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目が眩むほどに

わたしは山が好きだ。夏になるとしょっちゅう行く。特に川が好きで、川のせせらぎを聞いて、虫の鳴き声を聞いて、緑の木漏れ日を眺めたりしていると、芯から安心するというか、わたしはきっと山から生まれたんだろうとさえ思う。この世に生まれてはや数十年、気づいたこと、わたしのこの存在は山の一部であるということ。小指の爪。あるいは垢。落ちた髪の毛の先っちょ。それがわたしです。

髪の先っちょであることすら烏滸がましい
魚は神秘を担う
ジャガというらしい

(※ ご指摘をたまわりました。
ジャガではなく「シャガ」です!
すみません。※)
永遠に遡っていたい


ワーズワスというイギリス人の詩を読んでいる。最近は本が読めなくて、音楽も聴けなくて、文字アレルギーが出てすこぶる不調だったのだが、そんな折に出会えた詩だった。

自分が言葉になにを求めているか、わたしは何を探しているのか、文学に何を求めているのか。そういった動機の根本的な場所に立ち返ることができたように思う。

「ティンターン修道院上流数マイルの地でーー1798年7月13日、ワイ河畔再訪に際し創作」と
「幼少時の回想から受ける霊魂不滅の啓示」、この二作がとくに好きだった。

素晴らしい、という言葉を使うのは苦手なのだが(内なる自分の「何様やねん!」というツッコミが聞こえるため)、「すばらしい……」と感嘆せざるを得ない。

だから詩が好きなんだと、ひとりごちたくなる作品でした。

感謝し賞賛しよう、あの原初の感情、
影のように捉えがたい記憶、
たとえそれが何であろうが、
この世の光の源泉となる光、
この世の目に見えるものすべてを統べる光。

『ワーズワス詩集』

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