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家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

熱い心はもうどこかに置いて
きたのかもしれない。

昔もっていたかもしれない野心とか
負けん気とか。

熱すぎたり、自己顕示欲が過ぎたりして
自分のバランスを崩しがちだった
あの頃からしたら今はとても
静かな心なのかもしれない。

母が倒れてから、日常がすこしずつ変わって
いった。

ふたり暮らしが独り暮らしになった。
ごみの量が減った。
電気代も半分になった。
新聞を読むのがわたしだけになった。
咳をしてもひとりになった。
プチ断捨離をしていたら不燃ごみが
ふえていった。

ささやかな生活の変化だけど。

根底にあるのは母の健康のことが
第一優先事項になっていった。

わたしたち家族はそれぞれが一員として
存在しながら、ほんとうにぎくしゃくと
していた。

ゆがんだ思春期をわたしは送り。

父を恨み。
弟を羨み。
母の学生時代が眩しくて。

わたしだけが取り残された気分がしていた。
そんな時間が長く続いた。

何年も前のある日。

父親から手紙が来た。

そこには「あの頃、パパはアウェーだったから」と
書かれていた。

アウェーとか言わんといてって内心思っていた。

それを読んだ時、父の弱さが嫌だと思ったけど。

今思うと。

それを、そんな弱さをわたしには打ち明けて
くれたのかと思うと、父の心はわたしの方へと
開いていたのかと気づいて、ちょっと心が痛かった。

今なら、何ていうだろう。

みんなアウェーだったんだよ、あの頃はって
言えばよかった。

そんな思いに駆られる。

家族を許すとか許さないとか、一度だけの過ちとか
減点ゲームじゃないのに。

家族は減点ゲームじゃない、そうじゃないと
気づいたのは、ほんとうに最近のことだった。

許すとか許さないとかその感情がもう
面倒だった。

でも今はなんだか散り散りだった家族が
どこからか、なにかあった時には
できることをそれぞれがするという、
チームになっている気がする。

家族って、最初のカタチはあくまでも
最初だけで。

そこから色々な時間を重ねて心の枝を
伸ばしながら形作られていくもの
かもしれない。

最近、年齢のせいか、なんかとみにひとりで
泣いていることが多くなったけど。

さびしいとかじゃなくて。

よくわからない感情。

何度見ても好きなCМがある。

日本生命のCМ。


"栄光とか名誉とか 誰もが羨む暮らしとか、 待っているのはそこまで 輝かしい何かじゃなくていい。 なんてことない毎日を歩んで ゆきたい。大切な人との時間が 続いていくのなら、それはなんて 守りがいのある未来だろう” 

日本生命CMコピーより。

お母さんの退院をめぐる映像と母親じしんの
語りのようなコピーはわたしの心に響いてくる。

今だから響いたのかもしれない。

大切な人との時間が続くことは永遠じゃない
ことを目の当たりにして。

ほんとうにそこを大切にしたいし。

わたしたちジグザグに進んでいた家族が
どこかでひとつの道の途中でまた懐かしい
再会をしたようななんかとても不思議な
気持がする。

このコピーのなんて守りがいのある未来だろう
という言葉。

この言葉も今はまっすぐ心の端っこに
触れてきて、触れた途端に
涙腺まで直に届いてしまう。

若い時には守られていたし。
今も守られている気がするから、
何かを守るというスタンスは
自分を守る以外やってこなかった
わたしには、ハードルが高いけれど。

なぜか近くにある言葉になっている。

母が4月の第一週に我が家に戻ってくる。

喜びもあるし緊張もある。

今日いつも母のことをずっとやさしく見守って
くださっさ療法士のKさんに。

弱音を吐ける誰かを
そばに置いておいてくださいね。

ひとりで抱えないでくださいねって、言葉を
かけてもらった。

張りつめていた糸にその言葉たちが触れて
ちょっと胸がつまりそうになっていた。

彼の言葉をわたしはそっと心の中に
ブックマークしていた。



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