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スーパー横の自販機を使う小学生だった

スーパーの目の前にある自販機を一度だけ利用したことがある。

自己満の会議、雨の日における強風の次くらいに世界で必要性のないであろうスーパーの目の前、入り口横に設置された自販機で、だ。

確かにそれは言いすぎなのかもしれない。が、よく考えて欲しい。スーパーの前にいるのならそこにある自販機には目もくれずに真っ先にスーパーへ入るべきである。物によってではあるが、半額くらいで同じ商品がそこに陳列してあることだって珍しくないのだ。

ただ経済合理性の観点で考えればビルゲイツのような大富豪で時間のない人間がスーパーへわざわざ入ってジュースを買う時間はもっとも無駄なことであろう。その時間にありとあらゆる選択をしなくてはいけないし、何かのビジネスチャンスを掴めるのかもしれないし。

とはいえその自販機を使う人間がビルゲイツではなく、そこら辺のごく普通の小学生ならどうであろうか。

それは僕が小学5年生のときの冬のこと。当時の僕の夢といえば、第一にプロ野球選手、第二に箱根駅伝のランナーであった。

しかもそれは、そのどちからの夢が叶えられればいいというものではなく、その両方である。ちなみに僕が小学生の頃というのはあの大谷翔平はまだ中学生とかであるから、僕はもしかしたら大谷翔平よりも先に二刀流を宣言していたことになるかもしれない。
ぎゃはははは(ビックマウス、サイトウサン!)。

悔しいかな、今こんな文章を書いているのだから当然のことながらその夢は叶わずに終わった。どちらかを達成することもなく。

その理由は単純に才能がなかったから。それに加えて三日坊主であったから。もうそれに尽きるだろう。

だが夢というのは才能がなくても語れるものだし、才能がなくても夢に向けて形から入ることは可能だ。令和の少年が大谷翔平モデルのバットを誕生日プレゼントで親に買ってもらうのと一緒である。

かくいう僕もかつては西岡剛とか坂本勇人とか、憧れの選手モデルのバットを握ってバッターボックスに入っていた。もし過去に戻れるのであれば、当時ジャイアンツファンだった僕を引っ叩いてカープファンにいち早く仕立て上げるのだが、それはまた別の話である。

しかし、バットのような高額商品を小学生のお小遣いで買えるはずもなく、僕はそれを両親からの誕生日プレゼントかクリスマスプレゼントか何かで買ってもらった。

ただ、彼らからすればバットはいち「野球をするための道具」にすぎないようである。だから、僕が箱根駅伝のランナーが履いている靴と同じ色の靴をねだっても、「どの靴でも走れるだろ」と言われるのは目に見えて分かることだった。それでも、言ってみないければ分からないだろうと勇気を振り絞って母へねだってみる。

「いらないでしょ」
瞬足を履いてもコーナーで差をつけられないお前には不相応だろ。身の丈に合ったものを選べといわんばかりの表情で言われた。

「いや、でも毎日走りこむし……」
僕の必死の抵抗がはじまる。

しかし、そんな抵抗は母にとってみればあってないようなものである。
「そんな靴を買ったところでランニングの習慣が続くはずない」と、罵られる始末。

こうなってしまえば僕にとって形から入るという重要事項を達成することができなくなってしまう。さあどうするべきか。

真冬の朝、学校へ行く前に僕は箱根駅伝のランナーに扮して軽いストレッチを行う。どこが伸びているのかを意識することもなく。

僕は走り出す。彼らのように、最初からとてつもなく速いペースで。

右手に小銭を握りしめて走る。

目的地は自販機だった。家から500メートルくらいしか離れていない自販機が折り返し地点だった。

吐息を漏らしながら走る。走る。
その自販機はスーパーの目の前にある。朝早くから営業しているスーパーだから、僕が走っている時間はギリギリ営業していたはずだ。もしかしたら営業していなかったかもしれないが、それでもそのスーパーに用はない。なぜならスーパーに入ってしまえばそれは「給水」ではなく「休憩」になってしまうからだ。

自販機で一番安いスポーツドリンクを選んだ。500mlのペットボトルだ。ポカリでもアクエリでもなく、そのジェネリック版のようなものを手にして再び走り出す。そして走りながらペットボトルの蓋を開ける。グビっと飲みほす。冷たくて甘い液体が喉を通る。が、いかんせん走りながらの水分補給には慣れなくて咽る。

ペットボトルの半分くらいの容量を残して僕は家に戻った。もちろん前半に飛ばし過ぎたせいか、24時間テレビにおけるマラソン並みのスピードで帰還。総距離約1キロのめっちゃ軽いランニングであった。

家に帰って来て我に返る。本当に給水が必要だったのか、と。しかし僕の当時のお小遣いでできる選手の真似事といえば、給水くらいしか思いつかなかったのだ。

ペットボトルを手に持って居間に上がると、母が僕の右手をじっーと見ている。

「何それ」
母は強めの口調で言う。
「給水……」

「とんだ無駄金だな」
母はそう言い残し、キッチンへ向かった。

それから僕のランニング習慣は終わりを告げた。
もし母のこの一言がなければ、僕は箱根ランナーになっていたかもしれないし、破産していたかもしれない。

分かったこととしては、スーパー横に自販機が置いてあるのは「給水」のための設備であるということだ。

【追記】
少年が走りながらジェネリックアクエリを飲んでいたら、あたたかく見守ろう。寄付とかすると喜ぶと思いますよ。






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