見出し画像

人生はJOYである(4月11日〜4月17日)

4月11日(月)晴れ

週のはじまり、メンタル&フィジカルは絶不調。

体が休まっていないことと、いつも着けていた父の結婚指輪(形見ともいえる)を先週の金曜日に失くしてしまい、それがまだ見つかっていないことも精神を蝕んでいるのだろう。

この頃、選択肢の広さと狭さを行き来するように認識し、悩み疲れている。早く何かを決めてしまいたい。それを、ずっと先延ばしにしている感覚。早くいろいろと見つかってほしい。

4月12日(火)晴れ

仕事で新聞広告の話になり、改めて「広告」が好きだなとしみじみ思う。ぼんやりとした輪郭の大衆ではなく、想いを届けたい誰かが、確かにいたんだなとわかってしまうような広告。

私はクドウナオヤさんがお父さんへの想いを綴った広告と(これはなんと新聞の発行前夜に思いつき、A4用紙に書いた手紙を写メで送ったという)、昨年HONDAがF1レースから撤退するときに世界に向けて出した広告が圧倒的に好き(素敵な広告はたくさんあれど、どうしても個人的に思い入れがあるものが記憶に残る)。

社会人になってから、「恩師」と呼ばせていただきたい先輩上司が何人かいるけれど、何よりも、純粋な想いを注ぎ込める仕事のチャンスをくれた先輩への感謝は、一生忘れられないだろうし、忘れたくないな。

4月13日(水)晴れ

いつも通り平和な水曜日。彼の得意料理のひとつである、大葉を大量に(たっぷりではなく「大量」)使ったジェノベーゼパスタは私の好物トップ3に入る(2022年春時点)。

4月14日(木)雨

久しぶりに、この人たちとは一緒に仕事したくないと感じるような人と出くわし、ちょっと疲れた昼下がり。社会に与える小さくも大きな影響を顧みず、「そこにニーズがあればビジネスチャンス!」みたいな時代は早く終わってほしい。

それでも、本質的なチャレンジをしている友達が身近にいるおかげで、すぐに気持ちを切り替えられた。やっぱり世界は美しいと信じられる。色々な人がいるんだなぁと思いながら、「好きだ」と感じる人たちとの関わりを深めたい。

夜、見つかるかもと期待することすら悲しくて、半ば諦めていたお父さんの結婚指輪が見つかった。私以上に本気で探してくれた、彼が見つけてくれたのだ。

ありがとうありがとう。ありがとう以上に感謝を伝える言葉ってないのかな。今はわからないから、大好きだということをたくさん伝えた。

4月15日(金)曇り

今日は有休を取って恋人と福岡へ。彼と私は基本的に休みが合わないので、年に数回の貴重な外出である。

週に1〜2度の一緒に食べる夜ご飯もそうだけれど、出かけるたびに思うことはひとつ。彼と一緒にいると、何をしていても楽しい。

5時間弱の高速道路も、目当てのお店に入れなくて選んだ焼きカレー屋さんも、マダムのアパレルショップも、恋人の聖地を名乗るうさんくさい橋も、全国展開のバナナフレーバーを「門司港限定ですか?」と聞いたスタバも、地方の夜景も、おばあちゃんと一緒に金曜ロードショーのコナンを楽しめるおでん屋さんも、リリーフランキー似のおじちゃんがやってるイケてるバーも。ぜんぶ、ぜんぶ楽しい。

何を選んでも結局、「これにして正解だったね」とマルを付けられる相棒は、恋人になったり親友になったりする。きっとそんな二人は、一緒にいること、ただそれだけですでに嬉しい。二人一緒にいるだけで、ほぼ目的を満たしているとも言えるのかもしれない。

一番最後のバーで、リリーフランキー似のおじちゃんが(今年の夏にはアメリカの山々を縦断するために、半年お店を閉めるという)、彼に「君は面構えがいいから大丈夫」というような言葉をかけていた。

「面構えがいい」っていい。すごくいい。私の恋人は確かにハンサムだけれど、造形美はさておき、そう、いい面構えをしているのだ。純粋で、思いきりがよくて、目の前の人を安心させる目。

こんな風に、ただただご機嫌な毎日を過ごせればいいな。一日の終わりに、そう思わせてくれるやさしい目。

4月16日(土)晴れ

彼は友達の結婚式へと向かい、今日は一日別行動。私は博多へ行き、東京にいた頃によく遊んでいた3人で久々の再会を果たした。

そのうち1人は約2年ぶりに会い、会わない間にスキルを身につけ仕事を変えていた。その事実を知ってはいたけれど、いざ直接顔を見て、本当にがんばったんだな、と会えなかった日々を想った。

20代半ばの青春を共に過ごした彼女たちと会うと、全員(正式な)彼氏がいなくてタラレバ言いながらゲラゲラとお酒を飲んでいた生活が思い起こされて、ちょっぴり恋しい。彼女たちは福岡でも、相変わらず一生懸命に働いていた。一方、夕方に仕事を終え恋人の帰りを待つ私の生活は、あまりにものんびりとしている気がして、少し焦りを覚える。

けれど、彼女たちと別れ、夜、岡山と福岡を行き来して暮らす友達と会い、「あぁ、これでいいんだ」と思うことができた。ただただ、ひとりひとりが、「そういうタイミング」なのだ。何がいい・わるいではなく、私は私で、生きたい方へと歩みを進めてきた。かつての「みんな一緒だった」時代が終わってほんの寂しさがあったとて、それは憂うことではない。これからも異なるペースで進みながら、交差し続けるのだから。

夜に会った彼女は、これまでの点と点を繋げるようにして、好きなことを仕事にしようとしている。好きなことを仕事にしてもしなくてもいいけれど、彼女の葛藤を横で見て(束の間のリモート期間@岡山の間、実際に横に並んで仕事をしていた)、夢を聞かせてもらっていたから、今彼女が望んだ道に向かっている事実が嬉しくて、ちょっと感極まってしまった。

今抱えている不安や戸惑いも、全て、これからの生活を楽しむためのスパイスになるんだろうと信じている(言葉のチョイスがミスチ仕込みでごめんなさい)。

4月17日(日)晴れ

朝5時に宿を出て、高速をかっ飛ばして彼を職場まで送り届けた。隣でぐーすか眠る彼の寝顔を見ながら、友達を喜ばせるために赤いジャージを着て全力で踊り、これから職場に戻っても全力で走り回る彼は本当にスーパーマンだなと思う。

前の車を追いかけながら、考えを巡らせる。岡山に来てからの1年半、自分のやりたい仕事や理想の生活を実現することに力を注いできた。でもこれからは「求められること」にも真っ直ぐと打ち返していきたい。好きな人たちと一緒に働けるうちに、感謝される仕事を一つでも多くしておきたい。「人の役に立ちたい」彼といると、そんな気持ちがむくむくと沸いてくる。

彼は仕事へと向かい、私は一人きりの家で旅の余韻を抱きしめながら眠る。

やっぱり旅はいい。福岡の旅は、現在地と欠かせない持ち物を確かめる、とてもいい気分転換となった。

今日はぐっすりと眠って、明日からまた、出発前よりも元気になった私で、この街でがんばろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?