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じんせいを人生と書いてみたい、8日間だった。

ずっとnoteもおやすみしていて。

メンタルも弱っていて。
メンタル補強してからじゃないと、泣き言を書いてしまいそうなので。

その機会を待っていました。

母の介護。
やっと8日目を迎えられました。

まだ新米の新米だからなんもいえねーわけですが。

思ったよりはしんどくはなかったのに。
労働的に。

でもしんどかったのは、心でした。

作業の合間に、そのぽっかりした余白に
泣きそうになったり。

こらえたり。

みなさんこういう時間を過ごしているんだろうなって想像してみたり。

なるべく笑顔で接するようにして。

この8日間、わたし怒ってないってことに気づいて。

もうそれはじぶんでよしよししたい気持ち
でした。

一日3度の食事をつくるって、こんなに大変か!

って思いながら昭和の母はこれ何十年とわたしたち家族のためにやってきたんだなって。

主婦って待つのが仕事みたいなのよ。待ってるだけの人生ってわかる?

って母に詰め寄られた時、じゃあ働くことを選んだらよかっただろって反抗期だったわたしは心の中でそう抗っていた。

そんな苦い記憶も思い出しつつ。

母の記憶はすっかり時系列が乱れてしまって。

朝にはわたしたちの学校の遠さを気に病むし。

夕方にはご飯を炊かなきゃ、買い物に行かなきゃ帰るのが遅くなったけどバスはどこで降りる?

などと聞いてくる。

夜中もふいに夜泣きのようなことがあって。
痛い痛いって泣いている。

わたしは小さい時にあやされていただろうことを思って、母をなぐさめる。

こうやって夜泣きは巡るのだと知る。

いろいろあるけど。

わたしはかなり甘ちゃんで生きてきた人生なので。

いまのこの神様からのテスト漬けのような日々はきっと乗り越えなければならなかった試練なのだと思いつつ。

今日もどこかで子育てや介護に四苦八苦している見ず知らずの方々のことをかってに仲間のように感じて敬服している。

介護してみて見えてきたのは、わたしのこころかなりフラジャイルで。

弱かったということだった。

この弱さを自分で飼い続けてきたことが今になってあらわになって。

ちょっと強くなったと思っていたじぶんにカツをいれつつ。

日々すこしずつでも希望をかたわらに強くなりたいと思うこの頃です。

そうじゃないと友達や誰かに雪崩れてしまうから。

今初めて、人生って昔よりは漢字で書けるような気がしている。


義理の妹のKちゃんの贈ってくれたお花。
1週間持ってくれて、母の食卓を
ずっと飾ってくれました。
ありがとう!


いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊