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自立と強さについて(3月28日〜4月3日)

3月28日(月)晴れ

体の至る所で小さな不調がぽろぽろと出ていて、なんだかいやな感じ。近所に見つけた、やさしく頼れるおじいちゃん先生が診てくれる皮膚科は正義。

夜、ご近所さんの喧嘩する声が怖くてなかなか寝付けなかった。彼が爆音でヒーリングミュージックを流してくれたおかげで、どうにか眠りについた。雷や嵐が怖いと言って、母にしがみついて寝た夜を思い出した。

3月29日(火)晴れ

仕事において、取材が何よりも好きだと思っていたけれど、企画書を書いている時間もすごく幸せを感じる。

おおきく「人間」という生き物に興味があり、「個」を知り、「個」が作りまた「個」を作る「社会」に興味があるのだと思う。全てはひとりとひとりの関係から始まるわけだけど(星野源イズム!)、一対一で完結せず、周りにも伝播していくような仕事にやりがいを感じる。完全に備忘録。

3月30日(水)曇り

水曜日は彼と一緒に夜ご飯を食べられる日なのでいい日。「重めの赤で微発泡」という、私の好みど真ん中な説明に惹かれてスロウカーヴで購入した赤ワイン。重めの赤ととびっきり好相性のごはんと飲むぞ!と寝かしていたところ、彼が精肉店で普段よりもちょっぴりいいお肉を買ってきてくれた。

彼とは滅多に外食をしないからこそ、仕事から帰るやいなや、メイクを直して赤い口紅をきりりと塗って、ドレスまで着て、電気を消してキャンドルを灯した。私の気合いの入れっぷりを見て、パーカーから慌ててスーツに着替えて大人のフリをする彼がおかしくて(もう完全に大人なんだけど)、ひたすら笑った夜だった。

3月31日(木)雨

今日は会社でPR勉強会なるものを開いた(メディアで働いていた子がメンバーに加わり、その子と開催したためかなり心強かった…)。岡山でPRのおもしろさを共有できるだなんて、幸せなこと。内容を準備するにあたり、前職とPRへの愛を感じると共に、もう想いや実態の伴わない発信は一切やらないぞとも固く誓った(私が心から尊敬する先輩たちは、質量のある企画のみを生み出していた)。この頃だいぶブランディング脳に偏っていたから、今期は両輪でアグレッシブに攻めていきたい。

夜は仕事終わりに彼の職場へ。楽しい時間になるはずだったのに、彼を遠くに感じる出来事があり、とても惨めで悲しい気分で眠りについた。

4月1日(金)曇り

彼との仲がうまくいっていない日の気分は最悪だ。腫れた目で出社したけれど、花粉症のおかげで泣いたのがバレずにラッキーだった。

どうにか仕事を乗り切って、夜は彼とうんと話し合った。この苦しい時間は、何度かコピペするように経験しているなぁと思う。恐る恐る正直な気持ちを話して、聞いて、信じて、その先は相手次第。一緒に居続けるための努力は決して怠けたくないけれど、相手もひとりの人間だからコントロールはできない。信じて、委ねるしかない。

4月2日(土)晴れ

手帳に「◯◯ちゃんにプレゼントを買う」とメモしている日は、胸が弾む予定の上位に入る。岡山市内へと車を走らせ、axcis nalfへ。

商品のひとつひとつに「想われて、選ばれたのだろう」と感じるセレクトショップにはやさしい空気が漂っている。たまたま、『贈る紙展』という文房具好きにはたまらない企画展も開かれていて、岡山にaxcisがあってよかった…としみじみ感じた。

木・金・土限定で、店先でオープンしている菓子屋てとてさんの和菓子も目当てのひとつだったのだけど、どらやきがあまりにもおいしくてびっくりした。もちっとした生地とあんこの香りが最高。お二人でやられていてそんなに量は作っていなそうだから、あまり教えたくないけど誰かに教えずにはいられないお菓子屋さん。

本当は喫茶店にも寄りたかったけれど、花粉症が辛く、早々に家に帰ることに。明るい世界をほんの少し鬱陶しく感じてしまう時は、人間の生身を描いた物語が欲しくなる。

『流浪の月』が待ち遠しい、李相日監督の『悪人』を観た。

(ポスターに収まっている俳優さんだけでも豪華すぎる…)

『悪人』は22才くらいの時にも観たことがあったけれど、その頃にはピンとこなかった人間の浅ましさや弱さが、あるいは美しさや強さが、今は身体に滲み入るように理解することができた。

生きるという経験を重ねるにつれ、純粋な心で、うわぁっと感動できる力は弱くなっているかもしれないけれど、人間の複雑さを描いた作品はどんどん味わい深くなる。察知する味覚の種類が増えるなんて、年を重ねるって最高じゃんと思った。

柄本明の台詞は、何度聞いてもハッとさせられ、我が身を振り返ってしまう。

あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思うだけで自分までうれしくなってしまうような人は。 今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。自分には失うものがないと思い込んで、それで強くなった気になっとう。 だけんやろ、自分が余裕のある人間て思いくさって、失ったり欲しがったりする人をバカにした目で眺めとう。そうじゃないとよ。そいじゃ人間はだめとよ。

私は、長らく「一人でも生きていけるように」と思って生きてきたし、今だってそうだ。

でも「自立していること」と「大切な人を簡単に手放せること」はまるで違う。大切な人を守るためには、自立が必要なのだ。一人でもどうにかなる。それでも大切な人の存在を自覚し、「失うのが怖い」と言える強さを持っていたい。

4月3日(日)花見日和

絶好の花見日和。今日は会社の数人で香川へとドライブに。元々は倉敷市内の公園に行く予定だったけれど、せっかく瀬戸内にいるのだから山と桜と海が見たい!とわがままを言ってよかった(しなやかなノリの良さを持ったメンバーに感謝…)。

桜のシーズンは、街に歓びの空気が流れていて好きだ。遥か昔から、みんなでこぞってひとつの花を愛でていたなんて、その文化そのものが麗しい。一年の中で、日本を最も美しいと感じる季節だ。


父母ヶ浜には、周辺の景観をガン無視した、ロサンゼルスにあったようなドーナツ屋さんやハンバーガーショップがあれば、香川の特産を100年後まで語り継ごうとする「百歳書店」のような試みもあり、地方の葛藤(?)を感じた。それでも人々の活気が溢れていて、素敵な場所だった。

猪熊弦一郎さんの現代美術館(MIMOCA)も、すごくよかった。マティスに学び、レオナールフジタやイサムノグチと親交が深かったといわれる猪熊さん。はじめは、解釈が難しい抽象画の数々に、苦手なタイプのアーティストかも…と思ったけれど、具象画を徹底的にやり抜いた後の絵だと知ったとき、一気に意味合いが違って見えた。猪熊さんの絵の中は、優劣のない世界で、人間への圧倒的な肯定があった。美術館を出る頃には、なぜか強く励まされたような気がして、これぞ猪熊さんのアートなのかと感服した。

明日の朝はできたら少し早起きをして、彼と近所の桜道を散歩する予定。仕事前の、束の間の花見である。

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