♡…鬱抜け日記②
前回はこちら♡
前談
これは備忘録みたいなもの。そしてわたしはうつ診断をくだされたわけではないです。
第2回は学校医の先生とお話をした。
これは病気か、診療が必要かの見極め。
結論 診療を勧められた
身体に現れる症状の不眠、肩こり、動悸
ひとりが嫌すぎる、誰かが居なくなることが怖いこと、などを話しました。
その結果、自律神経が乱れている?とのことでお薬をもらったほうがいいみたい。
なるほど。
精神病に対する医者の立場だとかを直接聞いて、すごい納得がいった。
病院に行ったらもちろん全部治るわけじゃないし、医者だって直せるわけじゃないもんね。
だから精神科のレビューが酷評になるのも理解出来た。
ポジティブな思考、思考の偏りを治せるかはカウンセリングして誰かの力を借りないとできない。
医者ができるのは、身体に表れる異常を治すことなんだなあと感じた。
外傷じゃないし、心は。
血が出てるわけでも、削がれたわけでもない。
傷ついてるのは確かでも、目に見えないから傷の大きさは全然わからない。
とてもとてもデリケートで、扱うのが難しいものだなと思う。
わたしですら自分のこころをうまく扱えないのに、ひとの心を考えるなんてどれほど難しいんだろうか。
だけどもわたしはどんどん希死念慮が増してしまった。
人が居なくなることを本当に恐れているのに客観的に見たら、極端な思考とされた。
この思考が治る気もまだしない。
期待して、落ちるのは怖いから、頑張るという気持ちもあまり湧かない。
治したい気持ちはとてもあるけど自分を信じることはできない。
世間、将来、自分に漠然と感じる恐怖はずっとあるのだ。
わたしのために使われる、労力や外部のエネルギー、他人、全てに申し訳なくなって存在意義を見失う。
仮に子どもができてたとしてこんな鬱思考の人間を増やすことになったら、負の連鎖は止まらないし、社会貢献も出来ない。
人生をやり直したくなった。
財をたくさんもってたって潤うものでもないだろうし。むしろ財や名誉がある方がつらくなる気がした。人はいつもほかの人の自分へ向けられた愛情を欲しがる。
向き合うほどどんどん死にたくなるのが面白い。こういう勢いで自ら命を断つ人がたくさんいるんだろうな。
死ねる気がする、その根拠の無い自信は極めて危ないけど誰にでも起こりうる。
これから病院に通うことを前提として、次回から病院探しがはじまる。
自律神経を抑えられて、動悸や胸のキリキリが無くなるといいな
悪夢ばかりもう見たくないよ〜。
…つづく
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