【能登半島地震】宗教記者が見た被災地 「真宗王国」被害深刻
※文化時報2024年1月16日号の掲載記事です。
何度も取材に訪れた北陸が被災したことに、居ても立ってもいられなかった。「真宗王国」として知られる石川県内には多くの寺院があり、信仰心のあつい真宗門徒が大勢暮らしている。最大震度7を観測した1日の能登半島地震を受け、普段は真宗大谷派を担当している記者が被災地に入ると、人々は想像以上の深刻な被害に苦しんでいた。(高田京介)
支援に同行、輪島市へ
6日午後0時半。浄土真宗本願寺派本光寺(石川県小松市)の衆徒、八幡真衣さん(30)が代表理事を務める一般社団法人えんまんの関係者一行が、石川県輪島市に向け出発した。
既報の通り、えんまんは輪島市大野町の孤立集落に支援物資を運んでいる。子ども食堂「テンプル食堂よしざき」など普段の活動を通じて交流のある人たちからのSOSに応えるべく、大量の物資を準備していた。
この日はワゴン車3台に飲料水や食料、紙おむつ、生理用品、毛布などを満載。記者も同行取材を許可してもらい、そのうちの1台に同乗した。
かほく市から七尾市の道の駅なかじまロマン峠を経て、支援物資の集積地となっている輪島市文化会館に到着したのは同5時半。すでに日も暮れかかっていた。道路があちこちで損壊しているとは聞かされていたが、あまりの悪路に車酔いしてしまうほどだった。
約200棟が全焼した観光名所「輪島朝市」の一帯は、文字通り焼け野原だった。残っている家屋も、見渡す限り倒壊・半壊しており、廃材が道をふさいでいた。根元から倒れた7階建てのビルもそのままで、あまりの惨状に言葉が見つからなかった。
大渋滞の市街地を何とか通り過ぎ、地元住民の案内で避難所となっている市立鳳至(ふげし)小学校に到着した。約600人が避難しており、建物内と車中泊が約半数ずついた。炊き出しが行われていて、お笑いコンビのサンドウィッチマンが寄贈したトイレトレーラーもあったが、食料が足りていなかった。
「頑張ってください」。メンバーたちは避難者らにそう声を掛けながら、用意してきたコンビニのおにぎりを配った。「ありがとうございます」「昆布はありますか」と、笑顔で応じる避難者たち。用意してきた600個以上が、わずか5分ほどでなくなった。
八幡さんは「おやつや娯楽が不足していると感じた。被災者の心をいやす必要性を感じた」と語った。
「過疎進む」「とどめだ」
鳳至小学校では、市職員3人が交代しながら避難所の運営に当たっている。30代の男性職員は「数日前に定員を超えた。水やカイロは充実しているが、風邪薬などの医薬品が不足している」と訴えた。長期化する避難生活で疲れが見え始めており、新型コロナやインフルエンザなどで体調を崩している人もいるという。
2日から避難している80代の女性は「まさか自分が被災するとは…。これまでの災害はどこか他人事だった。支援のありがたさを感じた」と語り、家族7人で避難生活を送る大谷派門徒の男性(39)は「若い人は金沢市などに避難している。ますます過疎が進みそうだ」と不安を口にした。
隣町の中学校に避難している大谷派宗議会議員の諸岡敏・明敬寺住職は、2007年の地震でも被災した。「今回の地震でとどめを刺された。寺の復興は難しい上に、能登教区の存続すら危うい」と危機感を募らせる一方、「寺がなくなったとしても、僧侶の役割は変わらない。地震では結束力も見られた。真宗の教えと文化が根付いていることを確信した」と希望を語った。
輪島市内での取材を終え、えんまんの一行とともに小松市に戻ったのは日付が変わって7日午前3時ごろ。途中、大きな余震があり、まだまだ災害の最中なのだと思い知らされた。
伝統の寺院群も
これに先立つ5日には、JR七尾駅に近い七尾市の小丸山城址公園を訪れた。加賀藩祖・前田利家が丘陵地に築いた小丸山城の跡地で、城を取り巻くように真宗以外の寺院約30カ寺を配置し、緩衝地帯としたという。
当時は一向一揆が盛んで、利家は真宗門徒の結束に危機感を持っており、真宗寺院については城から俯瞰(ふかん)できる位置に置いた。金沢に移ってからもこの手法を用いたとされる。
現在16カ寺に減った「山の寺寺院群」は、今回の地震でほぼ全て被災した。日蓮宗長壽寺では鐘楼堂が全壊。ちょうど解体工事が始まっていた。約65年前の大雪でも倒壊していたという。
高木繁徳住職は「七尾市では8割が真宗門徒で、残り2割が各宗派の檀家。難しい状況だ」と話した。
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