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季節の変わり目はこころにご用心

暖かすぎる今日という日
あまりの暖かさにクラクラする。
人生をすること、人間関係、今関わる人たち全てに正解を失う。
就活真っ只中、推定40年も働く会社をなぜこんな短期間で探すんだろう。何も知らない無知無能な大学生をなぜ企業は欲しがるのか。なにもわからない。
嘘で固められた人間性と向き合う面接の時間、私はこれが本当の自分か分からない。

4月になる、明後日から新生活が始まろうとしている。去年より遅い桜の開花。
新しく始める誰か、別れてしまった誰か。
この春、さようならをした人たちはみんなわたしを置いて変わっていくような気がした。
変化とか新しいことが苦手なわたしにとっては、眩しすぎる春の陽気はあまりにも殺傷能力が高い。

どうせ居なくなるのに、どうして誰かと居ようとするのだろう。どうせいつかは死ぬのになぜその過程を慮るのだろう。
なぜ期待して、勝手に裏切られた気持ちになるんだろう。
わたしのわかままで失いそうになった(既に失ったかもしれない)友人たちが、毎日夢に出てくる。

散歩するようにふわふわと死にたいと思う。そもそもわたしは下北沢のワンルームのアパートに住んで、古着屋のワンピースを着て、定職も付かずにのうのうと生きていたかった。たまに喫茶店へ行ってそれだけ満たされるような生活をして30までには死にたかったなあ。

これからに何を期待したらいいのか分からない。
過去のわたしはどうして生きていられたのかもわからない。人と関わりを断つ世界があるかもしれない。

今この人といっしょにいることが正解なのかもわからない。そもそも対人関係とはなにかももうわからない。
人との縁とは、なんなんだろうか。

誰かと一緒に居れる可能性なんてないのに
そればかりに縋る。
去年のわたしは、今が幸せならそれでいいと語った。
社会のこと、将来のことを1年かけて知ってしまったわたしは、もう違った。
こうして大人になっていくほど、世知辛いものになるんだなあ。やっぱり若くして死ぬことが最も幸せなんじゃないかなって安楽死の認められない国で思うのだよ。

久しぶりに写真を撮ったら、下手になっていた。
フィルムカメラを最後に触ったのはいつだろう。

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