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妻がいながら、若い女性とホテルで美しい焔を讃えてしまった件。(掌編小説)

今回、妻がいながら、若い女性とホテルで美しい焔を讃えてしまったこと、深く謝罪いたします。大変申し訳ございません。

焔?

ええ、焔。その、週刊誌の記事の通りですが、一部事実と異なります。

ええと、どういう。

若い女性とホテルへ入ったのは事実です。彼女は、夜の闇を切り裂く一閃の青白く光る春雷です。

春雷?

ええ。貫かれて。

なにがでしょうか?

私の胸を。それで、ホテルへ。

はぁ、えっと、そこで肉体関係を持ったと。

肉体関係というと語弊があるのですが……。ですから、部屋に入るなりですね、彼女が脱ぎますよね。すると、遠くのほうで雷鳴が。

雷鳴が、遠くで?

そうです。あとから気づいたんですが、そのとき塔が崩れた。

塔……塔? 塔って……。

私はもうこれはいかん、いけないと。彼女にも、迫っているから、と伝えまして。身を清めるためにシャワーを浴びました。それで、シャワーから出てですね、彼女が私も、というから、次に彼女がシャワーに。

はぁ。

私はといえば部屋に戻って星図をですね。

星図?

星の並びがですね、乱れているなと。こういう訳です。ああ、これは良くない、乱れる。迫っていると。

乱れるというのは、その。

人心です。

じん……。

それでもう大変だからと、総理にも直ぐに電話しました。いよいよです、と。総理も常々深く憂慮されていましたから。

うーん、ちょっとお話が見えないのですが。

総理は、しっかりやってくれ、そのように仰られました。それで、電話を終えると、私は彼女がシャワーから出てきたことに気が付きました。そのとき彼女はもう彼女ではなかった。彼女であり彼女ではなかった。私は思わず妻の名を呼びました。

ん? ええと、つまり奥さんと一緒にホテルに入ったと?

いえ。女というものはその、かたちあるものに見えて、こう、捕らえどころがない。神性を帯びている。

神性?

私もですね、古きものの名をそれから二、三呟きました。いずれも彼女はかぶりを振りました。そこで唐突に、私は気づいた訳です。

なにに、でしょうか。

は?

えっ? いや。だから……何に、気が付いたんですか?

成程と。そういうことかと。それから、これはもう焔だから。根源に還るのだと。彼女は「焔に意思はあるの?」と尋ねてきました。私は、いや意思はない、だから善悪もない。ゆえに罪なし。焔はただそこにありて、燃やし尽くすだけだと。だから美しいのだと。その時初めて、彼女がクスリと笑ったのを私は見ました。彼女の若い肉体の、その輪郭が焔でゆらゆらと揺らいでいました。

すいません、ちょっと話を戻しますが、その、若い女性とホテルに入ったと、これは間違いないですか?

間違いありません。

ええと、そこで肉体関係を持ったと。

ですから、焔をですね。

焔というのは、その、実際の炎ですか? それとも何か、性行為の隠喩でしょうか。

私は焔を讃えて……。

焔を讃えて? ですからね、そこが分からんのですが。

彼女はその時、私の目を見てこう言いました。「汚れているからこそ、美しいのではなくて?」と。私はハッとしました。揺らぐ焔のその熱で、光が屈折して私の目を貫いた。

あの、ご飯論法じゃあ無いんだから……ちゃんと質問に答えていただけますか?

私はその光に慄いた……これは正直に、有権者の皆様に申し上げます。妻にも言いましたから。私は恐ろしかった。しかし私は目を離すことができない。私は、原罪の穢れ無き、無垢なるものこそに美を見出したのに。しかし彼女は、私が切り捨てたいや、切り捨てようとした穢れの中に、その罪の中にいて、それでいて……嗚呼。

(男が眼鏡を外し、涙をこらえる。フラッシュ音)

すいません……。

ええとですね、一部報道では、その若い女性に現金を渡したとか。

罪?

罪? とは……あっ、罪を認められる、という?

彼女は笑いました。すると星々が一瞬にして消えました。しかし彼女の瞳は星無き闇よりも闇く、深く……その時、ようやく悟りました。私が彼女を選んだんじゃない。彼女が私を選んだのだと。

すみません、なぜ不倫をしたのですか?

(無言)

現金を渡したということは、これはパパ活ではないのでしょうか。

(無言)

パパ活ですよね? 現役の議員がそういった行為をするというのは。

父を……。

父……、いや、その、パパ活をですね。どう責任を取られるおつもりでしょうか。

父を殺す。

?!

父を殺し、子は新たな王になる。それこそが私に与えられた物語だと、連綿と繰り返される定めだと。お恥ずかしながら私はその瞬間まで信じていたのです。父は、どうだったのでしょうか。

あぇ? あの、お父上を……?

知っていたのでしょうか。知っていたのだろうな。偽りの物語、偽りの王。父殺しこそが父祖の罪を贖う唯一の術だと、その時までいやもしかすると今この時も私は信じて……しかしこれこそが紛れもない、罪そのものだったとは……!

ええと、なんだったかな。そう、パパ活、パパ活の話に戻りたいのですが。

だから私は焔を讃えた。焔には罪がない。だから美しいのだと。しかし実際はですよ? 私は心の何処かで、この私そのものが焔に焼かれることを望んでいた……! 何故か?!

あの、だから何の話をされて……。

私自身が生まれついての咎人だからだ! 断罪されるべきは私だっ、私なのだと! はっきりと自覚した!

……それはパパ活をお認めになる、ということでしょうか?

しかし彼女はそれでもなお私を見て、笑うのだ。彼女は、こんな私を受け入れた。咎人たる私を! ……分かりますか? この意味が。

はぁ、あの。ですからパパ活をですね。

しかしそれが私には耐えられなかった。私には、他にどうすることもできなかった。私は遥か時の果てに西方にて鍛えられたこの、一振りの剣をですね。

(男が長剣を振るう。フラッシュ音)

剣を……彼女に突き立てた……彼女はそれでもなお笑っていた……笑っていたのだ!

(記者らが困惑し顔を見合わせる)

剣は彼女を貫くことはなかった。焔を斬ることが出来ぬように。私は跪き、ただ彼女に縋った。それすら叶わぬことと知りながら、しかしどうして……。彼女には全て分かっていたのだろうと思います。

(記者らが困惑し顔を見合わせる)

それから、私はそのホテルの一室で、一晩、焔を見つめました。今やただそこにあるのは神性ではない。ただの現象だと頭では分かっていた。私の目は焔を見、そして見ていなかった。彼女は消えた。

消えた? 消えたというのは、先に帰った? ということですか?

(男が笑いながらかぶりを振る)

男から見た女というのは、直ぐ近くにいるように見えて決して届かぬものだ。この剣さえも……お分かりか。

いえ、その。あの。

あるいは焔もまた決して触れることは出来ぬ彼岸のものなのか……熱はこの肉体を焦がすというのに。何という皮肉だ……!

(男がくっくっと忍び笑い、しまいに爆笑する。記者らが困惑し顔を見合わせる)

気が付くと夜が明けていた。焔は燃え尽きた。私は星図を見た。網膜に焼き付くほど見つめ続けたはずのそれが、今やもう異国の言葉のように、なにひとつ読み解くことが出来なくなっていた。それが、此度の顛末です。

……あの、一つだけ、よろしいでしょうか。

(男が頷く)

ご自身の責任、つまり議員辞職というのは、お考えでしょうか。

全く考えておりません。以上。

(男が足早に記者らの前から去る。フラッシュ音)

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