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思春期エッセイ集

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思春期時代の短編エッセイ。 ・思春期草創期の幼稚園時代 ・思春期早期の小学校低学年時代 ・思春期前期の小学校高学年時代 ・思春期中期の中学校時代 ・思春期後期の高校時代までを描…
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消えた「もみあげ」を描く

消えた「もみあげ」を描く

初対面の人間に、特技を聞かれたときに困ってしまうのは「自慢しすぎていないか」、あるいは「格好つけすぎていないか」という要素を考えすぎてしまうからだ。

その点、僕は特技を聞かれれば、「フラフープを回すことが得意です」とか、「自分でセルフ散髪することが得意です」と即答することができる。フラフープを回すことより、「ギターが弾ける」とか「カラオケ」、「リフティング」とかの方が断然格好いいのだけれども、僕

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効率と奇妙な勉強法の狭間で

効率と奇妙な勉強法の狭間で

「暗記はその暗記したい「モノ」と出逢う回数を増やせ」

本なのか、先生なのか、頭のいい友達なのか、誰かは忘れたが、僕が高校生だったときに誰かから言われた言葉である。

僕は真面目な高校生だったのでその教えを忠実に守った。授業で学習したことについて、何度も問題を繰り返してその「モノ」と出逢う数を増やした。

だが、それだけでは足りない。もっともっと出逢わなければ暗記なんぞできない。そう思っていた矢先

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幸せな食あたり

幸せな食あたり

僕が小学生高学年だったときの話だ。何ら変わりのない朝が来て、いつも通り顔を洗い、服に袖を通す。父と母に「おはよう」とあいさつをしてから学校の支度を済ます。いつもと同じ朝だった。ただその日イレギュラーだったのは、弟が体調不良でリビングへ起き上がってきたことだった。

そのとき弟は小学一年生か幼稚園生くらいだったと思う。僕より早起きの弟がいつも先に朝食をとるのだが、めずらしいことに彼の大好きな「ふんわ

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メルカリの商品に同封された手紙にほっこりした話

メルカリの商品に同封された手紙にほっこりした話

メルカリで野球のチケットを買ったことがある。僕がメルカリで最初に購入したのは、堂林翔太のフェイスタオルでその次に購入したのが田中広輔の赤いユニフォーム、そしてその後に買ったのが野球のチケットである。

今は違うのだが、僕のかつてのメルカリのアカウント名は「カープ坊や」だった。いかにもカープファン丸出しの、カープのためのアカウントだ。

まだカープファンになりたてだった僕をそれっぽいファンへと簡単に

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先輩にあいさつしたら舌打ちされた話

先輩にあいさつしたら舌打ちされた話

今の中学生たちを見ていると、上下関係は存在するもののそれは極めて緩やかなものに見えてならない。もちろんその組織や人によるのかもしれないが、僕が中学生だったときの今から約10年前と比べると、今の下級生たちは随分過ごしやすそうである。

僕が中1の頃、ぶかぶかの制服を着て歩く通学路には油断も隙もなかった。先輩と思われる人間には誰彼構わずあいさつをしなくてはならないという謎の風潮があったのだ。

僕は真

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セクシーボーイになりたかった

セクシーボーイになりたかった

高校1年生なんて今から8年前のことだから、その記憶はとっくのとうにセピア色である。青春とは常に過去で、中高生が「今、青春なんだ」とメタ認知することは限りなく難しい。言うなればその難易度は彼らが反抗期をメタ認知するのと同じことだ。

「部屋に入ってくるときくらいノックしろよ!俺、今思春期なんだからな!部屋で何してるか分かんねえ年頃なんだよ!」

「どうしてパパの下着と一緒に洗濯するの!?私、そういう

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ミスター加工

ミスター加工

昔から僕と弟は似ていない。どのくらいかといえば、母から「あなたの弟は他の惑星で生まれたのよ」と言われても、へえそうなんだと納得してしまいそうなくらい似ていない。僕の輪郭は典型的な面長だし、彼はコンパスで描いたかのような丸顔である。

それは外見的特徴だけではない。夕食に海老フライが出されたら、まず真っ先に食べてしまうのが僕で、食事の最後まで取っておくのが彼である。食事でいえば、彼はカープファンであ

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拙者、価値ある落武者なりけり

拙者、価値ある落武者なりけり

僕は現在、これっぽっちも霊感というものがない。物心ついてから霊が見えたとか妖怪に出会ったとか、そんな経験があればエッセイとして「ほんとうにあった怖い話」が書けるのだが、幸か不幸か霊的な彼らを目撃した記憶はない。

しかし、僕たちは記憶にないだけで霊的な何かを既に目撃、あるいは遭遇しているのかもしれないし、悪霊なのか守護霊なのか分からないが無意識のうちに何かに取り憑かれているのかもしれない。

これ

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恋のカピチュレーション

恋のカピチュレーション

私立の高校に通っていた。公立の高校にあるのかは分からないが、僕の通っていた高校では数年に一度有名人による講演会が設けられていて、これが密かな楽しみであった。

僕が入学する前の年には林修先生が来たし、2年生のときにはゴルゴ松本が来て「命の授業」をしてくれた。

迎えた高校生活最期の年。誰が来るのか、はたまた誰も来ずに終わってしまうのか。期待と不安を胸に抱えていた。

その結果が分かったのはいつしか

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髪は短めで白髪です

髪は短めで白髪です

昔から若白髪に悩んできた。現在、22歳の僕の頭に白く光る髪の毛はその当時と比べるとかなり減ったが、小学生の高学年から中学生のときにかけてはその存在が目立った。

特に後頭部にその白髪は顕著に見られ、「若白髪郡」ともいえるほどの量があった。通常、青春というのは恋や友情で悩むのだろうが、僕の場合は白髪を起点にそれらに悩んできた。

「あーA子ちゃんに白髪見られて嫌われたくないなー」

「あーBのやつ、

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「ボク」と呼ばれるのが嫌いだった

「ボク」と呼ばれるのが嫌いだった

かつて、僕は「ボク」と他人から呼ばれてきた。
幼稚園から小学校高学年くらいまでだろう。期間限定且つ他人限定の二人称、「ボク」。
関西の人たちが二人称を「自分」と呼ぶ文化があるらしいが、この「ボク」という二人称は全国共通なのだろうか。

それにしても、「ボク」と呼ばれてきた人間が徐々に「ボク」と呼ばれなくなり、最近はもっぱら他人からの二人称は「あの、すいません」である。どこか寂しさを覚えるような二人

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好きな季節についての1分間スピーチ

好きな季節についての1分間スピーチ

1分間、教卓の前に立ってスピーチをする。所謂、「1分間スピーチ」というものが小学5年生の頃に存在した。

授業がすべて終了し、いよいよ放課後になろうとする直前の「帰りの会」にて毎回児童一人が教卓の前でスピーチを行う。30人とかそこらのクラスであったため、毎月一度は回って来る。

月一で訪れるその日は、まるでジョーカーが自分の手元に回ってきたような、陰鬱な気分になる。学校に行きたくないな、と思ったこ

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そういえば小学生のときに自動車免許を取得していた

そういえば小学生のときに自動車免許を取得していた

いい歳して車の免許を持っていない。車に興味がないし、ガソリン、車検(最近値上げされた)、保険と、諸々の維持費がかかるらしいし、何より免許を取ることが面倒くさすぎるのだ。

岸田総理は走行距離課税とかいう、車で走れば走るほど税金を払わなければならないシステムを検討しているらしい。こんなの、車の免許なんて取らない方が良いと言われているようなものである。

だが、身分証明書を見せてくださいと言われて免許

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僕のアイドルが帰ってくる

僕のアイドルが帰ってくる

順風満帆の高校生活の時間の中で、部分的に悲壮感の漂う時間を過ごしたことがある。これは高校生や中学生といった思春期「ならでは」のものではない。年齢を問わず広く一般的に感じるものであると思っていた。だが、それは局地的なものであるようだった。

ーーー

僕が高校3年生のときのことだ。秋風が冷たくなってきた時節であると同時に、日本シリーズがホークス優勝で幕を閉じ、プロ野球への、いやカープ球団への寂しさが

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