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二つの俳句の星、『あかぼし俳句帖』と『ほしとんで』

俳句漫画といえば、私の好きな作品は『あかぼし俳句帖』である。

これは全6巻の作品で、車メーカーの販促担当者である明星氏が主役だが、
彼は窓際族で、随分前に離婚して、今ではつまらない会社生活を送っている。生きがいがない。そんな男が、50代になり俳句に出会って(始めは20代の綺麗な女性目当てで)、俳句にハマっていく話である。

俳句漫画でもう一つ、『ほしとんで』という作品もある。

これは、主人公は芸大の学生で、ランダムに割り当てられるゼミの中の一つ、俳句ゼミに入ることで、俳句の世界に触れていく、という筋立てだ。これは全5巻。

全6巻、全5巻、と、やはり、俳句、というジャンルで漫画を描くのは難しいのだろう。

この二作は同じ俳句をモティーフにしているが、明確に違うところがあって、『あかぼし俳句帖』は、どちらかというと、句作に対する苦しみなどを濃厚に描いている。

対する『ほしとんで』は、これは芸大が舞台だからか、さっさと俳句せえよ、というくらい、俳句のシーンが少なく、学園生活に結構比重が置かれている。
どちらかというと、キャラクターとギャグで見せていく作風で、非常に非常に甘い、内輪ノリサークルの優しい世界である。

そしてこの二作、俳句漫画なので、吟行からの句会などの展開は同一だが、『ほしとんで』ではそれも優しい世界だ。素人相手のイベントと、それなりにガチで来ている人たちの集まり、くらい二作で温度感が異なる。

『あかぼし俳句帖』は表現に対しての苦悩などをより掘り下げるが、『ほしとんで』は表現者に対しての周囲の評価であったり、発表に対するスタンスだとか感情だとか、そちらに重きが置かれている。創作物を発表すること、それに対する周囲の反応と自分の感情をテーマにしているように思える。けれども、そこには厳しい意見はなく、学生らしいモラトリアムに満ち、そもそも、主人公が別段俳句を好きでもなさそうであり(そもそも小説を書きたい人だし、ランダムで入れられたので)、この辺りで読者の好き嫌いも分かれそうである。

『あかぼし俳句帖』は、50代の脂ぎったおっさんが主役なのだが、絵柄も相まって、不思議な清涼感がある。
『ほしとんで』は10代の爽やかな青年が主人公だが、周囲に恵まれた優しい世界のため、そこには作り物臭さが漂う。特に、同居しているオジさんが有名なイケオジ教授だったり、親友が人気のイケメン俳優だったりして、まぁ、そういう若干のなろう系的な緩さを感じる。

私が『あかぼし俳句帖』を推すのは、そこに俳人たちの自意識が描かれてはいても、それは表現に対する感情と連結しており、あくまでも表現を主体としているからだ。だから、自意識もまた物語に活きてくるのだ。

『ほしとんで』は自意識過剰、とも取れる感情のほとばしりで、これはどちらかというと、『同人女の感情』に近い気がする。

あそこまで振り切れていないが、表現=他人の評価がついて回る世界である。

表現と他者の評価は不可分ではあるが、けれども等価ではない。
誰かに賛同してもらったり、まぁ、noteであれば、スキ、なーんて言ってもらえたら嬉しいのだろうが、それに惑わされているようではお里が知れるのである。
創作はセックスではない。創作はオナニー、マスターベーションなのだから。

『ほしとんで』にはいいキャラもいる。3回生の先輩の隼さんである。この人はめちゃくちゃいいね。
口は最高に悪いが、意外と面倒見が良く、作品至上主義である。このキャラクターがもっと見たかったなぁ。

然し、どちらの作品もテイストは違えど、十七音を追い求めるのは変わらない。まぁ、あかぼしはドラマ寄り、ほしとんではアニメ寄り、かなぁ。



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