見出し画像

文鳥と私

こどもの頃、毎週末、祖父母の家に行って夕食を一緒に食べるのが常だった
祖父は白文鳥ばかり雛からフゴに入れて、さし餌で手乗りにしていた
代替りしながら、ずっと最大2羽、名前もしろとチビ(祖父の中にルールあったのかな)
仕事の合間に横になって放鳥して、白文鳥たちは祖父の皮膚や髪を引っ張ったりして遊んでた
私も遊ばせてもらっていたし、文鳥はその頃から身近な鳥だった

私が大人になってから祖父が病気で入院、それから祖父のチビ♂を預かっていたのだけど、祖父はそのまま他界してしまったため、そのままチビはうちの子に
机でトントンってリズムを取ると一緒にジャンプして歌…というかギャルルル吠えてました‪𐤔𐤔‬

ただ雪の予報の日に日光浴させていて猫かカラスに襲われてロストしてしまった
クリッピング(羽根切り)していたし、遠くには行けないと思って探したのだけど見つからず…
未だに申し訳なく思う
(以降うちの子はみんなクリッピング無し、放鳥中は家族全員で声かけ、事故がないよう注意徹底)

こどもたちがある程度大きくなった時、また文鳥と暮らしたいなと思ってお迎えしたのが、白文鳥のしらたま
一人で餌を食べられるようになってからのお迎え

しらたま

娘をパートナー認定してベタ慣れ
私も娘不在の時ならモフらせてもらえた
たまごの心配(詰まったり卵管脱)はあったけどたまに怒ってもギャルギャル声は出さずにうねうねしながら口開けるだけの基本穏やかな子
バッグの中などの狭いところに入ってはキューキュー呼び鳴きしてた
で、こちらが「しらちゃん?」って呼ぶと今忙しいんだけど?と言わんばかりに億劫そうに顔出してピッと返事だけして帰っていくという‪𐤔𐤔

彼女は4歳過ぎに腫瘍ができて頑張って摘出手術に耐えるも術後亡くなってしまう…
しばらくは泣きくれて過ごすことに
その話はまた別に

それから気持ちの整理がついてきてしばらくして迎えたのがシナモン文鳥のむぎ♂
はじめての3回餌からの雛‬のお迎え
かつて祖父がフゴの雛に育ての親でさし餌してたの思い出しながら…
成長早くあっという間に幼鳥に!

雛時代

かつてない自由奔放な文鳥むぎ
手乗りにはなってくれたけど撫でられたりモフられるのは好きではないみたいで逃げ回る
じっとしていない‪𐤔𐤔‬
手の上で、どころか止まり木の上でも滅多に餅になったりしない
シナモンみたいに比較的近年改良された子は弱いかなと心配していたけど祖父の家にいた歴代のしろチビ含め、今までのどの子よりも健康体!
それでも腫瘍心配なので触らせて欲しいのだけど難しいのが困る
一応?私がパート認定されてるっぽい
むぎとの日々もまた書きたいと思います

最近

そんな感じで間は開けどずーっと文鳥と暮らしています
個性も色々、気は強いけど愛情深い文鳥たちの下僕です‪𐤔𐤔‬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?