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彼の歌声を信じよう(6月13日~6月19日)

6月13日(月)曇り

文章を提出する瞬間は、胸の音がドクンと聴こえるくらい、いつも手に汗握る。頭と心を使えば使うほど、自信があればあるほど、評価を待つ時間は怖い。

でも今日は、依頼してくれた女性(とても尊敬している)が喜んでくれて、心から安堵した。書くことを“仕事にしたい”と思いながらもできない年月が続いていたらから、「プロフェッショナルだね」というのは仕事において何よりも嬉しい言葉かもしれない(仕事だからプロフェッショナルで当たり前だけれど、言葉にして伝えてもらえるとやっぱり嬉しい)。

帰宅して夜ご飯を食べると、週末の旅と仕事の疲労感が一気に襲ってきて、何もできずにベッドで眠りこけてしまった。

6月14日(火)曇り時々雨

二日連続の悪夢。昨晩、寝ぼけた頭で恋人と夢について話し、「夢には必ずその人の深層心理が反映されているはずだッ!」と訴えたのは私だったか。ひどく悲しい悪夢を見た。

ただ、私の脳内で勝手に創り上げられたまぼろしなのに。でも小さな不安の積み重ねが、ふいに自分を襲ってくることがある。悪夢が現実に与えるダメージは小さくなく、心に雲がかかったような日中。

それでもどうにか気持ちを立て直し、彼が帰ってくる頃には笑顔で「おかえり」と言いたい。岡山マラソンを走れることになったので、モチベーションを上げるために高山都さんのエッセイと村上春樹のエッセイを読み漁る。お風呂と読書のセットはすごい。30分前の沈んだ自分が嘘みたいに、心がいきいきと蘇る。

すっかりご機嫌になってお風呂から上がると、あらまぁびっくり、彼から電話があり、まだ21時だというのに「今帰っているところ」と言うのだ。電話口から、よろこぶ声をダダ漏れさせてしまう。

ビールと一緒にナゲットをつまむ夜なんて、幸せすぎる。それにしてもハンバーガーを食べた上に、ナゲット10個とポテトLサイズは買い過ぎだよ。

6月15日(水)曇りのち雨

アヤコは激怒した。怒りを鎮めようとしても隠せないからすぐに恋人に気づかれる。それでも、たとえコミュニケーションのスタートが怒りであったとしても、結局笑える思い出になってしまった。彼は聞き出し方がにくいほどうまいのだ。

夜ごはんを食べる頃には、すっかりいつも通り。彼がお風呂で熱唱していて(我が家のお風呂は特に音の響きがいい、気がする)、いつも夫婦喧嘩をしているお隣さんから苦情が入るんじゃないかとひやひやしたのも束の間。お風呂あがりの一服のために彼が外に出ると、なんとお隣さんからも歌声が聴こえてきたというのだ。彼のパフォーマンスはすごい。彼の歌は、世界に平和をもたらすかもしれない…と本気で思いそうになった。

6月16日(木)曇り

夜、恋人特製のイタリアンを食べながら『スパイファミリー』を観て、アーニャの可愛さを説く(いつもは一人で観ている)。

彼がするアーニャのモノマネが面白すぎて、久しぶりに抱腹絶倒した。お腹痛いからもうやめて、と笑い転がった思い出をいかに作れるかじゃないですかね人生は、、、と悟りたくなるほど愉しさに満ちた夜だった。

6月17日(金)曇り

一週間を締めくくるのにふさわしい、平和で愉快な夜。やさしい場所には、やさしい人が集まる。岡山をもっと好きになる出会いばかりでうれしい。

6月18日(土)晴れのち曇り

今日は朝からにぎやかな朝。おかしな話だけれど、彼の職場では、私がくすぶっていた20代中頃に憧れていた、「会ってみたかった人」に会えてしまう。
そんな人たちは決まって、少しも偉ぶることなくフラットに接してくれて、ますます好きになる。

でも、でも。問題は、私の中にある。

憧れの人に会うたび、私はどうしても相対的に、自分を小さく見てしまう。「私は私で楽しくやってるんだからいいじゃない」いうツッコミをもう一人の自分が入れてくれたりもするけれど、気づくと石ころみたいに縮こまった自信と簡単には消えないプライドが心の中に渦巻いている。そこに目をつぶらず、自分の欲求を認めながらも自分のペースで進むしかない。

少し気分が落ち込みつつも、後輩とランチをしたおかげで元気をもらう。自由気ままに、のびのびと生きる彼女はいつも素敵。

もうひとつ、助けになるのはやっぱり走ることだ。ようやく、重たい腰を上げてランニングを始動した。ネックだった、近所のランニングコースと走るのに適した時間帯を見つけたから、もうリズムを作れるはず。

走るといいのは、その街に息づく命のうつくしさに否応なく気づけること。バッドの素振りを続ける少年、ロードサイクルを楽しむおじさん、まさに今飛び立とうとする白鳥。私もその街の一部だと思うと、うれしくなる。

6月19日(日)晴れ時々曇り

今日は予定よりも長く寝てしまったけれど、まだ約束の時間までは余裕があったからランニングへと出かける。昨日本っっ当に久しぶりに体を動かしたせいで、太ももの筋肉痛が凄まじい。

でも本当に不思議なことに、走るたびにランニングという単純明快なスポーツが好きだなと思う。だって誰にも評価されないし、誰に勝たなくてもいい。

当たり前だけれど、自分でやろうと思ったことをやるだけで、そのまま自信になる。私の場合は、「とりあえずTシャツを着て外に出る」を今月の目標としているから、それだけでいい。あとは「きつい、もう無理かも」の一歩先を行くこと、を課しているおかげで、小さい一歩でも日々前進している実感を味わえる。まだまだ体力は引くほどないし全然距離も走れないけれど、走るのを嫌いになったことがない。私はこのスポーツと相性がいいのだと思う。

爽快な気分で、福山に住む大好きな友達へ会いに行く。学生時代にほとんど話したことのなかった彼女は、お坊さんと結婚して岡山に来た。なぜか波長が合って、いつも話し過ぎてしまうから不思議でありがたいご縁である。

夕方からは彼女と別れ、今日で終演となる『オードリー・ヘップバーン』を観るべく福山駅前のシネマモードへ。初めての映画館だったけれど、いかにも“劇場“という感じのレトロな雰囲気で、すぐに大好きになった。

オードリー・ヘップバーンは、父か母か、どちらの影響か覚えていないけれど、幼い頃から好きな女優。容姿のうつくしさは一旦脇に置いておいて、彼女の生涯があまりにもうつくしかった。それは「綺麗な履歴書ですね」を例文とするような、つるんとした綺麗さではない。愛を渇望する自分を認め、人生を愛せるよう努力し、最期には世界中の子供たちに無条件な愛を与えまくる。与えられなかったことを嘆き落ちぶれるのではなく、与えることを選んだたくましさに涙がこぼれた。

オードリーのたくさんの表情が記録されたドキュメンタリーだったけれど、時代やシーンによって目の輝きがまるで違っていて驚いた。愛あるときは輝き、苦しいときはオードリーでも光を失くすのかと。

とっても充実した一日だったはずなのに、映画を観た後は寂しさに襲われ、夜は全く眠れなかった。父親からの愛に飢え、男性との関係に苦しんだオードリー。昔、上司に「父親からの愛を受けなかった女性は、男性に安心を求めるから苦労する」と言われたことがある(今思うと、なんて無神経な発言…!)。今回も、また失うかもしれない。そんな巨大な不安に支配されて、泣いても泣いても涙が溢れてくる。文章にする勇気は多分一生持てないけれど、とにかく今夜ばかりは、父と話がしたかった。気づけば、今日は父の日だったらしい。すっかり父を思い出さない日々で、拗ねたのかもしれない。

今日はもう眠れないかも、と半ば諦めた頃に、職場に泊まるはずだった恋人が帰ってきた。本当にこの人は、いつも必要な時に目の前に現れる。誰かに受けた呪いみたいな言葉は、いつの間にか忘れていた。


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