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ひとしずくの指の言葉。

繁華街を歩いていた。
小学生だったわたしは、祖父の皺いっぱいの掌の中でぬくぬくとしていた。

時々その中で指を動かしたりずらしたりしてみせる。
そのどの指の形にも祖父は対応してくれた。逃れようとする親指を祖父の人差し指と中指がすぐさま捉えるとわたしを説き伏せるのだ、無言の指で。その度に尿意とは別の何かを感じる。それが心地いいのか悪いのかもよくわからないけれどその現象が嫌いではなかった。

商店街から漂っている縄のれんの向こうからは、コリアンダーのスパイスの香りが、畳屋からは青臭いイグサの匂いがした。祖父は暫く歩くと分厚い木の扉を開ける。カウベルが鳴る、わたしの頭上でころろんと響く。

頭にすっぽりとベルの帽子を被って聞いてしまったように、鼓膜をぎりぎり震わせた。
辺りは珈琲の香りが部屋全体に広がっていて、湯気がカップやサーバーから立ち上っていた。いつも頼むモーニングセットは、家では目にすることもないぐらい分厚いパンの上にバターが半分溶けかかっていて、ゆで卵にはサラダがついていた。サラダの上には酸味の勝ちすぎた鼻につんとするドレッシング。

窓ガラスにバイクにキーを掛けている人がみえた。背中が父に似てるって思ったらその人が視線に気づいたみたいにこっちを見た。
眼があった。若いその人は目尻だけで微笑んだ。

「耳の中がわんわんまだしてるよ、ほらあれのせい」
指差す方を空知が見る。チャイムの辺り。空知は目の前に手を伸ばすとわたしの耳たぶを思いっきり引っ張った。

空知の冷たい指がの耳たぶにふれて引っ張られると次第に耳の中がすっきりと風通しがよくなっているのを感じた。

空知の分厚いトーストはパンの欠片になっていた。わたしがパンケーキの最後の一枚がぜんぶなくなるまで見守って店を出た。

よくないことが起こる前触れはよく知っている。
空知は狙われた。
金を出せと脅された時、空知はまたたくスピードでもってしゃがんだ。

繋いでいた指が急に毟り取られる衝撃を感じた。
一瞬腕の付け根がみしっと軋んだ。いきなりしゃがんだ空知を見たちんぴらは発作でも起こしたのかと慌てたらしい。たぶん心臓発作かなんかで死ぬんじゃないかと焦ったんだと思う。

仲間の男たちだけが呪文のような言葉を繰り返しながら消えた。

バイクの男はわたしから一切視線を外さなかった。

一重の切れ長の眼がいつか犯罪者としてテレビの画面に登場するかもしれないな予感がした。その眼は残像となって消えなかった。それが微塵も嫌悪感がはなかったことは、空知には一生黙っておかなければいけないと思った。

結局お金はとられなかった。
「ケガはないか?すまんかった」
空知の指に引っ張られるように立っていた。立ったまま手をつないでいると自分が若干背が高くなっていた。何かが逆転してしまったみたいで、その逆転はすこし嫌でとても寂しかったので早く立ち上がってほしかった。

空知の指がわたしの手の中で何かを囁いた。

(1200文字)

🍀🍀  🍀🍀  🍀🍀   🍀🍀  🍀🍀

今回はこちらの素敵な企画に初参加しています!
ずっとやってみたかったんですが、今回は勇気を
もってチャレンジしてみました。素敵な企画を
ありがとうございます。

お読みいただきありがとうございます。



 



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