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藤井風くんのサイババ信奉をきっかけに、宗教について考えた。

先日こんな記事を目にした。

アーティストの藤井風くんが、サイババを信奉していて、それを隠しながら活動の中でステルス布教をしているのだと。で、それを問題視したファン(?)の方が、サイトを設立したのだそう。
※ そのサイト、noteでした。宣伝する気は無いのでリンクは載せませんが。

サイト自体は藤井風くんの信仰自体を否定しているわけではありませんし、その方にはその方の考えがあっての行動なので、私もそれを否定しません。

以下はただ、私自身が改めて宗教について考え、その上で風君とどう向き合うか、というだけの内容です。

過去の記事でも何度か触れていますが、私自身は特定の宗教を信仰も帰属も依存もしない、どちらかと言えば無神論者です。

但し、私が信じていないというだけで、神の存在を否定したり、宗教を否定する気持ちはさらさらありません。 

日本独自の文化慣習の背景には、宗教的な思想や価値観が、直接的だったり間接的だったりしながら反映されていて、そこに様々な宗教の価値観もブレンドされながら、社会に薄っすらなんとなく、それでいて確実に浸透し、信仰はせずともビジネスやレクリエーションなどのツールとして活用されています。

それが日本の現状で、大多数の国民は、強い信仰心を持たずに、また、その文化慣習の背景に宗教的な価値観が存在していることなど考えもせずに、日々の生活を送っているように思います。そして世代が新しくなるほど、信仰の薄っすら感は、より強まっているとも感じます。特定の宗教を信仰することが一般的な諸外国とは大きく違う、日本の特色の一つとも言えます。

そんな環境下だからこそ、強く宗教を信仰する方々の方が目立ってしまう。

そして、特に“新興宗教”が報道で取り上げられるのは総じてネガティブな話題ばかりだ。身近なところでは創価学会、幸福の科学、エホバの証人。ニュースで話題になった統一教会(旧統一教会)、オウム真理教、パナウェーブ研究所…。これらの名前を聞いてポジティブなイメージを持つ人は少ないのではないか。

実際ネットで新興宗教を調べると、世間一般では知られていない団体が無数にあり、どれが真っ当でどれがカルトかなんて、私達にはわからない。新興宗教=悪、ぐらいに感じている人も多いだろうが、それはこの国においては仕方の無いことだと私は思う。

一方で、きっとその多くはカルト的な思想とは無縁なんじゃないかとも思っている。そもそも宗教の信仰は自由であり、特定の宗教を信仰するアーティストの、作品での表現に影響することも当たり前にあること。

例えばボブ・ディランはユダヤ教の家庭に生まれ、後にキリスト教福音派に改宗しているし、宮沢賢治は法華教の熱心な信者だ。それによって作品から宗教の思想を感じることは全く無いとは言わないが、限定的であり、大多数の人は作品と宗教を結び付けて受け止めはしないと思う。彼らの信仰について、誰がとやかく言うのだろうか。

藤井風くんのサイババ信仰に話を戻す。

まず、サイババ(=サティヤ・サイ・ババ)はカルト的な思想の持ち主ではありません。サイババの思想をめちゃくちゃザックリ言うと、「みんな仲良く幸せになろう」です。所謂“物質化”というオカルトチック(麻原彰晃の空中浮遊みたいな感じですかね)な話を除けば、インドでは国葬された程の人物です(詳しくは自分で調べて下されい)。日本では胡散臭さと容姿のコミカルさがイジられがちですが、少なくとも日本におけるカルト宗教の指導者のような扱いではありません。

では何故彼がサイババ信仰を隠して、サイババの言葉を歌詞の中で引用したのか。

この辺はもう完全に憶測だけど、前述の通り日本では宗教を信仰していることって、あまりポジティブに受け止められない。しかもサイババも偏ったイメージしかない。もしその情報が先にあったとしたら、彼の楽曲を大衆は素直を受け止めたのか。きっと今のような、正当な評価はされなかったんじゃなかろうか。

また、引用と言ってもわかる人が見たらすぐに伝わるぐらい、ハッキリとサイババの言葉を使っていて、言われているような“ステルス布教”のような意図は感じられない。そもそも風君本人にとっては特別なことじゃなかったのではないか。

事務所社長の「言う必要がないから言ってない」という言葉とか、風君自身が反論したりとかは、そこは対応としてはあまり良くなかったかも知れない。丁寧に説明しても良かった。問題があったとしたら、それぐらいかなと、個人的には思っています。

ほとんどの人は今回のことを気にしないでしょうし、逆に言えば、この話が明るみになったことで、風君がサイババの信奉者であることがわかったのだから、本人は堂々として良いし、ファンも堂々として良いだろう。

風君をきっかけにサイババに興味を持ち、サイババを信奉するのも自由だ。今回の件で風君に疑問を持ち、ファンをやめるのも、また自由だ。ポップ・ミュージックとはそういうものなのだから。

少なくとも私はアーティスト藤井風が好きだし、背景も含めて、彼が表現する音楽が好きだから、これからもずっと聴き続けたいと思っています。


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