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第2回 コケの聖地は変形菌の楽園

 こんにちは、文一総合出版編集部の髙野丈です。秋の宝探し、楽しんでいますか?
憧れの「宝石(=変形菌)」を求め、国内各地を旅する話を続けましょう。初回の「変形菌の何がそんなにおもしろいの?」では、そもそも変形菌とは何者か、そして宝探しの方法や楽しみ方などについてご紹介しました。2回目の今回は、いよいよ菌旅レポートのスタート! コケ観察3大聖地の1つ、青森県の奥入瀬渓流での宝探しについてお伝えします。

コケ観察の聖地へ

十和田湖から流れ出る奥入瀬川のうち、子ノ口から焼山までの約14kmの区間を奥入瀬渓流と呼びます。火山起源の谷を美しい渓流が流れ、カツラ、トチノキ、ブナの巨木が渓畔林を構成し、コケ植物が豊富。さらに苔むす渓流の水面に近い高さを国道と遊歩道が併走、箱庭のような景観の美しさから、シーズンを問わず多くの観光客が訪れます。

山梨県八ヶ岳の白駒池、鹿児島県屋久島と並び、コケ観察の3大聖地とされる奥入瀬渓流。コケだけでなく、変形菌観察にも好適という話を数年前に聞いて以来、定期的に訪れています。緯度も自然度も高いためか、都内の公園では見られない種類をいろいろ観察することができ、毎回期待を裏切りません。

存分に汚れる準備を

変形菌観察はしゃがんだり、膝をついたりするのがふつう。腹ばいになることも少なくありませんし、時には倒木の裏の変形菌を観察するため、自動車整備のように倒木の下で仰向けになったりもします。とにかく濡れたり汚れたりするのは日常茶飯事なので、服装もその前提で準備します。

「変形菌が多いところには蚊も多い」とは愛好家の間でよく言われる格言。変形菌は乾燥が苦手で、バクテリアを食べるアメーバですから、ジメジメした環境を好みます。そういう場所には蚊も多いというわけです。蚊以外にも、刺されるとやっかいなブユや、目に向かってくるメマトイのなかまなど、宝探しには虫がつきもの。はっきりいって大したことない連中ですが、観察や撮影をしていて、いつの間にかやられていると悔しいもの。どうしても気になって、集中できません。
そこで、宝探しに集中できるよう、万全の対策をとります。わたしの場合、上は「着る防虫」スコーロンのパーカーと手袋、ゴアテックスのキャップにクリアレンズのゴーグル。下はゴアテックスのレインウェアに長靴です。クマ鈴をつけ、念のためにトウガラシスプレーも装備しています。観察や撮影に必要な道具や機材は、ウエストバッグとザックに収納しています。

完全に浮いてますね!

観光スポットに立ち寄る時間は皆無

装備を整えたら、いざ宝探しのスタート! 奥入瀬渓流を行楽で訪れる人たちは、有名な流れや滝などの観光スポットをまわって写真を撮っていますが、わたしは観光スポットに立ち寄ることはまずありません。探索と撮影に取り組んでいると、あっという間に時間が過ぎていきます。観光している暇はないのです。むしろ、観光スポットから離れて宝探しします。広大なフィールドに点在する、野に横たわっている大きな倒木を細かく見ていくのです。森の中は暗く、さらに倒木の陰を調べるので、明るいペンライトが欠かせません。それらしいものを見つけたら、ルーペで確認。変形菌が見つかったら、どのように表現するかイメージを描きながら、撮影にかかります。

こんな倒木がごろごろしています
明るく軽量なLEDペンライトは、「相棒」と呼べるほど頼りになる道具
黄色い変形体が「いた!」

わたしが変形菌撮影に使用しているのはソニーのミラーレスカメラ。軽量で、バッテリーのもちがとてもよいのが特長です。2.5倍から5倍まで拡大できるサードパーティ製のウルトラマクロレンズをメインに、広角マクロレンズ、等倍まで拡大できる純正のマクロレンズも持ち歩いています。

約4.5倍で撮影。欲張って拡大し過ぎないのがクオリティを上げるコツの1つ

使用するレンズが決まったら、軽量で持ち運びに便利かつある程度堅牢な三脚にマクロスライダーを搭載し、カメラを載せます。マクロスライダーとは微動装置のこと。これを使ってカメラを少しずつ移動させ、ピントの位置をずらしながら何枚も撮影します。このように面倒な撮影を行うのは、小さな変形菌の子実体を鮮明に再現するため。拡大すればするほどピントが合う範囲は浅くなるので、ピント違いの数十枚~数百枚の写真を合成することで、ある程度ピントが深い写真を作ることができるのです。これを深度合成と言います。

土壌がふかふかだと、自分の体重移動で構図が変わってしまう! 変形菌撮影には時間と根気が必要

ふつう撮影後には種同定のために標本を採集しますが、奥入瀬渓流は国立公園の特別保護区。動植物の採集は禁止されています。こうした地域では調査などのため特別に許可を得た場合以外には採集せず、観察と撮影のみにとどめます。特別保護区については、環境省のウェブサイトなどで確認するようにしましょう。

魅力的なのは奥入瀬渓流だけじゃない

わたしはいつも奥入瀬渓流以外にも足を延ばし、ブナ林などで宝探しをしています。じつは奥入瀬渓流自体には意外とブナが少なく、トチノキ、カツラが主体です。それが、八甲田や十和田湖周辺へ移動するとブナ林が広がり、植生の変化に呼応するように変形菌相も変わってくるのです。

八甲田のブナ林

倒木のコケが生えた部分にダイダイホネホコリ Diderma aurantiacumが見つかりました。あまり見つからない種ですが、今年は各地で発生しているようです。未熟な子実体はあざやかなオレンジ色が魅力的。『世にも美しい変形菌』のカバーでも、過去にこの地で撮影したダイダイホネホコリの写真を使いました。成熟して乾燥すると、外側の軟骨質の層が花びらのように裂けて開くのもビジュアル的なおもしろさです。

たくさん子実体が発生するが、子実体間の間隔がある程度空く
成熟した子実体。図鑑には不可欠だが、きれいなもの(未成熟)ばかりを追うと抜けてしまいがち
未成熟の子実体。『世にも美しい変形菌』カバーで使用

場所を変えて移動した先の倒木では、渋さが魅力の黒い宝石が見つかりました。まだくわしく調べていないのですが、監修の川上新一さんによるとタチケホコリ Trichia erectaの可能性があるそうです。比較的群生もしくは密生することが多いケホコリ類としては、まばらにしか生えない特徴(散生)も種を検討するうえで材料の1つになりそうです。

黒光りする未成熟子実体。成熟したものを確認中

さらにニセニュートンモジホコリ Physarum atroviolaceumも発見! なかなか見つからないレア種です。

iPhoneでしか撮っていなかった。。。

そして出ました! ルリホコリ Lamproderma columbinum。秋に出会いたい変形菌の筆頭、瑠璃色の美麗種です。今回は少し早い時期に訪れたのですが、出始めにタイミングが合ったようです。初日はまだ未成熟でしたが、翌日に再度確認しに行くと、しっかりと光沢が出てきました。

まさに「宝石」! 会いたい種に出会えました。

今回は秋口の奥入瀬十和田らしい変形菌を確認できました。もう少しすると、ブナハリタケを食べたブドウフウセンホコリ Badhamia utricularisの子実体が房のようにぶら下がるでしょう。さらに秋が深まり、奥入瀬渓流の木々が錦に染まるころ、コンテリルリホコリ Lamproderma nigrescensが苔むしたブナの倒木をびっしりと覆い、シーズンの終了を告げます。そしてフィールドは雪に閉ざされ、春の雪解けで現れる好雪性変形菌を心待ちにすることになります。
 
次回は群馬県北部に広がる関東一のブナ林を訪ねます。今度はどんな出会いが待っているのでしょう。乞うご期待!

Author Profile
髙野丈
文一総合出版編集部所属。自然科学分野を中心に、図鑑、一般書、児童書の編集に携わる。その傍ら、2005年から続けている井の頭公園での毎日の観察と撮影をベースに、自然写真家として活動中。自然観察会やサイエンスカフェ、オンライントークなどでのサイエンスコミュニケーションに取り組んでいる。得意分野は野鳥と変形菌(粘菌)。著書に『世にも美しい変形菌 身近な宝探しの楽しみ方』(文一総合出版)、『探す、出あう、楽しむ 身近な野鳥の観察図鑑』(ナツメ社)、『井の頭公園いきもの図鑑 改訂版』(ぶんしん出版)、『美しい変形菌』(パイ・インターナショナル)、共著書に『変形菌 発見と観察を楽しむ自然図鑑』(山と溪谷社)、『変形菌入門』(文一総合出版)がある。

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