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有名な人が評価した、だからその絵は1000万円なんだよ。 川端康成の話

先日、なんでも鑑定団を観ていると、東山魁夷の絵が鑑定に出されていて、偽物っぽかったが、本物で、5000万円という査定だった。
5000万円、という額はあくまでも番組の評価額であって、これくらいの価値がありますよ、という総合値のようなものだが、まぁ、実際には1億円でも買いたいという人がいたり、100万円でもこれはないな、という人がいる。

美術品、というものは相場はあっても絶対的な価格は存在しない。
だから、運が良ければ数百万円のものを数万円で手に入れることができるし、逆も然りである。

さて、東山魁夷といえば、川端康成と仲良しだったが、川端康成はオタクであり、好きなものは、①若い女の子、②美術品骨董品、③ペットの類、④名声、なので、これはもう、完全に俗物の極みであるが、まぁ、書く文章が美しいのと、ノーベル文学賞を取ったので、日本の代表的作家扱いされている。

三島由紀夫も同じで、俗物。谷崎潤一郎も俗物。
なので、この三人は俗物三羽烏として認識したほうが良い。良いが、MISHIMAだけは、その俗物っぷりが振り切れており、かつ、最早文化にまでなっているから桁違いである。

川端康成は若い頃から女性が大好きであり、『十六歳の日記』にもあるように、16歳で天涯孤独になった人だが、基本的には人間を信用していない感がある。それは、非常事件でもお馴染みの、大好きな伊藤初代にフラレてからの、若干のストーカー的感覚のはての虚無へと至るところで確定的になり、基本的には人間のことなど信用していないのだ。

カジノ・フォーリーにハマり、カフヱーの女給に惚れ込んでストーカー化したり、あしながおじさんを気取ってパトロンになったり、骨董品を買い蒐めたり、女性の書く文章の添削が趣味だったり、お手伝いさんに恋したり、どこまでも純な男であると同時、あの、奥さんを取っ替え引っ替えして、あまつえ奥さんの姉妹や義理の娘にまで妄想と欲望を募らせる谷崎など、信じられない放埒人間に映っただろうが、然し、川端さんも他人から見れば全く同類である。

恐らく、本人としては、クソぉ、俺だって……俺だって……っと思っていただろう。
川端康成は非常に社交的でもあり、如才なく、組織人として立ち振舞も上手かったので、まぁ、出世するのも当然だ。逆に、谷崎の方が、どちらかというと性格に難がある方なので、扱いづらいだろう。

川端康成は逗子でガス自殺を図ったが、それも逗子マリーナという、なんとも南国リゾート的な場所で、その辺りも日本の美、という御本人の書いていた幻想とは異なる場所で、これは、谷崎も『陰翳礼讃』などと日本の美を謳いながらも、実生活では綺麗で明るいお手洗いなどが好きだったのと似ており、そこまで入り込むのはなかなか難しいものなのである。

日本の美、というのは、幻想であって、その幻想は実生活とはかけ離れているからこそ幻を想うわけで、誰だって、便利で清潔がいいに決まっているのであり、そうではない、まさに幻想を体現している人などは、案外評価されない。
こうやってディスっていると、私が川端や谷崎を嫌いかと思われるかもしれないが、そんなことはなく、川端の表現力は日本でも随一だと思うし、谷崎の耽美な世界観は素晴らしいと思っている。

寧ろ、そういう女性大好きな気持ちがスパークした結果、素晴らしい文学が生まれたのなら良いことだと思う。


川端康成は娘を死産で亡くしているし、谷崎潤一郎は松子夫人が中絶している。
そして、それらの出来事は、どちらも作品世界にも反映されていたりして、結句、文学作品を読む、ということは、その作者の人格や経験とは不可分なことが多くあり、なぜ日本の美を書いたのか、どうして、このような作品が生まれたのか、その背景こそが文学であり、作品そのもので評価することも大切だが、人間としての作者を識ることで、その作品はより豊穣になる。
なので、まぁ、他人がつけた5000万円、という価値は、実際おかしいこともあるが、そういう様々なことが包括されての価格、だということも、勉強をすればわかるようになるのだ。



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