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僕らの「ら」に会いたくなって。

なかなかnoteに遊びに来れなくて。
またちょっと夜な夜な来ています。

いま部屋にひとり。
母がすやすや眠ってくれたので
二階にほんのり散歩しに来ている。

もともと母が眠っていたベッドが今は
空いているのでそこにパソコン持ち込んで
あぐらかいてnote書いてます。

いつもはひとりだなって感じていることの
方が多いけれど。

今日は久しぶりにnoteに来てみたら、
タイトルに「僕ら」って書いてあるものを
たくさん見かけた気がする。

もともとはShihoさんのnoteで出会った「僕ら」という言葉。

何だか、わたしのだめなところも優しく
許された気がする、そんなnoteだった。

そしてそこに、やわらかなのに芯の通った
うわの空さんの僕らがあって。

その後、geekさんが同じタイトルで書かれていた骨格の鮮明な骨太の「僕ら」

Shihoさんのnoteからはじまって、リエゾンするようにうわの空さん、geekさんが描かれていて。

まるでリレーエッセイのようで面白かった。

それぞれの方々のエッセイは、違うアングルで
描かれているけれど。

ふだん日常にまみているわたしにとっては
心の余白にすっと入り込んできてくれる
言葉たちだった。

わたしが「僕らは矛盾の中に生きている」という
タイトルを見た時に最初に反応したのは

「僕ら」のらだった。

ら。

僕らって言葉昔から甘美だなって時々思ってた。

昔甘美だと思っていたのは、その「ら」の中に
わたしは居ないと思っていたからかもしれない。

ちょっとさびしさを漂わせるものは甘美なんだ。

あの輪の中に入ってみたいんだな。

「僕らのら」みたいに感じていたのだ。

だからといって孤独で膝を抱えてみたいな
ことはなかったけど。

わたしは身体だけは大きくなって大人みたいな
年齢だけが追い付いた遅れてきた
子どもみたいな大人になってしまったけど。

仕事してみたら。

この「ら」に悩まされることになる。

ちいさな悩みだけど。

わたしが仕事している時、時々公募ガイドの
ような場所で関わっている仕事の募集要項が
ある。

そんな時わたしは名前を連ねている人たちの
間でいちばん名前がないので。

必ず著名な歌人や作家の方に続いて
「ら」と記される。

わたしはだから「ら」の一人なのだ。

若かった頃「僕らのらの中にわたしは居ない」
とか思っていた時の「ら」とは違って。

その後以下同文みたいな「ら」になった。

それは世の中のしくみとしてはそういうもの
だから。

「ら」で十分なんだけど。

それだけじゃちょっと悲しい想い出なので。

気分を変え

一度だけ嬉しい「ら」を体験したことがある。

あれは大学を卒業した頃。

広告の仕事を始めたばかりの頃。

もちろん新人なのでなんにもできなくて。
それがあまりにもできなさすぎて。

日々どこから手を付けたらいのかわからなくて。

落ち込んで、仕事も人間関係もぼろぼろだった。

その頃、とても凹んでいたところを大学の仲間の
方々に会った時にたくさん晒してしまった。

とても心配をかけてしまったんだと思う。

元カレの先輩が、

「ゼロさん折れなければいいんですよ。折れなければ。
ぽきっと折れないでいてくれたら、ぼくらみんなうれしいです。
だから、しなればいいんです。竹のようにしなってください」

後日きれいな字で書かれたそんな手紙を
もらったのだ。

この時に嬉しかったのはあまりにも思いがけなく
竹に例えてくれた言葉もそうだけど。

わたしのふにゃふにゃの心に響いてきたのは
ぼくらみんなうれしいです。の、「ら」だった。

なんて優しい言葉なんだろうって。

かつては僕らのなかにわたしは居ないとか
思っていたけれど。

その先輩は、ぼくらというたくさんの「ら」を
引き連れてわたしを励まそうとしてくれたのだ。

この時、わたしはこの「ら」を贈ってくれた
彼の言葉を忘れたくないなって思った。

そしてあれから何十年も経ったけれど。

あの言葉を思い出したくなる日々があって。

またアルバムを引っ張り出すみたいに
「ら」を懐かしんでいた。


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