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わたし が わたし の 親友になる。

いつの頃からだろう
他人に自分の苦しい胸の内を
聞いてほしいと思わなくなった。


聞いて欲しくない、わけではなく
そんな話をしたくない、わけでもなく
ただ、
聞いてほしいという発想が
あまりなくなった。


自分で自分の話を
聞けるようになったのだろうなと思う。


誰かに耳を傾けてもらわなくても
誰かに受け止めてもらわなくても
誰かに励ましてもらわなくても
誰かに寄り添ってもらわなくても


自分で自分の話に耳を傾けているし
自分で自分を受け止めているし
自分で自分を励ませているし
自分で自分に寄り添えているようになった。


少なくとも以前よりは。

そしておそらく、段違いに。


もちろん、
それができない時があってもいいし
誰かに聞いてほしいと思う時が来れば
誰かに聞いてもらうと思うけど
ただその場合でも同じ。


誰かの力を借りながら
自分で自分の話を聞くのだけなのだ。

今振り返ると
以前のわたしはびっくりするくらい依存的で
そしてネガティブでもあった。

不平不満を感じやすく、
人や自分や物事の悪口もよく言った。


それがストレス発散の一部でもあったし
誰にもぶちまけられないそういう話ができる相手を
心が許せる親しい関係の証拠だと思っている節もあった。

でも今は、それをした方がストレスが溜まる。


年頃なのか(でも大学生)
やたらと世間に文句ばかり言っている甥っ子がいて
そういう話を聞くのがめちゃくちゃ疲れる(笑)。
フォーカスが不満に偏りすぎなのよ。。。
(甥っ子自体は可愛いですよ。)


でも、以前のわたしもああだったんだろうなと思う。


大体において、
不平不満や悪口というのは「本音」ではない。

本音というのはもっとその奥。


それは自分と静かに向き合って、
掘り下げないと捉えられない。


そこまで行かずに表層で発散した気になっても
いつまでも同じことを繰り返すだけだ。


別にそれが悪いとは言わないけど
もう年なので、
そんな疲れることやりたくない^^


そして、以前はその甥っ子と同じだったわたしが
なぜ(少なくとも自分の中では)変われたかという話になると
1つには、毎日取り組んでいるノートワークの力が大きいと思う。


毎朝起きてすぐ
あるいは
掃除が終わって誰もいないリビングで
ノートに自分の胸の内を書き出す。

その時の氣分が幸せでもそうでなくても
”感謝”も書くし、”死にたい”も書く。


誰に見せるわけでもない
むしろ
誰にも見せないのだから
書いていけないことはなく
なんでも湧いてきたことを書く。


大体1日2−3ページになるが
毎日それをやっていると
ノートが自分の親友になる。


わたしがわたしの親友になる。


ノートは藤本さきこさんのお店のノートを使っている。
そのノートに万年筆で書く。

このノート達がまた、
めちゃくちゃ万年筆で書きやすくて、
スラスラ書けるので心の内も澱みなく出てくる感じがするくらい
秀逸な商品だと思います。

(別に回し者ではありません。)


そういったノートワークの提唱者自体が
さきこさんだったけどね。


本を読んだことがあるだけで
直接お会いしたことは一度もないけど
とても感謝しています。


さきこさんのブログを貼っておきますね。


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