困難を抱える二人を支える、二人の上司の存在『夜明けのすべて』【映画レビュー】
★★★★☆
鑑賞日:2月12日
劇 場:109シネマズ名古屋 シアター2
監 督:三宅唱
出 演:上白石萌音、松村北斗
映画館で何度か予告を見ていたはずなのに、キラキラ映画の一種かと思い、危うくスルーするところであった。
『きみの鳥はうたえる』、『ケイコ 目を澄ませて』と大傑作を撮っている三宅唱監督の最新作。
既にあちらこちらで称賛の声が上がりまくっているが、個人的には中小企業を舞台とした映画として本当に素晴らしい作品だと思った。
主人公の藤沢さん(上白石萌音)と山添くん(松村北斗)は、それぞれPMSとパニック障害に悩んだ末、前の会社を辞め、栗田科学という会社で働き始める。
栗田科学は学校向けにプラネタリウムや顕微鏡を製造する中小企業である。
従業員数は10人にも満たない典型的な町工場である。
まず、山添くんが栗田科学に転職した経緯が興味深い。
山添くんの前職の上司にあたる辻本(渋川清彦)と栗田科学の社長である栗田和夫(光石研)との縁なのだが、この二人が出会ったのはグリーフケアの集まりである。
辻本は姉を亡くし、栗田社長は自社に勤めていた弟を亡くしている。
映画では(あえて)詳しくは描かれていないが、小説では栗田社長の弟は過酷な労働環境で勤務を続けた結果の自死とされている(らしい)。
二人は痛みを抱えて生きている。
何年にも亘ってグリーフケアを必要としている。
なので、藤沢さんと山添くんの状況を理解し寄り添うことができる。
二人の上司の主人公二人に対する距離感と温度感が絶妙で、分かったようなそぶりをしないことに非常に好感が持てる。
私は当事者の悩みは当事者にしか分かりえないと思っている。
いくら知識を付けようが、相手の立場に立とうとしようが、実際に当人ではないので想像の範囲を超えることはない。
少し矛盾するようではあるが、だからこそ想像する力が必要なのではないかと思う。分からない・分かり合えないことを前提にして、想像力を働かせる。過剰に介入したりせず、見放しもしない適度な姿勢。
言葉にすると安易であり、行動に移すことはなかなか難しいが、やはり大事なことのように思える。
映画としては、いくらでもエモーショナルな方向に行くことができる題材にも拘らず、ウェットになり過ぎない上品な着地に落ち着かせる演出が素晴らしい。
例えば、プラネタリウムというモチーフにも繋がる光の表現。
16mmフィルムで撮影された光の粒子。
会社の蛍光灯、デスクの卓上ライト、ストーブの灯り、停電時の懐中電灯、暗い社内のパソコンの画面、安アパートのカーテンの隙間、自転車で駆け下る木漏れ日、大体的に見せないプラネタリウム、そして何度も映される夜の町並み。
あるいは音。
『ケイコ~』と同様、劇伴は最小限で生活音だけが鳴る。
栗田科学の社内の描写も実在感があり上手く設計されている。
カウンターのちょっとした植物、ファイルの置き場、電話の位置、整頓され過ぎていない机の周り、神棚。
と、いかにも中小企業の小の方の社内といった感じである。
そして、中二階?の会議室兼休憩室のような部屋の存在がこれまた絶妙。
どの部屋に誰がいるか、人の配置であったり、どの部屋の電気が付いている状態とか、カメラが置かれている構図で物語に説得性を持たせている。
終盤、復帰の場を提供しようと準備していた辻本に対し、山添くんは
「オレ、ここ(栗田科学)で働こうと思います」と告げる。
辻本は「そうか」とだけ答える。
この時の辻本(渋川清彦)の表情は本作の白眉である。
結局、藤沢さんは母の介護もあり実家に戻り、別の会社に転職する。
山添くんは栗田科学に残り働く。
藤沢さんと山添くんは決して"大丈夫な状態"になった訳でもない。
問題を抱えたまま働き、生きる。
藤沢さんは新しい会社で上手くやっているのだろうか。
理解ある上司や同僚と働けているのだろうか。
想像を働かせたくなるエンディングであった。
(text by President TRM)
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