なんて考えもしなかったが、主要キャストである以上当たり前なのかも知れない。バラエティ番組に出たりもするのだろうか。僕はまるでイメージが出来なかった。

それから僕は、昼食を作って食べ、改めて台本を読み返し、イメージを固めて行った。一人で声に出すと、驚くほど上手くいかなくて、あれはきっと演技であって演技でないのかなぁと考えた。だとすると、家で自主練することにあまり意味はないだろうと思い、劇団の稽古場がある中野に向かった。

「お疲れっす」
稽古場に入ると出迎えてくれたのは菅原だった。長身で、祖父がイタリア人のクォーター。パッと見は完全にモデルのようで、ミラノコレクション辺りでランウェイを歩いていても、普通に馴染みそうに思える。劇団では僕にとって歳下の先輩だ。
「小山さんから聞いてますよー。撮影の準備は万端っすか?」
菅原の話し方は、何故か常に体育会系。
「うん、大丈夫そうです」
たぶんね。
「さすがっすね。言って無かったんですけど、実は俺も出させてもらえることになりました。月野陽太さんのバーターで」
菅原は冗談めかして芸名で言った。
「バーターですか?」
僕にそこまでの知名度は無いはずだが。
「まぁ、正確にはちゃんとオーディション受けたっす。その時に小山さんと桜井さん、それと陽太さんの話させてもらって、縁故入社させてもらいました」
菅原は笑って言った。何処まで本当なのかはわからないが、少なくとも菅原は笑顔は心から嬉しそうで、嘘は無いように思えた。
「へぇ。一緒にやれるのは僕としては心強いです。宜しくお願いします」
知っている人間がいるというのは、本当に心強いものだ。
「陽太さんほど出番無いですけど、負けませんよー。爪痕残してやるっす」
菅原はずっと笑顔だった。やる気に満ちていて、その想いは、僕のモチベーションも上げてくれるほど純粋で、真っ直ぐに感じる。
「僕も負けませんよ」
なんだか僕らしくないと言いながら思ったけれど、菅原がそういう気持ちにさせてくれたのだ。
「じゃあ俺、稽古あるんで」
そう言って菅原は立ち去った。ドラマの撮影ギリギリまで公演があり、春公演の準備もしながらドラマに出るのだ。僕はそんな歳下の先輩を誇らしく感じた。

夕方になり、いつもの公園に行こうかと思ったが、今朝の夢がふと脳裏をよぎり、僕の足を公園から遠ざけた。

僕は絵莉とセックスをした。その後見た夢の中でマリリンとジジは怒っていた。それは何かの暗示なのかも知れないし、ただの思い過ごしなのかも知れない。何にせよ、自分の中で整理が出来たらまた公園に行こうと思った。

そんなことを考えていたら、ポケットのスマートフォンが着信音を鳴らし始めた。

着信の相手は山村さんだった。

一瞬電話に出ることを躊躇ったが、結局僕は電話に出ることにした。

つづく

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