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草刈正雄さんのファミリーヒストリーが凄かった件。

昨夜、久しぶりにNHKの『ファミリーヒストリー』を見た。

ゲストは草刈正雄さん。草刈さんについては、過去にこんな記事を書いている。

私が子どもの頃はイケメン俳優のひとりだった。今もイケメンぶりは健在だが、ダンディーな役からコミカルな三枚目まで幅広い演技で活躍している。近年ではNHK大河ドラマ『真田丸』や、テレ東さんの『おじさまと猫』(今となっては、神木くんのニャ~ニャ~も貴重なのでは?)などが思い浮かぶ。そんな彼のファミリーヒストリーと聞けば、見ないわけにはいかない。

(以下、内容を含むのでご注意ください。未視聴の方は、まず配信をご覧いただいた方がいいと思います)

草刈さんは福岡県行橋市生まれ。父はアメリカ空軍の兵士で築城基地に派遣されており、その際に母と出会う。諸事情により、2人は草刈さんが生まれる前に別離するのだが、当時は朝鮮戦争中であり、草刈さんは生前の母から「あなたのお父さんは朝鮮戦争で亡くなった」と聞いていたそうだ。

唯一教えられていた父の名前を手掛かりに、番組が長期にわたって調査。現地で取材を担当した女性は、「名前がわかっても綴りがわからなければ、非常に困難な作業だ」と話していた。

約半年間の調査の結果、驚きの事実が判明する。父は、10年前まで生きていたのだ。

番組中、目頭を熱くしながら草刈さんが無言になった。大変な驚きと共に、どうことばにしていいのか迷っている様子が伝わってくる。死んだと聞かされ、母ひとり子ひとり生きてきた彼にとって、「ではなぜ自分たちを置きざりにしたのか」という思いも当然あるだろう。あの時代だ。差別や虐げられた経験があっただろうし、母子で生きていく困難は想像がつく。2人は故郷の行橋から、しがらみの少ない小倉へ移り住み、母は仕事を掛け持ちしながら草刈さんを育てたのである。それでも彼女は、父の悪口を一切口にしなかったという。

番組で印象的だったのが、親子が間借りした住まいが出てきたとき。大家さんの娘で草刈さんの幼なじみの女性が登場し、当時の様子を語った。彼女は草刈さんのことを「まこちゃん」と呼んでいた。今もそんな風に呼ばれていることが、その関係性を物語る。アメリカにいる97歳の伯母・ジャニタさんによると、草刈さんの祖父も父も、やさしくてチャーミングでモテモテだったらしい。そんな血筋を、草刈さんも受け継いだのかもしれない。写真で見る若い頃の祖父と父は、彼とそっくりだった。

もうひとつ印象的だったのは、ジャニタさんが長年自責の念に駆られていること。草刈さんの父は、日本人との間に子どもがいることをアメリカの家族に告げておらず、草刈さんの母が妊娠中に送ってきた手紙で知ったのだとか。父方は代々軍人の多い家系であり、家族は「敵国であった日本に家族がいるなんて」と、たいへんなショックを受けたそうだ。ジャニタさんにはどうすることもできなかった。手紙が届く前、もともと繊細な弟は当時精神的に不安定だったと言い、そんな彼に対して海外への赴任を勧めたジャニタさん。それを受け入れて、草刈さんの父は西ドイツへ。彼はそこで新しい家族を持つことになる。

「あのとき自分が弟の背中を押さなければ、もう一つの家族は再び一緒に歩めたかもしれない」。

70年もの間、後悔をひとり胸にしまって生きてきた伯母。97歳、先は長くないであろう彼女が、草刈さんの現在を知ったときの喜びは計り知れない。父やその家族に対する複雑な思いを抱えながらも、ジャニタさんの手紙から溢れる、自身への愛と母への感謝に涙する草刈さん。彼女に会うため、彼はすぐに渡米した。ドラマ以上にドラマである。


「私を許してくれるの?」

草刈さんを出迎えたジャニタさんが放ったことばだ。たったひとことだが、とても重い。弟にそっくりな甥を見て、込み上げてくる感情はたくさんあっただろうに、出たのはこのひとこと。非常に胸を打たれた。

今回、草刈さんだったから事実を突き止めることができたが、こうした家族は全国、いや海外にも多く存在するのではないだろうか。

一人ひとりに紡がれた家族の物語。ドラマのような事実を番組で見ながら、自分のルーツと向き合うような気持ちになった。今年もお盆と終戦の日が過ぎていく。

*今回の草刈正雄さんの渡米については、後日特別編が放送されるそうだ。こちらも楽しみ。

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