【映画】「ビヨンド・ユートピア脱北」感想・レビュー・解説

観る前から分かっていたことだが、凄まじい作品だった。恐らく、世界で初めてなんじゃないだろうか、北朝鮮からの脱北の過程をこれほどつぶさにカメラに収めた事例は。しかも、脱北者やブローカーが撮影した映像を繋いでいるとかではなく、きちんと映画の撮影スタッフが脱北の道中に同行しているのだ。そういう意味でも、撮る側も相当危険な状況にいるというわけだ。映画の冒頭で字幕が表示されるが、本作はすべて「実際の脱北の道程で撮影したもの」であり、「再現映像」は含まれていない。
 
とんでもないドキュメンタリー映画だった。
 
ちなみに、映画で扱われる脱北は、コロナウイルスによるパンデミックによる世界が国境を閉ざす直前のものだったそうだ。本当にギリギリだったと言える。映画の最後は、脱北を果たした家族の7ヶ月後の様子で終わるのだが、その時期にはもうパンデミックが世界を覆っており、キム牧師は助けを求める電話に「今は無理だ」と返さざるを得なくなっていた。
 
映画では、韓国人牧師であるキム・ソンウンの活動を追うという形で展開される。作中で描かれるのは、2組の脱北事例である。
 
一方は、10年前に北朝鮮を脱北したソヨンという女性が、今も北朝鮮に残っている息子の脱北を依頼するもの。ソヨンは息子と10年間会っておらず、もちろん姿かたちも分からない。17歳になった息子の脱北の日程が決まったというところから、その進捗状況が電話で様々に伝えられていく。
 
もう一方は、こちらも先に一人で脱北したヒョクチャンという男性からの依頼だった。北朝鮮では、「過去3年以内に脱北者を出した家族は全員追放リストに入れられる」と決まった。もちろん、ヒョクチャンの家族もその対象だ。追放されると、何もない雪深い山の中に何も持たない状態で放置され、そこに「住め」と言われるのだそうだ。実質的な「死刑」である。
 
この状況に絶望したヒョクチャンの家族5人(母親と、妹一家)が焦って、北朝鮮と中国の国境となる鴨緑江を渡り、中国の山中で立ち往生しているという。そこでヒョクチャンがキム牧師に助けを求め、一家の脱北に手を貸すというものだ。
 
本作『ビヨンド・ユートピア脱北』では、主にこの5人家族の緊迫の脱北の様子が映し出されることになる。両親と2人の娘、そして80代の祖母という5人は、50人以上のブローカーの協力の元、4つの国境を違法に越える1万2000キロメートルもの途方もない旅をすることになるのである。
 
そしてさらに映画では、脱北後に『7つの名前を持つ少女』という本を出版し、北朝鮮の酷さを世界に訴え続けているイ・ヒョンソなどの脱北者や、あるいは元CIAや元北朝鮮の駐在員などが登場し、「いかに北朝鮮という国家が酷いのか」について随時説明が加えられていく。ある人物はその中で、「北朝鮮の行いは、現代史の中でも類を見ないものだ。唯一近いのはナチスドイツだけである」と、その酷さについて語っていた。
 
さて、ここで一つ後問を潰しておこう。北朝鮮と韓国は陸続きなのだから、脱北するには韓国との国境を越えればいいのではないか、と考える人もいるだろう。しかし、そうはいかない。何故なら現在、北朝鮮と韓国の境界線には、200万個の地雷が埋められているからだ。だから脱北者は、中国へと向かうしかない。
 
しかし中国は脱北者に厳しい。捕まると、逮捕・拘束された後、北朝鮮へと強制送還されてしまう。北朝鮮に戻されれば、酷い拷問が待っている。最悪拷問で命を落とすし、死ななくても「一生出られない収容所」へと送られて人生が終わってしまう可能性がある。
 
しかし、中国を抜けてもまだ安心は出来ない。中国からの脱出ルートとして、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの国を通るのだが、それらの国もまた共産主義であり、北朝鮮との繋がりが深いからだ。そのため、中国との国境を越えた脱北者は、広大な中国をどうにか通り抜けてベトナムへと入り、夜中にジャングルを通り抜けてラオスへ、そして麻薬の密輸を監視する警察に銃で撃たれる覚悟で船に乗り、タイへと向かわなければならないのだ。
 
そして凄いのは、キム牧師自身が、その脱北の道程に途中から同行しているということだろう。彼は韓国で指示を出すだけではなく、恐らく脱北者を安心させたり、ブローカーと直接交渉したりするためだろう、自ら足を運ぶのである。だから、真っ暗な中ジャングルを彷徨ったり、銃で撃たれるかもしれないと知りながら船に乗ったりしているのだ。
 
そもそも彼は以前、鴨緑江を渡る脱北者に同行していた際に転倒し、首の骨を折ったことがあるそうだ。9時間半にも及ぶ壮絶な手術を経て、今も7本ボトルが入っているという。また、以前仲間が北朝鮮に捉えられた際、拷問の過程でキム牧師の名前を出してしまったそうで、そのため彼は中国政府から「中国に入国したら命の保証はない」と言われているのだという。そのため中国には入国せず、ベトナム辺りから脱北に同行するのだが、しかしそれらの国に行くのも安全というわけではない。というのも彼はなんと韓国政府から、「ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーには入国しないでくれ」と懇願されているというのだ。恐らく韓国政府が、キム牧師に関して、どこかしらから警告なりを受けているのだと思う。
 
そんな状況でも彼は、脱北者の支援を止めないのである。どうしてそんなことが出来るのか、なかなか不思議に感じるだろう。
 
彼は22年前、キリスト教の宣教のために中国入りしたそうだ。そして、まさに北朝鮮と国境を接する町に向かった。その時点で彼は、「北朝鮮」を「同じ言語を話す国」と認識していなかったと言っていた。しかし、国境の町では北朝鮮からの孤児が物乞いをしているのを見て衝撃を受けたという。そして、1人でも多く助けたいという思いに駆られたのだそうだ。
 
しかし、より重要なポイントがある。キム牧師の妻は、脱北者なのである。どのように出会ったのか詳しい説明はなかったと思うが、キム牧師も妻もお互いに一目惚れしたそうだ。しかし問題があった。中国へと脱北してきた妻を、安全に韓国に連れ帰らなければならないのだ。そのため彼は、周辺の国に関する様々な調査を行い、北朝鮮からの脱北者が進める、韓国までの安全なルートを確立させたのだそうだ。この時の経験が、今の脱北者支援に繋がっていると彼は語っていた。
 
しかし、脱北者支援は容易ではない。そもそも、脱北に協力してくれるブローカーについてキム牧師は、「彼らは脱北者を金としか見ていない」と語っていた。脱北者の内、若い女性は性産業などに売り飛ばされてしまうという。しかし、先に紹介した5人家族のように、「売ってもお金にならない脱北者」もいる。そういう場合には、キム牧師などの支援団体に連絡し、支援団体から金をもらうことで、ブローカーは収益を得ているのだそうだ。まあ確かに、ブローカーも命がけだと思うので、無償では出来ないとは思うが、それにしても酷い現実である。
 
お金の話で言えば、中国は「脱北者狩り」に報奨金を設けている。脱北者が見つかるはずの地域は農村であり、報奨金として用意される1万5000元は、地方の農村の半年分の収入に相当するそうだ。そりゃあ、脱北者を見つけようとするだろう。そういう目をかいくぐらなければならないのだから、余計に脱北は困難になるというわけだ。
 
ブローカーについては、息子の脱北を目指すソヨンの方でも言及があった。彼女は、北朝鮮にいる協力者(連絡員やブローカーなど様々)と常時電話で連絡を取り合うのだが、連絡員の1人が、「これこれの状況に対処するのに、ブローカーに金を支払う必要がある」みたいなことを言う。ソヨンは言われるがまま送金するのだが、カメラの前で、「詐欺かもしれないけど、ブローカーを信じるしかない。仕方ない」と語っていた。本当に、細すぎる糸に託すしかない状況なのである。
 
さて、電話についても触れておこう。正直、どういう状況なのか僕にはよく分からないのだが、「北朝鮮国内にも、ブローカーや協力者がいる」のだそうだ(どうしてそんな状況が成立するのかよく分からないが)。そして、そのような協力者が、警備の状況を伝えたり、役人に賄賂を渡して色んな交渉をしたりして、その結果を電話で韓国に伝えるのだ。
 
しかし、北朝鮮からの電話の場面では、「長く話せない」「もう切らないと」と皆が口を揃えて言う。初めはその理由が分からなかったが、作中でちゃんと説明される。どうも北朝鮮国内には「携帯電話サービス網」みたいなものは存在しないそうで、そもそも「電話をすることは違法」なのだそうだ。だから、電話をしているのが見つかること自体がとてもマズいのである。
 
だから、北朝鮮からの電話連絡は恐らく、国境付近の韓国・中国側に電波装置なんかを置くことで実現しているのだと思う。となると、その電波装置から遠いと、通話が不可能ということになる。だから基本的にブローカーは、国境の川沿いに住んでいるという。そして脱北をブローカーに依頼する者もまた、川沿い(ブローカーの近く)に住まなければならないのだそうだ。
 
もちろん、それが実現できる者は決して多くはない。そのため、脱北したくてもその環境が整わないという人も多くいるのだそうだ。
 
さて、映画では、そんな北朝鮮の現状についても、様々な形で紹介される。どうやって撮られたものなのか分からないが、北朝鮮の国内の様子を隠し撮りしたのだろう映像が多数使われているのは驚いた。これらは恐らく、本作の制作とは無関係に撮影された様々な過去映像の収集だろうと思う。恐らく、スマホの登場によって、以前と比べれば遥かに北朝鮮内部の映像が表に出てきやすくなったのだろう。
 
北朝鮮の状況については、複数の脱北者がその酷さについて語っていたが、映画の中でメインで扱われるのはやはり、先程も紹介した本の著者イ・ヒョンソである。彼女は、「北朝鮮に住む者」がどういう状況に置かれているのかについて、様々な例を挙げて説明をする。
 
例えば、彼女が日々の生活の中で「最も幸せを感じる」機会は、「他と比較する時」だったという。意味が分からないだろう。しかし北朝鮮の学校では、「アメリカは、人を見れば殺そうとする野蛮人」「韓国は住む場所がない人もたくさんいる悲惨なところ」などと、まったくの嘘を教えていた。そして大人たちは、「だから北朝鮮は天国なのだ」と伝えていたのだという。
 
また、北朝鮮国内で苦しい生活を強いられている人たちは、「他の国の人たちも、自分たちと変わらない生活をしているはず」と考えているのだそうだ。映画の中である人物が、「国外の情報を完全に排除している唯一の国」と表現していたが、そのせいで国民は、「そうではない生活」があるなどと想像も出来ないというのだ。彼女はこの北朝鮮の状況について、
 
【北朝鮮の人々は、巨大な仮想刑務所に囚われている】
 
と表現していた。
 
彼女はまた、幼い頃から「公開処刑」をよく目にしていたとも話していた。凄まじいことに、その様子を捉えた映像も作中で流れる。マジでどうやって撮ってるんだろう。別の人物も、北朝鮮の処刑や拷問について語っていたが、北朝鮮ではなんと、「金正日の顔写真が載った新聞でタバコを巻いた」というだけで政治犯扱いされることもあったそうだ。
 
イ・ヒョンソは、「指導者の写真を家の一番いい場所に飾らなければならない」という義務についても話していた。そこにホコリが溜まっているなどもっての他だそうで、時々指導部の人間が抜き打ちでやってきては、白い手袋を嵌めてホコリをチェックするという。ホコリが溜まっていたら、厳しく処罰されるそうだ。
 
また彼女は、「北朝鮮ではウンコを捨てない」という話もしていた。簡素なトイレの下には、木で出来た桶が置かれ、そこにウンコを溜めるそうだ。冬の間に凍らせて指定の場所に運ぶそうだが、少ないと罰を受けるため、他人のウンコを盗むことさえあるという。それらは農村で肥料として使われるそうで、北朝鮮の厳しさが伝わる話である。
 
まあ、日本人からすれば「北朝鮮がヤバい国家である」ということは割と当たり前の話だと思うが、そのような認識をしているわけではない国もたくさんあると思うので、このような丁寧な説明がなされているのだろう。また、イ・ヒョンソが「学校では、アメリカ・韓国・日本は敵と教わった」と話をした後で、日本が韓国併合によって朝鮮半島を厳しい状況に追い込んだ事実も触れられるため、やはりその点は日本人として認識しておくべきだろうとも思う。
 
さて、興味深かったのが、家族5人で脱北した中の1人である祖母の話である。脱北の道程である隠れ家に滞在している最中、家族がそれぞれ北朝鮮についての思いをカメラの前で口にするような場面になったのだろう。映画で使われていたのは祖母の分だけだったが、その時の話が興味深かった。
 
彼女は娘から「北朝鮮について思うことを自由に言っていいのよ」と言われるのだが、それでも、「金正恩総書記は素晴らしい人物で、国民は彼を喜ばせるために生きるのが当たり前」みたいなことを言うのだ。娘が、「ウソはつかなくていいの。本当のことを言って」と促しても、彼女の考えは特に変わらなかった。
 
また、本作の監督はアメリカ人(なのかどうかは分からないが、とにかく西洋人であり、祖母からすれば西洋人はすべてアメリカ人みたいなものだろう)であり、恐らくカメラマンの中にも西洋人がいたのだと思う。そしてカメラの前で祖母は、
 
【私は、アメリカは人を見れば殺す人種だと教わった。昨日私は娘に、「このアメリカ人たちは優しいんだろうけど、急に変わったらどうするの?」と聞いた。正直、私はどうなるのかよくわからない。
でも、あなたたちがこんなに優しいってことは、私の国がこれまでウソをついていたってことなのかと考えてしまう。】
 
と困惑そうに語っていた。そりゃあ、80年以上も洗脳的な教育を受けていたのだから仕方ないだろうが、そのような環境の中で生きているとこうも認知が変わってしまうのかと驚かされた。
 
そういえば以前、大韓航空機爆破事件の実行犯であるキム・ヒョンヒを扱った番組を観たことがあるが、彼女もまた、韓国で逮捕された際、韓国経済があまりに発展しており、「韓国は北朝鮮より貧しいと教えられていたのはウソだったのだろうか」と考え、さんざん葛藤した挙げ句自白したみたいな話をしていたと思う。想像を絶する世界である。
 
最後に。脱北を支援しているキム牧師は、支援活動の最中、息子を亡くしたそうだ。人生最大の苦しみだったという。そして、息子の命の代わりに出来るだけ脱北者を救おうと決心したそうだ。息子の死から数えても、1000人以上の脱北者を手助けしてきたそうだ。
 
世界はパンデミックからの閉鎖を解きつつあるはずだが、キム牧師は再び支援に乗り出しているのだろうか?いずれにしても、凄まじい人物がいるものだと思うし、一人でも多くの脱北者が助かってほしいし、北朝鮮はさっさと崩壊してほしい。
 

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